第12章:第23話
ゼオンの前で小さな頭が三つうなだれていた。セイラが事情を話している間、キラはティーナに裏切られた痛みに耐えることで精一杯だった。鉄色の輝きと共に紅の光が部屋を切り裂く光景が頭に焼き付いている。面のような笑いすぎた笑顔が恐ろしくて仕方が無かった。
ティーナはキラを恨んでいたのだろうか。確かにティーナがこちらに刃を向けたきっかけを作った人はメディだろう。しかし、キラへと恨みも確かにティーナの中にあったのではないだろうか。
何度も経験したはずなのに、この瞬間は未だに眩暈で倒れそうになる。心臓をえぐられたような感覚。自分が信じていたはずの世界が切り裂かれて、何を信じれば良いかわからなくなる。
ティーナは本当はキラを憎んでいたのだろうか。キラと一緒に料理を作り、パーティの準備をしていた時の笑顔は偽物だったのだろうか。ガンガンと痛みが渦巻いて、セイラ達の話も耳に入らなかった。
「……というわけです。恐らく、ティーナさんは300年前の世界に連れていかれた可能性が高いでしょう。あの人、確実に馬鹿な事考えています」
「なるほどな。とりあえず、全員怪我は無さそうで良かった」
ゼオンは落ち着いていた。だいぶ熱も下がってきたようだ。セイラの話への相槌の打ち方一つ取っても確かな芯がある。ゼオンの調子が戻ってきた事は嬉しいが、そのゼオンに真っ先にこんな情けない話を聞かせなければならないことが辛かった。
「ごめん……あたし、ティーナの辛さに全然気づいてあげられなくて……」
「それを俺に言ってどうするんだよ。多分…………そこのところは俺も同じだ。悩むのは、ティーナを連れ戻した後にしろ。俺もそうするから」
「うん……ティーナが戻ってきたら、またタルト焼こ…………あ、あたしがそんなことしたら迷惑かな……」
悩まない。そう決めたはずなのに、気づくとキラの顔はまた下を向いていた。言うことを全く聞いてくれない顔。こんな時でも、明るく笑って皆を元気づけたいのに。全く、自分ってめんどくさい。
すると、ゼオンがキラに言った。
「それなんだけどさ。お前、あいつが本気でお前を恨んでいるからタルトをひっくり返したと思ってるのか?」
「え……そうでしょ……?」
「俺は、違うと思う」
キラだけではなくルルカもその言葉には首を傾げた。ゼオンは二人にこう尋ねた。
「お前ら、ティーナが逃げ出した時に、あいつの部屋に入ったんだよな。ゴミ箱の中って確認したか?」
「ゴミ箱? してない。それどころじゃなかったもん」
「じゃあ、長時間甘い物を放置したような臭いとかはしたか?」
「さあ、しなかったと思うけど」
「じゃあ、昨日この馬鹿がタルトを渡してからティーナが外にゴミを捨てに行ったりはしたか?」
「いいえ、ゴミの回収はいつも朝だもの。夜も見張ってたから、部屋を出てはいないはずよ」
ゼオンが考えることはいつも想像がつかない。なぜかやたらとティーナの部屋のゴミについて尋ねてきたが、あの騒動の中でゴミ箱に注意が行くはずがなかった。
「……じゃあ、後でもう一度ティーナの部屋に行って、ゴミ箱の中身確認してみろよ」
「…………何が言いたいの?」
「床に落ちたタルトはどこに行ったんだ?」
その一言で二人は自分達が大事なことを見落としていることに気づかされた。タルトが落ちたはずの床は綺麗な状態だった。ティーナがゴミを捨てに出て行っていないのなら、部屋から外に出てはいないということになる。一晩中常温で床に落ちたタルトを放置しておいたら少しくらい臭いがしそうなものだ。ゼオンの言葉どおりだ。タルトの行方は?
すると、ゼオンは苦い顔をしながらティーナについて話しはじめた。
「ティーナってさ、食べ物についてすごくうるさいんだよ。野菜の皮すら捨てようとすると怒るんだ。だから、俺から見るとタルトをひっくり返したってすごく違和感があるんだよ」
「え…………でも、ティーナは間違いなくあたしの目の前で……」
「まあ、お前が見たんだから、それは事実なんだろうな。問題はその後だ」
「あたしが作ったタルト……どうしたんだろう」
床が綺麗だったので掃除をしたことは間違い無い。捨てたのだろうか。だとしたら部屋に臭いか、外にゴミが残るだろう。
ゼオンは深くため息をついて、セイラに尋ねた。
「あまり考えたくないんだが…………ティーナの奴、こいつが去ってから、床に落ちたタルトを全部食べたんじゃないだろうな?」
答えが返ってくるまでに随分と時間がかかった。しかしセイラは答えなどとうに知っている様子で、ただそれを吐き出すことに疲れているようだった。セイラもまた、重いため息をついていた。
「…………だから、ティーナさんは馬鹿なことを考えているって言っているんです。そのとおりですよ。あの人、裏切ってなどいません」
その瞬間、キラは冷徹だったのはティーナではなくて自分の方だったと気づき、罪悪感に苛まれた。セイラの離反を目にしたイオと同じだ。信じられなかったのはティーナではなくてキラの方だ。
最低の裏切り者を演じた後に、しゃがみこんで潰れたタルトを拾うティーナを想像して泣きそうになった。埃に塗れたタルトを口に入れた時、ティーナは泣いていただろうか、笑っていただろうか。考えただけで胸が締め付けられそうだ。
「ばか……ティーナのばかあああ! なんでそんな、一人で自分をいじめるようなことするの。なんで一言でも相談してくれなかったの……」
キラは自分を責めた。これは無知な加害者の言葉だ。「なんで相談してくれなかったの」なんて、人の傷にも気づけないくらい無神経でなければ出てこない。ゼオンも同じ傷を負ったようだった。死のように黙り込んでいた。
セイラが機械のように述べる。
「ティーナさんが奴らの下に行った理由が単純に過去への精算の為なのか別に理由があるのかは確定できませんが、まだ助けられる可能性は残っていますから落ち着いてください」
ゼオンはベッドの上に居る自分を憎らしげに睨みながらセイラに問う。
「早くしないと……まずいよな。あともう一日くらい後なら熱も下がっていたと思うんだけどな…………」
「それなんですが……今回は時を越えて過去に行かなければなりませんので、単純に早く行動すれば助かる確率が上がるとは限らないかと思います」
「そうなのか?」
「ええ。ティーナさんが連れていかれた時間とほぼぴったり同じ時にたどり着くことができればよいのです。おそらくそれができれば行動まで数日開いたとしても可能性は変わりませんし、逆にそれができなければ今すぐ助けに向かったとしても失敗に終わるでしょう。むしろ慌てて動く方が危険かもしれませんよ。ティーナさんの行き先の詳細な時がわかるまで、私に時間をください」
「なら、そうしよう。俺もそれまでに熱が下がるよう努力する」
口には出さなかったが、キラは「二日前に倒れたばかりなのに、もう戦う気なのか…………」と不安に思っていた。だが、戦力的にもティーナの精神的にも、ゼオンが居た方が良いのは事実だ。 結局そのまま話がまとまり、セイラは明日までには準備を整えると告げた。
キラは小さな自分の手を見つめる。いつもこうなる。最終的にゼオンに頼ってしまう。しかもゼオンは多少の危機なら自分の力だけで切り抜けてしまうし、味方の危機には最高のタイミングで現れて助けてくれる。そのせいで、ゼオンにはまるで物語のヒーローのような補正が付いているように錯覚してしまう。
けれど、違うんだ。ゼオンはあくまでただの魔法使いの少年だ。そのはずだし、そうでなければならない。
「治るってのも妙やな」───オズの言葉が耳に残っていた。嫌な胸騒ぎがする。このまま再びゼオンを戦わせてよいのだろうか? けれど、やはりティーナを連れ戻すならゼオンが居なくてはならないように思う。
せめて、なるべく負担がかからないように頑張ろう。キラにはそれくらいのことしかできなかった。
◇ ◇ ◇
空間の裂け目を通り、たどり着いた先は湖の辺だった。サラ・ルピアの復讐の時、ゼオンやディオンとここを通ったっけ。そう考えると懐かしくなる。
ティーナが着いた後、一呼吸遅れてイオとショコラ・ブラックが姿を現した。
「ふー」とため息をついた後、イオが地面に手をかざすと、時計盤を模したような魔方陣が現れた。この魔方陣は一度見たことがあった。300年前の世界からこちらにやって来た時、セイラが使ったものと同じだ。
「あーびっくりした。でもまあ、なんとかなったからいいか。んじゃあ、さっさとタイムスリップしちゃおっか!」
イオはティーナにウィンクして、陣の中央に行くよう促した。万一追ってきた時の為なのだろう。ブラックは陣の外で周囲を警戒している。
「もう一人が着いてないみたいだけど、いいの? あんた達、多分三人でしょ」
「いいのいいの、ボクらはこっちでまだやることがあるから。後から行くよ。ティーナは先にラヴェルとプリメイとの再会を楽しんでて」
イオは無邪気に笑う。一見するとまあこの笑顔の下に反吐が出る程の邪気が隠れているなど想像もつかないだろう。
ティーナは言われたとおり、魔方陣の中央に立った。
「ティーナがあっちについてから12時間後にボクらもそっちに着くから。その時に杖をちょうだい。もしあっちに留まるならボクらはそのまま帰るし、こっちに戻ることにしたなら一緒に帰ろう。ねっ、わかった?」
「わかったわかった」
「んじゃあいくよ。この世を創りし蒼き瞳の女神よ………」
イオが手を広げると、蒼の光が天に向けて舞い上がる。この息が詰まり重力で押し付けられるような感覚が懐かしい。
過去から時空を越えてやってきたあの時と同じだ。そして、再びティーナは時を遡る。あの時計台の街へ、ラヴェルとプリメイが居る時代へ。
「この身を委ねて在るべき刻へ……! ダル・セーニョ!」
周囲に光の幕が下りて目が見えなくなる。現在の世界は遥か彼方へ飛んで行き、懐かしい時代がやってきた。
瞼を開くと、もうそこにイオ達の姿は無い。鬱蒼とした森も無く、ティーナは平原の真ん中に立ち尽くしていた。
風が潮の臭いを運んでくる。海が近い。振り向くと、遠くに街が見えた。一本そびえ立つ時計台。思わず涙が出そうになる。
しかし、込み上げる衝動をぐっと押さえ、ティーナは街へと歩き出す。彼らと再開した時、どんな顔で話しかければよいのだろう。そんな不安を抱えたまま。




