第12章:第20話
盤の上の戦いも後半へさしかかっている。駒の数も減り、両者歩兵をぶつけ合って激しく競り合っている……そんな局面だろう。そんな状況の中、もう一人の黒のルークが敵陣ど真ん中に突っ込んでいた。うまく行けば多くの白の戦力が削げる。ただし、しくじれば自身が死ぬ。そんな状況だ。
全く、毎度毎度どうしてここの連中はチェスに状況を例えるのだろう。「趣味が悪いよ」とブラックは心の中で呟いた。
「ねえメディ、なんか今回は楽しそうだねえ」
イオは意地悪く笑いながらメディに言う。メディは高揚した様子で言う。
「ふふふ、そうねえ。ゼオンの部屋に行ったって話した時のティーナの顔、最高だったわ! 私に実体があればもっと面白いものが見れたかしら」
「もー、メディってば。実体があったらそもそもこんなことする必要が無くなっちゃうじゃん」
「あら、それもそうね」
相変わらず二人揃って吐き気がする程悪趣味だ。可哀相に、こいつに実体が無くて本当に良かった。敵だというのに、ブラックはゼオンにもティーナにも密かに同情していた。
部屋にはイオとブラック、リディとメディが集結していた。何やら今回の作戦は大がかりのようだ。なんせイオの力で時を越えて過去に行くことを前提にしている。
事前にブラック達はティーナやゼオンに吹き込んだことの内容を聞かされていた。その内容と照らし合わせながら、ブラックは言う。
「なあ、ティーナを過去に連れていって後から追ってきた奴らとドンパチやる気かい? そんなこと、してもいいの? その……あんた達『世界のシステム』的には、過去改変はしちゃいけないんじゃないのかい」
するとイオは淡々と恐ろしいことを言う。
「ふふん、ボクらは改変するんじゃなくて、調整しに行くのさ。もともと300年前、ティーナが居た時代ってのは既にセイラが緑の石の杖を奪うっていう過去改変を起こしてしまったから歴史が不安定になってるんだ。その不安定な歴史の歪は大方世界樹が治してくれたんだけど、今回はちょっと世界樹の力だけじゃ安定しきらなかったみたいなんだよね。だから、今回のボクらの役目は2つ。杖を奪うことと、その歴史の歪を治すこと。だいじょーぶだいじょーぶ。ラヴェルとプリメイの記録書どおりに過去が成り立つよう、ボクらは見守ればいいだけだから」
「あんた……まさか」
事実に気づいたブラックは思わずそう呟いていた。イオがティーナに言ったことは虚構まみれ。これが彼らのやり方だった。
「やだなあ、ボク、嘘は言ってないよ、嘘はね」
イオは狂った微笑みを浮かべていた。セイラはこの子供を本気で正気に戻す気でいるのだろうか。この子は呆れてしまうほどに無邪気で、残酷で、脆い。
本心を述べるなら、ブラックはイオに従いたくはなかった。これがリディの為になるとは思えない。だが、ブラックの右耳のイヤリングの片割れが奪われている限り、イオはいつでもブラックを強制的に従わせられる。そのことが辛かった。
「全く、結局また弟君に頑張ってもらわなきゃならなさそうだねえ。かわいそー」
「あたしはあくまでリディに仕えてるんだ。あんた達に従うことは契約の範囲外だね」
「契約の範囲外のことをしてるのはそっちだ。ボクはリディに言ったはずだよ。あんたがボクらの戦力として協力するって条件を満たせるなら、リディの配下として生き返らせてもいいってね。じゃなきゃ、リディに仕えるなんて許すはずないじゃん。あんたのつまらない意地はボクらじゃなくてリディを苦しめてる。それを早く自覚しなよ。ねえ、リディ?」
イオがほくそ笑みながらリディに目を向けると、リディは弱々しく言った。
「ありがとう、ショコラ。気持ちはとても嬉しいわ。でも、お願い、ここはイオに従って」
ブラックは歯を食いしばり、黙り込むしかない。心優しいリディの幸せを、この手で守れないことが悔しかった。
ようやく静かになったブラックを見て、イオは勝ち誇ったように言った。
「ほんと、あんたは言うこと聞いてくれなくてめんどくさい。その点、あいつの方が扱いやすくっていいよねえ。あんたみたいなドジしないし」
イオは背後で武器の手入れをしているもう一人の仲間に目を向けた。
「今回は……三人で行くのかい?」
「そう。やっぱり皆一緒の方が心強いからね!」
ブラックは淡々と撃ち抜きの練習をしてる愚か者を見てため息をついた。
「じゃあ、ちゃんと準備しててねー!」
イオはくるりと回って、小鳥のようにぴょこぴょこ跳ねて去っていった。イオの背中を見送ると、ブラックは耐え切れずにリディに言った。
「ねえ、リディどうして。こんなこと続けてたら、あの魔女もオズさんもどうなるかわからないよ。いくらあの魔女達の身が危なくなるからって……やりすぎだよ」
「ごめんなさいね……辛いことをさせてしまって」
ブラックはありのままの考えをリディにぶつける。
「ねえ、リディ。あいつらから離れようよ。オズさんのことが好きで、守りたいなら、素直にオズさんと協力しちゃえばいいじゃないか。イオ一人じゃさすがに杖を集めることはできないだろうし、ついでにあの魔女っ子達から杖を借りれば、今すぐ改めてメディの封印をかけ直すことだってできるだろ? 簡単じゃないか。どうしてそうしないの……?」
ブラックがそう言った時、逃げ道を塞ぐようにメディの高笑いが響き渡った。目眩がしそうな甘い声が背後からブラックに囁く。
『ウフフ……私がまだ居るってこと、気づいた上で言っているのかしら』
チッ、とブラックは舌打ちする。姿が見えないということは本当に厄介だ。いつどこで監視されているかわからない。
『とはいえ、さっきの質問の答えは私も知りたいわねェ、リディ。あなた、何を企んでいるのかしら。しらばっくれないでよ。私はもう決定的な確証を得たわ。あなたは絶望に打ちひしがれて助けを待ってるお姫様なんかじゃない。殺る気満々の指し手よ』
リディは無力な少女のように沈黙を守り続ける。苛立ったメディの目は次にこう尋ねた。
『なら、質問を変えましょう。ゼオンに何を盛ったの』
その質問はブラックにはとても奇妙なものに聞こえた。
「何言ってるの。毒を仕込むなんて言い出したのはそっちじゃないか。リディのせいにしないでよね」
『元気の良いこと。ほんと、あなたはこいつの手の平の上で踊るのがお上手ね。……こいつは毒じゃないものを仕込ませたのよ』
ブラックは事態を飲み込めずに首を傾げた。仕込んだものが毒でなければなぜゼオンは倒れたのだろう? ブラックはその件には全く関わっていないのでわからない。
リディは相変わらず沈黙を守りつづける。小さく縮こまるリディを見ると、ブラックはどうにかして自分がメディを追い払わなければいけないという使命感に駆られるのだった。
「いい加減にしてよね。リディにこれ以上脅しをかけるなら、あたしもあんたを脅すよ。今回の計画と、残りの仲間の正体、今すぐオズさん達に漏らしてやろうか?」
『きゃーあ、そうして主をますます苦しめるなんて酷い子ね。そして哀れだわ。こいつが気弱で健気な女の子を演じるために、あなたを自分の意思を代弁する装置として利用してるってことにすら気付かないんだもの』
「何が代弁装置だ。それにさ、あんまりリディについて悪質なデマ飛ばすのも止めてくれないかなあ。やれゼオンを操ってるだかなんだか…………一目見ればそんな魔法で操ってるわけないって、あんただってわかるでしょ」
『あら、デマなんかに騙される方が悪いのよ。ウフフ……それに、知ってる? 嘘をつく時は、本当のことを混ぜて言うと効果的なのよ』
この女の精神攻撃の手段は巧妙だ。メディもリディも元々は人を誘導する為に誘導された神だから、という理由もあるのだろうか。感情を揺さぶり、導き、心を壊すことに関してこれほど長けている人物をブラックは知らない。そうしてティーナはまんまとメディ達の策に嵌まっているというわけだろう。ブラックは弱弱しく黙り込むリディに目を向けた。リディはどうして動こうとしないの。どうして悲しみの連鎖をいつでも絶つ力を持っているのに、メディ達を放置しているの。ブラックはそう問いたかった。
メディはふわりとリディに絡み付くように囁いた。
『あなたはいつまでそんな安っぽい芝居を続けるのかしら。私のもとからなんていつでも逃げ出せるでしょうに。もしかして…………オズに知られたらまずいことでもあるのかしら?』
リディはやはり黙り込むだけだ。しかし、悔しいけれどそう考えれば確かにリディがオズの所に行こうとしないのも納得できた。
「違うわ……私がオズに会いに行けば、オズは必ず10年前の出来事について尋ねる。私がついていたのにイクスとミラは死んでしまった……合わせる顔が無いのよ」
リディはようやく震える声で言った。だが、メディは冷たく吐き捨てるだけだ。
『……あくまで白を切り通すのね。まあ確かに、あなたらしいやり方だわ』
ようやく飽きはじめたのか、メディの声がリディから離れた。声色もだいぶ粘っこさが取れている。
『全く、本当に底が読めない奴ね。まあいいわ、あなたが口を割らないなら、あなたが大事に育て上げた駒を早めに砕いてやるだけよ』
その言葉を最後に、メディの声は遠ざかり、消えていった。ようやくブラックはほっと胸を撫で下ろした。ようやく嫌な人達が消え去った。
「リディ、大丈夫?」
「ええ。気を遣ってくれてありがとう」
「気にしないでよ、これくらい」
すると、リディはか細い声でブラックに言った。
「ショコラ。お願い、今はイオ達に従って。私達から離れないで」
リディは何かを強く心配しているようだった。もしや、先程「これ以上リディを脅すようなら計画とこちらの仲間をオズ達に漏らす」と言ったことを気にしているのだろうか。
「大丈夫、離れたり裏切ったりしないさ。さっきのは冗談だよ。あたしはあの日からリディに仕えるって誓ったんだ。何があろうと、リディがどこに行こうと、地獄の果てまでお供するさ。それに……」
ブラックは撃ち抜きの練習を終えたもう一人の仲間に目を向けた。
「あいつも放っておけないからね」
ブラックがはっきりそう言い切ると、ようやくリディは安心したようだった。ブラックはお茶をリディにすすめながら問いかけた。
「……ねえ、リディ。ほんとに無理しないでよ。頼みがあったらいつでも言って」
すると、リディは穏やかに微笑んだ。
「そうね、ならあなたにお願いするわ。今は、私を信じてついてきて」
先程メディの前では見せなかった微笑みだった。
「あの子達なら大丈夫よ。あなた達が全力でかかっても、きっと大丈夫。信じてあげて」
ブラックは不安を抱えながらもリディの傍らで深く頷く。リディの目は窓の外の月に向いていた。こちらからでは、その表情は見えない。遠い月に向かって、夢見るようにリディは呟いた。
「待っててね、オズ。もう少しだから」




