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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第12章:ある悪魔の狂詩曲
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第12章:第18話

かたん、ことん、と階段を昇る音がやけに大きく感じた。自室に戻ると、ティーナは堅く扉に鍵をかける。

部屋に誰の気配も無いことを確認し、適当な紙切れを取り出して迷わず机に向かった。

手は昔のラヴェルの家の周囲の地図を書き出している。一方で、脳は先程の出来事ばかりを再生していた。

ゼオンの部屋の目の前にたどり着いた時、キラの声が聞こえた。キラの楽しそうな笑い声、ゼオンのぎこちない声、二人のやりとりを聞いていると胸の奥が痛くなって、思わずティーナはそこから引き返してしまった。

心が半分安らぎ、半分泣いていた。キラが本当に優しい子だ。ゼオンにとって相応しい人だ。だから尚更、寂しさを言葉には出せなかった。

まるで人魚姫になったような気分だ。ただし、ティーナは人魚姫のような清らかな人ではないし、どう足掻いてもティーナはキラに敵わない。何度考えても自分がゼオンにとって相応しいとは思えなかった。

そんな自分の心に蓋をするようにある決意を固めて、ティーナは手を動かす。

その時、妖艶な女の声がした。


『ウフフ……あなたとははじめましてかしら?』


ティーナ以外に部屋に人影は無い。ただ、少し頭が痛い。このような状況で現れる者は一人だけだ。


「あんたが、メディ?」


『そうよ、可愛い悪魔のお嬢さん』


その途端、ティーナの脳から「邪魔者は消せ」と指令が下る。仮面の笑顔を剥ぎ捨てたティーナにメディは優しく問い掛けた。


『イオの話は聞いたわよね? あなたの望み、叶えてあげるわ。ラヴェルとプリメイにも会わせてあげるし、あなたが望むならゼオンの心だって作り替えてあげるわよ。ふふふ……』


「馬鹿馬鹿しい。そんなやり方で振り向いてほしくなんてない」


『そうかしら。案外ゼオンがあなたを愛してくれるようになったら、そんなことどうでもよくなっちゃうかもよ? あなたはそういう人でしょう。お粗末な芝居なんてやめて、素直になりなさいよ』


甘い声がティーナを優しく包む。まるで恋に破れた人魚姫に短剣を握らせる魔女のよう。ただ、この破壊の女神は人魚姫の魔女程優しくない。


『あなたは昔から自分の為なら他人の意志を踏みにじることなんて躊躇わなかったじゃない。ブラン式魔術の力を手に入れた時だってそうでしょう。あなた、嬉しくて仕方がなかったでしょう。それまでに犠牲になった失敗作達のことなんて気にも留めなかったわよね。あなたはキラの素直さに憧れたんでしょう……あなただって、素直になってもいいんじゃないかしら』


徐々にティーナの目に文字通り悪魔のような鈍い光が宿る。まるで鋭く研がれた刃物のよう。

過去の自分を思い出す度に、ティーナは過去そのものを殺してやりたい気分になる。醜い自分、身勝手で卑屈な自分。そんな自分の本性はどんな笑顔で取り繕っても隠しきれなかった。

ティーナは一度深呼吸をして心を落ち着けた。メディの言葉に呑まれてはいけない。ティーナがすべきことは、愛するゼオンを傷つける者を残らず排除することだけだ。


「素直にねぇ…………ならあんたに聞きたいんだけど、夜中にゼオンの部屋に何しに行ったの?」


するとメディの高笑いが部屋中に響き渡った。まるで怪物の口の中で警戒している間抜けを指しているようだった。


『あはは、ねえ、それどっちの話ィ? 私、ゼオンの部屋には二回行ったわよゥ?』


「二回……!?」


『そうよ、一度目は誕生日の前日、二回目は昨日』


ティーナの心の中で遅すぎる警報が鳴った。昨日、熱で倒れて身体を起こすこともままならないゼオンの下にメディが行ったというのか。そもそもゼオンが倒れたこと自体メディの策の内だろう。ドロリと殺意が溢れ出る。憎しみが心を焼いていく。そんなティーナを更に煽るようにメディは言うのだ。


『ふふ……昨日はとっても楽しかったわ。記憶と身体は奪えなかったけれど、あの子の苦しそうな表情を見てるだけでゾクゾクする。やっぱり、あいつってからかい甲斐あるわよね』


メディの高揚した声を聞く度にぐつぐつと怒りが煮えたぎる。


『昨日は相当弱ってたみたいよ。私がちょっと耳元で囁くだけで素直に従ってくれたもの。キラの声を聞かせてあげた時なんてとっても可愛かったわ。あなたの仕掛けた盗聴器が残っていたら聞かせてあげられたのにね。残念だわぁ』


怒りが頂点に達し、気づくと傍にあったペンを握り潰していた。それでもティーナはあくまで穏やかな声で言う。


「ねえ、あんたって、ゼオンを……」


好きなの? と言おうとした時だ。その言葉を見透かしたように高笑いがけたたましく響き渡った。


『あはは、安心してェ! 私、別にゼオンが好きなわけじゃないわよ。あんな風に一途に誰かを想う純粋な心を、傷つけて、縛り付けて、くすぐって、転がして、掻き乱して、絞め上げて、撫で回して、抉り出して、溺れさせて、溶かして、眠らせて、弄んで、ボロボロになるまで砕いてやることがだァい好きなだけだからァ!! そうして心が死んだ人形みたいになった子が、勝手に壊れていく姿を見てる時が最高に興奮するの!!』


その瞬間、ティーナは自分に差し出された誘惑の刃を誰に向けるべきか理解した。今まで溢れ出しそうになっていた怒りが潮のように引く。この感覚はよく知っている。昔の残酷な自分と、今の狡猾な自分が最高のバランスで合わさってあらゆる言動を制御できるようになる瞬間だ。心とは裏腹に声はふわりと突如軽くなり、しかし出てきた言葉には一握りの情すら無かった。


「なるほど。あんたがどういう人なのか、よくわかった」


それから、ティーナはにっこりと笑った。


「気が変わったよ。あんた達の提案、受けてあげる」


その時、誰かが部屋の扉を叩いた。この場に不釣り合いな可愛らしい声がする。「おーい、ティーナぁ」と呼んでいる。ああ、どうしてこうタイミングが悪いのだろう。キラの声だ。


「ちょっと待っててくれる?」


ティーナはそう言って素早く笑顔の仮面を被って扉に向かう。扉を開けると、そこには大きなバスケットを嬉しそうに抱えたキラが居た。


「ティーナ、昨日はいろいろありがとね! お礼も兼ねて、タルト作ってきたんだ。これ、ティーナにあげる!」


まるで子供のような無邪気な笑顔で、キラはコーヒークリームのタルトを差し出した。


「あのね、ティーナって実は意外と大人っぽいほろ苦い味が好きなのかなって思ってコーヒーにしてみたんだ! 昨日、ティーナの作った料理食べててそう思ったの」


一点の曇りも無くて、大好きな皆の為にできる限りのことをする。そんなキラが眩しくて仕方がなかった。


「ティーナ、色々ありがとね。結局、あんなことになっちゃったのは悲しいけれど……でも、お祝いした意味はあったと思うんだ。今日ゼオンのお見舞い行ったらね、昨日あげたピアス付けててくれて……お祝いしたいって気持ちは伝わったような気がするんだ。それも、ティーナのおかげだと思う。だから、ほんとにありがとう!」


どうして、ありのままの姿でこれほど眩しくいられるのだろう。憧れは一方間違えれば妬みに変わる。

ティーナはにっこり笑って、タルトの皿を受けとった。そして、そのまま皿をひっくり返した。


「……え…………っ…………?」


キラから笑みが消えた。タルトは頭から床に落ちて、ベシャリと粘ついた音を立てた。時間が止まったようにキラは硬直していた。

笑うのは得意だ。ティーナはニコニコしながら皿を後ろへ放り投げた。


「ティー……ナ……?」


キラの顔はどんどん青ざめ、声が震えていく。それでも、ティーナは笑いつづけていた。


「いらない、こんなゴミ」


心に傷が付く瞬間、人はこんな表情をしているのか。絶望に染まっていくキラの顔を見つめながら、ティーナは未だ笑っている。


「ねえ、キラって酷いよね。あたしがゼオンのこと好きだって知ってるよね。なんでお見舞い行って二人っきりで楽しそうにできるのかなあ。あたしが気付かないと思った?」


「えっ、それは……ごめん、ティーナがそんなに傷つくと思わなくて……ごめん、気をつける……」


「だいたいあのパーティにも、キラは部外者をどんどん呼んじゃってさ。その中にゼオンをあんなふうにした犯人が居たんじゃないの? よく自分でゼオンが倒れるきっかけを作っておいて、のうのうと顔出せるよねぇ。キラってさあ、いつも『あたしは皆がだいすきィ、だからみんなもきっとあたしがだいすきだよねェ』みたいな顔してるよねぇ」


「ち、違う……あたし、そんなつもりじゃ……」


キラは凍りついたような顔をしていた。手が震え、今にも倒れてしまいそうだった。懐かしい気分だ。昔の自分に戻ったような気がした。


「ティーナ……ごめん。そんなに傷ついていたなんて、知らなくて……これから気をつけるから、だから……」


必死で顔を上げるキラを突き飛ばし、ティーナは最後に言い放った。


「さっさと帰って、八方美人」


まるで石の扉を閉めたような音がして、キラの姿は見えなくなった。しばらくの間、キラは弱々しく扉を叩いていたが、それもやがて聞こえなくなった。

キラを追い返したティーナは、視えないメディに笑顔で言った。


「お待たせ」


『きゃあ、酷い子。私もびっくりしちゃったわ』


「あたしは、昔から酷い子だよ」


ティーナは割れた皿の破片を踏み潰しながら、メディに言った。


「あんた達の提案、全部受け入れるよ。まずはラヴェル達の時代にあたしを飛ばして。二人にお礼が言いたいの。それからあんた達に杖を渡す。その後、ゼオンをあたしに振り向かせてほしいな」


『ウフフ……悪い子ね。どうして突然ころっと態度を変えたのかしら』


ティーナはケタケタと狂気じみた笑いを浮かべていた。ゼオンの顔、キラの顔、二人を思い浮かべてみる。


「今までキラがゼオンと一緒に居ることを許してきたのは、キラが馬鹿で頭パッパラパーで、特別ゼオンに危害を加えたりしないってわかっていたからだよ。けど、お前がゼオンに纏わり付いていたななら話は別。お前なんかにゼオンが傷つけられて壊されるくらいなら、あたしが奪い取った方がマシ。たとえ、お前達の力を利用することになるとしても、ゼオンの気持ちを歪めることになったとしても」


ティーナは絶好調で口を走らせながら、頭で全く違うことを考えていた。この先の計画を頭の中で組み上げていく。


『ウフフ……利用するって、明言しちゃっていいのぅ?』


「よく言うよ。あんた達だってあたしを利用する気満々でしょ?」


『ふふ……そのとおりね。あなたの気持ちはよくわかったわ。歓迎するわよ』


「明日、明朝。それでいい?」


『わかったわ』


メディの声は煙のように溶けて消えていった。ティーナは虚空を睨んでメディを見送る。

外は雪が降っていた。ラヴェルと別れたあの日のような、血の赤がよく似合う雪景色だった。

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