第12章:第15話
翌日、キラは大きなバスケットを抱えながら男子寮の廊下を走っていた。普段なら女子は立入禁止なのだが、ゼオンのお見舞いだという事情を話したら特別に許してもらえた。
キラは一度立ち止まり、バスケットの中身が崩れていないか確認する。大丈夫、形は綺麗だ。味も問題ないはず、たぶん。
ゼオンの具合はどうだろう。あ、もしかして食欲が無かったらどうしよう。キラは一瞬立ち止まったが、「その時は後で食べられそうな時に食べてもらおう」ということにした。
ゼオンの部屋の前で、キラは扉をノックする。だが、返事が返ってこない。もう一度ノックする。また駄目だ。
思い切ってキラは扉を開けてみた。鍵はかかっていない。ゼオンはちょうど寝ているところだった。
だったら仕方が無い。バスケットを開き、キラは持ってきた皿の上にチョコレートの小さなタルトを乗せた。ゼオンが早く元気になりますようにと思って今朝作ったのだ。
起こしてしまうと申し訳無いので、後は書き置きをして帰ろう。そう思ったところで気づいた。書き置きをする紙を持っていない。ペンも無い。
「どうしよう……」
ゼオンの部屋の物を借りようかと思ったが、どこに何があるかさっぱりわからない。
こうなったらゼオンを起こして聞くか。いや、起こしたら書き置きの意味が無い。キラはゼオンの寝顔をじーっと見つめながら困っていた。
「あ、昨日あげたピアス、つけっぱなしだ」
そういえばゼオンの寝顔は初めて見た。キラはゼオンを年のわりに大人びた人だと思っていたが、良く見ると意外と顔立ちが幼い。特別かっこよくも無ければ不細工というわけでもない平均よりちょっと整っている程度の普通の顔だと思っていたが、こうして見ると思ったより睫毛が長かった。あ、今日はチョーカーを外している。何時も黒いチョーカーを付けていたので、外していると少し印象が違う。頬が赤く、首筋が汗ばんでいるところを見ると、まだ熱は下がっていないらしい。
寝ている最中なのをいいことに、キラはゼオンをじろじろ観察していた。
「あれ……」
その時、ゼオンの首の後ろから背中にかけておかしな跡を見つけた。黒い何かの紋様のような痣がある。更に切り付けられたような形や牙を押し付けたような変な形の傷痕も見つかった。服に隠れて見えないが、この痣や傷痕は背中にも広がっているのだろうか。そう思うとぞっとする。
キラが愕然としていると、突然ゼオンが寝返りを打ってキラと反対方向に顔を向けた。キラはようやく気づいた。こいつ、起きてる。
「ゼオン、寝てない! 実は起きてるでしょ!」
「……うるさい…………うるさい」
「ねえ、ちょっとだけ身体起こせない?」
「………………うるさい」
ゼオンはしばらく頑なに顔を上げてくれなかった。ようやく上げたと思ったら頬が林檎のように真っ赤になっていたので、まだ熱が高いのだろうと思った。
「ねえ、ゼオン。首の後ろに傷痕とか痣とかがあったんだけど……どうしたの?」
タルト作ってきたよ! と言うつもりだったのに、気がついたらそちらの話を先にしていた。
「傷痕? え、そんなものあったか」
「あったよ。もう傷自体は治ってるみたいだったけど……いつの傷? 最近?」
「わからない……首の後ろなんて最近怪我してねえんだけど。首の後ろ……あ、もしかして母親に付けられたやつかな。まだ残ってたのか」
「母親?」
キラが尋ねると、ゼオンは見たこともない不快そうな顔をした。
「俺の実の母親だよ。あいつが生きてた頃、殴られたり切られたり魔法で傷つけられたりしたからな。その頃の傷が残ってたのかもしれない。あいつ、服や髪で隠れそうなところばかり狙ってたし」
「そんな、ひどい……ひどいよ……。そんな傷があったなんて全然知らなかった」
「それは多分これのおかげだな」
ゼオンは普段から身につけている黒いチョーカーを手に取った。
「これ、付けると身体の傷や痣が見えなくなる魔法具なんだ。昔からこういう魔法具で傷とかを隠すようにしてきたから」
キラはぶうっと膨れた。ゼオンは良い物を紹介するような話し方をしていたが、キラはなんだかその態度が気に食わなかった。
「なんで隠しちゃうの。隠したら見つけられないじゃん」
「見つかったらまずいんだよ。体裁が悪いだとか、そんな醜い姿は一族の恥だとか言われて別の奴らからも目を付けられるし」
「……恥じゃないもん。ゼオンのそういうとこ、よくない。なんで傷のこと話してくれなかったの」
「そりゃ、今思い出したからな。そんな昔の傷の痕がまだ残ってたことも知らなかったくらいだ」
キラはまた膨れた。このようなやり取りをつい最近もしたような気がする。卑怯だ。それでは責めることも改善することもできないじゃないか。
「むぅ……ゼオンよくない。何がよくないかわかってない顔してて……よくない」
「よくないって言われてもな……」
「傷は治ってるからまだしも、その黒い模様みたいな痣とか……心配だよ」
すると、「ん?」とゼオンが初めて聞いたような顔をした。
「黒い模様みたいな痣? いや、そんなもん付けられた覚え無いぞ」
「え? だってこのへんに……」
キラは再びゼオンの首の後ろを見たが、黒い痣はなかった。
「あれえ?」
「髪の影だったんじゃないのか。それともお前が馬鹿だったのか」
「ば、馬鹿は関係ないもんばかやろー!」
キラは頬を膨らませて怒ったが、昨日よりもゼオンが大分元気になったようなので安心した。
これならタルトも食べられるだろうか。キラは机に置いた小さなチョコレートのタルトをちらりと見た。
「あのさ、ゼオン。食欲ある?」
「まあ、ちょっとは」
「小さいタルト作ったんだけど、いる?」
「え……っ……?」
ゼオンが驚いて机の上のタルトに目を向けたので、やっぱりゼオンは甘い物が好きなんだなあと微笑ましくなった。
キラはいそいそとバスケットを手に取って自慢げに中身を見せる。
「あのね、今日の朝いっぱい作ったんだ! フルーツのやつでしょ、コーヒー味と、チーズケーキ味、これは苺とくまさんが乗ってて、あとこれは紅茶とレモン味! あとはー……」
「これ……お前が……?」
「うん、あたしが作ったんだよ! んで、このチョコたっぷりのがゼオンのやつ。『こうのー』なチョコを目指した!」
「……『濃厚』な」
「あう」
キラは早速フォークとタルトをゼオンに手渡す。ゼオンがタルトを食べる瞬間を見ようとキラはじーっとゼオンを見つめる。
「……おいやめろ、落ち着かない」
「だってゼオンがなかなか食べないんだもん」
「そんなにじっと見られてると食べづらい」
「だって誰かに料理を作った時って、食べる瞬間見たいでしょ。味の感想言ってほしいでしょ」
「…………その、あまりこっち見んな」
「じゃあ感想ください」
「…………わかったから……」
なんだかゼオンの顔はますます赤くなっていた。すると、ゼオンは不思議そうに尋ねた。
「そういや、どうして俺のはこれだと思ったんだ」
「ん? 他のがよかった?」
「いや、違う……これでよかった。どうして俺がこれを選ぶとわかったのかと……」
「そりゃわかるよー。ゼオンはこってり系のチョコがいっぱいのやつが好きなんでしょ。いつもお昼ご飯とか一緒だったし図書館でお菓子選ぶとこも見てたもん」
キラは笑いながら言った。ゼオンはなんだか急に大人しくなった。春にゼオン達がやってきてから、ずっと一緒に過ごしてきたのだ。ゼオン達の食べ物の好みも大体わかるようになった。
キラはバスケットの中のタルトを取り出して嬉しそうに話した。
「あのね、このコーヒー味のがティーナのやつなんだ。チーズケーキ味がルルカで、このくまさん乗ってるのがセイラで、紅茶とレモン味がオズの! 小悪魔達の分もあるんだよ。後でみんなにもあげるの!」
それから、キラはフルーツのタルトを自分の皿に取り、一口ぱくりと食べた。
「んでこれが、あたしの!」
ゼオンの視線が一瞬下を向いた。それからようやくフォークで手元のタルトを切り、一口食べた。
「あ、食べた!」
よく噛んで飲み込んでから、少し安心したように話す。
「なんか、お前らしいな。良いと思う……」
「え、そうかなあ?」
「うん。やっぱりそうだよな……お前は皆を大事にする奴だよな」
ゼオンにそのように褒められることはなかなか無いので嬉しかった。熱があると人は少し素直になるものなのだろうか。
小さく小さくタルトを削って食べていくゼオンの顔を、キラはじっと覗き込んだ。
「味、どうかな。砂糖、入れすぎちゃったかなと思ったんだけど……」
ゼオンは困ったようにキラから顔を離してあちこち目の逃げ場を探した後、聞き逃しそうなほどの小声で言った。
「……別に……気にならなかった。味は…………悪く、ないとおもう…………」
本当は「美味しい」と言ってほしかった。料理もまだまだ修行が足りないようだ。とはいえ、ゼオンは最終的に完食してくれたので、まあいいかということにした。




