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ある魔女のための鎮魂歌【第2部】  作者: ワルツ
第12章:ある悪魔の狂詩曲
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第12章:第14話

これほど派手に熱を出したのは久しぶりだ。ベッドの背に手をついて身体を支えながら、ゼオンはロイドの説明に適当に相づちを打っていた。


「大丈夫? ゼオンも熱出したらこんなにふらふらになったりするんだね」


普段なら言い返すところだが、今日は声を出すこともままならない。頭がふわふわする。手足は鉛のように重たく、身体が怠くてとにかく横になっていないと辛い。

風邪などひいていなかったはずだ。それなのにどうしてこうなった? そう考える気力さえも熱に奪われていく。


「それで、これが解熱剤で、こっちが解毒剤。んでこれが吸血鬼用の栄養剤。ちゃんと全部飲んでね」


ロイドが机に置いた三種類の薬のうち、一番最後のものは図書館で見たことがあった。


「これ……前にオズが持ってた……」


「ああ、吸血鬼用栄養剤ね。ゼオンって吸血鬼とのクォーターなんだろ? 四分の一とはいえ、体調崩したらもしかしたら血が欲しくなるかもしれないから一応……だってさ」


「そっか……そういや最近、オズがこれ飲んでるとこ見ないな」


「まあ、栄養剤は苦しい時だけでもいいらしいよ。大事なのは解熱剤と解毒剤だからさ」


手元がふらつき、ロイドの話もろくに耳に入ってこなかった。何かを考える程の力も残っておらず、ゼオンは水と共に三種類の薬を喉に流し込んだ。


「じゃあ、お大事にね」


ゼオンがベッドに潜ると、ロイドは手を振って部屋から出て行った。「情けない」と思う力すら無かった。普段当たり前にできていたことができない。熱が身体じゅうからあらゆる力を奪っていた。

その中で、「悲しませてしまった」という後悔が頭に浮かぶ。目を覚ました時に見た、キラの泣きそうな顔が忘れられない。せっかく自分の為に祝ってくれたのに。

窓の外を見ると、漆黒の夜空に雪が散っていた。誕生日の日、雪の夜。そんな日が前にもあった。忘れもしない、街を焼いたあの日の夜だ。

身体を巡る熱はついにゼオンの意識を焼きはじめた。視界が揺らぎ、眠りに落ちようとした時。


『うふふ……ハッピーバースディ、ゼオン』


最悪の客が来た。ゼオンは必死で自分の目を見開き、意識を呼び戻した。しかし飛び起きたくても身体が言うことを聞かない。

この状況はまずい。弱りきった頭が警報を鳴らし、頭に七年前の前例が浮かぶ。そんなゼオンを嘲笑うかのようにメディは言うのだ。


『この一日はあなたにとって最高の誕生日になったかしら?』


「……お……まえ……」


反射的にゼオンは武器に手を伸ばした。が、触れる寸前で理性が間に合った。赤い石の杖が怪しい光を放ちながら嗤っている。もし触れていれば、一瞬でメディに精神を乗っ取られていただろう。

何の用だ。そう言おうとした口を塞ぐように、メディはゼオンに囁いた。


『用はわかってるわよね。ふふ……ゼオン、あなたの記憶を私に見せて。ただ力を抜いて、私の声を受け入れればいいのよ……あの雪の夜のように遊びましょう?』


逃げ出したいのに、追い払いたいのに、これではろくに抵抗できない。

煙に巻かれるように容易く力を抜き取られて倒れ込む。妖艶な笑い声が身体を這うように昇っていく。熱にやられた身体はあっけなくメディの侵攻を許し、ゼオンは毒を孕んだ声に沈められていった。


『ウフフ……よく効いてるみたいね。今日はとっても可愛らしいじゃない』


「消………ろ……」


『あはは、何言ってるかわかんなァい』


誰でもいい。誰か。窓を割れば誰か来るだろうか。だが窓を割れるような物が近くに無い。人を呼ぶか。駄目だ、隣の部屋に届く程の声が出せない。


『動かないで』


その一言で全身が縫い付けられたように動かなくなった。杖には触れていないはずなのに。


「杖に触れてなくても……操れるのか……?」


『ほんのちょっとだけね。普段のあなたならば何の影響も与えられないほど小さな力よ。けど、今のあなたは弱ってる』


「………っ…」


『ウフフ……命令よ。あの杖を取って』


頭が割れるように痛くなり、意識が朦朧としていく。ねっとりとした囁きが身体の感覚を奪っていく。ゼオンは自分の意思に逆らう腕を力を振り絞って呼び戻した。


『そんなに怖がらないで。私を受け入れれば、あなたをリディから解放してあげられる。あなたの記憶が正しいのかも確かめてあげるわ』


「解放……それはどういう……」


『生まれ落ちた時から、あなたが自由の身だった瞬間なんてない。昔は母親の、牢を出た時からはリディの操り人形よ。あの子の言葉に縛られて、あの子の思惑に忠実に従ってるわ。ねえ、自由になりたくなぁい? 操り人形ではいたくないでしょう?』


メディは甘い蜜のような言葉を流し込み、ゼオンの意識を遠退かせる。

そうはさせるかと、ゼオンは力をこめて身体をベッドから引きはがし、メディの力に逆らう。


「誰が……! 同じ手に嵌まってたまるか……」


ゼオンの抵抗を見て、メディは楽しそうに言う。


『うふふ、やはりこうでなくちゃ騎士様のお人形らしくないわよね』


「何が人形だ……確かに、最初はリディの言った言葉どおりに行動してた。けど今は違う。俺は自分の意志でここに居るんだ」


『ほら、やっぱり忠実なお人形だわ。ご立派ね。その考えこそがあの子の思惑だって言ってるのよ』


「……っ、何を根拠に……!」


このまま、どうにかしてこの部屋から離れるか、人を呼ぶかしたい。この力の入らない身体でできるだろうか。メディの手から逃れようとゼオンがもがいた時だ。


『ゼオン、お誕生日おめでとう』


暖かな声が心の抵抗を溶かした。キラの声がした。


「……な…………」


「なんで」と尋ねようとしても声が出ない。身体を支えていた力が抜け、再びベッドの上に縛り付けられた。

この真夜中にキラがゼオンのところを訪れるはずがない……この声はメディの罠だ。


『ほらね。あなたはこの声に逆らえない。ウフフ……あなた、あの魔女っ子ちゃんの事が大好きなんでしょう。何に代えても守りたいんでしょう』


「…………お前も……それを言うのか」


『ふふ……あなたが間抜けすぎるだけよ。ねえあなた、あの魔女っ子ちゃんを人質にされて不利になったことって、一度や二度じゃないわよね。その度に、あの子を危険に晒すくらいなら……って誰かの手駒になることを受け入れてきたわよね』


頭の痛みが強くなり、身体の感覚が奪われていく。メディの言葉は毒のようにじわじわと身体を巡っていく。


『あなたはあの子と出会って本当に変わったわ。ねえ知ってる? あの子と出会ったばかりの頃って、あの子のピンチを救う美味しい役目をショコラなんかに譲ったりしてたのよ。今じゃありえないでしょう。誰よりも先に、あの子の盾になるでしょう……その結果自分が傷ついたとしても、気にも留めないでしょう』


首根っこを捕まれたような不快感が消えなかった。メディの吐息がすぐ近くで聞こえる。無理をして抵抗した反動がやってきた。熱によってますます力が奪われ、メディの声への抵抗が弱まっていく。


『あなたはどこまで変わっていくのかしら……どこまで自分を投げ出していくのかしら。あなた、今にあの子の為だったら身も心も捧げるようになるわよ』


メディの声を聞く度に頭がぼうっとしていった。まるで催眠術のよう。意識が薄れ、眠たくなっていく。


「……うる……さ……」


それでも抵抗を続けるゼオンを嘲笑うように、再びキラの声がした。


『もう、ゼオンってば。あたしの話、聞いてる?』


優しく暖かい声だった。この声を聞いてはいけないとわかっているのに拒みきれない。もし冷たく残酷な言葉で傷つけてくれたのならまだ抗うことができた。だが、この声は甘くて優しくて、拒絶すればするほど心に沁みてくる。

ゼオンの心の隙間に付け込むように次から次へと言葉が降り注ぐ。


『ゼオン、大丈夫? 無理しちゃ駄目だよ。ゼオンってばいっつもこれくらい大丈夫だって聞かないんだから』


やめてくれ。そんな心さえも溶かされていく。


『ゼオン、いつもありがとね。あたしが暴走した時も、反乱軍に誘拐された時も、あんたが助けてくれて本当に嬉しかったんだ』


この声が聞きたいんでしょう? こう言われると気持ちいいんでしょう? そう突きつけられているような気分だった。


『これまでの誕生日が良くなかったなら、これからは良い日にしよう? あたし、お祝いするから!』


耳を塞いでも指の隙間から流れ込んでくる。優しさと暖かさが抵抗を溶かして奪ってしまう。耳の奥を嘗められるようにキラの声が染み付いて離れない。頭の痛みがぼやけ、ふわふわして心地好くて空っぽになっていき、瞼がそっと下りてくる。

もう声も出せない。指も動かない。背骨の感覚が抜けて、心が眠りに堕ちていく。


『ウフフ……良い子ね。さあ、あなたをちょうだい。そうすればあなたの記憶も手に入る……!』


身体が勝手に動き、杖に手を伸ばす。赤い石の杖は獲物を待っているかのように輝いていた。

キラの声が最後に優しくゼオンの心を眠らせて背中を押した。


『あたしね、ゼオンが世界で一番大好きだよ』


意識が途切れかかったその時だ。頭に強烈な痛みが走った。眠りかけた心が目を覚まし、全身が感覚を取り戻していった。

これを逃したら次は無い。ゼオンは咄嗟に自分の手の皮膚を噛みちぎった。痛みが走る。眠りかけていた頭が目を覚まし、囁きを振り切って再び身体を起こした。血に濡れた手の痛みを確かめながら、ゼオンは視えないメディを睨む。


『あなた、何……その目』


メディの声に初めて動揺が現れた。ゼオンは記憶の中のキラを思い起こしながら呟く。


「あいつは……そんなことは言わない。きっと、あいつは『皆』が好きなんだ。だから、俺一人を特別扱いしたりしないよ」


頭が心臓の鼓動に合わせて痛みを刻む。だが、この痛みで意識が遠退きはしなかった。この痛みが味方だということはわかる。メディはゼオンを嘲笑い、寄り添う。


『可哀相に、報われないのね。夢の中でだけでもあの子の一番になりたくない? 幸せにしてあげるわよ』


「そんな夢はいらない。何も変わらなくても構わない。あいつが、あいつらしく笑ってれば……十分だ」


『ウフフ……だからあなたは危ういのよ。壊し甲斐がある』


すると、急にメディの声が遠退いた。


『さてと、もう記憶は必要なくなったわ。その目……あなたが危険人物だということはよくわかった。記憶の中身がどうであろうと排除するだけ。これ以上誘惑することはその目が許してくれなさそうだわ』


目? ゼオンにはメディが言いたいことがわからなかった。


『さようなら。今度会う時は別のやり方で可愛がってあげる』


その言葉を最後にメディの声は消えていった。ゼオンはその後もしばらく虚空を睨みつづけていた。熱による怠さが再び回ってきて、ゼオンはようやく警戒を解いた。


「────っ、なんとか……なったのか……」


ゼオンは血の滴る手を押さえながらため息をついた。


「つか……れた……やばかった……今のは本気でまずかった……」


ふらつく身体を引きずりながら、ゼオンは出血の応急処置に向かった。包帯等を出したところで、ふとメディが言っていた「目」のことが気になって鏡を覗く。しかし、両目共、特に異常は無かった。

手当てを終え、再びベッドに戻る。これで心おきなく眠れる。そう思いたかったが、まだメディが居るのではないかと思うと恐ろしくてなかなか眠れなかった。

『あなたはこの声に逆らえない』──その言葉が再び浮かぶ。キラの声がする度に身体じゅうの感覚が奪われていった。恐ろしくて仕方が無い。あの声に従ってしまえば7年前の悲劇を繰り返していたかもしれないというのに、それでも心のどこかであの声を聴いていたいと思ってしまう自分が。

どうしてこんなに頭から離れないのだろう。最初はただ「うるさくて馬鹿な奴」としか思っていなかったはずなのに。


「いつから……こんなにあいつに弱くなったんだろう……」


手の平で目を覆う。最高と最悪を一周した今年の誕生日は一生忘れられない日になった。


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