第12章:第13話
パーティはそこで中断となった。ゼオンは村の診療所につれて行かれても目を覚まさず、キラは診療所の待合室でうずくまっていた。ティーナやオズ達も傍でゼオンが目覚めるのを待っていた。楽しいパーティになるはずだったのに。ゼオンにとって良い日になるようにと願ったはずなのに。良い日どころか、最悪の日になってしまった。
今にも泣きそうになっているキラをオズが慰めた。
「ほら、泣くな。美人が台無しやで。あいつが目を覚ましたらお前が真っ先に笑顔見せてやらなあかんやろ」
キラはどうにか頷いて顔を上げる。瞳を閉ざしたまま動かないゼオンの姿を思い出す。あんなゼオンは初めて見た。すると、オズがキラに尋ねた。
「しかし……どういうことや。あいつ、ただの風邪であんなタイミング良く倒れたりしないやろし……おいキラ、お前があいつ迎えに行った時、あいつ具合悪そうやったんか」
「ううん、熱とかはなさそうだっ……あっ」
あの時、ゼオンの顔色が悪かったことを思い出した。そして、昨晩何があったのかも。
「そうだ、寝不足だって言って……ちょっと顔色が良くなかった。昨晩、メディさんがゼオンに話しかけてきたとかで……」
「メディ? そらお前、一大事やないか」
「うん、あたしもそう言ったんだけど、ゼオンってば危害は加えられなかったから大丈夫って……」
メディの名前を聞いた途端、ルルカやセイラ等、事情を知っている者達の目つきが豹変した。特にティーナの顔からは血の気が引いている。
「お医者さんは……原因について何か言ってた……?」
「わからんて言うてた。ただ、今のところ症状は熱だけやて。なんや毒物やないか疑っとる言うてたけど……」
キラはますますうなだれた。最高の一日にしたかったのに。悲しみで言葉が出ないキラの正面で、ティーナが黙って席を外した。オズがその様を目で追っていた時だ。
ルルカがオズに鬼のような目を向けた。
「貴方が何か仕込んだんじゃないでしょうね?」
正に一触即発の状況だった。ルルカは今にもオズを殺しにかかりそうな顔をしていた。オズの目にまた修羅のような鋭さがちらつく。キラは何故かルルカと同じようにオズを疑う気にはならなかった。オズが原因とは思えない。オズはあのパーティの雰囲気を壊さないよう努めていた。キラと話した時も、場の空気を乱すような話題は避けていた。パーティを壊すこととは真逆の気遣いだ。
「違う。俺は何もしてへん」
「信じないわ」
「疑惑の目ぇ向ける暇があったら……お前、ティーナのことよう見張っとけ」
キラもルルカも訳がわからず顔を見合わせた。オズだけがティーナが去っていった方向を見つめている。
「ルルカ、真っ先に俺に食ってかかってきたのがお前って状況がおかしいんや。いつもならその役をするのはティーナのはずや」
「それ、は……」
「あいつ、このパーティの間中、ずっと何か警戒しとった。パーティ始まる前に、あいつ全部の料理を一口ずつつまみ食いしてたし、飲み物も勝手に開けてた。あれ、つまみ食いやなくて毒味やったかもしれへんで。あいつ、絶対なんか知っとる」
ルルカはそれでもオズの話に耳を貸そうとしなかった。すると、二人の間にセイラが割って入った。
「お二人共、落ち着いてください。確かに、オズさんの言う事にも一理あります。ティーナさん、何か知っていそうです」
オズはようやく話のわかる相手を見つけたのか、次々とセイラに問い掛けた。
「おい、『記録書』。やっぱティーナ、怪しいんか」
「ええ、でもまあティーナさんですから、犯人ではないでしょう。どちらかというと、犯人の企みに気づいていた可能性がありそうです」
「具体的には?」
「図書館使用の交渉の後、誰か記録が付かない相手と接触したようです。それがイオによって記録書が消された相手かそれともイオとその関係者かはわかりませんが……その後急に図書館を使うことに賛成したあたり、後者の可能性も高そうですよ」
「あいつらがパーティの邪魔したと……?」
「ええ。おそらくティーナさんはいざとなればオズさんの力を傘にするつもりだったのでしょうが、詰めが甘かったようですね」
オズはそこまで聞くと、どうも納得いかない様子でセイラに言った。
「お前、そこまでわかってたなら、もっとはよ相談に乗ってパーティ止めさせたらよかったやないか」
そこで妙な間が空いた。それからセイラはクスクス笑いながらオズをからかった。
「それは、私も自分の強さに絶対の自信を持ってらっしゃるオズさんが俺の城でイオ達の勝手を許すわけないと思ってましたからァ、まさかオズさんがこぉんなポンコツだと思っていなかったんですよぅ。ポンコツにうちのリディを任せるわけにはいかないのですがぁ?」
「あァ!!? お前、何企んどるのか知らへんけど、情報貯めるだけ貯めて全く活かせてないアホにだけは言われたないなあ?」
リディの名前が出た途端、オズはチンピラのような声を出して怒った。さすがセイラ、オズが怒るポイントをよくわかっている。その洞察力には感心するが、この緊急事態にキラの胃に穴が開くような状況を作るのはやめてほしい。キラは慌てて機嫌が悪いオズを止める。
「ストップストップ! オズ、止まってー!」
キラが二人の間であたふたしていた時。しばらく席を外していたティーナが待合室に駆け込んできた。
「ゼオンが! 目を覚ましたって!」
キラはその言葉を聞くと、オズとセイラをほうり出して駆け出した。
キラはティーナと一緒に病室に飛び込む。白いベッドの端に茶色い頭がぽつんと飛び出している様子が見えた。キラが近づくと、顔がこちらを向いた。顔が赤く火照っていて息は荒く、目はまだ虚ろで光も鈍い。
それなのに、キラ達の姿を見た途端、ゼオンは身体を起こそうとした。
「ばかゼオン! 無理しないで寝てなさい!」
キラが叱ると、ゼオンは辛そうに顔を歪め、言い返しもしないで素直に布団に戻った。その様子が余計に痛ましかった。
「ゼオン……大丈夫?」
ティーナが問い掛けると、ゼオンは弱々しく頷く。キラとティーナはあれこれ尋ねたが、ゼオンは黙って頷くか首を振るかだけで反応していた。
ゼオンは普段の強がりすらも見せられない程に弱っていた。キラはそのことが信じられなかった。杖に身体を乗っ取られて暴走した時にも、誘拐された時も、アズュールでサラと対峙した時も、イオに裏切られた時も、ゼオンはキラを救ってくれた。
キラにとっては強さの象徴のような存在だった。力としてだけではない。心構えも含めてだ。そのゼオンが身体を起こすこともままならない状態になっている。ゼオンだけではない、自分の中で何かが傷ついたような気がして、キラは必死にゼオンが早く元気になるよう祈った。
その時、ようやくルルカとセイラが傍にやってきた。オズは医者と何か話している。
「よかった。目が覚めたようね。……まだ辛そうだけど」
「……悪い。迷惑……かけて……」
ゼオンは小さく声を搾り出すことがやっとだった。その時、話を終えたオズがこちらに戻ってきた。
「よう、起きたか。医者の話やと、熱以外に特別異常は無いみたいやから、とりあえず薬飲んで様子見ろやて。なんや、今のところ原因は毒物なんやないかなーって感じみたいらしいんやけど、お前、心当たりあるか?」
「いや……無い。全然わからない……」
「そっか。んでな、起きて早々悪いんやけど、今日中に寮に戻ってもらわなあかんねん。ここには泊まれへんのや」
それを聞いたティーナが憤慨した。
「えーなにそれケチ!! セイラの時は泊まれたじゃん!」
「そら何日も意識戻らへんわ手足溶けてるわの緊急やったから、ここの人も無理してくれたんや。本来ここに入院する設備あらへんねん。まあ、そのふらふら状態で歩いて帰れとは言わへんから安心しろ」
「うるさい何が安心しろだ! あの時セイラをあんなふうにしたのはあんたじゃないか!」
ティーナの言うことはこれ以上無い正論だが、ここは一度ゼオンのことに話を戻そう。どうやらペルシアが村の人々に話をつけて、学校の敷地を守る結界を一時的に解いてくれたらしい。こうすると瞬間移動の魔法でゼオンを寮まで送れるようになるようだった。
「あとは、またペルシアが、ほら……あのキラ達の同級生で男子寮使てる頭の白い奴居るやろ。イクス……いや、キラの父親にちょいと雰囲気似とる奴。あいつに話つけといて必要な薬とか渡してくれたらしいで。とりあえず、薬飲んで寝てろ。気になることは沢山あるけど、とりあえず落ち着いてからや。ええな?」
頭の白い奴とは、多分ロイドのことだろう。キラの父―――イクスと雰囲気が似ているという話は初めて聞いたが。ゼオンは反抗する気力も無いようで、また黙って頷いた。
オズが病状や今後の注意点等を話している間、キラはずっと唇を噛んで俯いていた。こういう時こそ笑顔で元気づけなければならないとわかっているのに、顔が自分に従ってくれない。
そんなキラとは対照的に、ティーナはいつもよりは静かだが穏やかな笑顔を浮かべ、時折冗談を飛ばして場を和ませていた。さすがだなあ、とキラはティーナが羨ましくなった。
「んじゃ、そろそろ寮の方に送るから、ベタベタするなら今のうちやで」
普段なら「ベタベタってなんだ」と指摘するところだが、今日のキラはそれすらできない程苦しくて仕方がなかった。
「ゼオン……ごめん、ごめんね。あたしが我が儘言わなければ……」
ゼオンは黙って首を振る。返事をする度に、今ゼオンがどれほど弱っているか伝わってしまう。いつもの乱暴な返事が今は恋しいくらいだった。そうしているうちに寮への空間転移が始まった。ベッドの上に魔方陣が浮かび、ゼオンは光に包まれて消えてしまった。
明日も明後日も寮に行けば会えるはずなのに、まるで永遠の別れのように思えた。転移の魔法が済んだ後、オズは皆に言う。
「さてと。まあひとまず意識を取り戻したわけやし、医者の話やと命に別状は無いらしいから、ひとまず戻ろうか」
キラはまだ顔を上げられなかった。その時、隣で誰かが低い声で言った。
「ねえキラ、昨日ゼオンのところにメディが来たんだって?」
ティーナだった。つい先程の穏やかな笑みとは似てもつかない恐ろしい表情だった。キラが頷くと、ティーナは地獄の底のような声で言う。
「あいつだ……あいつが何かしたんだ……赦さない」
「けど、原因は毒物だって……」
「熱しか出ない毒物って変じゃない? 杖を通して身体乗っ取るみたいに、あいつがゼオンに何かしたのかもしれない……そうに決まってる……!」
ティーナは怒りで我を忘れているようで、そのまま無言で部屋を出て行ってしまった。
「……確かに、様子がおかしいかもしれないわね」
ティーナの後ろ姿を見つめながら、ルルカが呟く。皆が落ち着いて状況を分析しているというのに、キラは先程のゼオンの様子が頭から離れなかった。
薄い雁皮紙のように、掬い上げれば抵抗もせずに流されてしまいそうな程弱々しい姿だった。それほどまでに追い詰めてしまったのだ。心のどこかで、ゼオンは何があっても大丈夫だと思い込んでいた。ヒーローのように強くて凛々しくて、そんな姿ばかり見てきたから、倒れることなんてありえないような気がしていた。
今までのゼオンのイメージが音を立てて崩れていた。ゼオンに落胆はしていない。ただ、自分の愚かさを思い知った。
その後、キラはルルカとパーティの後片付けの為に図書館に戻った。セイラはティーナのことが気になって宿に戻ったそうだ。静かになった部屋で、皿の音だけがカチャカチャと響いていた。その音を聞く度に涙が溢れそうになった。
楽しい一日にしたかったのに。悲しみを紛らわせたかったのか、キラは無意識に呟いていた。
「……ゼオンも、寝込んだりするんだね。あんなゼオン、初めて見た」
ルルカが手を止めた。
「当たり前でしょう。貴女、今まであいつのこと何だと思ってたのよ」
キラは今までゼオンに助けてもらった時のことを思い出しながら言う。
「なんか……強くてすごいスーパーヒーロー」
「…………」
「出てきたら勝利確定みたいな感じ」
「…………本気で何だと思ってたのよ」
キラはその些細な一言に傷ついて、また俯いてしまった。ルルカも言い過ぎたと感じたのか、キュッと口をつぐむ。それから、ルルカは慎重に言葉を選びながら言った。
「あいつは……ヒーローじゃないわよ」
その言葉で、キラの手はまた止まる。
「ヒーローって、誰でも助けるでしょう。……あいつは、貴女だから助けてるのよ」
「あたしだから? どうして?」
キラは驚いて聞き返す。ゼオンがキラの為に命掛けでそんなことをする理由など思い当たらない。ルルカは可哀相なものでも見るようにため息をつく。
「……本気でわからないのね。理由は自分で考えて。じゃないと本人が可哀相だわ」
キラは一生懸命考えたがわからなかった。まさか、キラの記憶の封印を解いたことをまだ気にしているのだろうか。それとも、誰かに頼まれたのだろうか。
キラがぐるぐる悩んでいると、ルルカは釘を刺すように言った。
「それと……あいつは強いんじゃなくて強がりなのよ。その上見栄っ張り。怖がるって事が抜け落ちてるだけだわ。あいつはセイラのような再生能力があるわけでも、オズのような強大な魔力があるわけでもないんだから」
泣かないと決めたはずなのに、キラは涙を堪えることに必死でうまく返事ができなかった。
考えてみれば当たり前のことなのに、キラはどうしてそんな恐ろしいことを信じていられたのだろう。
絶対に倒れない人など居るわけがない。人ならばそれが当然なのだ。ゼオンでも例外ではない。
ゼオンは神でも死神でも記録でも予言でもない。キラと殆ど歳の変わらないただの少年なのだから。
壊されれば、壊れるんだ。心の破片も残らず、辛いとすら言えずに。




