第12章:第8話
隣町の話は何度も聞いていたが、実際に来たのは初めてだ。あの村とそう大差無い小さな町だったが、やはり村と比べると店の数が多く、道も整備されている。
翌日、ティーナ達はパーティの買い出しに向かった。メンバーはティーナとキラ、ルルカとセイラの四人。女子が勢揃いだ。思えば、初めてこのメンバーで買い物に来た。出会ったばかりの頃はこのように買い物に行く日が来るとは想像もつかなかっただろう。今日のキラは機嫌が良い。表情、声色、足取り、あらゆる仕草から嬉しさが滲み出ている。皆が仲良く幸せに…………そんな理想を抱いているキラにとっては、このように皆と買い物に出かけられることは奇跡のような出来事だったのかもしれない。
「ケーキの材料買わなきゃね。あとお肉! 肉!」
「ケーキの材料……ホワイトソースとかかしら?」
「ホワイトソース!? いやいやいや、使わないよ。ケーキじゃなくてシチューになっちゃうよ! ルルカ、何を編成する気なの!?」
「編成……? 何も編成する気は無いのだけど」
キラが積極的に動いているのはいつものことだが、今日は珍しくルルカが率先して買い物に参加していた。だが、ルルカに任せておくと恐ろしい物が錬成されそうだった。
二人の後を追いながら、ティーナは全く別のことを考えていた。昨日のことだ。こうしている間にもゼオンの身に何かあるかもしれないと考えると落ち着かなかった。ゼオンを守る為にはどうすればいい? ティーナは必死に考えていた。すると、隣に居たセイラが声をかけた。
「浮かない顔をしていますね」
「そう? いやぁ、パーティの場所のこと考えてたらちょっと不安になっちゃってね。どうしようかねー」
この手のごまかしは得意な方だと思っていたが、相手がセイラだと通用しなかった。
「昨日、何があったんですか?」
さすが、過去を見通す記録書はイオとのやりとりがあったことにも気づいていた。だが相手がイオだからか、その詳細についてはわかっていないようだ。ティーナはウィンクして平然を装う。
「なんにもないよ。それより、せっかくの買い物なんだもの。あたし達も楽しもうよ。ほら、ついでにセイラの服とか見ていこうよ」
「結構です。……もう着せ替え地獄は懲り懲りです」
「じゃあ尚更行こう。レッツゴー!」
セイラを振り回し、笑顔の仮面を被りながら、ティーナはやはりイオ達を排除することだけを考えていた。そう、このパーティの間も危険はすぐそこにあるかもしれない。もしパーティの最中に奴らの襲撃があったら……そう考えると背筋が凍る。そうだとしたら、どうすれば奴らを一人残らず排除できるだろう。
そう考えた時、ふと店の窓硝子に自分の顔が映っているのを見つけた。鏡の中の少女は血潮のような紅の髪をしている。
その時ティーナの頭に浮かんだものは、セイラが誘拐された時の事だった。結界を破った時、ティーナは自分でも信じられない程の力を発揮していた。それはオズの支援があったからこそできたことだ。
イオの魔法は蒼のブラン式魔術。ティーナは対抗する紅のブラン式魔術を使うことができる。だが、ティーナ一人では力が足りない。
だが、オズの力があれば……もしイオ達が現れれば、オズの注意はティーナ達よりもイオ達に向かうのではないだろうか。そうでなかったとしても、イオ達はオズに対してだけは直接牙を剥こうとしない。セイラ誘拐の時も、イオはオズが現れた途端に撤退した。
だが、オズに対する憎しみと警戒を捨てきれないのも事実だ。忘れはしない。今でも、あの時の事を思い出すと腸が煮え繰り返りそうだ。
しかしそれでも、ゼオンを守る為ならば。オズを利用することも必要かもしれない──ティーナがそう思った時、
「おーい、ティーナ! ちょっと来てー!」
キラの声で我に帰った。振り向くと、キラは手を振ってティーナを呼んでいた。傍に行くと、キラはぴょこぴょこ跳ねながら楽しそうに言った。
「プレゼント必要だよねって言ってたんだ。それでさ、みんなでちょっとずつお金を出して、何か買わない? オズから貰ったお金もまだあるけれど、プレゼントだけは自分達で出した方がいい気がするんだ」
キラはまるで自分のことのように楽しそうに言った。太陽のような笑顔を見ていると、ティーナはとても嬉しい気分になり、そしてほんの少し悔しくなる。
ゼオンがキラを眩しいもののように見つめる気持ちもわかるような気がした。
「いいね! じゃあ早速プレゼント探そうよ!」
この町には、普段村では見かけないような店が沢山あった。ティーナ達は町を練り歩き、売り物を指してはあれがいいこれがいいと話し合う。そんな時間が楽しかった。
この村に来てから、ゼオンは随分と変わったと思う。本人だけではなく、周りの人々もだ。ティーナだけが傍に居るゼオンでなくなってしまったことは寂しいけれど、こうしてゼオンことを大事にしてくれる人が増えたことは心の底から嬉しいと思えた。
よかったね。この場に居ないゼオンのことを想い、ティーナの心は暖かくなる。そして、キラが集団の先頭で買い出し隊を率いている姿を見て、ティーナの心は半分安らぎ、半分泣くのだった。
「これとかどう?」
ある店の前で、キラは足を止めた。指の先にある物を見て、意見が割れる。
「えっ、別にいいけれど……ゼオンって普段そんなもの付けてたかしら。チョーカーを付けているのは知ってるけど」
「付けてたよ! ねえ、セイラぁ」
「記録を検索中です……そんな記述、なかなか見つかりませんね」
「付けてた、付けてたよ! 目立たないからわかりづらいけど! ね、ティーナ!」
指の先には、金色のピアスがあった。ティーナはゼオンのことを思い出してみる。髪に隠れてわかりづらいけれど、本当に小さな物だから見えづらいけれど、確かにゼオンは右耳にピアスを付けていた。愛しているんだもの、はっきり覚えている。
「うん、ゼオンはいつもピアス付けてるよ。気付かなかった?」
ティーナはキラの隣へ行き、そのピアスを手に取った。
「良いと思う。ゼオンもきっと喜ぶよ。これにしよう!」
ティーナの言葉を聞いて、ぱあっとキラに笑顔が咲いた。仮面には作れない本物の笑顔だった。早速自分の財布を取りだし、真剣な顔をしている姿はティーナの目から見ても可愛かった。きっと、ゼオンはそんなところに惹かれたのだろう。
ゼオンは嘘を嫌う。きっと、ドロリと溢れる悪意に、作り笑顔と礼儀作法で蓋をした貴族の世界で生まれ育ったせいだ。だからこそ、ゼオンは人一倍嘘を見抜くのが上手く、人一倍仮面の笑顔を憎んでいた。そして、笑うことができなくなっていったのだろう。
ティーナはふと、村に来る前のゼオンのことを思い出す。まるで「目的」に取り憑かれた機械のようだった。「目的」を成し遂げる為に追っ手から逃げ続け、「目的」の邪魔をする者は脅してでも排除した。
あの頃のゼオンの「目的」は、例の杖を創った人を捜し出す事だった。創造の神リオディシアのことである。
今はどう思っているのだろう。今のゼオンはあまりリディを捜し出すことに強く執着してはいない。
この村に来て、キラと出会って、ゼオンは大きく変わった。キラの記憶の秘密を知り、兄や姉と再会し、ゼオンは柔らかく年相応の少年らしくなっていった。
凍りついた心が太陽の暖かさに惹かれて、少しずつ春に向かっていっているようだった。
もしそうならば、キラと一緒に居れば、ゼオンもいつか笑えるようになるのではないだろうか。ティーナは硝子窓の向こうを見つめているような気分だった。
村に戻ったティーナとキラは帰る前にゼオンが居る寮の前に立ち寄った。ルルカとセイラは先に帰ることにしたようだ。本当ならゼオンの部屋まで上がってしまいたいところだが、キラの前なのでそこまでの無茶はしないことにする。男子寮に女子は立入禁止という規則があるらしい。古臭い規則である。
どうしようかと二人で寮の前をうろうろしていると、ちょうど近くを白髪の少年が通った。
「あ、ロイド! ちょうどいいところに!」
キラがロイドに声をかける。
「あ、キラだ。どうしたの?」
「ゼオンって居る?」
「居ると思うよ。俺、呼んでくる」
ロイドの姿が見えなくなると、ティーナはキラに言った。
「プレゼント、今渡すの?」
「ううん、プレゼントはパーティ当日だよ。今日は別の物」
その時、背後から別の少女が現れた。ショコラ・ホワイトだった。この少女と出会うのはセイラ誘拐の件以来だ。今日も緊張感の無い様子でキラに話しかけていた。
「わぁ、キラちゃん達、こんにちはぁ。その買い物袋、どうしたの?」
「えへへ、パーティに使う物です。ゼオンの誕生日パーティするんですよ」
「わーすごーい、楽しそう!」
ホワイトはふんわりと笑った。
「ねえ、そのパーティ、私も行っていい? なんだか楽しそうだわ」
その言葉を聞いてティーナは思わず眉を潜めた。部外者をあまりパーティに招きたくない。中に刺客が紛れている可能性もあるからだ。
「いいですよ。みんなでやった方が楽しいですから!」
キラはその危険性に気づいていないようだった。それはキラの良いところでもあるが、悪いところでもある。その後、ホワイトは後ろを向いて言った。
「ねえ、ショコラも行かない? 楽しそうよ」
その一言でキラとティーナの表情が凍りついた。ホワイトの視線の先にはあのショコラ・ブラックが居た。
さすがにこれにはキラも顔が引き攣っていた。ブラックの方も気まずそうな顔をしている。
思えば、この女と顔を合わせるのは例のセイラが誘拐された時以来だ。ティーナの笑顔の仮面の下から今にも修羅が漏れ出しそうだった。これは敵だ。脳が全身に殺害許可を出そうとしていた。
「あー……あたしは遠慮しておくよ。さすがにちょっとね……」
「ええーっ」
少し前にキラやゼオンと殺し合った相手だ。もしブラックが参加すると言っていたら、きっとティーナはブラックの喉を切り裂いていただろう。ホワイトは本当に寂しそうな顔をしている。この人、どうやら未だにティーナ達とブラックが敵同士だということに気づいていないようだった。ブラックがあっさり引きさがったので、ティーナは渋々脳の殺害許可の信号を取り下げた。
その時、ようやくロイドとゼオンが出てきた。
「呼んできたよ……え、えっ!?」
ロイドは二人のショコラの姿を見て硬直していた。ホワイトはロイドの心拍数の上昇など気づきもせずに手を振った。
「あー、ロイド君、こんにちはぁー」
ロイドは白い肌を真っ赤に染めて無言で手を振り返していた。そういえば、ロイドはホワイトのことが好きなのだった。思い出したティーナはにやりと笑う。
ブラックはホワイトの肩を叩いて言った。
「ショコラ、そろそろ行こう。あたし、お腹減った」
「えー、食いしん坊ねえ」
二人はそのまま食堂の方へと行ってしまった。二人が過ぎ去っても、ロイドは赤い顔のまま手を上げて硬直していた。
「それで、お前ら何しに来たんだ。買い出しじゃなかったのか」
そう言って、ようやくゼオンがティーナ達の傍まで来た。キラは買い物袋の中を漁り始めた。
「ふん、ようやく出てきたね! ちゃんと留守番してたゼオンにこれをあげようー!」
キラは棒付きのキャンディをゼオンに突きつけた。桃色とレモン色の渦を巻いた可愛らしい飴だ。
「……なんだこれ」
「おみやげ! あげる!」
ゼオンは反応に困ったように黙り込んでいたが、自信満々な顔をするキラを見て、静かにそれを受けとった。
「……まあ、ありがと」
「うん、じゃあ楽しみにしててね! いろいろいっぱい買ったから!」
ティーナが二人から思わず目を逸らすと、偶然真っ赤になったままのロイドが目に入った。にやにや笑いながら、ティーナはロイドを小突く。
「ようよう、白髪ァ。あの黒髪のおねーさんの前じゃ頼りないじゃないっすかー」
「う、うるさいなあ。しょ、しょうがないだろ……僕だって……」
こうして人をからかうのは楽しい。怒りも哀しさも紛れていく。ティーナはロイドに更に言った。
「全くぅ、もっと積極的にアピールしなきゃ駄目じゃぁん。そうじゃなきゃ、実るもんも実らないぞッ」
すると、ロイドは急にしゅんと俯いた。
「無理だよ、俺は。多分、僕はずっと片思いだよ。これまでも、これからも」
その言葉は思いがけずティーナの心に沁みた。まるで自分を見ているようだった。それから、ロイドは言った。
「俺は、ちょっとあんたが羨ましいよ」
「羨ましい?」
「うん。なんていうか……片思いでも、充実してそうで」
思わず苦笑いした。それでも、「可哀相」と憐れまれるよりは幾分良かった。
「はは、そうでもないよ。でも、まあ、片思いでもやっぱりゼオンと会えてよかったって思うかな」
キラとゼオンのやりとりを眺めながら、ティーナはそう言った。二人は相変わらず、好き合ってるのかそうでないのか紛らわしいやりとりを繰り返していた。
「がんばんなよ。あんたは望みがあるんだからさ」
ティーナはロイドの肩を叩いて、二人の下に戻っていった。ロイドはティーナの背を見送りながら、「はは……」と空箱のように笑った。




