第9章:第2話
日々寒さが厳しくなってくる時期だが、とりわけ夕暮れ時の寒さは肌を突き刺すようだ。
白い息が天に昇っていき、地に視線を落とすと黒い影法師が長く伸びていた。
ペルシアの屋敷を出ると、キラ、ゼオン、ティーナ、ルルカの四人はそれぞれの帰るべき場所へ行くために歩いていった。
キラは三人と一緒に並んで歩くことにもう違和感を感じることはなかった。出会った頃は険悪な関係だったことを考えると笑いたくなった。
帰り道の最中、キラはルルカに言った。
「ねえルルカ、もし言いたくなかったら言わなくていいんだけど、結局国王様の手紙には何て書いてあったの? 国王様が直接ルルカに手紙を書くなんて、何かあったのかなって……」
「別に、そういう内容じゃないわ。他愛もないことよ。村での生活はどうですかとか、皆さんと仲良くやっていますかとか……特別なことは何も書いていなかったわ。」
「そっか。国王様、きっと心配してるんだね。やっぱり優しいなあ。」
ルルカは顔を隠すように歩く足を速めた。照れくさそうに手紙を抱えていて面白かった。
すると、背丈の小さなシルエットが二つ近づいてくるのが見えた。無邪気な声と冷めた声が交互に聞こえてきた。
キラ達は足を止めた。セイラとイオだった。
「でねーセイラ、この帽子もセイラと一緒にしてみたんだよ。いいでしょー。」
「そうか、わかったから早く離れろ。」
「ねー、セイラの新しいお洋服もボク用意したんだよ。やっぱセイラはリボンとフリフリが似合うよね。
黒もいいけど今度はピンクとか着てみない? きっと似合うよ。」
「遠慮しておく。それと離れろ。何度も言わせるな。」
セイラは煩わしそうに言った。イオはセイラが何を言ってもピタリとセイラの腕にしがみついたままだった。
キラはその様子を見て思わず笑った。セイラはキラが笑うのを見逃さなかった。
「こんにちは、キラさん。何がそんなに面白いのでしょうか。ねぇ?」
「だって二人がすごく仲良しだったから、なんかかわいいなって思ったんだもん。」
「仲良し、ねぇ……。相変わらずキラさんの脳みそは必要以上のゆとりがあるようですね。」
セイラは少々苛立っているように見えた。キラは少し驚いた。そんなに的外れなことを言っていただろうか。
イオはセイラを締めつけるように強く抱きしめていた。
「ねぇねぇ、キラ達何をしてたの?」
イオはキラにそう言いながら、瞳はルルカに向けた。吸い込まれそうな蒼い瞳がルルカを捉えて逃がさなかった。
「手紙をもらったのよ。」
ルルカがそうイオに伝えた。イオは「そっかぁー」と子供らしく笑って言った。
「4人みんなで行ったの? 仲良しなんだね!」
「そう? そう見える?」
「うんっ!」
そう言われてキラは嬉しくなった。キラはみんなと一緒に仲良くいられることを何より願っていた。
その後イオはすぐにセイラと共にその場を去った。去り際にこんな言葉を残して。
「明日も明後日も、仲良しでいられたらいいね。」
その言葉の本当の意味をキラはこの時理解していなかった。
事が起こったのは正にその翌日だった。その日はよく晴れていたが風の強い日で、空を行く雲もどこか焦っているように見えた。
その時キラ達は村の中央にある広場に居た。キラとゼオンが偶然一緒に歩いていたところ、広場のところでゼオンを待ち構えていましたとばかりにティーナが黄色い声をあげたのだ。
勿論ルルカも一緒に居た。余程サバトからの手紙が嬉しかったのか、キラ達とは少し離れたところに座り、夢中で手紙を読んでいた。
その様子がキラはとても微笑ましく感じた。
「ねえ、なんかあったのかな?」
突然ティーナがそんなことを言いだしたのでキラは驚いた。辺りを見回したが何か特別なことが起こっているようには見えなかったので、最初はなぜティーナがそんなことを言いだしたのかわからなかった。
だが、すぐにキラも小さな異変に気づいた。どうも村の入り口の方からやってきた人々の表情が険しく、ひそひそ何か話しているように見えた。
「たしかに、なんかいつもと違うかも。何かあったのかな……?」
キラはゼオンの顔を見た。ゼオンは「わからない」と一言返すだけだった。
その時強い風が吹いた。少々乱暴に広場を通り抜けていった。キラは帽子が飛ばされないように必死で抑えた。
その時「あっ」と、ルルカが珍しく慌てた声を出した。空に真っ白い封筒が舞い上がっていた。
ルルカが急いで封筒を追う。キラも走り出した。幸い、封筒は数秒も走ればたどり着く場所にふわりと落ちた。
キラもルルカもすぐに封筒を拾おうとした。だが二人が封筒に手を伸ばすより先に、別の手が封筒を広い上げた。薔薇と剣をかたどった刺青のはいった右手だった。
キラは封筒を拾った人物にお礼を言おうと顔を上げた。それは知っている顔だった。ショコラ・ブラックだ。
ケシの花のような赤い髪と左耳にだけついたルビーのイヤリングが風に揺れていた。
少し離れたところにショコラ・ホワイトも居て、ホワイトはブラックのところに走ってきて封筒をまじまじと見つめていた。
キラとルルカは急いで二人の所へ向かった。
「こんにちは! 手紙拾ってくれてありがとうございます!」
「今度から気をつけなよ。はい。」
ブラックは手紙をルルカに渡した。ルルカは堅苦しい表情で手紙を受け取った。
「ありがとうございます。」
ルルカは丁寧にお礼を言った。するとブラックは思いがけないことを言った。
「ちょうどよかった。あんたを探してたんだよ。」
「え?」
ルルカが聞き返した。キラも驚いた。ブラックがキラ達に用があることなど滅多に無い。
すると近くに居たホワイトが言った。
「そうよそうよ、たしか……ルルカちゃんだったわよね? ついさっき、村に来た人がルルカちゃんのことを捜しているらしいのよ。」
「そうですか……ありがとうございます。行ってみます。」
伝えるべきことを伝えた二人のショコラは手を振って帰っていった。
「行ってみます」と言ってはいたが、ホワイトの話を聞いたルルカが神経を尖らせ警戒心を強めているのが手にとるようにわかった。
険しい表情のルルカに何も言えずにいたところで、ゼオンとティーナが来た。
「もう、ルルカったら、大事な手紙なに落としてるのー……って、あれ?」
「何があった?」
二人もすぐにルルカの変化に気づいたようだった。
「今、村の入り口に私を捜している人が来ているんですって。」
「え……そうなんだ。で、どうするの。ルルカは行くの?」
ルルカは俯いて黙り込んだ。その様子を見ているキラの心臓が強く鳴り出した。
「行くわ。」
低く唸るようにそう言うと、ルルカは一人で村の入り口の方へと歩き出した。
キラはすぐに後を追った。なぜだかルルカを一人で行かせてはならない気がした。
ゼオンとティーナもキラと同じように後を追った。まるでこれからの未来を暗示するように冷たい風が吹き荒れていた。
村の入り口に向かうにつれて建物の数が減り、人気も無くなってきた。入り口へと向かう一本道の両脇には平坦な畑が広がる。
更に進むと今度は畑も無くなり草原が見え始めた。夏の間青々としていた草原も今では黄金色に染まっている。
冬の風がキラ達を追い立てるように吹き荒れた。先頭を行くルルカは一度もこちらを振り返らなかった。
しばらく走っていくと再び人がちらほらと見え始めた。この辺りは普段殆ど人など通らないはずだ。村の端に近づくにつれ、村人が増え、騒がしくなってきた。何かあったというのはどうやら本当らしい。
人の波を掻き分けてキラは先に進んだ。村人の目線は一点に集中している。その目線の先を目指して行くと、急に行く手が晴れた。
そこには一人の少年と少女が居た。この村には相応しくないくらいのきちんとした身なりの少年だった。濃い鼠色の髪、耳に紫色の石のピアスをつけた少年だ。隣に居る浅黄色の髪の少女は少年のお付きの人のようだった。
確かに村人が騒いでもおかしくない、珍しい来客だ。どこの貴族の方だろうとキラは思った。
その少年達の近くにペルシアが居て二人の対応をしていた。キラはペルシアに言った。
「ペルシア、何があったの? この二人は……」
「今そのことを訊いていたところですわ。」
すると少年がキラに言った。
「はじめまして。僕はエンディルス国第一王子、ネビュラ・エヴァンスといいます。こちら、護衛のテルル・トーラ。」
「えっ……。」
キラは言葉を失った。エンディルス国、それはルルカが居た国の名前だ。
突如背後に居た人々が金切り声をあげて逃げ惑い始めた。驚いてキラは振り返ったが人が多すぎて状況が飲み込めない。
「ネビュラ様!」
その時、テルルと呼ばれた少女がネビュラの頭を抑えて伏せさせた。一本の矢がネビュラの上を飛び去っていった。
心臓が凍りそうな一瞬だった。人ごみの真ん中に一本の道ができていた。道の先には、今にも二本目の矢を放とうとしているルルカが居た。
青い瞳がネビュラの頭に狙いを定めていた。眉間には深く皺が刻まれ、矢を引く指には強い憎しみがこもっているのが分かった。ネビュラは立ち上がって言った。
「久しぶり、ルルカ。」
ルルカは答えなかった。良く研がれた刃物のような目で敵を睨みつけるだけだった。
ルルカの反応も、ネビュラの言葉も、とても初対面相手のものとは思えない。キラはネビュラに言った。
「あの、ルルカと、知り合いなんですか……? 一体どういう関係なんですか?」
「過去の友人ですよ。」
ネビュラは低い声で言った。キラは聞き返した。
「過去の?」
「五年前、エンディルス国でクーデターが起こったことをご存知ですか?」
ぼんやりとだが聞いた覚えはある気がした。
「元王家サラサーテ家を、我らエヴァンス家が滅ぼした事件です。私はそれまで友人だったルルカをエヴァンスの者に売りました。
サラサーテ家はルルカを除いて皆殺し、そして晴れて僕は王子となりました。」
背筋の凍るような話だった。ネビュラは抑揚の無い声で言う。
「つまり、現在の仇ですよ。」
その瞬間、ルルカの手から二本目の矢が放たれた。




