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女子高生吸血恋愛事情以下略。  作者: 理祭
人を襲うべからず
6/26

  ◇


 週明け、登校するとすぐに啓吾が僕の座席までやってきた。


「んじゃま、首尾でも聞かせてもらいましょ?」


 朝一番にその台詞で、表情にはにやにや笑みまで貼りついていたから、なにを期待しているかはわかりきっている。だが、「おあいにくさま!」と高らかに勝利宣言できる心境にも、僕はなかった。

 あの日、勢いのままの言動と、そのあとのやりとりまでを経て、なんとかその日一日は一緒に過ごすことはできたわけで。ある意味僕の粘り勝ち――粘りすぎという言葉もあるだろうけれど、しかし事態はそれで終わらなかった。

 彼女から告げられた言葉に、当たり前だけど僕の頭は混乱しきっていて、それは彼女と別れて家に戻ってからいっそう、グルグルと頭の中でひどさを増していった。

 吸血鬼。

 あの、吸血鬼。ただしお話で出てくるような、日光やにんにくといった、そういった弱点のない……彼女はなんて言っただろうか。そう――僕が知っているのよりほんの少し便利で、ほんの少し不便な存在。

 自分がその吸血鬼だと、彼女は言った。

 ちょっと考えれば、それは多感な時期である十代少女の空想じみた言葉だと捉えるのが普通で、夢見がちなんだね。と微笑ましく受け流してしまうべきだろう。

 しかし、僕は見てしまったのだ。彼女がとても動きやすそうに見えない、スカートにヒールありという格好で、二mの壁をやすやすと飛んでみせるところを。

 もちろんそんな女子高生がいるわけない。ちょっとジャンプする。なんてありふれた行為だからこそ、彼女の異常さは際立っていた。

 超人。そうとしか言えない。人を超えた――つまり、吸血鬼?

 そんな馬鹿な。

 いや、たとえそれがどんなに馬鹿げたことでも、前に僕が啓吾に言ったとおり、目の前に事実としてあるのなら仕方ないのだけれども。だからといって「吸血鬼いた! すげえ!」と目を輝かせられるほど僕はおめでたい人間じゃなかった。

 怖い。怖くないはずがない。

 僕があの日、彼女からそのことを告げられて、それでも引き下がらずに話を続けられたのは――つまりよくわかっていなかっただけだ。

 そのうえ、とにもかくにも焦ってた。なんとか彼女と接点をもとうと、どんな藁でも逃さないようにとそれしか考えていなかったんだ。

 そのおかげで、最後には彼女の方から折れてくれて、僕らはその場でおしまいではない、知り合い関係になることができたのだから、それは決して恥じるべきことではなかった。むしろ自分を褒めてやりたいのだけれど。

 血を、吸うこと。

 それを言った時に彼女の口元にのぞいた歯。

 もし彼女が本当に吸血鬼なんだとしたら。確か吸血鬼ってのは血を吸って――血を吸われた人間は、同じ吸血鬼になってしまうんじゃなかっただろうか。それともゾンビになってしまうんだっけ。

 それは、とても怖いことだ。

 とてもとても怖いことのはずなのだった。

 なのに。――問題は実は、そこにある。

 頭を抱える。

 その様子になにかを察したのか、ぽんぽんと慰めるように僕の肩を叩いて、啓吾が去っていく。それに顔を上げる余裕もなかった。

 混乱のきわみにありながら、それでもそんな僕の頭の中心には、彼女の姿が最先端の映写機で映し出されている。

 睨むような眼差し。それがふっと一瞬だけ和らいで、笑みになる。

 やっぱり可愛いよなあ。

 微笑む口元の牙がなにを示しているのか、わからないはずがないというのに――そんなことを考えてしまう。

 その思考が問題じゃなくて、いったいなんだと言うのだろう?

 携帯を取り出して、メールボックスを呼び出す。昨日、受信したメールの中にそれまでにない名前がまじっていた。『神螺さん』――一昨日の帰り際にアドレスを交換した、彼女とさっそくやり取りしたのだった。

 その最後の一通を開いてみる。


 『そうね』


 それだけ。

 タイトルはR:つきで、つまり僕からのメールに返信ボタンを押しただけだ。

 誓って言うけど、なんなら見せたっていいけれど、僕はこの時彼女に単文の文章を送ったわけじゃなかった。あんまり長文になりすぎないよう、でもつまらないものにならないように、それこそ「合コン後のメール、送信内容NGチェック項目!」なんてもので確認してみても大丈夫なくらい慎重に吟味に吟味を繰り返して、いざ送った返答がこれなのである。

 “いいとも”のかけあいじゃないんだからさ……。

 他のメールも似たようなものだ。『あ、そう』、『どちらでも』、『あんまり』。キャッチボールをしようという意思がないことがありありで、キャッチだけはしてくれているのだから、それをプラスに捉えるべきなのだろうか――しかしそれは、自分でも悲しいくらい後ろ向きな前向きさに思えた。

 メールが嫌いなのかな……いや、自分をごまかしてもしょうがない。彼女は僕が嫌いなのだ。あるいは、人間が――そうじゃない、またごまかしてる。どっちも嫌いなのだ。

 良く思われていないどころか、露骨に避けられてる。

 不思議なのは、なら、なぜ彼女は僕と関わってくれるのだろうかということだった。

 そう頼み込んだのは僕で、もちろんありがたいことなんだけど。メールにも一応、きちんと返事は返してくれている。その理由が僕にはわからなかった。

 本当は、そのあたりについて啓吾に相談しようと思っていたのだけど、さっきのあの顔を見た瞬間にその気がなくなっていた。はじめから破滅を望んでる相手からのアドバイスの、なにに期待しろというのだ。塩を塗るように傷口をえぐられるだけだろう。

 学校のチャイムが鳴り、計ったようなタイミングの良さで入り口から担任が入ってくるのが見える。「起立――」クラス委員のかけ声に突っ伏した机から身を起こしながら、僕は終わりの見えない疑問に一旦終止符をうった。

 まあいいさ。

 僕が彼女の思考をトレースしてみようとしたところで、無駄だってことはわかりきっていた。

 だって彼女は別世界の存在なのだ。

 たまたま同じ次元にいて、同じ言葉を使って。知り合えることができたっていう、ただそれだけ。僕の常識で考えようというのがまず間違ってる。

 だいたい、女の子なんて異星人と変わらないって言うじゃないか。地球外生命体との接触には、まずこちらに相手を受け入れる度量がなければいけないはずだった。なんて言うと、なんだか偉そうな感じだけれども。

 だって、彼女は、吸血鬼らしいのだから。


「また荷物持ちが必要なことがあったら、いつでも呼んでね!」


 彼女にはこないだの別れ際、それに昨日のメールでもそう伝えてあった。

 恋人じゃあない。友達ですらない。わずか知り合いの、荷物もち――それが今の僕の立場だ。

 それを情けなく思わないわけがないけれど、一方でふつふつと燃え上がるものがある。

 上等じゃないか。

 風光明媚な山に入ろうとしたら問答無用で叩き出され、ようやく入山する機会を手に入れたと思ったら、目の前に広がるのは崖や急勾配の道ばかり。途中で行き止まっている可能性も大で、昇りきったところで目的地は実は隣の山でした――先に待ってるのはそんなオチかもしれない。

 だったらどうする? その時は、ロープを引っ掛けてターザンでもするしかないかもしれないけれど。

 とにもかくにも、まずは登ってみることだ。

 全てはそれから。僕の心は終わりをみせない夏の暑さにあてられたように、メラメラと燃え上がっていた。

 とはいえ、何かできることがあるわけでもない。

 なにも新しいことのない新学期が始まって、僕は時たま(送る回数がうざくならないよう気をつけながら)彼女とのメールをやりとりしながら、日々を送った。

 啓吾をはじめとする悪友と馬鹿みたいなやりとりをかわし、眠くなる授業をどうにか切り抜け、秋の気配を見せない残暑にうだり――そうこうしているうちに、一週間の半ばが過ぎた。

 週末が、近づいてくる。

 僕は悩んだ。

 彼女をどこかに誘ってみようか。いや、荷物持ちがそんなことをするのはおかしいだろう。いや、いや、でもこのままじゃ、そのうち彼女は僕のことなんて忘れてしまうんじゃないか……。

 じりじりした感情が頭を焼き、夜も眠れず、ああもうどうすればいいんだってほとんど絶叫したくなるような精神状況に陥っているところに、メールが入った。


 『今度の日曜。買い物つきあえる?』


 僕は奇声をあげたりなんかしなかった。

 かわりに雄叫びをあげて、周りのみんなから変な目で見られることになった。



  ◆


 軽率だったかもしれない――そう思わないではなかった。

 送ったばかりのメールから、一分もしないうちに携帯の画面に返信ありを報せるマークが浮かび上がったのを見て、その思いはさらに深まった。


 『行きます!』


 よほど急いだのか、いつもみたいに長ったらしい文章がまるまるカットされている。

 今さらそれをなかったことにすることもできず、私は観念して携帯を二つ折りに畳み、制服の内ポケットに戻した。

 頭の上ではさわさわと葉っぱが擦れ合い、なんだかこちらを笑っているような感じだ。見上げた先、幾重に重なり合った葉っぱを透けて木漏れ日がきらきらと太陽の光を揺らしていて、私はまぶしさにそっと手をかざした。

 手のひらの血管までが透き通るような日光。

 どくん、と心臓が鳴いた。

 校内への携帯電話の持ち込みはほとんど黙認状態になっていても、だからといっておおっぴらに使えるわけでもない。私がいるのは、広い敷地にいくつかあるそうした用途の校舎裏、その一隅だ。

 いっこうに収まる気配を見せない暑さに部屋置きのオーディコンポが壊れてしまったのは、週が開けた月曜日のことだった。

 私は勉強中、歌詞なしのBGMを小さく流すことにしている。ところが昨日の夜、自習にとりかかろうとスイッチをいれたら、命がつきかけた蛍みたいに弱々しくランプが点滅して、やがてふっと消えてしまった。そのあと何度押しても電源が入らず――翌日、すぐ不二に頼んで電器屋に持ち込んでもらい、簡単な検査結果が昨日になって届いたのだった。

 内部回路の故障。ようするに寿命ということらしい。型番も古く、修理した方がよっぽど高くつくらしいと聞いて、私はこれを機に新しいものに買い換えることにした。子どものころに買ってもらったそのコンポにはそれなり以上に思い入れもあったのだが、お金はともかく、修理するのにも一月以上かかるだろうという見込みがその判断を促した。

 となると、新しいオーディオは少しでも早く手に入れたかった。

 勉強中の音楽なんて、いつもはまったく無意識していないくらいのものでしかなかったのだけれど、だからこそそれが急になくなると、不自然な沈黙が室内を満たしている感じで妙に落ち着かなかった。

 週末に買いに行って、できればその日のうちには手元に届いておいて欲しい。私が彼に――護にメールしたのは、そうした理由だった。

 だけど、この誘いが、変に彼に期待させてしまったかもしれない。

 知り合いになったことはともかく。付き合うなんてことは当然として、友達ということも、私は彼に強く否定しておいた。メールも、今まで私からしたことはなかった。

 私が築き上げた透明な壁に、いつか彼が気づいてくれないだろうか。そんなふうに思っていたのに、この一通がその企みを全てぶち壊しにしてしまったような気がする。

 いや。だいたい、気づいてくれないだろうか。なんて台詞からして、考えてみれば大変に私らしくないことだった。

 嫌なら否定すればいいのだ。拒絶すればいい。今までなれなれしく声をかけてきた連中にそうしてきたように、相手が立ち去るまできつく睨みつけてやれば――だけど、彼はきっと、それでもいつまでも。私の前に立ち続けている気がする。

 私は正直、彼のことが好きではなかった。

 気が利かないところ、しつこいところ、頭が悪いところ。テンポがあわず、話していて苛々するし、相性というものがあるのならきっと私と護は最低にひどいと思う。

 でも、情けなさそうな顔でついてくる護の顔を思い出して――私はなぜか、彼へのメールを作り始めてしまっていた。

 なぜだろう。自分でもよくわからない。

 呼び鈴が鳴って、あわてて校舎へと足を向ける。次の授業の予習範囲を思い出そうとする。大丈夫。たとえあてられても、答えに困ることはないだろう。

 そんなものより、今の私には理解不能な自分自身のほうがよっぽど難問だった。



 授業が終わり、友達からの放課後の誘いを今日も断って学校を出る。正門前に並ぶ送迎車の列の横を歩いていると、


「吹那様」


 聞き覚えのある声がした。

 この暑いのに顔色一つ変えない、寡黙な男がそこに立っている。


「不二。どうしたの?」


 ついこの間、足をくじいた時には迎えにきてもらったけれど、さすがに毎日の学校の送り迎えまでしてもらうほどお嬢様ではない。なにかあったのだろうかと思いながら、横付けたされた車に近づいて、


「ちょうど、近くを通ったものですから」


 その後部座席に座っている人影が見えて、意識せずに自分の表情が険しくなるのがわかった。

 彼のせいではないとわかっているのに、ついきつく睨みつけるようになってしまう。それに対して不二はそしらぬ顔で扉を開けて、


「……おかえり」

「――ただいま。……おかえりなさい、お父さん」 


 ばたん、と不二の手で扉が閉められた。


 私は車の中で、終始無言だった。

 お父さんも喋らない。運転席の不二が無口なのはいつものことで、結果として車内はひどく重苦しい雰囲気になってしまっている。いや、そういう雰囲気はこの私が作り出しているものだ。

 私は息さえ殺して、ひたすら窓の外に視線を向けていた。呼吸を薄く、薄く――それは、いまこの密閉された空間の中で隣の人物が呼吸する、そのことで大気に吐き出されるなにかを自分が吸入するのをできうる限り避けたい。そんな動作だった。

 バックミラー越しの不二の視線が私を見る。視線とは違う方向から声が重なった。


「オーディオが、壊れたそうだな」


 ――不二のやつ。

 ありったけの感情を込めて睨みつけるが、鏡の向こうの彼はさっさと視線を戻して運転に戻っている。


「中学に上がる前から、使っていたやつだから。寿命だったみたい」


 不二に文句をつけるのはまたの機会ということにして私が答えると、お父さんは淡々とした口調で、


「そうか。近いうちに新しいものを買いにいきなさい」


 ささくれだつ。

 自分の皮膚に鳥肌が立っていないか、ちらりと確認してしまった。


「……今度のお休みに、行ってくるつもり」

「そうしなさい。持ち帰るのには不二を呼べばいい」


 一呼吸おいてから、私は口を開いた。


「でも、悪いもの。自分でどうにかできるわ」

「配送を頼むのも手間だ。時間もかかる。都合は悪くないだろう、不二」

「はい。いつでもお呼びください」


 不二の視線がこちらを向く。それが気づかうように見えたのは、私の考えすぎではないはずだった。


「……それじゃあ。悪いけど、お願いしてもいいかしら」


 その瞳と、なによりこの会話を一刻もはやく終わらせたくて、私は折れた。

 自分が嫌になる。

 お父さんが言ったことは私が考えてたこととほとんど変わらなくて、自分だってついさっきは不二に頼むつもりでいた。だけど――お父さんから言われた、というその一点だけで、否定してしまう。「――しなさい」に、無条件で「イヤ!」と突っぱねてしまいたくなる。

 ただの反抗期ならまだいいのだが、あいにく、私がお父さんに抱いている感情はもっとわかりづらく、ドロドロとしているようだった。

 いや――実際はやっぱり、ただの反抗期なのかもしれない。自分だけは違う、なんて誰もが持つ思い込みであることくらいわかっていた。けれど、人間のそれとはやや違う事情もある。



 私がお父さんに対してそういう意識を持つようになったのは、年齢からするとまさしく思春期の始まり、小学校高学年の頃だった。

 私達は生まれてすぐに血の味をおぼえる。

 もちろん生まれたての赤ん坊が自らの意思で噛み付いて血をすするなんてできるわけがない。両親の手で、母親から母乳を与えられるのと同じく、血を与えられるのだった。それは生きるために必要なことであり、また私達が私達であるためにも必要なことだった。

 血を吸うからこそ、私達は吸血鬼なのだ。

 得血という概念が定着した今でも、それは変わらない。やがて乳歯が揃う頃になると、私達は吸血行為を実際に学ぶ。相手はやはり両親だ。

 得血欲求とは異なる、吸血衝動というものを私達はそこで初めて知ることになる。いや――その幼い頃の経験こそが、以降の吸血衝動を植えつけるのかもしれない。いずれにせよ、それは大切な儀式だった。

 コップのなかの血ではなく、他人の体から、血を得る。

 幼い私達は吸血鬼であることを疑うこともなく受け入れ、俗に言う思春期、青年期まで両親への吸血行為は続けられる。 

 思春期を迎えると、私達は誰でもちょっとした悩みを持つ。友情、恋愛なんてテーマから、私ってなんだろう。なんて自己同一性について思い悩み、人生って、生きるって、死ぬってなんだろうなどと哲学してみたりもする。同年代の人間とたいして変わらないそれらに加えて、なんで血を吸うんだろう。なんで吸血鬼なんているんだろう。そんなことを考えるようになる。

 そしてちょうどその頃、私達はそれまで自分が特に意識なく行っていた吸血行為を嫌がるようになるのだ。それは、吸血行為が持つもう一つの意味を知るからだった。

 吸血というのはつまりいまだに私達に残る大昔の本能のようなもので、その衝動に抗えない自分自身をなにか動物的に感じてしまい、恥ずかしくなる。でも同時にそれがとても大切なものだとわかってもいて――複雑な感情が絡み合った結果、いつしか吸血行為は私達の種族のあいだで、性行為にも似た意味合いを持つようになっていた。

 だから、思春期を迎えた吸血鬼はそれまで自分が無意識にしていた行為を恥じる。そして同時に、だからこそ。強く、“求める”ようになるのだ。

 私は子どものころ、お父さんの血を吸わせてもらっていた。

 普通、幼児期の吸血相手には母親が選ばれることが多いのだが、お母さんは生まれつき体が弱くて、それが理由だった。それだけだ。でも、そのことが私のお父さんへのうずまく感情、思春期のなんやかやの一つに含まれているのは確かだろうと思う。

 血を吸うということ――そこから連想するのは血を吸われるということだ。そして当然、お父さんも血を吸うのだ。お母さんじゃない、誰かの血を。

 ある秋の日、吐き気がするくらいの生々しさでそれを思ってから、私は血を吸っていない。この四年以上、一度もだ。

 他の吸血鬼の子達は、もう誰か相手を見つけたり、そうでない場合はこっそり両親に吸血させてもらったりするのだが、私はそのどちらもしていない。適当な人間を襲って血を吸うなんて、そんなことをしてるわけでももちろんなかった。

 たまに衝動に襲われることがある。全身が総毛立つような、身体中から汗が吹きだして視界が真っ赤に染まるような、そんな発作。夢にまで現れる、それに耐えるのはひどくきつい。でも、それ以上に生理的な嫌悪感が勝っていた。 

 もしかしたら、私はただの潔癖症なのかもしれない。

 そして半人前の吸血鬼だ。



 お父さんがこっちを見ている。視線はこちらを向いていなくても、気づかうような気配があった。ミラー越しに、不二の視線もたまに感じる。

 気を遣ってもらっている。心配させてしまっている。

 そのことが痛いほどわかっていて、だからといってどうすることもできず、私はどちらにも気づかない振りをしてただ外の景色に逃げ込んだ。



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