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◇
息が切れて、もう大丈夫かなというところで、足を止める。深呼吸、というよりため息がでた。
せめて最後にいい印象を与えて去ることができたらなと思ったのに、これじゃ想像してたのと違いすぎる。なにがいけなかったんだろう。やっぱりイケメンじゃないのが悪いのか。そうなのか。
――いいさ。この手のひらの温かさがあれば、僕は生きていける。
ありもしない夕日を見て僕が決意を固め、空しくなってとぼとぼと大通りを歩いていたら、
「待って」
声がした。
顔を上げると、なぜか目の前にさっきの彼女がいた。道路脇に黒いタクシーがハザードをつけて停車している。どうやらわざわざ追いかけてきたらしい。
まさか――心臓の鼓動と一緒に高鳴った期待感は、あっさりと否定された。その彼女が、睨むように僕を見て言ったからだ。
「どうして逃げるのよ」
「いえ、……すいません」
睨まれた蛙状態の僕は、恐縮するしかなかった。
「……まあ、いいわ。これ、ありがとう」
足元を見ると、彼女のすらりと伸びた足元、きゅっとひきしまった足首に、白いものが貼られていた。湿布薬。
「あ、いや。わざわざ、どうも」
使ってくれたのが嬉しくて、僕はなんだか照れくさくもなって鼻の先をかいた。
険しい目つきが、少しだけ和らいだように思えた。
「名前、教えてもらえます?」
「え? ああ、宇多飼、護――です。宇宙の宇に、多い少ないの多に、飼うで」
「高校生?」
「一年です」
「あ、同い年なんだ」
驚いた。普通に、もっと上だと思っていた。
「そうなんだ。……ですか」
「同い年なんだから、敬語なんていいのに」
彼女は笑ったけれど、僕は苦笑いしかできなかった。彼女は、たとえ同い年だろうがなんだろうが、タメ口を聞いていいような相手に思えなかった。見た目も、雰囲気も。
「私は神螺吹那。神様の神に、螺鈿の螺、吹奏楽の那覇で吹那。変わってるでしょう?」
「いえ――」
なにか、気の利いたことを言わないと。そんな風に思ったけど、なにも思いつきはしなかった。
「いい名前。ですね」
語彙力のなさになにより失望したのは僕自身だから、何も言わないでおいて欲しい。
お世辞なんて多分聞き飽きているのだろう。彼女は特に気にした様子も見せずに、
「さっきは、ごめんなさい」
「え?」
「代金だなんて、失礼なことを言って」
ああ。そのことか。
「いえ、とんでもない。です」
「でもさっきのはほんとにこっちの落ち度だから。なにかお礼をしたいんだけど」
「ええ?」
「それも、駄目かしら」
小首をかしげるようにして言う仕草が、とてつもなく魅力的だった。
「いや、いやや!」
ほとんど言葉になってない。断る道理なんてもちろんないから、これはただ動転していただけだ。
「そう。よかった」
意外な――意外すぎるほどの笑顔で、彼女は言って。バッグから取り出した携帯を操作しながら、
「それじゃあ――あなたも、明日から学校よね? 今度の土曜とか、空いてる?」
「空いてますっ」
僕は即答した。
もしスケジュールが空いてなくても、全力で空けるに決まっていた。
「じゃあ、お昼を食べた一時に、駅のロータリーの猫像の前で待ち合わせとかでいいかしら。家、ここから遠いわけじゃないならだけど」
猫像というのは文字通り、あんまり他では見かけない気もする駅前の猫の銅像のことだ。待ち合わせなんかによく使われる、渋谷のハチ公みたいなもの。
「わ、わかりましたっ」
「よかった。それじゃあ、車、待たせてるから。土曜日に」
言い切ると、彼女はタクシーに乗り込み、去っていった。
僕は呆然とそれを見送っていた。
夢じゃないか……そう思って、ほっぺたをつねってみる。痛かった。うずうずと、喜びが心の底から沸き起こってくる。
目の前を一組のカップルが通り過ぎた。大学生っぽいイケメンと、綺麗に着飾った女の人。男の方はともかく、女の人は間違いなく、彼女――吹那、いや、神螺さんのほうが綺麗だった。
「イケメンがなんぼのもんじゃ!」
あ、やばい。声に出てた。
怪訝そうにこっちを見る彼らから逃げて、僕はだらしない笑顔で家までの帰路についた。
いつもどおりの光景が、まるで違って見える。
自分が映画の登場人物になったみたいだった。
昔見たミュージカル仕立ての映画みたいに、ららら、なんて歌でも歌いたいところ。
すれ違うみんなに、幸せをわけてあげたい気分だった。
気味悪そうにこっちを見る反応からすれば、どうにも上手く伝わっていないようだったけれども。
◆
窓の外を勢いよく流れる景色を眺めていると、鏡越しの視線を感じた。
バックミラーに映った瞳が、思慮深い光をたたえてこちらを見ている。あきらかになにかを言いたそうにしていたので、
「なによ」
「いえ……」
頭に白髪のまじった壮年の男は視線をそらし、前を向いたまま、言った。
「どのようなおつもりなのかと、思いまして」
なんのことか聞き返すまでもなかった。
「別に」
そっけなく言うと、
「なるほど」
少ししてからわざとらしいあいづちが返ってくる。むっとして、私は言った。
「礼を受けたのよ。返さないわけにはいかないでしょう」
「なるほど」
今度は、自然な反応だった。
沈黙。ややあって思い出したように、彼が言った。
「もしやお相手に選ぶおつもりなのかと、そう思ったものですから」
「冗談じゃないわっ」
声は、ほとんど悲鳴に近かったかもしれない。
そのことに気づいて口を閉じる。次に相手から発されたのは、こちらを気づかう謝罪の言葉だった。
「申し訳ありません」
「……いえ、いいの」
相手は押し黙った。私は再び窓の外に視線をやって、
「――匂いが残っちゃうわね。ごめんなさい」
「いえ。懐かしい香りです」
柔らかい口調に目を送る。いつも無表情を崩さない皺のある口元に、微笑が浮かんでいた。
「……嫌な匂いだわ」
「そうですね。我々には少々、きつい。ですが――」
そこで私がバックミラー越しに表情を覗いているのに気づいて、唇が真一文字に結ばれた。
「――懐かしい。香りです」
「そう」
前に彼の笑顔を見たのはどのくらい前だっただろうか。
そんなことを考えながら、私は過ぎ去る風景のなかに自分の心象を埋没させた。
家に帰ると、玄関口に現れたお母さんが悲鳴をあげた。
「吹那、どうしたのっ」
「うん。ちょっと、足くじいちゃって」
「まあまあ」
娘の欲目なしに二十代と言っても通用する若々しい顔をおおげさにしかめて、
「それにしたって、そんなひどい匂いの出る湿布なんて使わなくても。薬局、売ってなかったはずがないでしょう?」
「うん……」
あいまいに答えながら、私は二階の階段を上った。痛めた左足に負担がかからないように気をつけていると、後ろから声が追っかけてくる。
「吹那! すぐに新しいの用意するから、取っ替えっちゃいなさい」
「お風呂あがったら、そうする。ありがと」
もう、と怒ったような声を聞きながら、部屋に戻って、私はベッドに横になった。
クッションを手にとり、きゅっと抱きしめて、ささくれだった自分の感情を落ち着かせる。
今日は朝からいい気分ではなかったのに、ストレス解消どころか外出してさらに悪化してしまった。
せっかく買い物に出て、目的を果たす前に帰らなくちゃいけなくなったこと。足の痛み。鼻につく匂い。その原因――思い出したくもない、お尻に今も残る生々しい感触に。ぞっと、背筋に悪寒が走った。
それを振り払うように身じろぎして、手がなにかにあたる。湿布薬の入ったビニール袋だった。脳裡に、あの人間の顔が浮かんだ。今の気分の、だいたい半分くらいの元凶である若い男の人間。
まったく。転びそうになった私を助けてくれようとしたことや、その後に起こった事故についてはまだいい。お詫びだからといってこんな湿布薬を強引に渡してくるのがひどく腹が立った。
もちろん、人間に私達の嗅覚の鋭さ。だからこその苦痛なんてわかるはずないのだけれど――だからって普通、女の子に匂いのある湿布薬なんて渡すだろうか。お母さんが言ったように、薬局にいけば匂いのないタイプのものが隣になかったはずがないのだし、少し気が利く男なら、わかりそうなものなのに。
「まあ……気が利くようには見えなかったけど」
青ざめた顔。驚いた顔。いやらしく頬の緩んだ顔。最後に浮かんだのは、私が頬を張った時のいっそ清々しいまでの表情と、台詞だった。なにが――ありがとうございました、だ。馬鹿。
思い出してくるうちにむかむかしてきて、勢いのままに足首の湿布薬をはがそうとした瞬間、私が湿布を使ってるのを知った時の嬉しそうな表情がちらついた。
礼は大切に。どんな相手にも、だ。
謹厳だったお爺ちゃんの言葉がよみがえる。でも、
「これはひどい拷問よ。お爺ちゃん……」
うめいて、私はせめて少しでも苦しみから逃げるために、うつぶせになってクッションに顔を押し付けた。
感覚に長け、代謝に劣る。
それが私達吸血鬼の特徴だ。感覚とは五感――視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚に加えて、反射神経や運動神経。自律神経などもそこに含まれる。
私達は人間より重いものを持ち、速く走り、遠くの物を見て、わずかな音を聞き、少しの空気の揺れに気づき、些細な毒を嗅ぎ当て、匂いにも敏感だった。かわりに、代謝能力は退化してしまっている――というわけではないのだが、それに似た特徴があった。
私達は生後、十代半ばまでは人間と変わらない速度で成長するが、それ以降は鈍る。だいたい、人間が一年で成長する変化を、二年。早熟ではあるが、かわって老い始めるのも人より早いというわけではないから、これはむしろ人より優れた部分かもしれなかった。また髪や爪が伸びるのが遅く(だから、長く手入れの行き届いた髪。というのは人間以上に貴重だった)、発汗や老廃物の類も少ない。四つの胃袋を持って反芻しているわけではないのだが、あるいは代謝効率がよいのかもしれない。
あとは――人間よりも、平均して多くの睡眠時間を欲する。これも、代謝の違いが影響しているのかもしれない。食生活で言えばほとんど人間と変わらない私達が、瞬間的に彼ら以上の運動を行ってカロリーを消費する。あるいは劣った代謝を補うために、体がより多くの睡眠を必要としているのだろう。そう言われていた。
もちろん私が今日、現に動き回っていたように、昼間中、棺おけの中で寝ていたりなんかする必要はない。日光は、私達の敵ではなかった。生まれてすぐの赤ちゃんは確かに、人間も病気としてかかったりする日光過敏症に近い反応を起こしてしまうが、それも一月ほどのことだ。私達は決して闇に生きなければいけない生物なんかではない。
今に残る吸血鬼の逸話、それで語られているほとんどはでたらめだ。日光に弱いというのもそうだし、川を――流れる水を渡れないというのも意味がわからない。にんにくに弱いというのは嗅覚が鋭いことから合致するが、聖水は全く関係がなかった。なにか刺激臭でもするなら話は別かもしれないが。
勘違いは他にもたくさんある。十字架を怖がるなんていうのは一番のそれだ。だって考えてみればいい。吸血鬼は世界中にいて、宗教なんて世界中で違うのに、例えばキリスト教を知らない吸血鬼でも、はじめて十字のマークを見れば恐れおののくとでも言うのだろうか。前に読んだなにかの本では、そのことについて「彼らは幾何学的なしるしを恐れるのだ」と書いてあったが――ちょっと待って欲しい。幾何学的なというのは、つまりなにかしらの意味を与えられた、という意味だろう。天井の染みに三つの点があるだけでそれを人の顔だと解釈してしまうのが人間だというのに、それは吸血鬼である私達だって変わらないのに、なにをもってそれを「意味あるもの」とするのだろうか。幾何学的な模様なんて、自然界に――あるいは人工物の中、意図しないところに偶然にでも、いくらでもあるというのに!
そして極めつけが――初めて訪問する家は、家主から招待されなければ入れない。これなんて、いったいどういう理屈なのだろう? 許可を得ずにあがりこんだ場合、ひどいアレルギーでも起こしてしまうのだろうか。
思うに……これらは全て人間が私達を天敵とするために必要な思い込みだったのだろう。
恐怖し、しかし恐怖するだけでなく立ち向かえる存在だと思えるために――心に平穏をもたらす為につくりあげた幻想。物語に出てくる化け物には、必ずそれを倒すための弱点が必要だから。
それを愚かだとは思わなかった。それこそが、人間の強さなのかもしれないからだった。ただ、世に溢れているそういった吸血鬼話を見たり聞いたりする度に、呆れたくなることはあるけれども。
我々は、人間よりはるかに強い。だからこそ負けてしまった。
お爺ちゃんの言葉だった。
それに、私達だって無敵というわけではない。きちんと人間の延長線上にしかないのだ。切られた腕がとかげのように再生することはないし――くっつければ元に戻ったりはするが――例え銀のものでなくったって、杭を打たれれば死んでしまう。骨や関節だってあるのだから、私みたいに間抜けをすればくじいてしまうこともあるし、なまじ感覚に長けている分、痛みだって人間の比ではなかった。もちろん、慣れることとはいえ――慣れるというのは、なくなることと決して同義ではない。
結局、人間と同じ程度にひ弱な存在なのだ。「不死者の王」などといった言葉で人間達から恐れられ、また羨ましがられるほとんどは、彼ら自身がつくった虚像でしかない。
彼らの中で知る唯一の事実は、私達が吸血を行うということだけだ。
いや、それすらも身勝手なワンサイドしか彼らは知らない。吸血という行為の意味合いは、私達の中でさえ大きく変容をとげたものであるからだった。
吸血、いや、得血というのは、前にも述べたとおり私達の生理的な欲求だ。寝ないで生きられる人間がいないように、私達は血を得ずに生きることができない。過去、吸血とはその唯一の手段であったのだが、私達が人間社会の中にとけこむようになってそれは当然のように変化を余儀なくされた。
人間のように生き、人間を襲って血を得る。それでいて自らの正体はいつまでもばれないようにというのは、少し考えればわかるように虫のよすぎる話だった。
では、どうするか――吸血以外に血を得る、得血という概念がそこで生まれた。
例えば輸血というものは、人間の学者が発表したもので十六世紀に既に歴史に残っている。私達ももちろん、それに遅れることはなかった。
要は血が手に入ればいいのだから、金銭的なものと交換でそれを手にいれてしまえばいい。あまり大量の血液を欲しがると人間は不審がるかもしれないが、必要な肩書きさえ持っていれば意味がわからなくとも平伏してしまうくらいの時代だった。それに、生きるためなら喜んで血を売る者も多かった。そういう時代でもあったのだ。
人を殺す必要もなかった。いや、殺してしまうことだけは避けねばならなかった。
これは自分でも嫌な気分になる例えだが――蚊のようなものだ。必要量さえ、血が手に入ればいい。
私達が必要とする血液量は、成人男性で一週間に約一千五百mlとされていた。一度にこれだけの血を奪われてしまえば、死の危険があるが――なにも同じ人間から得る必要はないのだから、数度にわけて、別の人間から手に入れればいい。例え数百mlの失血でも、あまりに短期間では健康に害を及ぼす恐れがあることがわかってくると、同一相手に対してはある程度の期間を設けるようにもなった。そうして、得血のためのガイドラインが作り上げられていった。
十九世紀に入り、血液の保存技術が飛躍的に進歩したことで、得血はさらに容易なものとなった。医療用血液は費用も高かったが、私達の一部は自分達自身でそうした機関を立ち上げている。身内価格、というやつだ。それに、私達が私達のために人間社会のなかで最も厚い支援を(文字通り、寄付という形で)行っているのも、そうした献血機関やそれに類するものだった。
もちろん吸血という行為が全くなくなってしまったわけではない。
得血欲求とは別に、私達には吸血衝動というのがあって――これは多分、たとえ人間がご飯を食べなくても生きていけるようになったとしても、必ずお碗に盛られた白米を食べたくなるだろうことを想像してもらえるとわかりやすいはずだ――動物の繁殖期のように定期的に訪れるその衝動だけは、私達にも抑えることができなかった。
だがそれも、あくまで人間を殺すことはないように。といった様々な制約がある。それを破ってしまった場合、罰を受ける。
こうしたことについて、人間達は何一つとして知らない。それはもちろん当たり前のことではあるのだが、なんというか――吸血鬼には吸血鬼で苦労があるのだ。単純なドラキュラ・ムービーを見る度にため息をつきたくなってしまう気分が、少しはわかってもらえるだろうか。