5
◇
――試みに問う。
デートとはなにか。
「はい! それはつまり、可愛い子と遊ぶことです!」
……なるほど。
では君、続けて問う。
デートで大切なことはなにか。
「はい! 相手への感謝を忘れず、常に思い遣り、それを慈しみ、全身全霊を以って楽しませることです!」
なるほど、なるほど。
「自分の答えになにか不足がありますでしょうか!」
いや、君の答えは素晴らしい。
それでは、最後に問おう――もし、それがグループデートだったなら?
「っ……」
どうした?
君にとってグループデートとはどういうものだ?
「それは――。それは、」
正直に答えてほしい。
ちなみに、君にとってはほぼ全員が初対面とする。
「――まさに望外の僥倖! もしもそのような機会が与えられるなら、我、凡百非才の身なれど、身命を賭してその成功に尽力することを誓います!」
……わかりやすく言うと?
「たくさんの女の子と知り合えるなんて、超サイコー!」
僕は黙って右のこぶしをにぎりこんだ。
鉄拳一閃。
渾身の一撃を喰らって沈黙する悪友を、ゴミを見るような気分で見下ろしながら、僕は携帯を取り出した。とある連絡先をひらいて発信すると、相手はすぐに通話にでた。
『――はい、藤原です』
「もしもし! なに考えてんだよ、あんた!」
『いきなりなんの話だい? ――ああ、もしかして、今度の週末のこと? もう話がいったんだね、よかった』
「なにが!? こっちにとっては全っ然これっぽっちもよくないんだけど!」
スピーカーの向こうから爽やかな風を送ってくる相手へ、僕は心の底から声をあららげた。
「せっかくの初デートだってのに、そんな額に飾って一生もののザ・メモリアル・デイト・ア・デートに、どうしてあんたらと一緒しなきゃいけないんだよ! 新井さんだけならともかく!」
『いやいや、あの子だけ君たちと一緒っていうのも、それはそれでおかしいでしょ。彼女――神螺さんから聞いてない?』
「なにが!」
『お詫びと、お礼っていう話。このあいだは、僕が君や神螺さんに迷惑かけちゃったからね。まあ、そのおかげで結果的に上手くいったんじゃないかとか、それなりに随分と乱暴な目にあわされちゃったなあとか、思わないでもないんだけど――』
まだ根に持ってやがる。なんてしつこい奴だ。
『ま、それはそれとして、きちんとお詫びだけはしとかなきゃと思ってね。美雪ちゃんには、協力してもらったお礼もあるし。僕って義理固いと思わない?』
「そんなの、新井さんと二人でデートしてあげればいいだろ!」
そっちのほうが喜んでくれるに決まってる。
確固たる確信があった僕はそう断言してみせたが、
『さあ、それはどうだろうね』
電話口の向こうから返ってきたのは、やけに遠い声だった。
「……どういう意味だよ」
『ん? 言葉どおりの意味だけど』
「新井さんが喜ばないって言いたいのか? あのね、年上だからって言わせてもらうけど――」
『そうじゃないよ。……そういうことじゃあないんだ』
一瞬、僕は口をつぐんだ。
電話口の声が普段のそれと違って聞こえて。そこにある感情の奥にあるものがわからなくて、思わず黙ってしまう。
くすり、と電話口の声が笑った。
『それに、美雪ちゃんも喜んでたけどね。本当さ。なんなら、電話して確認してもらったっていい。それで、美雪ちゃんが本当は僕と二人きりがいいって言ったなら、僕はそっちでも構わないよ。お礼なんだから、相手が喜んでくれるのが一番だからね』
「……ほんとか? 本当に、新井さんに確認するからな」
『もちろん、どうぞ。吸血鬼は血を吸うし、ニンニクも食べるけど、あんまり嘘はつかないよ。――それじゃ、週末に』
さっさと通話は切れて、僕は無機質な画面を睨みつける。
……あの野郎。
週末に、だなんて、その日に会うのは決まってるみたいな言い振りじゃないか。
いいさ。言質はとった。
新井さんに連絡して、藤原と二人でデートのほうがいいって聞いて。満額回答をあのスカした吸血鬼に叩きつけてやろう。
息まいた僕は、さっそく新井さんに電話をかけて――
……結論から言うと、新井さんからの返事は僕の予想とは違った。
実際には、タイミングが悪かったらしく電話では話せなかったけれど、そのあとで送ったメールにはすぐに反応があって、その返事はこうだった。
『お邪魔じゃなければ、マモっちたちと一緒がいいな!』
正直いえば、意外だった。
前々から、あんなに藤原と遊びたがってたのに。そのせっかくのチャンスに二人きりじゃないほうがいいなんてあるだろうか。
少なくとも、僕は吹那さんと二人きりのほうが嬉しい。
それとも、グループデートなるモノには、なにか僕の知らない深遠の秘宝的なサムシングが存在するとでも?
――いや、それはないか。
足元でノビている啓吾の馬鹿面を見てすぐに思い直し、僕はうーむ、と腕を組んだ。
……まあ、新井さんがそっちのほうがいいというのなら――僕にも、彼女に対してはお礼、というか感謝の気持ちがあるし、吹那さんからのお誘いでもあるわけだし。
いや、それでもやっぱり、吹那さんとの二人きりがよかったなあ。でもでも、我儘いって吹那さんに嫌われちゃったら嫌だし。やっぱりここは、男たるもの、ドンと器の大きなところを見せつけて――でもなあ。
気持ちのよい快男児でもなければ相手の心情を無限に思いやれるほど大人でもない僕は、ぐじぐじと内心で感情ごった煮のスープをぐーるぐるとかきまわしていて、
「う~ん」
いったい、どんな夢を見ているやら。
幸せそうな寝顔で唸り声をあげている友人を見下ろして、僕は溜息をついた。
……とにもかくにも。
今回のグループデートが成立した経緯は、だいたいこういったものだった。
「――なにか、考え事?」
かけられた声に、はっとなった。
テーブルに頬杖をついた神螺さんの友達――久城さんが、興味深そうこっちを見つめている。
吸血鬼というのは美男美女しかいないらしいけれど。目の前の久城さんも、その例にもれずにとんでもない美人さんなワケで。
そんな相手から注視されるというのはただでさえそれだけで緊張しまくるというのに、それに加えて彼女の眼差しは、なんというか――こっちを観察するというか、見定められてるというか。そういう、こちらへの遠慮がないものだったから、なんとなくお尻がむずがゆくなってしまう。
「いえ、ちょっと気になることが……。あれ? 久城さんだけですか?」
僕が座っているのはパーク内のとあるお店の、テーブル席だった。
お昼時にはどこのお店も檄混みしてしまうので、時間をずらしてブランチ的にお昼を済ませておいたほうがいい、という啓吾の熱い言い分――ここ数日、完璧な遊び方とかをネットで研究していたらしい――を受けて、早めの昼食をとることになったのだ。
実際、お店はもう混み始めていて(多分、時間とか関係なしに混んでいるんだろう)、注文式のカウンターにもけっこうな列があったから、一人は席をとって、それ以外のメンバーで注文に行くということに。
席とりジャンケンに負けたのが僕というわけです、はい。
……いいけどね、別に。
昔からこういう時に貧乏くじをひくのは慣れてるし。楽しそうに会話をしながら並んでいるみんなを恨みっぽく眺めているのも悲しくて、ぼんやりと考えごとをしているうちに、いつの間にか久城さんが戻ってきていたらしい。
他のみんなの姿はまだ列の半ばで、久城さんも注文し終わった雰囲気ではない。
どうしたんだろう、と不思議に思って訊ねると、
「ん。吹那に任せてきちゃった」
彼女はにこりとして言った。
「だって、一人じゃつまんないでしょ? 宇田飼クン、悲しそーにこっち見てるからさ」
うおお……。なんて、なんていい人なんだ。
さすが吹那さんの友達だ。感動してしまい、思わず泣きそうになった。
「大袈裟だなぁ」
「いや、でも本当に嬉しいです。ありがとうございます」
「ふふ。どーいたしまして」
……美人のする満面の笑顔って本気で凶悪だから困る。
あまりの眩しさ目線を逸らすと、列に並びながらこちらに冷ややかな眼差しをむける吹那さんと目が合った。
――僕は黙って目線を逆に逸らした。
「あはは。吹那、すっごい目で睨んでる! ほら、宇田飼クン、ピースしよ。ピーっス」
「ちょ、やめてくださいって。怒られちゃいますよ……!」
「いいんだってば。あんな風にわかりやすい吹那なんて、滅多に見られないんだから」
「そうなんですか?」
確かに、吹那さんはあんまり感情を表にだすほうではないかもしれないけれど。友達の前でもそうなのだろうか。
久城さんはこちらをちらりと見て、
「そうだよ? 別に、澄ましてるとかじゃあないけど、あんまり騒いだりするほうじゃないしね。なにかあっても、内に貯めこむタイプだし」
「それは――はい、わかります」
先日のあれこれを思い出してうなずくと、久城さんはふふっと笑った。
「そっか。そういうトコロも知ってるよね。彼氏だもん」
“彼氏”。
正面きって正式(?)な名称で呼ばれてしまうのはひどく恥ずかしくて、僕は真っ赤になって俯いてしまった。
久城さんがくすくすと肩を揺らした。
「やだ、そんなに照れないでよ。――うん。いい人だね、宇田飼クン。吹那が気に入ったのもわかるかな」
どちらかといえば、出会ってしばらくは嫌われてばっかりだったと思うけど――なにしろ、出会いがアレだったのだ――考え込んでいると、
「それで? 気になることって、なにか悩み事?」
久城さんは興味深々といった顔で身を乗り出してきた。
「吹那のことで悩んでるとか、機嫌を直すのにはどうしたらいいかとか? わたしでわかることならさ、相談のるよ」
「それはゼヒともお願いしたいところですけど。さっき考えてたのは、そういうのじゃなくて……」
「ありゃ、そうなの? ま、いーからいーから。他の悩み事でもさ、お姉さんに話してみ?」
「……あれ。久城さんって同い年ですよね?」
「そだよ。でも、わたし、誕生日が四月の最初のほうだからね。大抵、年上でしょ?」
まあ、確かにそれなら年上ではあるけれど。
僕はちょっと考えてから、
「ええと、僕の知り合いの、女の子の話なんですけど――」
「美雪ちゃんのこと?」
絶句してしまっていると、久城さんはおかしそうに笑った。
「宇田飼クン、わかりやすすぎ! 当てずっぽうなんだから、適当に流しておけばいいんだよ。――それで? 美雪ちゃんがどうしたの?」
僕は渋面になった。
友人Aとかではなく、本人だとわかったうえで、プライベートなことを勝手に話してしまうのはよろしくないだろう。
ただし――この話は、たしかに目の前の相手に相談するのがベストではあった。
だって、久城さんも吸血鬼なのだから。
「……新井さん、好きな人がいるんです」
「ああ、藤原センパイ?」
僕はますます渋面になってしまう。
久城さんが苦笑した。
「話の腰、折ってばかりでゴメン。でも、さっきの宇多飼クン以上にわかりやすすぎるってば。あんなの誰でも一目だよ」
それはまあ、その通りかもしれない。
それくらい、新井さんから藤原への「好き好き光線」はわかりやすかった。
朝からずっと嬉しそうにニコニコしていて、そのあまりの熱々っぷりは、新井さんのことを憎からず思っている啓吾のことが心配になってしまう。
その啓吾は、吹那さんや久城さんというとんでもない美人さん二人に鼻を伸ばしまくってるから、あれはあれでどうしようもないわけだけど。
「ええ、まあ。そうなんですけど。……どうして二人デートにしなかったのかなって」
「二人デート?」
久城さんは小首をかしげて、
「藤原センパイと美雪ちゃんがってこと?」
「はい。藤原……先輩と、電話で話して。新井さんが二人のほうがいいなら、そうするって。それで、新井さんに聞いたら、僕らと一緒がいいって。それが、どうしてだろうなって」
僕の話を聞いて、久城さんは視線をカウンター前で今まさに注文している新井さんへとむけた。
新井さんと藤原の二人は、傍目には恋人同士にしか見えないような仲睦まじさで、相談しながら食べ物を注文している。
新井さんが財布をとりだそうとして、それに藤原がなにかを言って、新井さんの頬がぽっと赤らんだ。表情には花のような笑顔。
……新井さん、楽しそうだ。よかった。
「――ああ、なるほど」
ほっと安堵しかけていた僕は、久城さんの声にぎょっとした。
鼓膜をふるわせたその音に、あまりにもわかりやすい感情が含まれていたから。
僕の視線に気づいて、久城さんが肩をすくめた。
そのまま口をひらく気配はない。でも、それで済ませるわけにはいかなかった。
「なるほどって。どういう意味ですか?」
「ん。んー、……可哀想だなって。思ってさ」
――可哀想。
僕は愕然として、それから、かっと頭に血がのぼった。
頭のよろしくない僕にだってわかる。
それは同情の言葉だ。
他人を憐れんで、思いやる台詞だ。
そして、その感情があの二人のうちのどちらに向けられているかなんて。あまりにもわかりきっているだろうと思った。
「それって――人間が、吸血鬼を好きになるのが、可哀想ってことですか」
語尾に感情がこもりそうなのは、友達が哀れまれたことだけが理由じゃなかった。他人事じゃない。僕だって、おんなじなんだから。
吹那さんのことを好きだという。この感情を哀れまれるなんて、冗談じゃなかった。
久城さんは、それまでのどこか軽妙だった雰囲気をどこかへ追いやって、静かにこちらを見つめている。視線はどこか遠くて、ふと、僕はこのあいだの藤原の声が思い出した。
「別に、そんなことはないよ」
久城さんは睫毛を伏せて、苦笑するように頭を振った。
「キミたちが、わたしらを好きになったって。別にそんなことで、哀れんだりなんてしないよ。だって、そんなのいくらでもあるから」
顔をあげる。
遠い眼差しが僕を見据えた。
「なにも特別じゃないんだよ。……吹那、わたしに聞いてきたけど。やっぱり、変かなって。そりゃ変だよ、って答えたよ? でもね、だからって別にわたしはキミたちのこと反対なんてしないし、好きにやればいいって思う。だって、そんなのいくらでもありふれてるんだもの」
彼女の口調には、こちらを哀れむ響きはなかった。
淡々と。つまらない事実を述べるように、
「宇田飼クン。キミは、吸血鬼じゃあない――じゃないよ? キミは、特別じゃあ、ないんだよ。吹那だってそう。あの子も、もちろん特別なんかじゃない。どこにでもいる人間の男の子と、どこにでもいる吸血鬼の女の子。そんな二人のありきたりな恋愛に、どうして怒ったり、気を揉んだりしなきゃいけないの?」
僕は、言葉がなかった。
かけられた言葉が侮蔑や反対、それに哀れみなら、感情のままに反論できたかもしれない。
だけど、今、目の前の美人さんからかけられた台詞は、そうじゃなかった。
本当に――ただ久城さんにとっての事実を述べているだけなのだということが、皮膚でわかったから。なにも言い返すことができない。
「でも、それじゃあ――どうして、」
どうして、さっきは可哀想だなんて。
言いかけた僕にむかって久城さんは黙ったまま、その眼差しにはじめて哀れむような色が浮かんでいた。その感情が向けられている先は――僕だ。
いったい、なにが。どうして。
大声をあげてでも問い詰めたかったけれど、久城さんはこれまでの会話を断ち切るように顔を逸らした。にこりと微笑んで、
「遅かったね。行列、凄かった?」
「お待たせしました~! いやあ、凄かったっす!」
お盆いっぱいに食べ物を載せた啓吾が席に戻ってきたところだった。吹那さんや、新井さんと藤原もこっちに向かってきている。
久城さんはさっきまでの会話なんてなかったかのように、啓吾と話をしている。
なにも言えず、なにも聞けなかったもやもやが胸のなかで広がって、僕は顔をしかめた。ぎゅっと唇をかみしめる。
「……護? どうかしたの?」
隣に座った吹那さんが声をかけてきてくれる。
心配かけないように、僕はあわてて笑顔をつくった。僕の分も買ってきてくれた吹那さんにお礼をいって、まわりとの会話に参加する。
そのあいだ、気のせいか、僕はずっと久城さんの視線がこちらに向けられているような気がしていた。
――哀れむような、その眼差しが。