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◇
決戦の日曜日。
待ち合わせの駅改札前で、僕はそっと天を見上げた。
秋晴れの空は目にも清々しく、心まで吸い込まれそうになる。こうしていると、ガヤガヤとうるさい周囲の物音さえ一気に遠のいてしまうような――まさに色即是空、空即是色。
「……なにやってるのよ、護」
勝手に悟りめいたものを開きかけていると、聞き覚えのある不機嫌な口調で声をかけられた。
あわてて顔をもどすと、そこにはいつものように不機嫌そうな吹那さん。
その姿を一目みた瞬間、思わず、うわぁ、と声がもれた。
今日の吹那さんは、シックなフリルシャツにチュールスカートという出で立ちだった。
上下ともに黒のコーディネイトで、重たくなりすぎるのを避けるためだろう、長髪をゆるくまとめ上げている。ワンポイントのバッグは明るい灰色のもこもこで、全体の印象をやわらげるのに一役買っていた。
相変わらずのお洒落さんだった。そして、とんでもなく可愛い。
「お、おはよう。吹那さん。今日も綺麗だねっ」
「ん。ありがと」
容姿について褒められるのなんて慣れているからだろう。吹那さんにはほとんど照れた様子もなかったけれど、口元にほんのちょっぴり微笑が浮かんでいて、それだけで僕には十分だった。
ああ、最高だ。
湧きおこる感情をかみしめる。
天気も上々、久しぶりに吹那さんと会えるだけでも幸せだというのに、これから何時間も一緒にいられるなんて、そんな幸福なことがあっていいのだろうか。
あ、だめだ。あんまりにも嬉しすぎて、足元がふわふわする。
なんてことだ。これは大変な新事実なのだけれども、僕のなかには空気より軽い気体が詰まっていたらしい。大丈夫か僕、爆発したりしないか?
というふうに、文字通り浮かれ気分だったわけだけれども。気になることがないわけでもない。
その気になることの一つというのが、
「…………」
さっきから僕の隣でガッチガチに緊張した様子で突っ立っている啓吾の存在であり。さらにいうなら、
「あー。たっくんだっ。おっはよー!」
これ以上ないってくらい満面の笑顔で、ぶんぶんと元気よく手を振る新井さん。そして、それに遠くからでもわかる嫌味なほどに爽やかな態度で応える藤原の存在でもあった。
……おかしい。
せっかくの吹那さんとのデートなのに、いったいどうしてこんなことに?
ただの偶然なのかな?
たしかに、それがどんなにとんでもない事態だろうと数学的にゼロではない以上、可能性は実現する。なんか、このあいだ見た映画でそんなこと言ってた気がする。
新井さんは以前、近いうちに藤原と遊びにいくようなことを話していたから、それが偶然、同じ日に同じ場所でバッティングするのはありえる。
啓吾は、あれだ。うん。
天気がいいから日光浴にきたとか。それか散歩とかね。
どうしてわざわざこんなところまで日光浴にくるんだっていうのは……ほら、啓吾だし。
そんなふうに、僕がなんとか目の前の現実に理由づけを求めていると――すっと、目の前に影がさした。
「うわ!?」
いつの間にか、見知らぬ誰かに顔をのぞきこまれていた。
思わずあとずさる。
ほとんど息がかかるくらい近い距離にいたのは、吹那さんとはまたタイプの違う、とんでもない美人の女の子だった。
猫科の、それも虎とか豹とか、そっち系の雰囲気をまとったその美人さんは、大きな瞳でまじまじとこちらを見つめてきていて。
なんとなく、獲物に飛び掛かる直前の肉食獣みたいな気配を感じとって、身構えてしまう。
にらめっこのような時間がながれて数秒、
「――ぷっ」
美人さんが小さく吹きだした。
そのまま、堪え切れないといったふうにけらけらと笑いはじめる。お腹をおさえて、とっても苦しそうだった。
「ちょっと。彌生」
吹那さんが怒ったように言うと、彼女――彌生さんというらしい――は、笑いの発作を抑えきれない様子で、
「あー、ごめん。ちょっと、びっくりしてさ」
笑いすぎて目尻をぬぐいながら、そこでまた僕と目があった。あははっと大きく笑い声をあげる。
どうやらこの人は、大変な笑い上戸らしい。
「彌生っ。もう、いい加減にして」
「ごめん! ごめんってば、ちょっと待って。いま、いま落ち着くから――」
それから目を閉じたり、深呼吸をしたりすること数分。
ようやく一心地がついたらしい(よくみれば、まだ肩のあたりはふるえていたけれど)彼女のほうを呆れるように見ていた吹那さんが、
「護。この子は久城彌生。私と同じ学校の、クラスメイト」
「あ、はい」
クラスメイトというか、普通に友人なんだろうな。と勝手に補足する。
「彌生? 彼は、宇田飼護。私の、――」
続けて言いかけた吹那さんの言葉がとまった。口をつぐんでしまう。
それを見た彌生さんが、にやにやと、
「私の? なぁに、吹那」
「……だから。私の、……カレよ」
うわ、吹那さん。顔が赤い。
やばい、犯罪的に可愛い。
そして、なぜかこっちまで恥ずかしくなってしまった。
「あはっ。吹那、かーわい」
再び笑いの発作に襲われたらしい自分の友人を軽く睨みつけて、吹那さんがためいきをついた。
「……やっぱり、彌生なんて連れてこなきゃよかった」
「あはは、ごめんってば。あー。笑ったなあ。――ごめんね、護クン」
急に名前を呼ばれて、どきっとする。
にこりと微笑まれた。
「初めまして。さっきから失礼でごめんなさい。一度笑いだすと、なかなか収まらなくって。――久城彌生です。護クンって呼んでもいいのかな?」
それとも、と、彼女は悪戯っぽく微笑んで、
「宇田飼クンの方がいい?」
なぜか僕ではなく、吹那さんに向かって訊ねた。
吹那さんは怒ったように一言、
「私に聞かないで」
二人の視線がこちらにあつまる。
理由はわからないけど、なんとはなしの緊張感があった。
「えと、宇田飼護です。はじめまして。呼び方は、……宇田飼でお願いします。なんか、緊張しちゃうんで」
「わかった。じゃ、宇田飼クンで。わたしのことは苗字でも名前でも、好きなほうで呼んで」
「あ、はい」
「自分は! 大江啓吾といいます! 宇田飼くんの親友です! むしろ心の友とかいて、心友です!」
それまでずっと沈黙していた啓吾が、突然、大声をだした。
「うわ、びっくりした! なんだよいきなり。っていうか、宇田飼くんって、今までそんな呼び方なんて一度も――」
「いやあ、今日は本当にいい天気だな、宇田飼くん! 天高く馬肥ゆるとはまさにこのことだな! ところで、どうして秋の空が遠く感じるか知っているかい? 理由は色々だが、一番の理由は大気中の水蒸気による屈折率の違いらしいぞ。つまり、」
「あああ、うるさい! わかった! おもいっきり緊張してるのはわかったから、落ち着け!」
壊れた機械のようにしゃべりだした悪友の口を無理やりに閉じさせようとするが、啓吾の勢いはとまらない。
そんな僕らをみた彌生さんはまた笑いの発作がおこったようで、けらけらとお腹をおさえていて、そんな友人の様子を呆れたように吹那さんがながめていた。
「やあ、おはよう。みんな、朝から元気だね」
そして、カオスな空間に颯爽とあらわれる、イケメンへたれ吸血鬼こと藤原。その隣には新井さんが、嬉しそうに腕組みしていた。
「はじめましての人もいるから、まずは自己紹介かな。藤原多津斗です」
「新井美雪でーす。よろしくねっ」
「とりあえず、こんなところにいてもなんだし。中に入ろうよ。ここじゃ、邪魔になっちゃうしね」
「はーい」
そういって歩き出す二人の後ろ姿は、どうみても仲の良い恋人以外には見えない。
新井さん、嬉しいだろうなあ。
彼女の心情をほんのすこしでも聞いたことがあるから、僕の内心は複雑ではあったけれど。新井さんの表情をみれば、本当によかったと思う。
「……今のが?」
「そう」
ささやくような会話の声。
なんとなく冷ややかな気配にそちらをうかがうと、先をいく二人にむけて、吹那さんたちが意味ありげな視線をなげかけていた。
彌生さんのほうが僕の視線にきづいて、にこりと微笑。すっと手を差し伸ばされる。
「あらためて。今日はよろしくね。――宇田飼クン?」
あ、握手かぁ、と。なんの疑問ももたずにこちらも手を伸ばして、相手に触れた瞬間。
ぞっと背筋がふるえた。
決して、強く握られたとかそういうことじゃない。
ただ、その少し体温が低めの滑らかな手に触れた途端、そこからなにか圧倒的な迫力をかんじとって、僕の全身には鳥肌が立っていた。
同時に、思い出す。
彼女は学校のクラスメイトだと、吹那さんはいっていた。
吹那さんの通っている学校とはつまり、彼女の同族たちの。吸血鬼たちの学校であるはずだ。
ということは、だ。
このとんでもない美人さんもまた、吹那さんや藤原とおなじく、吸血鬼に違いないのだった。
三対三のグループデート。
しかも、その三人が人間で、三人が吸血鬼。
いまさらのようにとんでもない現実が目の前で起こっていることを自覚して、僕は愕然とした。
そんな、こちらの表情からなにを読み取ったのか。ふふっとあやしい微笑を残して、彌生さんが去っていく。その微笑の意味するところについて考える間もなく、ばしん、ばしんと後ろから背中をたたかれた。
「いやー、楽しみだなあ! 護! お前の友達でよかったぜ、俺!」
はっはっはーと高らかに笑い、浮かれたスキップで前の集団を追いかける。啓吾は、どこまでも幸せそうだった。
幸せそうな新井さんをみるとこっちまで嬉しくなっちゃうのに、幸せそうな啓吾をみてもそうはならないのはどうしてだろう。
まったくもって不思議だ。
お気楽極楽な悪友の背中を苦々しく思いながら見つめていると、
「どうしたの? 護」
吹那さんから声をかけられた。
「いや、えーと。なんでもないです」
そう?と吹那さんは小さく首をかしげてから、
「それじゃ、行きましょ」
ほんのわずかな微笑をうかべて、そう言った。
……その笑顔はずるい。
本当に、ずるい。
そんな顔をされてしまったら、吹那さんと彌生さんの意味深なやりとりとか、啓吾が暴走しないかなあとか、そもそもどうしてこんな事態になったんだという根本的な疑問だとか。そんな有象無象は一切合切、どうでもよくなってしまう。
だって、目の前で吹那さんが笑っているんだから!
我ながら単純な思考ですべての懸案事項をソイッとおもいっきり投げだして、僕は吹那さんと歩き出した。
目の前には夢の国。
異種族交流的な謎のグループデートが、こうして始まったのだった。




