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女子高生吸血恋愛事情以下略。  作者: 理祭
デイト・ア・デート
21/26

 ◇


 俺の本気はまだまだこれからだぜ!とばかりに熱苦しくも居座りまくっていた夏が、それでもさすがにガス欠を起こしてしまうような日が増えていき、ようやく少しずつ秋らしさが感じられてきたこの頃。

 とはいっても、季節を彩る紅葉はまだ見られず。読書も別にはかどったりはせず。ご飯はいつだって美味しいよね、食べ盛りだもん。

 そんな折の、なんでもない一日。

 しかし、この僕にとっては、全然、なんでもなくなんかないのだった。


「ど、どうしよう! 啓吾、僕はいったいどうしたら!?」

「そうさなぁ。とりあえず、机の上でマッパにでもなってみたらどうだ?」

「わかった!」


 悪友の気のない返事に大きく頷いて、スラックスに手をかけながら勢いよく机にあがろうとしたところで後ろからおもいきり蹴り飛ばされた。そのまま机の角で顔面を痛打して、あまりの痛みに悶絶してから後ろをみれば、呆れかえって頬杖をついた啓吾の顔。


「なにすんだよ!」

「公然猥褻罪を止めてやったんだ、感謝しろよ」

「やれって言ったのはお前だろ!?」

「いいからちょっと落ち着けよ。お前が女子から悲鳴をあげられた挙句に停学処分になろうがどうでもいいが、目の前で粗末なもんを目の前で揺らされるこっちの身にもなれって」


 冷ややかな指摘に、はっとする。


「そうか。僕はいいけど、息子まで悪者にするわけにはいかないな……」

「そうだぞ。いくら出来の悪い銅鑼息子でこの先たいした使い道の予定もない奴だろうと、頑張って無駄飯くらって生きてるんだからな。せいぜい、他人様の迷惑にならないようひっそりとつつましく生きてろってんだ」

「そこまで言うことなくないか!?」


 大切な身内への誹謗中傷に対して、当然のように僕は憤慨した。


「こいつだって頑張ってるんだぞ! 毎日毎日、身体のなかから不要なものをだしてくれてるし、それに朝にはしっかり――」


 べしり、とスリッパが顔面に直撃した。


「……なんだよ、啓吾。今日はやけに対応がキツいじゃないか」


 もうずいぶんと長い付き合いになる悪友は、恨み節な僕の台詞に、ぴくりと眉を動かした。やれやれと首を振り、はあっと大きく息を吐くと、次に限界まで息を吸い込んで。


「当ッたり前だ、ボケェ!」


 大きく吠えた。

 物理的な衝撃をともなった言葉の塊が顔面を打つ。ついでに、盛大に唾が降りかかった。おおう、とおもわず僕が目をつぶってしまっているうちに、言葉は続いた。


「なにが悲しくて野郎からの“うれしはずかし初デート♡”の相談なんざ受けてやらんといかんのだ! どこに行くのがいい? どんなことを注意すればいいかな、だぁ? 全、身、全、霊、を込めて――知ったことかァ!」


 ほとんど血の涙を流すように絶叫する啓吾に、ふっと肩をすくめてみせる。


「やれやれ、困ったやつだなあ。そんなんだから、いつまでだっても彼女が出来ないんだゾ?」


 言いながら、ポケットからハンカチを取り出して顔をぬぐう。ちなみに、ハンカチの端には昨日、自分でやったばかりの刺繍文字が輝いていたりする。そこにある文字はもちろん、



『吸那命』



 ちょこっと不格好ではあるけれど、愛おしさ極まる自作の刺繍を撫でていると、目の前の啓吾が獣のような奇声をあげた。おそるべき瞬発力で飛び掛かってきて、そのまま僕からハンカチを奪取。あろうことか自分の口のなかにそれを放り込む!


「ば、馬鹿、なにやってるんだ! 啓吾!」

「うるひぇ! こんなもの、こうひてやる!」

「馬鹿! やめろ、せっかく昨日夜なべして仕上がったばっかりなんだぞ! 出せ! 出せってば……!」


 とんでもない悪食を成そうとする友人の口を無理やりにこじ開けて、ハンカチを吐き出させる。よかった。唾液にまみれまくってはいるが、ハンカチは無事だ。

 僕がハンカチ、というかそこにされた刺繍の無事を確かめているあいだ、啓吾は四つん這いになってひたすらオエーオエーとえずいていた。馬鹿め、おかしなことするからだ。


「ったく。いいから、相談に乗ってくれよ」

「やなこった」


 ぜいぜいと息を落ち着かせながら、拒否される。顔を背けて腕組みまでした啓吾は、どうあっても自分の言は曲げないつもりらしい。まあ、ある意味で男らしいと言えるのかもしれない。

 しょうがない。僕はため息をついて、


「わかったよ。それじゃあ、新井さんに相談するしかないか」


 ぴく。啓吾の身体が揺れた。


「新井さんなら、親身になって相談にのってくれるだろうな。彼女、いい人だし。あー、でも、啓吾が相談に乗ってくれなかったって聞いたら、驚くだろうな。女の子って、男同士の友情とかってけっこう好きだよね」


 ぴくぴくぴく。啓吾の全身が震えた。

 背けた横顔には、脂汗の一筋。

 僕はにやりとほくそ笑んで、わざとらしくそっぽを向いてみせる。


「あー、残念だなあ。せっかく啓吾のいいところを見せられるチャンスなんだけどな。でも、啓吾が嫌だって言うんなら――」


 がしっ、っと。止めの台詞を言い終える前に、僕の肩が力強く掴まれた。

 視線を戻す。


「俺に任せたまえ、心の友よ!」


 とってもいい笑顔をした漢の姿が、そこにはいたのだった。



 事の発端は昨日のメールにある。

 やりとりの相手はもちろん、神螺吸那さんだ。

 彼女と僕は住んでる場所も近くなければ、学校だって別だ。そんなことより、もっと根本的な“違い”が僕らのあいだにはあるのだが、それは今おいておくとして。

 彼女とのやりとりは大抵がメールだ。というか、それがすべてだ。

 電話はしない。

 だって前、着信拒否されちゃったしね……。

 さすがに、今はもう解除はされているとは思うけれど、電話口から響く吸那さんの声には普段以上に静かな圧があって、なんとなく電話をかけづらいっていうのはあった。

 まあ、電話だろうとメールだろうと、直接会えていれば些細なことではある。この場合、まさにそうではないから困ってしまう。

 この二週間近く、僕は神螺さんと会えていなかった。

 そもそも学校が違うのだから、会うとなれば放課後か週末かになる。ちょっと前、彼女が送り迎えに僕の家まで来てくれたことがあったけれど、それはあくまで非常事だからだった。

 前に彼女の学校に出向いたことはあった。だから、無理やり会いにいこうと思えば、できないことはないけれど。それはやっぱりできない。

 そんなことをして彼女に嫌われたくなかった。

 前に彼女の学校を訪れたのは、携帯も繋がらなくて、もうそれ以外に接点がないからという一か八かの行動だった。

 今はそうじゃない。

 多分、電話だってこちらからすれば、でてくれる(はず)。

 それなのにいきなり学校に押し掛けるというのは、さすがに迷惑すぎる。

 となれば、会えるのは週末になるわけで。

 けれど先週末は彼女に用事があったらしく、会うことができなかった。

 なんだ。たった一回、週末に会えなかっただけじゃないかと思われるかもしれない。

 なるほど、その通り。

 世の中には半年やそれ以上の期間、恋人と会えないのを我慢している人達だっている。なにを甘っちょろいことを言ってやがると、織姫と彦星のお二人からお叱りを受けるかもしれない。

 だが、考えてみて欲しい。

 僕が吸那さんと最後に会ったのは約二週間前、彼女の家でのことだ。

 そう。清閑な住宅街の只中で黒歴史確定の告白をして、あまつさえそれを彼女のお父さんに聞かれていたあの日以来。

 その後、高級住宅街にそびえる悪魔城、もとい一軒家に案内され、姉妹と間違えそうなほど若くてきれいなお母さんも含めた家族団欒にまじってしばらく過ごした。

 ……正直いって、家のなかに招かれてからの記憶はまったく、欠片も頭のなかに残っていない。

 死ぬほど緊張していたし、それ以上に頭のなかがパニックだった。

 心構えどころか、そういう事態におちいる可能性すら考えていなかったのは迂闊というほかない。でも、そのくらいあの時は必死だったのだ。

 吹那さんに会うこと、自分の気持ちを伝える事だけがすべてだった。

 だからこそ、彼女との縁をなんとか繋ぎ止めることができたわけではあるのだけれど――ほとんど真っ白な記憶にかすかに残る、ナイスミドルとしか言いようのない彼女のお父さんの姿を思い浮かべるだけで、震えがでる。

 映画にでてくる俳優さんみたいな渋いお父さんに、やっすいジーパンをはいて休日の早朝から自宅まで押しかけてきたくそガキが、いったいどんな風に映ったことか。

 それを考えると絶望したくなる。

 そして。その日以来、僕は吹那さんと会っていないのだ。

 あの日のことについて、後から吹那さんからなにか言われたわけじゃない。

 だからこそ、不安でたまらなかった。

 もしかしたら、吹那さんはお父さんになにか言われたんじゃないだろうか。

 あんな馬鹿そうなガキは駄目だ、とか。

 学生の身分でお付き合いなんて許さん、とか。

 いや、もっと、もっともらしい理由がある。

 すなわち――人間なんてもっての外だ、という。いわゆる種族的理由というやつだった。



 吹那さんは吸血鬼だ。

 漫画とか映画なんかのフィクションにでてくる、あの吸血鬼。

 もちろん、そういう映像作品にでてくる“吸血鬼”と、吹那さん達のような実際の“吸血鬼”はまったく同じというわけではない。吹那さんは日光の下でも生活できるし、十字架に怯えたりもしないらしい。ただ、伝承にでてくる“吸血鬼”とおなじく、血を求めることはある。

 そうした吸血行為――得血というらしい――や、得血行為が一般的になったなかでの、“吸血”という行為。つまりは彼らの「文化」について、僕はつい最近、そのほんの少しを知ったばかりだった。

 実際、吸血鬼と人間がそうした恋仲になることはとんでもないことらしく、彼女の両親がそれに反対しない道理のほうが、もはや存在しないといっても過言じゃあない。

 もちろん、あの日あの時、あの場所で宣言した通り、黙って引き下がるつもりは僕にはなかった。

 けれど、それだって自分だけの独りよがりじゃなんの意味もないわけで。つまりは、吹那さんがあの日のことについてなにも言ってきてくれないことに、僕は不安で不安でしょうがないのだった。

 メールでそれとなく訊ねてはみたものの、返ってくるのは淡白な短文ばかり。「お父さんたち、怒ってなかった?」と訊いてみても、返事は「別に」の一言だけだった。

 本当に怒ってないのか? 本当に?

 というか、怒るのを通り越して呆れられているのでは?

 なんならご両親と吹那さんとのあいだではもうとっくに話し合いが済んでいて、「あの馬鹿とは金輪際会わない」なんて約束事がなされているのかもしれない。

 このまま、自然消滅じみたまま彼女と会えなくなるなんて、冗談じゃない。

 彼女がそんな不義理をするはずがないって、わかってる。

 でも同時に、どうしても頭から拭えないのだった。

 ――あの日、僕の胸のなかで可愛く泣いていた彼女は本当に本物だったのか?

 あんまりにもしつこい残暑っぷりに、僕の脳細胞はとっくに破壊されてしまっていたのではないのか? 白昼夢のように、都合のよい幻を見ていただけじゃ?

 終いには自分の正気まで疑ってしまいそうになった挙句、僕は一つの決断をくだした。

 自分の正気を信じられなくなったらどうすればいい?

 誰か他の人に判断してもらうしかない。

 というわけで。

 昨晩、僕は震える指先でメールを打って、彼女に送ったのだった。



『今度の休み、遊びにいきませんか』



 神螺吹那という女の子は、煩わしいやりとりを好まない。

 それは会話だけじゃなくメールだってそうで、顔文字や記号の類を彼女が送ってきたためしはないし、相手に使われるのも好きではなさそうだった。

 だから、今回こちらが直球一本勝負で送った文章にも、返信は簡潔だった。



『わかった』



 その瞬間、それまで靄のように胸にあった不安や悩みは嘘のように吹き払われ、僕の心は飛翔した。

 単純? おバカ?

 好きに言ってほしい。

 実際、下の階の両親から怒鳴られるその場で踊りまくってたくらいだから、自分でもそう思わないわけでもないのだから。



 ……少なくとも、神螺さんが僕と会うことを拒否しているわけではないことを確認できた。

 冷静になった頭で考えた次の瞬間、とんでもないことに気づいた。

 これはもしかしなくても、“おデート”というやつになるのではないだろうか?

 いや、間違いなくこれはデートだ。しかも初デート。

 なんということだ。

 彼女との繋がりを確認することが目的のメールだったけれど、無意識のうちにとんでもないメールを送ってしまっていたらしい。

 なんと僕はデートのお誘いをしてしまっていたのだ。

 そして彼女はそれに了承してくれた!

 この時点で、僕は感極まって全身が震えきっていたが、すぐにその震えは別のものになりかわった。

 デート。

 なんという甘美な響きだろう。

 そして同時に、とんでもなく重い意味合いの単語でもある。

 残念ながら、今まで生きてきたなかで、女の子とのデートなんてほとんど経験したことがない(ほとんど、とつけるあたりが我ながら浅ましいものである)。

 どこか彼女に行きたいところがあれば、全力を以ってそれに応えるのにはやぶさかではないけれど、どうもそういった希望があるわけでもないらしい。

 つまり――これは、試されているのだ。男として。

 少なくとも、僕はそう受け取った。

 ならば僕には、全身全霊でそれに応じる義務がある。きっとそれは、国民の三大義務の次くらいには大切なものだと思う。

 決戦の週末まで、あと三日。

 それまでに当日の行き先、およびその日の様々なプランを考えないといけない僕にとって、頼れるものなら藁でもすがりたいというのが正直な心境で、その僕の前にいる藁というのが、したり顔で何度もうなずいてみせる啓吾なのだった。


「まあ、定番でいったら、やっぱあそこだろうなぁ」

「あそこって?」

「夢の国だよ。夢と魔法とリア充の王国だ」

「ああ、ディズニー?」


 千葉県にあるけど東京、なんて揶揄される世界的に有名なテーマパーク。実際に県境にあるので都内からの交通の便も悪くなく、僕や吹那さんの家からもそう悪い距離間じゃない。


「そうそう。行ったことくらいあるだろ?」

「馬鹿にするなよ。小学校の遠足でも行ったし、それ以外に何度もあるさ」


 ……小さいころ、両親に連れられてだけど。


「へえ。ランド、シー?」

「どっちも。ってか、啓吾こそ、なんだかやけに詳しそうなんだけど」


 訊ねると、啓吾は得意そうに胸を張った。


「へへん。聞いて驚け。年パス持ち様なんだぜ、実は」


 思わず、えっと声をあげてしまっていた。


「年パスって、年間パスポートのこと? あれって十万円くらいするんじゃなかった?」

「2パークでそれくらいするな。バイト代でなにを買うって、年パスのためにバイトしてるといっても過言じゃないぜ、俺は」

「へ、へえ……」


 まったくもって初耳だった。

 親友の意外な趣味に、なんとなく気おくれしてしまっていると、啓吾はにやりと笑って、


「ディズニーはいいぞう。個人的にはランドの方が好みだが、デートならシーのがいいかもな。落ち着いてるし、ゆっくりできるスポットも多いしな。中央の海のまわりを手を繋いで歩くなんて、めちゃくちゃロマンチックじゃねえか?」


 それは、確かに。

 啓吾の口からロマンチックなんて単語を聞くのは違和感ありまくりだけど、脳裏で吹那さんと散歩している図を想像してみると、大変けっこうなように思われた。ケッコーどころか、サイコーだ。

 啓吾の言うように、ディズニーデートもいいかもしれない。でも、大丈夫かな。吹那さんって、人混みとか大丈夫なんだろうか、と考えたところで、


「でもさ、啓吾。ディズニーって、なんだかジンクスみたいなのなかったっけ? ほら、デートで行ったら喧嘩しちゃうとか。そのまま別れる、みたいな」


 ふと訊ねてみると、なぜか啓吾は素知らぬ顔でそっぽを向いている。


「……啓吾?」


 胡乱な眼差しを投げつける。啓吾はようやくこちらを見た。にっこり笑って、サムズアップ。


「……頑張れ!」

「お前、絶対にジンクス通りに別れさせようとしてるだろおおおおお!」


 いい笑顔の悪友にむかって飛びかかる。


「どうしてそう、隙あらばこっちの足を引っ張ろうとするんだよ! 友達の恋路を素直に応援してやろうって気になんないわけ!?」

「なるわけあるか、ばーーーーーか! 俺はお前が地獄に落ちようとしてたらなんとしたって助けようとするが、天国に昇ろうとしてるんなら容赦なくその足を引きずりおろすぞ!」

「なんでだよ! あとから僕が蜘蛛の糸を垂らしてあげられるかもしれないじゃんか!」

「信じられるか! そんなら最初っから、俺も一緒に天国まで連れてけや! それ以外は絶対に認めねー!」

「無茶苦茶だ! そんなんだから新井さんに嫌われちゃうんだぞ!」

「なにをぬかす! 嫌われたきっかけをつくったやつがなにをぬかすか! お前は俺にでっけえ借りがあるんだ、それを忘れんな! 両耳そろえてきっちり返済するまで幸せになんてさせねえからな!」


 ぎゃーぎゃー、わいわいと取っ組み合う。

 ただでさえ教室中が騒がしい休み時間、気づけばまわりには大勢の冷やかしが集まってきていた。やいのやいのと大声を出して一方を応援し、他方を罵倒する。くわえて、なんとも遺憾なことに、応援の声は啓吾にむけられたものが大半で、おなじぶんだけの罵倒が僕には降り注いでいた。


「なんだよこのクラスは! ここは地獄かなにかか!?」

「応とも! ここは地獄よ、集い群れるは1Bモテナイズこと餓鬼の群れ! 決しててめえ一人を解脱させたりはしねえからなあ!? 一緒に輪廻しようぜ!」

「報われないにも程がある!」


 必死にあらがったが、圧倒的な数の暴力に僕はあまりに無力だった。

 とりかこんだ餓鬼の群れに小突かれ、蹴られ、取り押さえられてデコピンの刑に処されたあとで、ようやく僕は解放された。うつ伏せの格好で、背中にはまだ啓吾が座り込んでいたけれど。


「も、もう……いいよ。啓吾には金輪際、相談なんてしない」

「……お前ってやつは本当に馬鹿だな、護」


 頭上から降ってくる声は、なぜか哀しげで。


「なにがっ。馬鹿はそっちじゃないか」

「まだ、わかんないのか? 俺が――俺たちが、お前のためにやってるってのが」

「え――?」


 おもわず周囲をみわたす。

 どうしたことか、取り囲むクラスメートたちの表情も全員、よくわからない哀愁をただよわせていた。


「ど、どういう意味さ」

「俺たちはみな、憂いているのさ。夢見る級友が、いつその儚い夢から醒めちまうんだろうってな」

「夢……? 夢って、一体」

「モチのロン。さっきからお前が浮かれまくってる、おデートの相手のことだよ」


 啓吾がこちらを覗き込んでくる。その眼差しはどこまでも暗く、深い。


「考えてみろ。ある日街なかで美少女と出会ったなんて、そんなこと現実に起こると思うか? そのうえ、学校まで送り迎えにきてもらった挙句、今度はおデートだあ? 冷っ静に、考えてみろって。そんなことが、この現代日本でありうるか?」

「そ、それは。たしかに……」

「そうだろう? まだ森のなかで熊さんに出逢うほうが現実的ってもんだ。それとも、あれか? 高級な壺か絵画でも買わされようとしてんのか?」


 たしかに吹那さんのお家には高そうな壺も絵画も、どっちもあったような。いや待て、論点がずれてるぞ、僕。


「違う! 彼女は詐欺師なんかじゃない!」

「わかってる。わかっているさ、親友」


 啓吾が悪魔のような声で囁いた。実際、それとどっこいの表情なんだろう。見えないけど。


「お前を騙してるのは、その子じゃない。――お前を騙してるのは、お前自身だよ」

「なんだって……?」


 愕然とする。

 悪魔がつづける。


「『水槽の脳』って思考実験、知ってるか? 人間の認識なんていうのは、結局、脳がつくりだしただけの代物なんだぜ? どんな虚構だろうと、それが本物だって脳が認識さえしちまえば、お前にとってはそれが現実ってことになるんだ」

「幻……? 彼女が、僕の脳が作り出した幻だって……?」


 馬鹿な、と吐き捨てて、身体をねじるようにスラックスのポケットから携帯電話をとりだす。

 あわててメールの受信箱をひらいて、――あった。

 そこには間違いなく、吹那さんからの返信メールが残っていて。安堵のあまり泣きそうになりながら、その画面を悪友にむかって突き出してみせる。


「見ろ! 彼女は幻なんかじゃない!」


 勝ち誇る僕。

 だがしかし。

 そこで、さらに目の前の悪魔は哂うのだ。

 哀れむように。哀しむように。


「言ったろ、護。疑われるべきは彼女という存在ではない。お前という人間の認識だよ」

「なんだって……?」

「確かに、そのメールそのものは実在する。だがな、護。そのメールの意味までがお前の認識によって捻じ曲げられていないと、どうして思えるんだ?」

「なにを……なにを言ってるんだ、啓吾。もっとわかりやすい日本語で言ってくれよ、なにがなんだかさっぱりだよ!」


 僕の台詞はほとんど悲鳴じみていたのだろう。

 啓吾はそっとため息を吐いて。

 告げた。


「――いったいいつから、そのメールがデートの了承だと勘違いした?」


 雷が落ちた。

 冗談じゃなくて、そのくらいの衝撃がはしった。

 手に握った画面をみる。

 そこには昨日のやりとりが残っている。

 僕からのメールと、それに対する吹那さんからの返事。

 それは間違いなく存在する。なんならドコモさんが保証してくれる。

 だけど。

 だけど、その意味するところは、


「そうだろう? お前は彼女に『遊びにいこう』と言って、彼女はそれに『わかった』と言った。事実はそれだけだ。それを、うれしはずかし初デートなんてはしゃいでるのは、ただのお前の自分勝手な解釈ってだけじゃあないか?」

「そんな!」


 目の前の悪魔の言葉を否定しようと、僕はちぎれんばかりに頭を振った。


「そんな馬鹿な! だって、お付き合いしてる二人がどこかに遊びにいくだなんて、それってもうデートに決まって、」

「……確かめたのか?」


 啓吾が言った。

 あまりにも取り乱す僕に止めを刺すように、


「護。お前は口にだして相手に確かめたのか? お付き合いしましょう、と。それに対してはっきりイエスの返事をもらったのか? そうじゃなきゃ、お前の前提はぜんぶ崩れっちまうぜ?」


 ――確かめて、ない。

 あの日、僕と彼女が交わしたのは、そんなものじゃなくて。でも、彼女のやわらかい感触はたしかに僕はおぼえていて。

 それが自分自身の脳がつくりだした幻覚じゃないって、どうすれば証明できる?

 ……できない。できるはずがない。

 じゃあ、なにか?

 僕はこの二週間、ずっと勘違いしてたってことか?

 会えない会えないってずっと悶々としてたのは実は僕だけで、彼女のほうはまったく、なにも思ってなかった? それって、なんて壮大な独りよがり?

 ぽん、と肩に優しく手をおかれた。

 もうなにも信じられない気持ちで顔をあげれば、慈しむような顔の悪友。


「なあ、護。お前はまず、そのあたりからはっきりさせるべきなんじゃないか? 誤解も、勘違いもしない、自分自身の在り方ってもんをよ。そうすれば、おのずと次にお前がとるべき道も見えてくると、俺は思うぜ」

「……そうだね。僕はまず、そこから始めなきゃいけなかったらしい」


 震える手で携帯電話を操作する。

 ゆっくりと、誤字に気をつけながら、短い文章を打ち込んで――何度か見直してから、覚悟と共にそれを送信する。

 顔文字なんか使っている余裕はない。

 本題の前に小粋なジョークをしのばせる余裕だって、もちろんあるわけない。

 僕にできることは、ただ本心からの問いかけを小さな機械に託すことだけだった。



 『僕という存在をどう思いますか』



 返信はすぐにかえってきた。

 タイトルにはいつものとおり、なにもなし。

 内容も実にシンプルだった。



 『馬鹿だと思う』



 僕は泣いた。

 まわりでクラスメイトたちも泣いていた。



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[良い点] めちゃくちゃ面白かったです! [一言] 続編希望します|ω・`)チラッ
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