表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女子高生吸血恋愛事情以下略。  作者: 理祭
人を愛すべからず
18/26

  ◇


 近くにあるその公園は、競技場が近くに併設されてあるとても大きなもので、この時間にもたくさんの人がいた。

 春になれば、花見客でごったがえすんだっけ。いつか見たニュースを思い出しながら、彼女のあとをついていく。

 犬の散歩。ジョギング。学校帰りの二人連れなんてうらやましい組み合わせも見かける。

 そういえば僕らだって、まわりからはそう見えるんだよなと考えて、でも浮かれ気分にはとてもなれない。

 さっきから、彼女は一言もしゃべらない。

 背中には話しかけるな、というオーラがただよっていて、僕は黙って歩き続けた。

 残暑はまだまだ居座るつもり満々のようで、周囲の木もそれに対抗するように緑を生い茂らせている。ふと、今年は蝉の声をあんまり聞かないなとか、そんなことを考えた。


「――ごめんなさい」


 だから、つい反応できなかった。

 振り返った彼女がこちらを見ている。その彼女から発せられた言葉があまりに予想外すぎて、脳が理解するのに時間がかかった。

 彼女はいつものような険のある眼差しではなくて、こちらを見つめていた。

 あの晩によく似ている。けれど、瞳に酔っている雰囲気はなかった。いつもの彼女から、ただ険しさだけが抜け落ちた表情で彼女が言う。


「ソフトクリーム、食べない?」



  ◆


 きょとんと狐に騙されたみたいな顔で、こくこくと頷く。

 そう、と頷いて、私は視界に見えた販売所まで足を向けた。後ろについてくる気配。

 ソフトクリームが好きだというのは、あまり人に言ったことがない。別に何を好んでも悪いことじゃないんだろうけれど、子どもっぽい感じがして恥ずかしいと思っていた。私は見栄っ張りなのだ。

 でもたまに物凄く食べたくなるときがあるから、そうしたときには人の目を忍ぶようにしてこっそりパクついたりもする。

 注文したのは至ってノーマルなやつだ。ミックスとか、オリジナル風味とかが悪いとは思わないけれど。真っ白いバニラのうねうねが、私は一番いい。


「あ、じゃあ僕は、ミックスで」


 護が注文するのを待つ間、どこか食べるところはないかと視線を巡らせる。販売所のすぐ近くにテーブルがあるが、できれば木蔭があるところがよかった。直射日光は敵だ。私のではなく、ソフトクリームの。

 少し先に、ベンチがあるのが見えた。百メートルくらいだろうか。

 夏の終わりが近い。そう思った。

 肌に触れる空気の質が違うのは、ここが公園だからかもしれなかったけれど。含まれる湿度が違う。次の季節へ準備を進める木々の様子が違う。そうしたことに気づくのは、私の心境に変化があったせいかもしれなかった。別にどちらでもかまわない。

 夏が終わる。季節が巡るのは当然のことなのだから。

 歩きながら、護はソフトクリームを食べはじめていた。行儀が悪いと思ったが、まあいいだろう。てっぺんから一気に頬張っていく食べ方だって、他人がどんな風に食べようとそれは個人の自由というものだ。そんなことを思いながら、コーンの縁をぺろりと舐めた。

 そのベンチは、人の通る道から少し離れて、でも寂しさをおぼえるほど孤立してもいなかった。太陽の位置のおかげでちょうど木蔭が影をつくっている、そこに座って二人してソフトクリームへと取り掛かる。

 食べながら、護はなんだか居心地が悪そうにしている。


「ソフトクリーム、嫌いだった?」

「いや、そんなことは。ないです」

「私は好き。普段はあんまり食べないけど。だって、ちょっと子どもっぽいでしょう?」


 探るような目が、こちらを見た。

 なにかを言いかけて、口をもごもごさせて、結局なにも思いつかなかったのか、困ったように閉じる。その様子をじっくり観察して、私はくすりと笑った。


「言いたいことがあるなら、言えば?」


 わざとそう言ってあげると、ますます追い詰められたような表情になって、ソフトクリームに逃げた。相手の内心を量って、私は少し可笑しくなる。

 いつも自分がどんな風に彼を見ていたのか、自覚がないわけではなかったので、いきなり違った態度を取られれば困惑もするだろう。

 学校前で護の姿を見たときには、急だったのでいつものようにしようとも装ってみたのだが。そんなことを考える時点でもう“いつも”ではないのだから、すぐに馬鹿馬鹿しくなってしまった。無理にギスギスした空気を飛ばすこともない。

 今の私はとても自然だった。

 そうなれたのは、目の前にいる相手のおかげだということもわかっている。

 だから、言った。


「ありがとう」


 それを聞いた進退窮まったみたいに護が動揺した様子を見せるのがおもしろくて、私は時間をかけてその様子を見守ることにした。



  ◇


 なにかの罠か。

 いや、そうに違いない。

 可愛らしくソフトクリームを舐め取りながら、ありがとうなんて台詞を言われて、そう考えないほうがおかしい。

 いつもの険しさをどこかにやってしまい、うっすらと微笑まで浮かべてこちらを見ている。

 このあいだのような恐ろしさはない。とても可愛い。頭がくらくらするくらい。でも、なにかがおかしい。

 もちろん、彼女は彼女なんだけど。けど――


「私ね。お爺ちゃんっ子だったの」


 自分の中にある疑問がなにかわからないまま、彼女が話し始めた。


「お爺ちゃん、凄い頑固な人で。私には優しかったけど、家族にもそれ以外にも厳しくて。私がこんななのも、お爺ちゃんのせいかも。なんて言ったら怒られちゃうかもだけど」

「……人間嫌い、とか?」


 彼女はそっと頷いた。口元に微笑のまま。


「――でも、私にも仲良くしてくれる人はいたわ」


 人、というのはこの場合、文字通りの種族を指しているのだろう。


「その人、昔から両親と関わりがあって、それで、私のことも本当の娘みたいに可愛がってくれたの。私も大好きだった。人間だったけど。だって子どもだもの。人間とか吸血鬼とか関係ない。本当に、好きだった」


 懐かしむように言って、笑う。


「お爺ちゃんが亡くなったのは私が小学六年生のとき。――吸血ってのが、特別な意味を持つっていうのは、話したかしら」


 話題が飛んだ。とりあえず僕は頷いておく。正確には、彼女からじゃなくて藤原から聞いたんだけど。


「そう。……それまで、私はお父さんの血を吸ってたわ。まだ相手がいないあいだは、家族から吸わせてもらうのが一般的。普通は、お母さんの血をもらうことが多いんだけど――それはいいわ。それで。二次成長期のころから、ちょっとずつそれが変わる。恥ずかしくなるの。血を吸うって、私たちにとってはそういうことなの」


 二次成長期というのは、つまり中学生くらいからの成長期のことで。女の子はたしかもう少し早かった気が――


「お爺ちゃんが死んじゃって、悲しくて。大好きなその人が一生懸命、私を慰めてくれて。――私、その人に襲いかかって、血を吸ったわ」


 なんでもないことのように、彼女は言った。

 息が止まる。

 彼女を見る。

 彼女は笑っていた。なんでもないことのように。

 そうして僕は気づいた。

 ように、なんかじゃなくて。本当に――「なんでもない」のだ。


「その人は私を責めたりなんかしなかった。吸血鬼のこと、わかってる人だったから。でも私はショックだった。なんで自分がそんなことしたのかわからなかったから。そういうんじゃないと思ってた。今でも、そう思ってる。多分、お爺ちゃんのことがショックだったり、他にも色々あって、それで。でも私がしたことは変わらないわよね。私は自分で理由もわからないまま、血を吸ったの」


 ああ。つまり、それが――彼女が血を吸うのを嫌がってた理由。

 幼いころからきっと人一倍プライドの高かったのだろう、彼女が自分を恥じて。だからそれ以来、誰からも血を吸わなくなった。

 ――このあいだまで。

 体温が一気に冷えたような気がした。


「得血しない吸血鬼は死んでしまう。吸血しない吸血鬼は狂ってしまう。だから、いつまでもそんなじゃ駄目だって思ってた。でも、どうしても出来なかった。血を吸うことに関わるなにもかもが嫌だった。お母さんの血を吸わないお父さんとか、ろくに自制もせずに何人からも血を吸う最近の連中とか。何もかもが嫌いになって。でも、一番嫌なのは自分だったの」


 正直に言えば。彼女の苦悩が僕にはあまり理解できなかった。

 だって、それらは全部、自分にはないことだったから。生まれ育ちとか文化とかじゃない。もっと根本的な違いだった。

 僕にはその苦しみを想像することしかできない。それで彼女が納得できるくらいの想像ができるかという、自信もなかった。

 ただ、


「だから――ありがとう」


 にっこりと微笑んで言う彼女の本当に伝えたいことは、はっきりとわかってしまった。



  ◆


 凍りついたようにこちらを見る護に、私は自責の念を抱いた。

 言い方が、不味かっただろうか。

 彼を責めるつもりは毛頭なかった。護は何も悪いことはしていない。

 あの夜の私は限界だった。四年間我慢し続けてきた衝動が意識を喰いつくし、ほとんど狂いかけていたんだろうと思う。それを救ってくれたのは間違いなく、護なのだった。責めることなどできるはずもない。

 吸ってもいいよ、と。護はそう言ってくれた。なんでもないことのように。

 私はそれが悲しかった。

 怒りはない。ただ悲しく思った。

 私が四年間、抑えに抑えてきたものは、そのたった一言で解放されてしまう程度のものだったのだ。

 なんでもないことなのだ。彼らにとっては。

 だけど、それ以上にもっと悲しかったのは――それを聞いて、何より大きな喜びを感じた自分自身だ。

 嬉しかった。許されたことが。我慢しなくてよいことが。

 そして。私は護の血を吸った。好きでも、特別でもない相手の血を吸ったのだ。

 昔の自分と同じように。昔のように、そのことで嫌悪感を抱きもしなかった。大人になったのかもしれない。それが成長なのか磨耗かはともかく。

 つまりは馬鹿馬鹿しい事実ということだ。当たり前の、何をいまさらというような。

 たったそれだけのこと。

 ――私は吸血鬼だ。


「――待って!」


 真剣な表情で護が言った。


「別に、僕はそんなつもりじゃ……! だって、あのときは――いや、そうじゃなくてっ」


 苛立たしく頭を振る。私はそれを穏やかに見つめた。

 目の前の男の子が、まるで昔の自分のように思える。いろんなことに納得がいかなくて、もがいている。

 懐かしいと思う。愛おしいとさえ思えた。だが、それ以上の圧倒的な感情が、今の私の中には溢れている。


「だって! 僕は、神螺さんのことが――」


 護の唇をそっと抑えた。


「……それは、もう前に聞いたわ」


 勝手なことだと承知のうえで、もし自分の希望を押し付けることができるとしたら。

 そのくらい――大事にして欲しかった台詞だった。

 言葉を失う護から手を離し、私はベンチから立ち上がる。


「さよなら」


 声を残して歩き出す。

 吸血鬼の聴覚は、望まなくたってとても優秀だけれども。後ろから追いかける声も足音も、鼓膜に聞き取ることはなかった。



 公園の入り口に車を見かけて苦笑してしまう。運転席から出てきた不二が、いつものように扉を開けてくれる。


「――宇多飼様は」


 黙って首を振る。それだけで不二は了解してくれた。


「かしこまりました」


 エンジンを吹かしかけて、ふと彼が顔を上げる。


「少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 私は頷いた。

 トイレかもしれない。そうじゃないかもしれない。わざわざ訊ねるようなことでもないだろう。

 不二が外へ出て、彼を待つ間、私は膝を抱えていた。

 目を閉じる。そうすると思い出すのは護のことだった。

 不二が戻ってくる。

 静かに車が動き出す。膝を抱えたまま、私は言った。


「不二」

「はい」

「――ごめんなさい」

「……いえ」


 やりとりはそれだけで終わって、私はまた護のことを考える。

 別れ際の彼の表情。食べていたアイスクリームと、その味。

 舌に思い出したのはバニラの味ではない。日焼けした肌と伸びた首。はだけたシャツから見える、跡。

 ――とても美味しそうだ。

 別離に際し、私の頭にあったのはただ赤い鉄の味のことだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ