表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女子高生吸血恋愛事情以下略。  作者: 理祭
人を愛すべからず
16/26

  ◆


 街に着き、不二には周囲を流すように指示して自分は街中を走った。

 もう、嫌になるくらいに。

 日が落ちてもまだ涼しさの訪れない夜の街を、走りにくい革靴で。

 中心街には大勢の人間が群れていて、気分の酷さがますます悪化する一方だった。頭痛も治まらない。匂いが鼻につく。数え切れない人間の汗と、体臭。化粧と香水のごちゃまぜになった空気に、吐き気がする。

 ネオンがまるで誘蛾灯のように視界に舞を描いている。残像がそのまま残り、文字をかたどるように色を灼く。

 雑踏の声は、どれもこちらを哂っているようにしか聞こえなかった。

 苛と、痺れが発する。十本の手先と十本の足指、十万本の髪の毛先その他体中のいたる所から、苛々と微弱で確かな電気が生じる。体中に虫が這うような悪寒。吐息が漏れた。ひどく熱い息だと、自分で知れた。

 走り続け、立ち止まる。息切れはなく、ただ目の前の信号機が赤だったから止まった。赤。


「――――」


 こちらへ向けられた音に振り返ると、軽薄な顔面がなにかをさえずっていた。

 うるさい、と思う。


「うるさい」


 思ったとおりに声が出ていた。驚いた顔になった目の前の誰かが、なにかを言いかける。その顔を真っ直ぐに見つめる。

 相手はすぐに黙りこんだ。

 信号が青に変わる。歩き出す。少しは風が心地よい。走ればもっと気持ちいいだろう。縫うようにして駆けた。のろまな通行人達をかわしながら踏破する。

 爽快だった。

 依然、頭には疼痛がこびりついている。心臓の鼓動のように、ずきんずきんとテンポを刻んでいる。

 不快で、不愉快だ。ふと思った。私は、何をしているのだろう。 

 ずきんと痛む。ああ……護だ。あの馬鹿を、探さないと。

 ――探して、何をするんだったか。

 赤。

 ……どうして探す? 赤なら、ここにいくらでもあるのに。

 赤、いや、緑だ。信号は緑。渡ろう。

 また赤い。ネオンだ。違う。単色じゃない。街には色とりどりの光が溢れている。赤。

 ――赤。

 バンッ。

 まぎれるように響いたその音。雑踏に溶け込んだそれは、騒がしい街中にあってはっきりと異質だった。周囲の誰もが、一度は足を止め、顔を向ける程度には。しかし流れはすぐに再開する。

 私はその方角に向けて走り出していた。ただの勘違いかもしれないが、そうに違いないという確信があった。視界には、赤がちらついている。

 繁華街を抜け、高架線を走る鉄道の轟音を聞きながら、走る。

 今までうるさかった周囲が嘘のように静かだった。街灯も少ない。ただ赤い。その中を走り、ふと鼓膜にわずかな声を聞いた。見知った何かの声。口元が歪む。頭が痛い。

 光が瞬いた。

 いくらか距離があったが、地上に太陽が生まれたかと思うくらい鮮明な光だった。

 暗闇が駆逐され、世界が昼間の影を見せる。

 今度こそ絶対の自信を抱いて、私はその発光源へと向かった。――いた。放置された私有地の類だろうか、そこそこに広がりのある空間の奥、護と藤原が地面にへたり込んでいる。

 ――赤。

 全身に、赤が滲んでいた。服もボロボロで、怪我だってしているだろう。だが、そんなことはまるで目に入らない。

 赤が出ていた。赤が。赤。

 頭の痛みがいっそう強まり、それと反比例するように心が落ち着いていく。

 もう一度、考える。私は何をしにここにきたのだったか?

 問題ない、と答える。自分のなかの自分に向けて。

 何をしたいのであれ、したいのであればすればいいのだ。

 空気を吸う。そうすれば次には吐きだすように、それはとても自然なことだろう。



  ◇

 

「――――」


 なにも聞こえなかった。だけどなにかがあったことを、僕は背後の光源ライトが音を立てて割れるので知った。

 光が消え、暗闇が訪れる。


「――え?」


 なんで? 後ろを振り返ろうとして、ぐらりと世界が歪んだ。

 やばい、疲れすぎたのかな。

 隣の様子に目がいった。なんで、ともう一度思った。

 はっきりとした苦悶の表情を浮かべて、吸血鬼は耳を押さえていた。

 まるで、爆音でも響いているみたいに。

 でもそんなの僕には聞こえない。高架線を通る電車は今はなくて、周囲には他に何も、誰も――視線が、口を開いている女の子で止まった。

 息を吐くような姿勢で、彼女は口を開けていた。呼吸には、不必要なくらいの大きさに。


「逃……、ろ……!」  


 声。まるで遠いその声が、至近距離から言われているのに気づく。ほとんどずっと浮かべていた笑顔のかけらもなく、吸血鬼の男が言った。

 逃げる? いったい、誰から。


「え?」


 と言ったつもりなのに、聞こえない。

 それで、周囲になにかが満ちているのだと、ようやく悟った。

 気配。いや、無音の音。

 それが不意に消えた。一緒に、神螺さんも口を閉じている。

 ということは、彼女がなにかしていたのだろうか。

 無表情だった彼女は、顔に笑顔を浮かべていた。いつもの不機嫌さなんてどこかにいってしまったような、とてもすっきりとした素直な微笑。

 それを僕は、とても怖いと思った。


「どういうことだよ、今の。――神螺さんがやったのか? 吸血鬼の特殊能力っ!?」

「……彼女はちょっと、叫んだだけさ。君には聞こえなかっただろうけれど」


 やけに小さい声で、男が言った。

 叫んだ。あの神螺さんが? いや待て、問題はそんなことじゃない。


「叫んだって……。いや、いやいや! そんなのでランプ壊れないだろ!」

「吸血鬼のヒステリーは強烈なんだ」

「説明になってねー!」


 大声で突っ込んだはずなのに、その自分の声が遠かった。ああ、耳がおかしいんだ。といまさらながらにわかる。


「え、あれ、怒ってるよね。というか錯乱してるようにしか見えないんだけど。あんたのせいなんだよな、僕のせいじゃないよね?」


 にこにこと神螺さんは笑ってる。けど、とても普通には見えなかった。

 酔ってる? うん、なんだかそんな感じ。


「まあ、僕のせいなんだけど。君のせいってのもある」

「なにが!」

「彼女、血を吸ってないんだよ」


 ――血?

 僕達のやりとりを見守るように、彼女は笑っている。男が続けた。


「君、吸われてないんだろう。不思議に思わないかい。どうして血を吸われないんだろうって」

「そりゃあ――」


 思った。それまでは考えもしなかったけど、今日、新井さんに話を聞いて、すぐに思いついた。


「決まってる。我慢してるのさ。彼女が何でそうなのかはしらないけど、そういう吸血鬼がたまにいる。人間社会に毒されすぎて、って言われてるけどね」

「でも、血を飲まないわけじゃないんだろう? 輸血のヤツ、とか――」

「得血が僕達が生きるために必要なことなら、吸血は僕達が自分達でいるために必要なものなんだよ。慎め、隠せ、だなんていうのはよく言われてるけどね。失くせ、なんて誰も言わないんだ」


 視線を遠くの彼女から外さないまま、


「ものすごいストレスなんだよ。だからそういう吸血鬼は、たいてい早死にする。――狂ったりしてね。そんなことは彼女の家族だって承知のうえで、色々心配だってしているだろう。で、問題なのは、その彼女の近くに人間の君がいることさ。血を吸わまいとしている吸血鬼が、どうして人間なんかと一緒にいる? それはとても不自然なことだと思うだろう?」

「――それは。でも」

「君のことが好きだから。とかなら美談にもなるんだけどね」


 胸の中を見透かすように、男は言う。


「残念ながら、それはないよ。君、自分に向けられてるあの笑顔が、そういうものに見えるかい」


 聞かれて、もう一度彼女を見る。

 にこにこと微笑んでいる。その僕を見る穏やかな眼差しに――心の底から寒気がした。


「……だから、僕の失態だよ。まさかここまで切羽詰ってるとは思わなかった。ちょっと焚きつけてあげれば、すぐに吸血行為に出ると思っていたけど、こんなふうになっちゃうとはね」

「それって。じゃあ、僕の血を狙ってるなんていうのも」


 嘘か。彼女に僕を襲わせるための。


「まあ。見てて危なっかしいと思ったから。けど、こうなったら話は別だなあ。彼女、君のこと殺しちゃいそうだし」

「……は?」


 今度こそ、相手がなにを言ってるのかさっぱり理解できなくて、聞き返す。


「いいからさ。君はさっさと逃げなよ。もし彼女が落ち着くようなことがあれば、後日、また話をしよう。今回のは僕の落ち度なんだから、逃がすくらいはしてあげるよ」


 いや、だから。どうして僕が神螺さんから逃げ出さないと。


「――ああ、そういうことだったんですか」


 それまで微笑を浮かべたまま沈黙していた彼女が、口を開いた。


「そういう暇つぶしだったんですか。ちょっと可哀想な同族がいるから、カウンセリングでもしてやろうかって。そういう」

「……まあ、そうなるかな。余計なお世話だけどね」

「本当に、そうですね。不愉快すぎます」

「そうだろうね」


 口調だけは穏やかな彼女の言葉に、表情をひきつらせて答える。こちらを見て、


「今の彼女がヤバイのは、見てわかるだろう。ほら、早く――」


 その顔面を殴ってやった。

 無言でうずくまるイケメン吸血鬼。あ、やっぱり弱い。


「な、なにを」

「うるさいアホ。ようするに、あんたが変なちょっかいだしたのが悪いんだろ。なら、黙って殴られとけ」


 涙目でこちらを見上げるそいつに言い放って、僕は顔を上げた。


「これは、僕と彼女の問題だ」


 きっぱりと宣言する。


「だから、もうそういう問題じゃ――」


 まだなにか言ってくるヘタレ吸血鬼に蹴りを一発。完全に沈黙するそいつは放っておいて、僕は彼女と向き合う。


「私と護の問題?」

「うん。とりあえず、こいつは関係ない。だから、僕と神螺さんの問題でしょ」

「そうね。そうなるのかしら」


 小首をかしげ、彼女がゆっくりとこちらに近づいてくる。


「でも、いい機会かもしれないわね。私もあなたに改めて言っておきたいことがあるし」

「うん。なに?」

「私、あなたのこと大嫌い」


 にっこりと、彼女は言った。


「はじめて出会った時から。馬鹿だし。気が利かないし。スケベだし。話がつまらないし、空気を読めないし。馬鹿だし。デリカシーないし」

「今、馬鹿って二回言ったよね」

「そうやってどうでもいいところでつっかかるし。本当、苛々する」

「……うん」

「相性が悪いのよ。多分、世界で一番。一緒にいるだけで、一緒の空気を吸ってるだけで――もう本当に、苛々するの」


 こうズバッと言われると逆に気持ちがいいね!

 ……そんな風に思えたら楽なんだろうなあ。

 容赦ない言葉に泣きたくなりながら、それでも僕は彼女から目を離さなかった。

 いつのまにか、彼女の表情が変わっている。

 爽やか過ぎる微笑から、一言いうたびに険が増していく。眉が寄り、目が細まり、口元が厳しく。いつもの彼女の表情に戻っていく。

 それは、なにか言えば言うほど、自分の本心から遠ざかっていく。そんなもどかしそうな表情に見えた。

 だから、僕は言った。


「血、吸っていいよ」


 僕の直前まで近づいた彼女が、動きを止める。

 切れ長の瞳が驚きに見開かれて。

 僕はそれをまっすぐに見つめ返す。


「――そう」


 熱の醒めた口調で言って。彼女がもう一歩、近づいた。

 ふわりととてもいい匂いがする。


「……汗臭い」

「……ごめんなさい」


 痛みは、思ったよりなかった。

 緊張して感じられなかっただけかもしれないけど。

 注射みたいなチクリとした感触以外、彼女の香りと、少し高めの体温以外まるで感じられなかった。

 ふらり、と頭が揺れる。

 うわ、失血しすぎかと思って、そういえば首筋って頚動脈あるよなあなんて思いつき、最後に地面で気絶してるヘタレ吸血鬼の言葉を思い出した。殺しちゃうかもしれないし。

 ――まあ、いいかな。

 なんだかとても疲れた。今はただ、彼女の匂いが嗅げればそれでいいや。なんてちょっとセクハラっぽいことを考えているうちに、彼女が体を離した。

 支えを失って、僕はあっさりと膝をつく。

 自然と見上げた格好で見て――凍りついた。

 今にも泣き出しそうに、彼女は僕を見下ろしていた。


「……バカ」


 擦れきった声と、その色ざめた表情を見て悟った。

 僕がしたのは――一番やっちゃいけないことだったんだ。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ