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女子高生吸血恋愛事情以下略。  作者: 理祭
人を愛すべからず
15/26

  ◇


 貞操(?)の危機に際し、頭はあくまでクリアだった。

 悲鳴を上げる直前のように息を吸い、口から吐いた声にのせたのは絹を裂くようなそれではなく、


 ヴウウウウウウウっ


 耳障りなハウリングが室内に鳴り響いた。

 びくりと、目の前の吸血鬼が大げさに身をすくめる。

 マイクとスピーカー間で増幅された不快な音響は、もちろん僕の耳にだってうるさかったけれど、相手の反応はそんなものじゃなかった。雷でも落ちたみたいに、思いっきり顔をしかめて、睨むようにこっちを見ている。

 確かな効果を確認して、僕は内心で大きく頷いた。よし、と気合を入れて、


「あ、ごめんごめん。――そうだな。もういいよな」


 時計を見る。八時過ぎ。

 家には啓吾の家に泊まるって嘘の連絡を入れてあったけれど、既に外は真っ暗だ。これ以上、待つ必要はない。


「歌う気がないなら、出ようか、吸血鬼。最後の勝負だ」


 一曲しか歌わないで部屋を出て、代金を払って外へ。

 エレベーターのなかで、僕と吸血鬼はお互いに無言だった。

 相手の視線は僕の背負ったバッグに向けられている。

 さっきのは、さすがに怪しかったかもしれない。けど、どうしても必要だった。そういうものだって聞いてはいても、実際の効果もわからないのに賭けにでることなんて出来やしない。そんなのは勝算なんて言わないだろう。

 僕らは鉄道の高架線向こうまで歩いた。

 こっち側とあっち側で、繁華街が綺麗に終わっている閑散とした夜の空間。ここなら、多少暴れたって人の目にはつかないはず。まあ、その分ガラの悪い連中が出没したりするわけだけど。

 寂れたオフィス街、みたいな暗がりの広っぱに着いて、僕は後ろを振り返る。


「ここが、最後の舞台というわけかい?」


 訊ねてくる吸血鬼の表情に、いつの間にか真剣さが加味されている。


「鬼ごっこでもしようってわけじゃないよね。そういうゲームって認識で、いいのかな」


 ぞくりとする口調に、たとえやせ我慢でも不敵に笑ってみせる。


「ああ。あんたが血を吸えるかどうか。そういうことさ」


 はあ、と男が息を吐いた。


「色々考えたり、準備したりしてるようだけどね。今までの流れでまだわからないのかな。僕達と君達が違うってことに」

「その人間達に寄生して生きてるんじゃないか、あんた達」

「もちろんそうさ」


 男は言った。


「勘違いしないで欲しいな。この地球の支配者は、君達だよ。宿主を殺すガン細胞みたいな、その集団性が君達の武器。だからこそ滑稽だと言ってるんだよ。たった一人で立ち向かおうなんてしてる君のことがね」

「ケンカってそういうもんだろ」

「その認識が思い上がりだと、言ってるのさ」


 男が動いた。

 走るのでもない。構えるのでもない。無造作にこちらへと歩いてくる。


「背中のそれは使わないでいいのかな? あんまり危ないものじゃないと、嬉しいんだけど」

「安心しろよ。僕だってこの年で人殺しなんてなりたくない!」


 相手、吸血鬼だけど。

 拳を握り、僕は正面から相手を迎え撃つ。

 格闘技の経験なんてもちろんない。見よう見まねで構えたファイティングポーズから、すぐそこまで近づいた相手に右ストレートを繰り出す。あっさりかわされた。


「遅いよ」


 相手の右手が、近い。額を捕まれ、無造作に突き飛ばされる。

 体が浮き上がる感覚。

 悲鳴をあげる間もなく、僕はそのまま後ろに飛んでいった。ごろん、がつん。なんとか頭だけはガードして二転三転、ようやく体が止まったことにほっとする。

 擦ったり打ったりで体中が痛い。けれど、我慢できないほどのものじゃない。

 立ち上がりかけて、暗闇の向こうに立つ相手との距離にぞっと血の気が引いた。

 吸血鬼は五メートル以上離れて立っている。

 それはつまり、僕がそれだけの距離を吹き飛ばされたということで。あいつは、ほんのちょっと押すくらい、軽くやっただけにしか見えなかったのに。

 恐ろしいのは、それが熟練の合気道とかそういう巧みで成せるものではないってことだった。

 純粋な力。

 子どもがぬいぐるみを投げるような、ただそれだけだ。


「けっこう難しいんだよ。壊さないようにっていうのは」


 遠くから、その男は肩をすくめて言った。


「だから――壊れない前に降参してほしいな。僕も、君の命なんて欲しいわけじゃないからね」 


 震えだしそうになる膝を、掴んで黙らせる。

 これくらい、さっきまでのゲームでわかってたことじゃないか。相手は見た目こそ優男でも、その中身はプロのアスリートとなんら変わりはしない。言ってみれば、今、僕の目の前には現役バリバリの格闘家がいるようなものだ。

 そんな相手にまともにぶつかって勝てるわけがない。僕は別に格闘技の勝負をしてるわけじゃあないんだから。

 背中のバッグをとって、そのなかに手を伸ばす。さっきの転倒で暴発なんかしやしないかとひやひやものだったけど、なんとか中身は無事だった。

 詰められたタオルにくるまって、ごちゃまざに入れられたそれらのなかから、一つを取り出す。へえ、とそれを見た遠くの吸血鬼が目を細めた。


「スプレー。ああ、痴漢撃退用の? 考えたね」

「蚊除けスプレーにしようか迷ったけどね」


 手に持ったのは相手の指摘どおり、護身用に販売されている、しゅっと吹きかければアンモニアにも似た異臭が噴出されるヤツ。

 にしても、ほんっと呆れる。よく見えるもんだ。こんなに暗くて、あんなところから。

 だけど。だからこそ――、だ。


「自分に試してみたら、三十分くらいマジで涙が止まらなかったよ。こんなのくらったら大変だろうな。あんた達」

「……そうだね」


 全ての感覚に優れる吸血鬼だからこそ、苦痛は僕以上のはずだ。

 神螺さんもにんにくは嫌いだって言ってた。漫画のように、弱点ではない。けれど、苦手ではある。

 人間が考えるよりちょっと便利で、ちょっと不便な存在。

 それだけだと彼女は言った。

 吸血鬼だって万能の生き物じゃないんだ。ちゃんと苦手なものもあるし――優れているからこそ、突ける弱点だってある。これだってその一つだ。


「どうする? 降参するなら聞くけど」

「まさか」


 短く言い捨てて、吸血鬼が近寄ってくる。その表情に警戒の気配はあっても怯える様子はない。舌打ちしながら、僕は男に向かってスプレーを突き出して、


「――当たらなければいいだけの話だしね」


 噴出された先に、相手の姿はなかった。

 なぜか後ろから聞こえる声。

 そちらを振り向く前に、また引っ張られて世界が回転する。

 嘘だろ! と頭のなかで悲鳴をあげながら、頭ガードと、今度は手に持ったスプレー缶も離すまいと必死だった。

 ごろごろごろり、ふらふらふらりと立ち上がる。

 もしかしたら僕には類稀な受身の才能でもあるのかもしれない。今度も、体があちこち痛むけれど、なんとか無事だった。スプレーも、ある。

 ただ、チャックを閉め忘れていたのか、地面にバッグの中身が散乱してしまっていた。

 自分の足元に落ちたそれを拾って、吸血鬼が笑う。


「これは――爆竹? なるほど、本当に色々考えたんだね。けど、これはちょっと近所迷惑すぎるんじゃないかな」

「……それは、最後の手段用だったんだよ」


 さすがに爆竹なんて鳴らしたら、人を呼んでしまう。


「まあ、使われないに越したことはないかな」


 頷いて、男はその袋をポケットにしまった。


「さて。あと何回くらい投げ飛ばせば、君は諦めてくれるんだろ。両手で数えるくらいで終わればいいんだけど」

「言ってろ!」


 吠えて、今後はこっちから向かっていった。

 二回投げられてわかったこと。相手のスピード、半端ない。

 なら、近づかれる前からスプレーを吹かせておけばいい。弾幕のようにスプレーをふりまわしながら――痛い! 噴霧されて風に乗ったのがちょこっと目に入った! マジで痛い!

 身悶えしているうちに、近づかれて、投げられる。

 ため息のような声が聞こえた。


「――君って、本当に馬鹿だよね」

「う、うるさい!」


 目に入ったのはほんの少しだったのが幸いした。目じりをぬぐい、涙を流しながら立ち上がる。

 今のは風向きを考えていなかったのが、不味かった。

 今度はしっかりそれを計算して、自滅しないように気をつけて噴霧して――どうしたって出来る霧の死角から手を伸ばされて、そのまま投げられる。


「ギャー」

「……そろそろ諦めてもいいんじゃないかなぁ」

「まだまだぁ!」

「いいけどね。そんなに乱発してたら、すぐにスプレーの中身なくなっちゃうんじゃない? まだ背中に替えがあるのかもしれないけど」


 はっと手元のスプレーを見る。ただでさえ携帯用に小さなそれは、最初に比べてずいぶん軽くなっているような気がした。


「べ、別に十本以上バッグに入ってるから問題なし!」

「ああ、予備はないのか。面倒じゃなくて助かるな」

「なぜわかった!」

「……うん。ちょっと疲れてきたかもしれない」


 根負けしてきたな。ざまあみろ。

 なんて言いながら、こっちもだいぶフラフラだった。なにしろさっきから玩具みたいに投げられている。いくら僕が受身の天才でも、全身が打ち身切り傷まみれだった。

 でも、あと少しだ。

 何度も振り回されて、ようやく相手の癖がわかってきた。

 どうすれば、どっちの方向に投げられるか。それがようやくわかってきたところなんだ。

 何度も何度もスプレー缶を片手に、突進し。

 その度に見事にいなされて、その度に僕は夜空に放り投げられた。


 

 そして――そのときはやってきた。

 カシュ、とスプレーの噴出口から気の抜けた音がする。残量切れ。

 放り投げられる。

 一瞬のスカイハイ。気持ちよさを覚える前に地面に叩きつけられて、摩擦力とともに滑る。熱とともに止まる。


「――もう、いいかな」


 声に、さすがにうんざりとした感じがあった。

 僕は答えない。

 というより、答えられなかった。

 体中が痛い。受身に失敗して一度顔面をこすってしまい、切れた唇から血の味がにじんでいた。痛みに耐えて呼吸が乱れ、息も絶え絶えになっている。脳に届く酸素が足りていないのか、それともたんに痛みの影響なのか、頭も朦朧としてきていた。

 それでも僕は立ち上がった。

 ため息をつき、向かってくる吸血鬼に、空になったスプレー缶を投げつける。

 あっさり避けられた。そのまま殴りかかって――それがかわされることも、僕にはわかっていた。

 思ったとおりかわされて。

 思ったとおりに投げられる。

 思ったとおりの方向へ、僕は飛んでいった。

 なんとなく極めの域に達した気がする受身を取ろうとするけれど、体がいうことをきいてくれなくて、思った以上に滑ってしまった。後頭部に軽くごつんと当たるものがあって、上を見る。

 そこは広っぱの片隅、いくつかの不要物が適当に放置された場所だった。

 周りを確認してみると、間違いない。昼間、下見にきたときに見つけておいた三角ポールみたいなのがすぐ側にある。

 やっぱり、思ったとおりの、そこは場所だった。

 息を吸おうとして、ずきりと肺が痛む。

 やばい。肋骨にヒビとか入ってるかも。痛みをなんとか我慢して、膝をついて立ち上がった。ずるりと背中からバッグが落ちる。

 目の前に吸血鬼が立っている。

 呆れ果てたように見下ろす相手を睨みつけながら、僕は地面に落ちたバッグから最後の武器を取り出した。

 工作に数時間を費やしたその自信作は、詳細は真似されても困るので伏せるとして、使っているのは決して難しいものじゃない。日用品をいくつかと、バネのように強く打ち出されるギミック。そして、その打ち出された先にあるものは、キャップ火薬なんて呼ばれるものだ。

 簡単にいってしまえば、ようするにそれは体育祭の徒競走なんかでスタートの合図に使われるやつのことだ。モデルガンなんかにも使われたりする。

 僕はその自作の装置を発動させた。


 バンッ!


 人間の僕でも飛び上がってしまうくらいの、爆音。総音量では爆竹には負けるかもしれないけれど、一発の音声でははるかに騒がしいその空気の破裂は、遠くで聞いた誰かに銃弾かなにかかと間違えられたかもしれない。

 それを僕は、吸血鬼の目の前で鳴らした。

 音の攻撃を至近で受けて――相手は目を見開かせて。

 それだけだった。


「まあ、カラオケのことがあるしね。そういうのを用意してるんじゃないかと思ってたよ」


 平然とした声で、言う。


「不意をつかれればキツかったかもしれないね。それでも、うるさいし、ものすごく不快だけど」


 苛立たしそうに歪めた顔のまま、男が腕を伸ばす。

 とっておきの工作品が不発に終わったことを悟り、僕は抵抗する気力もうせてそれを見守った。男の腕が、胸倉をつかむ。ひきずられるように力がこもる瞬間に。

 僕は笑った。


「……なにが――」


 吸血鬼が、不思議そうにこっちの顔に注目する。

 そのあいだに原っぱの茂み、前もって準備していたそれに手を伸ばした。すぐに硬い感触に触れる。

 ――本当に、よかった。投げ飛ばされたとき、あと少しでも距離が伸びていたら、これを壊してしまっていたかもしれない。

 さっきのがとっておきの工作品なら、これはとっておきの既製品。

 吸血鬼が気づく前に、僕はすかさずスイッチオン。



 たちまち、夜空に光が溢れた。



 魚集灯というのを知ってるだろうか。

 イカとか光に集まる習性を狙って、夜釣りなんかで使う。イカ釣り漁の船なんかには当然、基本スペックとしてついているものだけど、個人用にも販売されていたりする。

 その光の強さは物によって違うけれど、けっして弱々しいものじゃない。

 サイズはキャンプで使うランプみたいなものだけど、光量ははるかに上だ。

 加えて、今は夜。

 あたりにはネオンの光もない、夜らしい夜のなか。

 そして、吸血鬼の感覚は鋭い。嗅覚や聴覚。当然――視覚もだ。



 僕の背後で生まれた光源が相手にどのくらいの影響を与えたのかはわからない。ただ、胸もとの力がゆるんだ。

 それだけで充分だった。

 そのために投げられてやったんだから。こっちが万策尽きたと油断して、ちゃちな目くらましにひっかかってくれるように。

 ぼろぼろの身体に残った力を振り絞って、一気に後ろ足で地面を蹴り上げる。

 畳でもない場所で受身を取り続けた両腕は、もうろくに持ち上がらなかった。

 だから僕は全身を使い――視界を失った吸血鬼の顔面に、全力で頭突きをくらわしてやった。

 


「――ずっと、これを?」


 地面に大の字に倒れたイケメンが、呆けたように言った。

 夢を見ているみたいに、ぱちぱちと瞬きしている。まだ視界に光のあとが残っているのかもしれない。


「……ああ」


 狙ってた。スプレー。自作爆竹。目くらまし。

 別に大した作戦じゃない。たった半日でできそうなことを、ない知恵を無理やりしぼってひねり出しただけの捨て身ってだけ。

 全身の痛みに耐えながらうなずくと、くすりと吸血鬼は笑った。


「凄いね、君。本物の――馬鹿だ」


 ほっとけ、と思った。 あきらかに褒められてない。

 反論しないのは、口が痛くてめんどくさい以上に、図星だからでもある。

 だって、馬鹿じゃなかったら、こんな自分がぼろぼろになるような作戦考えるはずがない。ああ、自分の馬鹿さが憎い。体中が痛い。泣きたい。

 でも――勝ちは、勝ちだ。

 僕はぎゅっと拳を固めて、強い口調で言った。


「……まだ、やるか?」

「――いいや」


 男は言った。あっけないくらい、あっさりした返事だった。

 ――きっとそうじゃないかとは思っていた。

 吸血鬼は、痛みに弱い。 

 多分、それは鋭すぎる感覚と無関係じゃないんだろう。

 僕がそう思ったのは、出会ったとき、僕のせいで足をくじいた神螺さんのことが頭に浮かんだからだ。実際に目の前の男と対峙して、それは確信に変わった。

 男は、決して僕を殴ろうとしなかった。

 そんなチャンスいくらでもあったのに、こいつは僕のことを投げ飛ばすだけだった。プライドとか、ハンデのつもりだったのかもしれないけれど、飽きるくらいになってもひたすら僕のことを投げ続けたのには理由があるはずだ。

 その理由は恐らく、拳を痛めたくなかったのだ。

 人間一人を殴るってのは、殴った方にも相当に負荷がかかる。だからプロボクサーだって、テーピングとかを巻いて拳を護るくらいなんだから。

 敏感な感覚を持っているからこそ、痛みを避けるなら。なんとかして一発あててやれば、交渉に持ち込めるんじゃないかと思っていた。

 男の端正な顔の中央、すっきり通った鼻から赤黒いものが流れている。


「……痛いのは、嫌だからね。正直、泣きそうなんだ」


 痛くて泣きたいのはこっちだ。


「僕の血を。あきらめるんだな」

「誓うよ。君の血を狙うなんて、二度と言わない」


 念を押して、ふっと力が抜けた。

 意識がとだえそうになるのをなんとか我慢して、地面にへたりこむ。こんなところで気絶なんかしたら、薮蚊の餌食だ。約束したばかりとはいえ、目の前には蚊の親玉みたいなのもいるし。


「……ほらよ」


 バッグから取り出したポケットティッシュを投げる。

 吸血鬼はむくりと起き上がった。

 鼻から垂れた一筋を見て、思わず吹き出してしまう。いくらイケメンでも、鼻血をだしていたら形無しだ。


「失礼だな。これをやったのは君だろ」

「馬鹿言うな、こっちだって全身ボロボロなんだぞ。親になんて言い訳すればいいんだ」


 別に、夕日をバックに殴りあった間柄なんて言わないけど。

 なんとなくすっきりした気分で、僕らは言葉を交し合った。

 イケメンなんて大っ嫌いだけど、僕と神螺さんのお邪魔虫をしないならそれでいい。新井さんの好きな相手でもあることだし、ね。


「頼みがあるんだ」


 こっちがそれを言い出す前に、相手から言った。

 僕は露骨に顔をしかめてみせる。


「僕の血はやんないぞ」

「そうじゃないよ。――立場が逆になってしまったけれど、こうなったら仕方がない。彼女のことでね、話がある」


 彼女?

 僕と目の前のイケメン吸血鬼のあいだで、話題が共通する女の子は二人だけだ。

 一人は新井さん。

 もう一人は――



 ざわり、と全身が総毛だった。


 

 風が吹いたわけじゃない。

 音でも光でもない。

 ただ圧倒的に不吉な気配をおぼえて、僕は周囲を見回した。

 目の前の相手もそれは感知したらしく、口を閉ざしてあたりを窺っている。

 そして、ほとんど同時に見つけた。



 暗闇の奥に、もう一人のその彼女が立っていた。

 溶けるような闇にあって、そのなかから浮き上がる存在感の黒。透き通った違和感が、凍りついた表情でこちらを見ている。

 やっぱり美人だなあ、とそんなことを思うのと同時、強い既視感をおぼえた。

 あれは、僕と神螺さんの出会いで、僕が(あくまで偶然、事故で)大変にイタダケナイことをしてしまったときに彼女が見せた表情。いや――それより、もっとひどい。

 あのときは、まだ彼女には貼り付けるだけでも笑顔があった。

 けれど、今の彼女にはそれがない。

 人形みたいに無機質な表情。なのに、抱いている凶兆はどんなに有名な呪いの人形でも比にならないってくらいの、恐ろしさを含んでいて。


「ああ。これは、ヤバい――」


 隣の吸血鬼が乾いた声でささやいた。



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