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女子高生吸血恋愛事情以下略。  作者: 理祭
人を襲うべからず
11/26

  ◇


 彼女が不機嫌そうなのはいつものことだ。

 多分、彼女という存在をつくるとても重要な部位の一つに、それは含まれているのだろう。

 それでも、放課後に正門で待つ彼女がその日まとっていたオーラは、ほとんど可視状態なんじゃないかと思えるくらい、色濃く周囲を圧迫するほどのものだった。

 放課後に現れるお嬢様学校の美人という噂は、たった一日で全校生徒のあいだを駆け巡ったらしく、僕が行ったときにはすでに正門前にはすごい人だかりが出来ていた。

 囲んでいるほとんどが男子で、耳に入る話では勇気を奮って声をかけた猛者も何人かではすまないらしい。その全ての挑戦者がどういう結末を迎えたのかについては、あらためて確認するまでもなかった。

 正直に言えば、僕はちょっと得意だった。

 冷静に考えると、啓吾のフォローは色々とおかしいところがあったし、そもそも自分が女の子を紹介してほしいだけで言ったことだから、万全の信頼がおけるわけがない。

 だがしかし、わざわざ送り迎えをしてくれるという現実が目の前にある以上、彼女が僕に好意を抱いてくれているのは間違いなかった。

 もちろん、それを恋愛感情のそれと決め付けるほど、僕はオロカモノじゃない。彼女が持つ、人間という種族に対する感情が相当に根深いだろうことは、今までの会話のやりとりからはっきりと思い知らされていた。

 だから、まずは友達として。――うん、それでも充分じゃないか。これは異種族コミュニケーションなのだ。まずは互いを知ることから始めなければならない。

 ああ、僕って大人だなあ。この寛容さがあれば、いつか彼女も僕のことを好きになってくれるに違いない。

 そう僕は考えていた。困ったことに、わりと本気で。


  ◆


 放課後、のこのこと顔を見せた護の表情は、今まで見てきたどのそれよりも不愉快に思えた。

 周囲でさっきからうるさい連中をかきわけるように、泰然としてこちらへ歩み寄る仕草がたまらなく腹が立つ。なにか致命的な勘違いをしているのではないかと思ったが、昼間の出来事があったから、私が穿った見方をしてしまっているだけかもしれない。吐き出しかけた罵声をなんとか飲み込んで、車へと向かった。

 心得た不二が扉を開けてくれる。おお、と背後がざわめいた。気にせずに乗り込み、それに続いた護が芸能人よろしく外に向かって手を振っているのを見て、こめかみがひきつった。


「……出して、不二」

「はっ」


 車の中は昨日と同じく、静かだった。クラシックの音楽が薄く流れている。

 違うのは、隣から発せられる気配だ。昨日はライオンの檻に入れられたガゼルみたいにびくびくしていたのに、今日はなんだか妙に落ち着いていて、それがなんとなく昼間のあの男の態度を思い出させて気に入らない。


「機嫌いいわね」

「えっ? そんなこと、ないよ」


 こちらを向く顔がもう答えを裏切っていた。私はそれ以上聞くのも馬鹿らしくなって口を閉じ、一緒に眼も閉じて、瞑想に入る。機械的な音質の演奏にまじって、なにか別のものがまじっていた。窓の外の風景に目をやった護の鼻歌だった。

 このくつろぎ様はなんなのだろう。

 別に他人の車で鼻歌するななんて言わないが、普通はもう少し慎むものじゃないだろうか。一向に鳴り止みそうにない調子っ外れのそれに、すぐに私の限界は訪れた。


「……静かにしてくれない?」

「あ、ごめんっ」


 ようやく沈黙する。すると今度はそれはそれでいらいらとしてしまって、ああ、といまさらながらに思い知った。うるさいとか静かとかじゃなく、一緒にいることが駄目なのだ。わかったところでどうしようもないが。

 仕方がない。どうしようもない。そういう思考は好きじゃない。どうせなら、どうしてこうなったか。これからどうするべきか考えよう。

 ひとまず、このお気楽気分の男に今、自分が置かれた立場というのを教えることから始めるべきだ。そう判断し、私は針のような視線を向けた。


「あなた、わかってないでしょう」

「え?」


 能天気な顔をかしげるそいつが、もちろんわかっているはずがない。


「私がわざわざ迎えに来たりしてること、不思議に思わない? 少しは事情を怪しまないわけ」

「怪しむなんて。僕は神螺さんのこと、信用してるから」


 生ぬるい視線で言われ、ぞわりと鳥肌がたった。

 なにこいつ。本気で気持ち悪い。


「……あのね。なにか勘違いしてるみたいだけど。今のあなたの状況、かなり危険なのよ」

「え、でも日中だし。運転手さんもいるし」


 いったいなんの話だ。わからないし、わかりたくもなかった。無視して続ける。


「――このあいだ、街で話しかけてきた男がいたでしょ」

「え。あ、うん。いたね」

「あれが吸血鬼だって、わかってる?」

「……え?」


 やっぱりわかってなかった。まあ、それ自体はしょうがないことかもしれないが。

 驚きに目を見開く相手に、嘆息する。


「どこかで私達の会話が耳に入ったんでしょうね。だから言ったでしょ、やたらと話に持ちだすのは“危ない”って。あなたは吸血鬼に目をつけられてしまったのよ」


  ◇


「そんな……」


 彼女の言葉を聞いて、その意味を認識すると、じわりと口の中に唾がわいた。

 ふと思い返す。あの日、突然やってきた男には確かに不審なところがたくさんあった。

 見た目も雰囲気も明らかに普通のそれじゃない。そして、意味不明だった言動の数々を思い出して、背筋に冷たいものが流れた。

 まさか。じゃあ、あのときのあれは――

 僕の感情を読み取って、真剣な表情で彼女がうなずく。


「驚くのも無理はないけれど。でも実際、あなたは」

「ちょっと待って!」


 それ以上を聞きたくなくって、僕は大声で続けようとする彼女をさえぎった。


「待って。冗談でしょ? ……冗談だよね」


 意識しないでも、声が震えてしまう。

 彼女は同意を示してはくれなかった。患者に余命を宣告する医者のように、瞳に冷静な光を宿したまま、


「本当よ。今日、学校で会って話をしたもの。あの男は本気だわ」


 ぞっとする。全身に鳥肌がたったみたいに、彼女の言葉は不吉すぎた。本気。脳裏に澄ました表情が浮かぶ。吐き気がした。


「――でも! 神螺さんは、反対、してくれるんだよね?」


 すがるような思いで言って、けれど彼女はうなずいてくれない。綺麗な形をした眉が、苦悩するように歪んだ。


「……それは、出来ないわ」

「どうしてっ」

「だって、本人の自由だもの。それを止める権利は私にはないわ」


 自由。

 その単語を使われてしまえば、それ以上なにも言えなかった。

 自由は侵してはならない、各人の権利だ。種族差なんて関係なしに、それは認められるべきものだ。

 それはわかる。――理屈はわかるけど、感情がそれについてこなかった。


「……神螺さんは。それでいいの?」


 彼女の返事はなかった。それが答えだった。

 僕はがっくりと肩を落とした。

 そりゃ、そこまで思い上がってたわけじゃなかったけれど。少しはそういう風に考えてくれてるんじゃないかとか、その可能性はあるかもしれないと思ってたのに。いや、そうじゃないのかもしれない。もしかしたら、これがいわゆる種族差による認識の差というものなのだろうか。


「……吸血鬼って、同性愛への理解に寛容なんだね」


 諦めに似た心境の呟きに、彼女がなぜか奇妙に顔をゆがめるのが見えた。


  ◆


 不二が、笑っている。

 耐え切れない、といった感じの忍び笑いが鼓膜に届いて、私はようやく脳の活動を再開させていた。


「……なに、言ってるの?」


 自分でもわかるくらい、声に感情がのっていない。

 当然だ。私は、目の前の相手がなにを言っているのか本気で理解できていなかった。

 これはなにかの冗談なのだろうか。それともからかっている? 馬鹿にされているのかもしれない。あるいはもしかしたら、私の言い方が悪かったのか。素直にそう思えてしまえるくらい、護の台詞は私にとって遠く理解の範疇の外にあった。

 人間と吸血鬼なんていう種族の話じゃない。これはもう、別宇宙の話だ。文字通り、次元から違うのかもしれない。

 悲嘆にくれた表情に眉をひそめ、彼は言った。


「だから――あの男が、僕を狙ってるって。そういうことでしょう?」


 ああ、なるほど。

 言われてしまえば、馬鹿馬鹿しいほどあっさり理解できた。三十分近く悩んだ数学の難問が、一つの方程式ですらりと解けてしまうように。ただ、それを成し得た時に得られるだろう爽快感はかけらもなく、わたしの感情はどんどん冷えていく一方だった。

 なにか、目の前の物体が口走っている。


「……吸血鬼の人達のことは、正直よくわかんない。けどでも。色んな考えとか、価値観が違うんだろうってことは、わかるよ。実際、ジェンダーフリーとか、同姓結婚とか、外国で認められてるとこもあったと思うし。僕の考えが狭いだけなんだろうと思う」


 思慮深げな顔がぺらぺらとしゃべるのを黙って聞く。相手が賢しげになにか吐く度に、眉とこめかみのあたりが痙攣するように動くのがわかった。


「――でも、これだけはわかってほしい」


 決然とした意志を込めた瞳がこちらを見る。


「僕は、ノーマルなんだ。僕が好きなのは、あくまで」


 その最後の台詞が放たれる前に、私は動いた。

 意識して思い切り振り上げた右手を、そのまま叩きつける。ぱしん、と良い音がして、目の前の愚か者の首がもげた。――実際には、頭部と首は繋がったまま、後部シートにぶつかっただけだったが。それでも人間にはかなりの衝撃だったらしく、がくりと頭を落として沈黙する。気絶したらしい。

 ひりひりと痛む右手をおさえ、私は運転しながらほとんど顔をうつむかせるように笑いをこらえている不二に、八つ当たりするように言った。


「不二、さっさとして。一秒でもこんなやつと同じ空気、吸ってたくないっ」

「……かしこまりました」


 答えながら、バックミラーに映るその表情には微笑が残ったままだった。



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