表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

69/81

幕間 玉織紬誘拐計画

誘拐というのは、非常に合理的な制度なのではないかしら。


 その日、私は空腹と現実と社会の三重苦に押し潰されながら、布団の中でそう結論づけていた。


 だってそうでしょう。  誘拐されれば、少なくとも一時的には三食と寝床が保証されるのだわ。  運が良ければおやつもつく。  監禁場所にもよるけれど、たぶん実家よりは「食べるな」と怒鳴られない。  しかも、誘拐犯というのは普通、被害者を痩せ細らせて死なせるより、適度に健康へ保つ方向で動くはずなのよね。人質の価値が下がるから。  つまり――


「……実質、飼育じゃない」


 私は布団の中でぽつりと呟いた。


 そう、飼育である。  野生の珍獣たる私へ、誰かが責任を持って餌をやり、寝床を与え、場合によってはお風呂まで世話してくれるのだとしたら。  それはもう、かなり理想的な生活基盤と言って差し支えないのではなくて?


 もちろん、普通の人間ならここで「いや、犯罪でしょう」とか「怖いでしょう」とか、そういう健全で常識的な発想へ至るのだろうけれど。  私の場合、その前に「で、ご飯は何が出るのかしら」が来るのよね。  困った仕様だわ。


「よし」


 私は勢いよく布団をはねのけた。


 決めた。  誘拐されよう。


 いや、もちろん本当に物騒な意味ではないのよ。  もっとこう、平和的かつ建設的に、私という優良物件へ悪の組織の目を向けさせるのだわ。  そして相手が「しめしめ、こいつなら扱いやすそうだ」と判断した頃合いで、こちらも「しめしめ、これでしばらく飯に困らないわね」と笑う。  完璧なギブアンドテイクでしょう。


     ◇


 まずは計画書を作った。


 私はこういう時だけ妙に真面目なのだ。  ノートを開き、タイトルを書く。


 【玉織紬ちゃん(26)の誘拐され計画】


「……うん。ちょっと可愛いわね」


 自分で自分へうなずいてから、私は具体案を書き始めた。


 一、いかにも誘拐しやすそうな感じを演出する。

 二、ただし舐められすぎると雑に扱われるので、最低限の希少価値は出す。

 三、できれば金持ちっぽい相手に狙われたい。餌の質が上がるため。

 四、最悪の場合を考えて、誘拐された先の冷蔵庫までの最短導線を想定しておく。

 五、可能なら「この個体、手放すと惜しいな」と思わせる。


「完璧だわ……」


 我ながら、惚れ惚れする計画性だった。


 問題は、どうやって「誘拐したい」と思わせるか、なのよね。  普通、誘拐犯が欲しがるのは、金持ちの家の娘とか、身代金になりそうな子供とか、そういう“市場価値のある人間”でしょう。  残念ながら私は二十六歳の無職寄り珍獣であり、そのへんの華やかさとはだいぶ縁遠い。


 でも、だからこそ勝機もあるのだわ。


「珍獣需要って、たぶんあるのよね」


 私は顎へ手を当てて考えた。


 ほら、世の中には変わったものを飼いたがる金持ちがいるじゃない。  猛禽類とか、でかい蛇とか、意味不明に高い熱帯魚とか。  だったら、食費はかかるけれど顔はそこそこ良くて、異常に丈夫で、適当に餌を与えておけば妙に懐く女というのも、ある種の上客へ刺さる可能性はあるでしょう。


「よし。磨くか……商品価値を」


 この辺りの発想が終わっている自覚は一応ある。  でも、背に腹は代えられないのよね。  私の背はともかく、腹は頻繁に代えられそうになるので。


     ◇


 身だしなみは大事だ。


 私は一応そこだけは理解している。  どんなに中身が粗大ゴミでも、包装紙が可愛ければ数秒は保つのよ。  だから私は黒髪を梳き、チョーカーをつけ、顔色をごまかし、パーカーの皺を伸ばし、できる限り「うっかり連れて帰ってもいいかな」感を出そうとした。


「……うん」


 鏡の前の私は、わりと儚げで、わりと弱そうで、わりと騙されやすそうに見えた。  実際には胃袋がうるさいだけの害獣なのだけれど、そこは黙っておけばいいのだわ。


「これなら、いけるでしょう」


 私は大きく頷いて家を出た。


 向かう先は、ちょっと高級なスーパーの近く。  金持ちが多く、子供も多く、お菓子も売っていて、治安が悪すぎない絶妙なライン。  誘拐犯が本当にいるかは知らないけれど、いたとしても「この辺なら上物が釣れる」と思いそうな場所である。


 そして私は、いかにも“ふらふらしていて隙だらけ”な感じで、そのあたりをうろうろし始めた。


 ベンチへ座る。  自販機を見る。  コンビニを見る。  お菓子コーナーを見る。  うっかり本気でお菓子を買いそうになる。  駄目よ、今日は誘拐されに来ているのだから、そこで自腹を切ったら本末転倒でしょう。


「……来ないわね」


 三十分経過。


 私はベンチの上で小さく唸った。  おかしい。  こちらはこれ以上ないくらい隙だらけだし、しかも顔だけ見ればそこまで悪くない感じへ調整してある。  少なくとも一人くらい、怪しい白いワゴン車が来てもよくない?


 でも、現実は非情だった。  近づいてくるのは近所のババアとか、犬の散歩をしている人とか、やたら礼儀正しい小学生ばかりである。


「紬ちゃん、何してるの?」 「……誘拐待ちよ」 「また変なこと言ってるー!」


 子供は笑って去っていった。  笑い事ではないのだけれど。


     ◇


 それでも私は諦めなかった。


 日が傾き始めた頃。  ようやく、一台の黒い車が、すうっと私の前で止まったのだ。


「――っ!」


 来た。  来たわ。


 助手席の窓が、ゆっくり下りる。  中にいたのは、サングラスをかけた男だった。  いかにも怪しい。  いかにも「お嬢ちゃん、ちょっといいかな」とか言い出しそうな顔だわ。


 私は内心で小さくガッツポーズした。


 勝った。  ついに、私の時代が来たのだわ。


 男が口を開く。


「すみません、道を――」 「はい行きます!!」 「……え?」 「え?」


 数秒、沈黙が落ちた。


 男は道を聞きたかっただけだった。


 私はものすごく気まずかった。  男もたぶん気まずかった。  でも私は、ここで引き下がるわけにはいかない。


「いや、違うのよ、今のはその……」 「だ、大丈夫です」 「大丈夫じゃないでしょう!? こっちも人生かかってるのよ!!」 「何がですか!?」 「食事よ!!」


 男は窓を閉めて去っていった。  ひどいでしょう。  困っている女性を見ておいて。  いや、困らせたのはたぶん私なのだけれど。


     ◇


 その後も、私は何度かチャンスらしきものを掴み損ねた。


 一度など、後ろから腕を掴まれたので「ついに来たわね!」と振り向いたら、ただのママだった。


「紬、あんた何してんの」 「誘拐待ちよ」 「死ね」 「ひどくない!?」 「スーパーの前で半日うろうろしてる黒パーカーの女がいたら、普通に通報案件でしょうが!」 「私は夢を見ていただけなのよ!」 「見るなそんな夢!!」


 私は首根っこを掴まれ、そのままずるずる引きずられて帰宅した。  夢も希望もなかった。


     ◇


 その夜。  私は布団の中で丸くなりながら、今日一日を反芻していた。


 結論から言えば、計画は失敗だわ。  私は誘拐されなかった。  誰も私を連れて行かなかった。  金持ちの変人も、悪の組織も、白いワゴン車も、結局、私という物件へ投資しようとはしなかったのだ。


「……何でよ」


 私は毛布へ顔を埋めた。


 いや、分かってはいるのよ。  現実的に考えれば、誘拐というのはもっとこう、金とか復讐とか、そういう明確なリターンがあるから成立するのであって。  私みたいな食費ばかりかかる珍獣を連れて帰ったところで、犯人側に何の得もないのだわ。


 むしろ、誘拐した側が後悔するでしょうね。  三日も持たずに冷蔵庫が壊滅するし、たぶん車も食われるし。


「…………」


 私は少しだけ、考えた。


 ひょっとして。  誰も私を誘拐しなかったのではなく。  “できなかった”のではなくて?  つまり、無意識のうちに生き物としての危険性が漏れていて、まともな本能の持ち主ほど私を避けた可能性が――


「……いや、無いわね」


 それはさすがに自己評価が高すぎるでしょう。  単に市場価値が無かっただけだわ。  うふふ。  笑えない。


 でも、そこでふと、私は別のことに気づいたのよね。


 そもそも私は、誘拐されたかったわけじゃないのだ。  ただ、餌をやってくれて、寝床をくれて、適度に世話してくれて、面倒を見てくれて、見捨てず、殺さず、できれば少しだけ甘やかしてくれる場所が欲しかっただけで。


「……それ、おばあちゃん家では?」


 私は天井を見上げた。


 そうだったわ。  最初からあったじゃない。  この世で唯一、ほぼ無条件で私へご飯を出し、呆れながらも受け入れてくれる絶対的サンクチュアリが。


「誘拐犯、要らなかったわね……」


 あまりにも根本的な結論だった。


 私は布団の中で深々とため息を吐いた。  人生、遠回りが多すぎるのよね。  食欲が絡むと、特に。


 その時、部屋の外からママの声が飛んできた。


「紬! 明日、おばあちゃん家に顔出すなら、ついでに米持っていきなさい!」 「……はぁい」


 返事をしたあと、私は小さく笑った。


 誘拐計画は失敗した。  でも、まあ。  結果的に明日は、おばあちゃん家でご飯が食べられる。


 だったら今日は、それで十分ということにしておきましょうか。


「……うふふっ。実質、成功ね」


 全然成功ではない。  でも、そういうことにしておかないと、私の人生はわりとすぐ破綻するのだわ。


感想、評価いただけたら嬉しいです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
今回の話の裏側(真相)とかあったりするのかな? 不審者が不審行動して通報されるだけなのもマジカルツムニー☆に(←小声)じゅうろくさい。にお似合いではあるけど… 紬ならすかしっぺ感覚で狂気放出とかやらか…
いっそ破綻してしまえ、そんな人生(笑) とっくにネットで暴食姫だと顔バレしてるから誘拐されないだろうし……
スーパーの前を黒パーカー姿の暴食珍獣がウロウロしてるとか、猟友会呼ばれそうな絵面ですね。 あと玉織家のおばあちゃん何者なんですかね…。人間性屑の紬さんに懐かれても平気とか……さては、人外ですね?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ