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第4話

「ぎゃ、ぎぃぎぃぎぃっ!」

「あーもう、うるさいわね。大人しく私の血肉になりなさいな」


 薄暗い森に、醜悪な小鬼――ゴブリンの断末魔が響き渡る。


 私は暴れて抵抗するゴブリンの身体に馬乗りになり、その首筋へ容赦なく牙を突き立てた。バキバキと小気味よい音を立てて、骨ごと肉を噛み砕く。


 リアルの私だったら、こんな真似はまず無理だ。人ひとり組み伏せるどころか、まともな取っ組み合いなんてしたこともない。けれど、ここはゲームの世界。ステータスの暴力と【噛みつき】スキルによる咬合力の強化があれば、腕力がなくたって強引に捻じ伏せられるらしい。


 もちろん、そのぶん相手も必死に抵抗してくる。鋭い爪で引っ掻かれ、棍棒で殴られ、肌を裂かれ、骨に響く衝撃をまともに喰らう。痛いものは、普通に痛い。


「痛いのは嫌だけど……まあ、こうして食えば治るしね」


 被ダメージの蓄積より、私が相手の肉を喰らって【捕食】スキルで回復する速度の方が、どうにかこうにか上回っている。赤ゲージ寸前まで削られたHPも、ピクリとも動かなくなったゴブリンの死体を貪り尽くしているうちに、あら不思議。気づけば全快まで戻っていた。


 子供くらいのサイズの肉塊が、綺麗さっぱり私の胃袋へ収まる。リアルなら、さすがに一食で食べ切れるか怪しい量だけれど、こっちの胃袋はどうやら底なしらしい。まだ入る。というより、まだ全然足りないのよね。


「……それにしても、不味いわね」


 私は口の周りを手の甲で拭いながら、盛大にため息を吐いた。


 血生臭い。泥臭い。肉は筋張っていて無駄に硬い。正直、三日前に空腹のあまり近所のゴミ捨て場を漁って拾い食いした、腐りかけの生の豚肉の方がまだマシだったわ。あれはあれで最悪だったけれど、少なくとも人間の食材として流通していた肉だったもの。森で勝手に生きているゴブリン肉とは、そもそもの土台が違う。


「某スライムみたいに、捕食した相手から便利なスキルを奪えるとか、そういう景気のいい能力があればもっと楽しかったんだけど。ただ回復して、噛みつきの熟練度が上がるだけって、ちょっと地味なのよねぇ……」


 ぶつぶつ愚痴をこぼしながらも、私はインベントリを開いた。そして、さっき森を彷徨いている途中で拾った“あるもの”を取り出す。


「でもまあ、これを見つけちゃった以上、文句ばっかりも言っていられないのだけれど」


 私の手のひらの上に乗っているのは、鋭い獣の爪みたいな形をした奇妙な装飾品。

 アイテム名は【空爪】。


 最初に見つけた時は、正直ちょっと意味が分からなかった。だって、こんな見るからにヤバそうな代物が、序盤の森にしれっと落ちていていいわけがないでしょう。システムが提示したTIPSによると、これ、なんと『神器』という最上位カテゴリに属するアイテムらしいのだ。いや、本当に意味が分からないわ。こんなの、序盤で拾っていいやつなの?


 効果はシンプルで、ついでに頭がおかしい。


 これを装備して攻撃動作を行うと、その攻撃の〇・三倍の威力を持つ『遠隔範囲攻撃』が自動で発生するらしい。


「ヤバくない? ノーコストで範囲攻撃が撃てるって。普通のRPGでもだいぶ怪しい性能なのに、こういうアクション寄りのゲームでそれをやるの、バランス壊れてないかしら」


 試しに、私は何もない空間へ向かって鋭く腕を振り抜いた。


 シュバッ、という鋭い風切り音。


 次の瞬間、私の手の先から三日月型の不可視の斬撃――爪のようなエフェクトが飛び出し、扇状に広がりながら一直線に走っていく。


 そして十メートルほど先に立っていた太い木の幹へ、ザシュッ! と深い傷跡を刻み込んだ。


「うわぁ……ほんとに出た」


 私は目を丸くしながら、視界の端の三本バーを確認する。

 HP、MP、SP。どれも一ミリたりとも減っていない。


「マジでノーコストじゃないの……。威力は直接殴るより落ちるみたいだけど、範囲は広いし、これ絶対雑魚狩り向きだわ」


 つまり、腕を振れる限り、延々と撃てるということだ。


 痛い思いをして組み付いて、引っ掻かれて、殴られて、血まみれになりながら食料を確保しなくてもいい。遠くから一方的に削って、動かなくなったところをゆっくり食べればいいのだ。


 ……最高では?


 ふふっ、と。

 私の口元に、自然と悪い笑みが浮かんだ。


 これ、もしかしてこの森で生きる難易度を一段どころではなく下げてくれるのではないかしら。少なくとも、「痛いのは嫌。でも腹は減る」という、私のどうしようもなく情けない悩みには完璧に噛み合っている。素晴らしいわね。私みたいな根性なしに、あまりにも優しい神器だわ。


「おっ、噂をすれば……」


 前方から、下品な話し声と足音が近づいてくるのが聞こえた。茂みを掻き分けて現れたのは、さっき食べたのと同じゴブリンが二匹。手には粗末な棍棒を握っている。


 向こうも私に気づいたらしく、ニタニタと嫌らしい笑いを浮かべながらこちらへ向かってきた。


 敵、というより、食料が二つ増えたようにしか見えなかった。


「ちょうどいいわね。さっそく実戦テストといきましょうか」


 私は【空爪】を装備した右腕をだらりと持ち上げ、そのままゴブリンたちへ向けて連続で腕を振り下ろした。


 シュンッ! シュンッ! シュンッ!


 次々と放たれる真空の刃が、驚いて立ち止まったゴブリンたちへ容赦なく襲い掛かる。


「ぎぃっ!?」

「がっ、げぇっ!」


 威力は控えめでも、何発も重ねれば十分だ。斬撃は扇状に広がりながら、まとめて相手を裂いていく。十発ほど連射したところで、二匹のゴブリンは全身から血を吹き出し、あっけなく地面へ倒れ伏した。完全なKOである。


「ふふふっ……何これ、すっごい楽」


 私は思わず頬を緩めた。


 無傷。

 完全に無傷だ。


 ついさっきまでの私は、獲物を見るたびに痛い思いをする覚悟を決めて飛びかかるしかなかった。それが今はどうだ。遠くから腕を振っているだけで、向こうが勝手に死んでいく。


 これなら、この森での食料調達は一気に安定する。

 痛くない。安全。しかも早い。

 実に素晴らしい。私みたいな軟弱者に優しすぎる神器だわ。


「さーて、じゃあお楽しみのご飯タイムね」


 私は倒れたゴブリンたちのもとへ駆け寄り、まだ温かい身体へそのまま食らいついた。


 不味いのは分かっている。けれど、背に腹は代えられないし、食べれば回復するし、食べれば噛みつきも育つ。美味しくないからって残す理由はどこにもない。どうせ不味いなら、不味いなりに有効活用してやればいいだけの話だわ。


「いただきますっ……うん?」


 ガブリ、と二匹目のゴブリンの肉を噛みちぎった瞬間、心地よいシステム音が鳴り響いた。


『――【噛みつきLV2】に上昇しました』


「あっ、上がった」


 その瞬間、顎に馴染む感覚が明らかに変わる。


 さっきまで少し引っかかっていた骨や筋が、驚くほど素直に砕けた。


「……あー、いいわね、これ。さっきよりずっと噛み砕きやすい。骨も邪魔にならないし、肉もするっと千切れる。食べるの、だいぶ楽になったじゃない」


 戦闘向きのスキルが育った、というより、食事効率が上がった感覚の方がずっと強い。

 素晴らしい。非常に素晴らしい。

 この調子でいけば、将来的にはもっと硬い肉でもサクサク食べられるようになるかもしれない。


 咀嚼のペースをさらに上げ、私はあっという間に二匹のゴブリンを胃袋へ流し込んだ。


『――ゴブリン完食!』

『――ゴブリン完食!』


 連続で表示されるメッセージ。回復の恩恵で身体の調子もいいし、全身がほんの少しだけ軽くなったような気もする。狩りの効率も、食事の効率も、さっきより確実に上がっていた。


 けれど――


「……はぁ」


 私は視界の端でじりじり削れていくSPバーを眺めながら、重い溜息を吐いた。


「食べたばっかりなのに、もうお腹空いてきたんだけど……」


 さっき三匹も平らげたでしょうが。

 何なのよ、この燃費の悪さ。

 グールってそんなに腹が減る生き物なの? それとも私の胃袋が元から終わっているだけ?


 まあ、リアルでもだいたい常に腹ペコで、あまりのひもじさに夜中、自分の掛け布団をギリギリ齧りながら寝落ちしていたくらいだ。そう考えると、状況としてはそこまで大差ないのかもしれない。嫌すぎる現実比較だけれど。


「カツ丼……ラーメン……焼肉定食……」


 私は人間の街にあるという至高のメニューを呪文みたいに唱えながら、口元の涎を拭った。


 できれば揚げ物がいい。

 いや、麺も捨てがたい。

 でも焼肉定食もいいわね。白飯おかわり自由だったら最高だわ。味噌汁も欲しいし、小鉢も欲しい。どうせなら食後に甘いものまでつけたい。


 ああ、駄目だわ。想像すればするほど腹が減る。人間の街へ行ったら、たぶん私、最初の一軒で理性が吹き飛ぶ気がする。財布が許す限り片っ端から頼んで、周囲に引かれながら食べ続ける未来しか見えない。というか、別に引かれても構わないのよね。どうせそこまで辿り着けた時点で、私はそれなりに強くなっているはずだもの。少なくとも、店に入る前に首を刎ねられる心配はなくなっているでしょうし。


 そのためには、もっと食べなきゃいけない。

 この森の生き物を、片っ端から喰い尽くすくらいの勢いで。


「さあて……次のご飯はどこかしら?」


 私は空腹を無理やり原動力に変えながら、手に入れたばかりの【空爪】を軽く振り回し、再び薄暗い森の奥へ足を踏み出した。




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