第19話
次の日
死にかけの身体で、私はなんとか実家の裏の拷問部屋――じゃなかった、地下室から這い出した。
意識は朦朧としているし、視界の端はちらちら明滅しているし、全身がまるで雑に組み直された廃材みたいに痛む。というかアイアンメイデンのトゲがまだ三本くらい刺さってるし、【身体操作】で骨格変えてメイデンちゃんから脱出したせいで骨も砕けたけれど、こんなところで大人しく死んでいるわけにもいかなかった。私は床を這うようにして台所へ向かい、母親が厳重にロックをかけていた冷蔵庫のダイヤル番号を、長年の観察と執念の結晶として正確に合わせ、チェーンを外して冷蔵庫をこじ開けた
「これは回復……そう、生存のための回復行動。断じて盗み食いでは無いわ!」
心の中で自分へそう言い聞かせながら、私は手当たり次第に食材を胃へ放り込み、【捕食】を発動させた。傷んだ身体へ、食べたものがそのまま修復材として流し込まれていくような感覚。ようやく身体が安全圏へ戻った頃には、冷蔵庫の中は綺麗さっぱり悲惨なことになっていたけれど、まあ、生き延びたのだから仕方がないでしょう。
ちなみに今日は、廃品回収の単発バイトを入れている。
ちなみに社会の最底辺を這いずる私でも、一応、外へ出る時の最低限の身だしなみくらいはするのだ。死ぬほど面倒くさがりつつ、ぼさぼさの黒髪をとかして、チョーカーとペンダントをつけるのが私の限界。でも、その程度のラッピングは絶対にやらなければいけない。
だって、私の中身は完全に壊れた歯車なのだから。
せめてガワくらいは、それなりに整えておかないと。
かろうじて、両親から受け継いだ顔立ちの良さと、女であるという性別のアドバンテージで、世間の厳しい目は少しだけ誤魔化せている。
もしこの二枚の薄い包装紙が剥がれ落ちたら、社会性も、コミュニケーション能力も、……ついでに人間として最低限の善性すら怪しい私という怪物を超えた怪物に、【無職・童貞・ヒキニート】の三種の神器フル装備のアラサー、という救いのない属性まで追加されてしまうのだ。
だから私は、どれだけ面倒でも、この見た目という薄皮一枚へ必死でしがみついている。
その後準備を整え、廃品回収バイトへGO。
初対面の現場の人との会話なんて、私にとっては地雷原をタップダンスで駆け抜けるようなものだ。だから、天気の話や自分のプロフィールといった、高確率で振られる話題は、あらかじめ
優秀な父親へ頼み込んで【模範解答】を用意してもらっている。
他にも、場を繋ぐための汎用ユーモア、無難な相槌、会話の切り上げ方、困った時の逃げ道。そういうものをひたすらノートへ書き出し、耳で聞き、声へ出し、何度も何度も反復して頭へ叩き込んできた。
この小細工のおかげで、単発の現場へ入ってから最初の数日くらいは、なんとか【まともな人間】として会話のキャッチボールが成立しているように擬態できるのだ。
もっとも、その擬態はあまりにも脆い。
私の会話能力なんて、素のままだとオタク趣味とご飯の話と最低な下ネタと自虐ネタくらいしか引き出しがない、完全な焼け野原なのだから。想定問答から少しでも外れれば、すぐに壊れる。三日くらいでメッキが剥がれるのは、単に暗記した台本の在庫が尽きるからだわ。
そして、その後はひたすら自虐でプライドを切り売りしながら、哀れな道化を演じて生き延びるしかないというわけである。
一軒目の現場は、さほど量のない粗大ゴミばかりだったから、大きなミスもなく上手くこなせた。ここへ来るまでの電車の中で復習しておいた、パッパ直伝の汎用ユーモアを丸ごとコピーして飛ばす余裕すらあったし、見た目のラッピングと丸暗記したコミュニケーションのガワもちゃんと機能していて、現場の雰囲気はそこまで悪くなかった。
……けれど、二軒目へ入ってから、私のメッキはあっさり剥がれ始めた。
「すみません」 「いや、それじゃなくて、こっちね」 「あ、すみません」 「それ先に積んじゃ駄目だって」 「ごめんなさい」 「……いや、だからさ」 「すみません」
気づけば私は、ひたすら謝罪の言葉だけを繰り返す、ポンコツごめんなさいBOTへ成り下がっていた。
しかも、今日の相方の社員さんが、大声で露骨に怒鳴り散らすタイプじゃないのが、逆にきつかった。
怒鳴られない代わりに、じわじわと、ため息の数だけが増えていくのだ。
「はぁ……」 「……あっ、すみません」 「いや、いいから次こっち回って」 「はい」 「はぁ……」
この静かなた め息の嵐、本当に心が削られるから駄目なのよね。怒鳴られるのももちろんつらいけれど、ため息はもっと駄目だ。怒りすら放棄されて、静かに【お前は使えない】と宣告され続けている気分になる。
そうなると、ただでさえ少ない私の脳内処理能力が、パニックでさらに落ちていく。
「ちょっとトラックから工具持ってきて」
そう言われて、「はいっ!」と威勢よくダッシュで車へ向かったのはよかったのだけれど。
……工具箱が、どこにあるのかまるで分からない。
指示の意味も場所も分からないまま、ただ怒られたくない一心で脊髄反射の返事をして走ってしまったからだ。大学を中退してからのどん底バイト生活の中で、自分がどれだけ無能かを思い知り、自分で必死に作って、必死で継ぎ足して、必死で丸暗記したはずの【私専用・廃品回収バイトマニュアル】の記憶が、パニックで頭から綺麗に吹き飛んでいた。
結局、ウロウロとトラックの周りを不審者みたいに徘徊した挙句、ため息をつきながら様子を見に来た社員さんへ、工具箱を出してもらう羽目になった。
お昼休み。
午前中のあまりの使えなさと自己嫌悪で、完全に食欲が失せてしまった。
私は、地元ではすでに出禁リスト入りしていて入れないけれど、この出先の街ならまだ出禁になっていないチェーン店のファミレスへ駆け込み、お昼の食べ放題バイキングへ挑んだ。
「人は一人では生きていけないとは言うけれど……あれってつまり、私みたいな社会不適合で、結局一人でいるしかない人間は、さっさと死ねってことよね……」
ひどく落ち込んだ気分のまま、私はバイキングの目玉である生ハムの原木へ、周囲の目も気にせず直接かぶりついた。
いつもなら、食べ放題なんて楽しみで楽しみで仕方なくて、狂ったように皿を積み上げるのに。
今日はメンタルが死んでいるせいで、ちょっと――生ハムの原木1本と、パスタ五皿と、ピザ三枚と、デザート全種類を二周分――しか喉を通らなかったわ。…はぁ…
◇
午後。到着した三軒目の現場は、古いアパートの三階。エレベーターなし。
そして、その玄関先へ待ち受けていたのは、巨大なファミリー向け大型冷蔵庫を筆頭とする、絶望的な重量級粗大ゴミの山だった。
「……マジかよ。これ、事前の申告と全然違うだろ」
相方の社員さんが、額へ嫌な汗を滲ませながら、その巨体の山を見上げて絶句する。彼は冷蔵庫の端を持ち上げようと何度か力んでみたけれど、びくともしない。
「駄目だ。重すぎる。こんなの、俺と君の二人じゃ絶対に無理だ。予定組んだ本部の連中、マジで現場の状況分かってねえな……」
社員さんは本部へキレ気味の電話をかけようとスマホを取り出しながら、「とてもじゃないけど俺たちだけじゃ無理だから、後日、応援の男手を追加して出直すことにするよ」と、半分諦めた顔で私へ言った。
その時だった。
私の脳内で、ある計算式が弾き出される。
ここで「そうですね、無理ですね」と頷いて一緒に帰れば、私は今日のこの現場で【役に立たない、会話もまともにできない、ただ邪魔なだけの粗大ゴミ】という最低の評価で終わってしまう。
でも。
「……私、やります。できますから」
私はスマホを操作する社員さんの横をすり抜け、その巨大冷蔵庫の前へ立った。
午前中の私は、会話のキャッチボールも、社会人としての常識も、完全に終わっていた。救いようのないクソボケだった。
だったら、せめて肉体労働の一つくらい、力任せの物理的な貢献くらいできなければ。私は本当に、彼らが回収している粗大ゴミ以下の存在になってしまうじゃない。
私は深く息を吸い込み、巨大冷蔵庫の下部へ両手を差し込んだ。
ゲームの中で【ハイグール】へと進化し、格上のボス狩りで鍛えられた、現実の成人男性の倍以上はあるはずの腕力。各種運動能力の全部を、今ここで解放する。
「ふぅぅぅ……っ!」
それでも、推定三百キロ超えの巨大冷蔵庫の重量は、私の細い手首へずしりと重く食い込んできた。
「ちょっと待って、君! そんなの無理だって! 腰壊すぞ!」
社員さんが慌てて止めへ入ろうとする。
私は歯を食いしばり、脳内でスイッチを切り替えた。
――【過剰代謝】。
声には出さず、心の中だけでスキル名を発動させる。
瞬間、胃袋の奥へ溜まっていたカロリー……お昼へ食べたファミレスのバイキングの莫大なエネルギーが、爆発的に燃焼し、全身の筋肉へ極限のブーストをかけた。
ぶわっ、と体温が急上昇する。
視界が異様なくらい鮮明になる。
手先の震えが止まり、代わりに、腹の底からぞっとするほどの空虚さが一気に湧き上がってきた。
これ、便利だけれど危険だわ。
今はまだいい。でも、こんな使い方を繰り返していたら、たぶんそのうち何かが壊れる。カロリーを燃やすってことは、つまり私という生き物の余裕を削っているってことだもの。
でも。
「……いけるわ!」
私は、社員さんが呆然と見守る中、その巨大冷蔵庫をたった一人で持ち上げ、背中へ担ぎ上げるようにして完璧にバランスを取った。そのまま、軋むアパートの階段を一段、また一段と、信じられないほど安定した足取りで下りていく。
「嘘だろ……」
社員さんの間の抜けた呟きを背中で聞きながら、私は大型冷蔵庫をトラックの荷台へ無事に鎮座させた。
その勢いのまま、残っていた重たいドラム式洗濯機も、巨大なブラウン管テレビも、解体されていない洋服タンスも。全部私一人で、通常の三倍近いスピードでトラックへ運び込んでみせた。
「……ふぅ。終わりましたよ」
私は息を整えながら、それでもできるだけ何でもない顔でそう言った。
社員さんは、息ひとつ乱していない私を、新種のUMAでも見るみたいな目で凝視していた。
「……君、本当に何者なの? その細腕のどこにそんなパワーが……」 「まあ、実家が農家でして。幼い頃から米俵とか担いでたんで。うへへ……」
適当な嘘で誤魔化すと、社員さんは複雑そうな顔で頭を掻いた。
「いや、安全面とか労災の問題があるから、あんな無茶な持ち方とか、冷蔵庫を一人で担ぐみたいなスタンドプレーは、本当は絶対にして欲しくないんだけどね……」
そこで一度言葉を切り、それから、困ったように笑った。
「でも……結果だけ見れば、本当に助かったよ。ありがとう」
そう言って、彼は自販機で買った缶コーヒーを私へ投げ渡してくれた。
やった。
午前のマイナス減点を、午後の物理的な加点が一気にひっくり返した瞬間だった。
会話と社会性が完全に終わっていても、仕事の出力さえ圧倒的なら、最低限の歯車として社会へ組み込んでもらえるのではないか。
つまり、もっともっとゲームでレベルを上げて、この現実の仕事能力――フィジカル――を極限まで引き上げればいい。そうすれば、私は生きていけるかもしれない。
まともな人間にはなれなくても。
ちゃんと会話はできなくても。
怪物みたいな身体能力だけで、最低限の居場所を社会からもらえるなら、それはもう私にとって十分すぎるのだ。
「うへへ……あざす……」
缶コーヒーのぬるい温もりを掌へ感じながら、私はだらしなく笑った。
◇
仕事が終わってメンタルが回復すると、腹の底から本物の食欲が湧き上がってきた。あの凄まじい肉体労働と【過剰代謝】のコンボで、お昼のバイキングのカロリーなんてとっくに消し飛んでいる。
向かう先は一つ。
ラーメン二郎へGOよ。
私に言わせれば、二郎なんてものは実質ダイエット食みたいなものよ。だって、一杯で終わるし、並び時間が長いし、時間あたりの摂取効率が悪すぎるのだもの。あんなもので【太る】とか言っている人たちは、たぶん胃袋の規模が常人未満なのだと思うわ。
……まあ、それはそれとして、私の大好物であることに変わりはないのだけれど。
二郎の長い行列に並んでいる途中、私はさっきマックへ寄って、四千円の予算で買えるだけ買ったハンバーガーの山を、暇つぶしにひたすら貪り食っていた。ハンバーガーって一口で丸呑みできるから食べやすくて好きなのだけれど、包装紙があるせいで、いちいち手で剥かなきゃいけないのが本当に面倒なのよね。包装紙ごと消化できるスキルとか、どこかにないのかしら。
そして、ようやくありついた二郎。
注文はもちろん、【全マシマシ、大盛り、豚ありったけ】。
暴力的な脂とニンニクの匂い。
極太のオーション麺。
うず高く積まれたもやしとキャベツ、そして分厚い豚の塊。
私は野生へ返った獣みたいに、無心で丼へ食らいついた。
今日稼いだなけなしのバイト代も、お昼のバイキングとマックとこの二郎で綺麗に全部吹っ飛んだけれど……最高。
労働の後の飯って、どうしてこんなにも美味しいのかしら。
「ご馳走様でした!」
綺麗に空になった丼をカウンターへ上げ、私は大満足で店を出た。
でも、幸福と一緒に、別の感情もじわじわ湧いてきた。
今日の私は、たしかに役に立てた。
助かったと言ってもらえた。
でも、そのために必要だったのは、会話力でも常識でもなく、ゲーム由来の怪物じみた身体能力だった。
しかも、その対価として手にしたバイト代は、結局その日のうちに全部胃袋へ消えていった。
「……はぁ。帰ったら、また明日の朝まで夕飯もやしかぁ……」
せっかく少しだけ【社会の歯車になれたかもしれない】なんて思ったのに、こうして数字にするとあまりにも心許ない。
働く。
食う。
消える。
また働く。
なんだか、人生そのものが私の燃費の悪さに負けている気がした。
それでも電車へ揺られながら、私はスマホを取り出した。
現実は現実としてしんどい。
でも、あっちにはレベルがあって、スキルがあって、進化がある。
そう思いながら、暇つぶしに【エリュシオンオンライン】の攻略掲示板を眺めていた、その時だった。
スワイプしていた私の目に、あるスレッドの書き込みが飛び込んできた。
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――その瞬間、さっきまでの満腹感が、ほんの少しだけ冷えた。
感想、評価いつもありがとうございます。どちらも死ぬ程励みになっています




