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第2話

今日中に掲示板回まで更新します

緑色のSPバーがじりじりと削れていくのを視界の端で捉えながら、私は薄暗い森の中を彷徨っていた。


 足取りは重い。視界は極度の飢餓感のせいで明滅を繰り返し、喉の奥からは、無意識のうちに「あー……」とも「うー……」ともつかない掠れた呻き声が漏れ出ている。客観的に見れば、飢えに苦しむアンデッドそのものだろう。グールを選んだテスターのロールプレイとしては、これ以上ないほど完璧な仕上がりかもしれないわね。


 もっとも、悲しいことに、これは演技でも何でもない。ただ純粋に腹が減って死にそうになっているだけの、ゴリゴリの無職の哀れな末路なのだけれど。


 虚ろな目で周囲を見渡す。木。草。苔。蔦。

 食えそうなもの。

 食えそうなもの。

 何でもいいから、食えそうなものは――と。


 その時、前方の茂みがガサリと揺れた。


 飛び出してきたのは、額に鋭い一本角を生やした、丸々と太った野兎だった。頭上には赤いカーソルで『ホーンラビット』と表示されている。


 そのふっくらとした毛並みと豊かな肉付きが目に入った瞬間、私の脳裏に強烈なフラッシュバックが巻き起こった。


 あれは小学校の遠足の日だったかしら。


 私は行き帰りのバスの中で我慢できず、弁当を早弁してしまったのよね。そのせいで、いざ昼食の時間になった時には食べるものが何一つないという、あまりにも救いのない状況に陥った。ひもじさに耐えかねた私は、こっそり集団から抜け出して森へ木の実を探しに行き……そこで、手頃なウサギの死骸を見つけたのだ。


 当時の私は、それはもう大喜びでそれに齧り付いた。野生の獣の肉がどんな味だったのかなんて、正直もう覚えていない。ただ、とにかく胃袋に何かを入れたかったのよ。


 けれど悲しいことに、その死骸は半分ほど腐敗が進んでいて、私は遠足の途中で救急車に運ばれ、そのまま病院送りにされた。あの時の胃洗浄の苦しみは、今思い出しても身の毛がよだつ地獄だったわ。ベッドの上で涙と胃液に塗れる私を見下ろして、母親は心の底から理解できないといった顔で、「何でいつも、そんな馬鹿なことをするのよ!」と詰め寄ってきたっけ。


 


「……ウサギ肉」


 過去のトラウマよりも、今この瞬間の空腹の方が、よほど切実だった。私は涎を飲み込み、目の前のホーンラビットに向かって、ふらふらと、しかし確かな殺意をもって飛びかかった。


 だが、相手も仮にもモンスターである。無抵抗で食われてくれるほど甘くはない。


 ホーンラビットは強靭な後ろ脚で地面を蹴ると、信じられないほどの速度で一直線にこちらへ突っ込んできた。速い。思っていたより、ずっと速い。避ける――そんな判断をするより先に、その鋭い角が私の脇腹へ深々と突き刺さっていた。


「っ……あ、がぁっ!?」


 激痛。


 仮想現実の出来事だというのに、脳髄を直接焼かれるような鮮烈な痛みが全身を駆け巡り、私は地面に倒れ込んでのたうち回った。


「痛っ……! 何なのよ、この仕様……っ!」


 傷口から流れる生温かい感触に顔を歪める。痛い。冗談みたいに痛い。けれど、それ以上に腹が減って死にそうだった。


 私は無理やり痛みを意識の奥底へ押し込めると、血を流しながらも執念で腕を伸ばし、私を刺したまま硬直していたホーンラビットの身体を両腕で力任せに押さえ込んだ。


 もがき苦しむ獲物の毛皮に顔を埋める。


 私は大きく口を開け、その首筋へ思いきり噛み付いた。


 ブチィッ、と。


 生々しい肉の断裂音とともに、口の中いっぱいへ濃い血の味が広がった。鉄臭い熱と、獣の肉の重たい感触が、飢えきった胃袋へ直接流れ込んでいく。


「……っ、美味い……! 肉……!」


 温かい血潮が喉を潤し、柔らかな肉が胃の腑へ落ちていく。


 頭が痺れる。目の前が白くなる。さっきまで全身を支配していた飢餓感が、ようやく少しだけ後退していくのが分かった。


 夢中で肉を噛みちぎること数回。

 唐突に、視界の端でシステムウィンドウが淡く発光した。


『――【噛みつきLV1】を獲得しました』


 その瞬間、顎に奇妙な力強さが宿るのを感じた。さっきまで少し手間取っていた筋や骨が、明らかに噛み砕きやすくなっている。おかげで食事の速度は一気に加速し、気づけばホーンラビットの姿は跡形もなく私の胃袋の中へ消え去っていた。


『――ホーンラビット完食!』


 少しだけおどけたようなフォントで、そんなメッセージが表示される。


 どうやらこのゲーム、倒したモンスターが光の粒子になって消えたりはせず、きちんと死体が残るタイプらしい。食料調達という観点からすれば、実にありがたい仕様だわ。


 そして、それに続くように新たなアナウンスが響いた。


『――【捕食LV1】を獲得しました』


 ふと、身体の奥底からじんわりとした熱が湧き上がってくるのを感じた。


 次の瞬間、脇腹の傷口からしゅうしゅうと白い湯気が立ち上り始める。


「……は?」


 見下ろせば、深くえぐれていたはずの肉がみるみる塞がっていく。痛みも急速に引いていった。


 どうやらこの【捕食】スキル、現時点では食べたものを回復へ回す効果らしい。随分と便利じゃないの。少なくとも、今の私みたいに空腹で突っ込んで被弾する馬鹿には、これ以上なくありがたい能力だわ。


 私は口の周りについた血を手の甲で無造作に拭い、ゆっくりと立ち上がった。


 その時、不意に視界の端へ赤紫色が映った。


 茂みの陰に、熟した木の実がいくつも生っている。私は反射的にそちらへ手を伸ばし、次々と毟り取っては口へ放り込んだ。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がり、乾いていた喉を潤していく。


 食べるたびに、身体の芯へじんわりと力が戻ってくる。


 もう傷は塞がっている。けれど、胃の底が満たされていく感覚そのものが、ひどく心地よかった。


 私はステータス画面を開き、新しく追加されたスキル欄の詳細を確認した。


 やはり先程の傷の回復は、この【捕食】の効果によるものだった。説明文を見る限り、今の段階では効果はあくまで回復寄りらしい。けれど、それでも十分だわ。食べれば傷が塞がる。それだけで、生き残りやすさは段違いでしょう。


 ホーンラビット一匹と大量の木の実を平らげたことで、私の体調は目に見えて良くなっていた。緑色のSPバーも半分近くまで回復し、さっきまで酷かった目眩や倦怠感もすっかり薄れている。


 胃袋に食べ物が入っている。


 たったそれだけの事実が、これほどまで精神を安定させるなんて。もやし生活では絶対に得られない、確かな充足感だった。


「……いけるじゃないの、これ」


 思わず、小さく呟く。


 少なくとも、食い物さえ見つけられれば、すぐには死なない。痛い目は見たけれど、食って治せるのなら話は別だ。この世界、案外私でもやっていけるのかもしれないわね。


 とりあえず、当面の餓死の危機は去った。


 すっかり落ち着きを取り戻した私は、周囲の木々を見上げながら小さく息を吐く。


「……とりあえず、現状把握ね」


 私は虚空を指でスワイプし、メインメニューから世界観の設定資料と、現在地を示すマップ画面を呼び出した。


 美味しいご飯を、今度こそ心置きなく食べ続けるために。

 まずはこの世界のルールと地理を頭に叩き込む必要があるわ。



ここまで読んでいただきありがとうごさいました

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痛みよりも強い飢餓と満たされぬ暴食か
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