第17話
死ね、未来ある若人共。
死ね、真っ当な社会の歯車共。
死ね、私より幸せそうに生きている全人類。
腹の底に澱んだどす黒いルサンチマンを原動力に、私は声にならない雄叫びを上げて茂みから飛び出した。狙うのはもちろん、妹のパーティだ。
――それと、もう一つ。
穀潰しとして生きてきた中で、私にはずっと興味があったのだ。
【人肉】というものに。
もちろん、現実ではチ◯カスほどの良心と倫理観が一応はストップをかけるし、何より捕まるから無理だけれど。ゲームの中なら、まあ、モーマンタイでしょう。以前拾い食いしたオオカミの腐肉は、リアルで腹を壊した生ゴミと大差なかった。昨日食べた鹿のボス肉は、現実で食べためちゃくちゃ上質なジビエと同じ、いえ、それ以上の味がした。
つまり、このフルダイブVRMMOの味覚再現度は、本物をかなり忠実にトレースしているということだ。
ゲームの中でなら。
あのおぞましくも魅惑的な【人間の味】を知ることができる。
現実では、怪我をした時に自分の血を舐めたり、ささくれを齧ったりして誤魔化していた。一番身近にある肉だから、どうしたって気になってしまっていたのよね。
さあ、お食事の時間だわ。
朔は、リアルの友達の前では【完璧で可愛い女の子】を演じている。だから本来の暴力性は、今この場ではそうそう出せないはずだ。
それがあいつの最大のデバフであり、私にとっての最大のチャンスだった。
「イタダキマス!」
私は不意打ちで【封式羅刹】を発動させ、最後尾にいた【狩人】クラスの男の背後へ一瞬で肉薄した。
振り向く暇すら与えない。
私の顎が大きく開き、無防備な喉笛へ深く食らいつく。
「が、はっ……!?」
ぶちぃっ、と。
頸動脈を引き裂く生々しい感触。口の中へどっと溢れ込んでくる、温かくて、塩気と鉄臭さの強い血の味。男は声も出せないまま崩れ落ちた。ポリゴンになって消えたりはしない。ただの新鮮な肉塊として、地面へどさりと沈む。対象が死んだことで、【封式羅刹】のオートモードはそこで一旦解除された。
「……むぐむぐ。うん、美味美味」
私は喉の奥へ肉を押し込みながら、小さく頷いた。
想像していたより、ずっと美味い。
豚や牛みたいに食肉として仕上げられた肉に比べれば少し筋張っていて、大味でもある。けれど、血の甘さと脂の柔らかさは妙に生々しくて、魔物の肉とは別種の背徳感が舌へまとわりつく。
ああ、なるほど。
こういう感じなのね。
「ひぃっ!? な、なんだこいつ!?」 「モンスター!? いや、プレイヤーか!?」
突如現れたゴブリン仮面の女――つまり私――が仲間を食い殺した光景を前に、残り四人が一気にパニックへ陥る。後衛にいた魔術師の女の子が悲鳴を上げながら、こちらへ火の玉を放ってきた。
「あら、魔術。私のステータスだとMPの使いどころが無いから、そういう派手なスキル、ちょっと欲しいのよね」
私は余裕の笑みを浮かべ、足元へ転がっていた狩人の死体を片手で持ち上げると、それをそのまま盾にして火球を受けた。
ごおっ、と炎が死体を舐める。
焦げた人肉の匂いが立ちのぼる。普通なら吐き気を催す悪臭なのだろうけれど、今の私には食欲を煽る極上のスパイスでしかなかった。
「熱いのは嫌だわ」
頬へ掠めた炎の余波で削れたHPを、私は盾にしている狩人の腕をばりばりと食いちぎることで一瞬で埋めた。
『――【捕食LV4】に上昇しました』
「タケルくん! 【武装解除】!」
朔が舌打ちし、盗賊の凶悪スキル【武装解除】を私へ放ってくる。対人特効の、装備を強制的に外して弱体化させる厄介極まりないスキルだ。
でも、残念でした。
「あらら。効かないみたいね」
私はボロボロの初期服にゴブリンの仮面という、ほぼ【非武装】状態だ。外されるような武器も防具もないのだから、無効化されて当然である。生命線の【封式羅刹】や【空爪】みたいな【神器】枠まで剥がされたら嫌だな、とは内心びくびくしていたのだけれど、どうやら対象外らしい。それに、顔を隠している仮面も装備品ではなく、ただ【インベントリのアイテムを頭に被っているだけ】の扱いらしいから、これもセーフ。
「くそっ、前衛! 抑えて!」 「お、おう! 任せろ!」
大盾を構えた【騎士】と、大剣を握った【戦士】の男二人が、朔と魔術師を庇うように前へ出る。
私は【空爪】を構え、腕を連続で振り抜いた。
しゅばっ、しゅばっ、しゅばっ!
貫通効果を持つ風の刃が、前衛の肉壁をあっさりすり抜け、その後ろで詠唱に入っていた魔術師の女の子の身体を容赦なく切り刻んだ。
「きゃあああっ!?」 「おいっ、後衛が!」
肉壁として機能しきれなかった前衛の二人が狼狽する中、魔術師は血の海へ沈んだ。
「さあ、次はあなたたちよ」
私は【過剰代謝】を発動し、蓄えていたSPを一気に燃やして身体能力を爆発的に引き上げた。大盾を構えて突進してくる騎士の顔面へ、進化した【ハイグール】のゴリラじみた脚力を乗せた前蹴りを叩き込む。
「がはぁっ!?」
大盾ごと吹き飛んだ騎士が、その後ろにいた戦士を巻き込んで倒れ込む。私はそのまま跳躍し、重なって転がった二人の上へどすんと着地した。
「いっただっきまーす!」
私は馬乗りになったまま、【封式羅刹】のオート早食いモードを発動する。さっきの戦闘で削れたカロリーとHPを補うため、まずは足元へ転がっている狩人の頭部からばりばりと食いちぎっていった。
『――【捕食LV5】に上昇しました』
『――【噛みつきLV5】に上昇しました』
「あむっ……ん、目玉うまっ」
あむっ、ぎゅむぎゅむっ、ごくんっ
「人間相手だと……んぐっ、頭蓋骨がぱりぱりして、ほんとスナック菓子みたいね。ごくん」
んぐっんぐっ
「脳味噌も……あぁ、これ、クリーミーでコクがあるじゃない」
ごっっくん
なんだか知らないけれど、人間――つまりプレイヤー――を食うと、魔物よりレベルの伸びがいい気がする。それに、味も悪くない。いや、悪くないどころか、かなりいい。私は騎士の胸ぐらを掴んだまま、戦士、魔術師、狩人の肉を手当たり次第に貪り続けた。
「……やだ、美味しすぎて止まらないわ」
私の股の下で、騎士の男が完全にちびってがたがた震えている。
なかなかそそられるわね…
「んぐっ! ごくん! ふぅ……おかわり!」
私は血塗れの顔を上げ、魔術師の女の子の腕の肉を食いちぎりながら、ちびっている騎士へ向かって邪悪な笑みを浮かべた。
「うふふっ。すぐにあなたも、ここで――」
私は自分のお腹を指差す。
「――お仲間と再会させてあげるわね…あーん、んぐっ!」
リアルでこんな台詞を吐いたら、たぶん警察どころか特殊部隊案件だろう。
でも、仮想現実の悪役ロールプレイとしては百点満点ではないかしら。
「……魔術師のお肉、うんめえ。女の子のお肉は柔らかくて、脂もちゃんと乗ってて、本当に美味しいわねぇ」
私はわざと騎士を殺さず、生かしたままにしておいた。
理由は単純。目撃者が生きている限り、朔は【可愛い女の子】の皮を完全には脱げないはずだからだ。そう思っていた。
私は戦士の心臓をまとめて頬張りながら、有頂天になっていた。
こいつら、思っていたよりレベルが高くない。
私はもう総合レベル20を超えているし、格上狩りでステータスもだいぶ暴力的に伸びている。あとは、あの生意気な朔を食って……最後にこの騎士をデザートにして終わり。
ああ、やだ。
想像しただけで、また涎が出てきた。
あんなに憎たらしい朔の肉。きっと、最高に美味しいはずだわ。
私が舌なめずりしながら朔の方へ向き直った、その次の瞬間。
しゅぱっ。
風切り音すら置き去りにするような、目にも留まらぬ速度の手刀。
それが、私の股の下でがたがた震えていた最後のクラスメイト――騎士の首を、いとも容易く刎ね飛ばした。
「……え?」
呆然とする私の前で、朔は自分の手へ付いた仲間の血を無造作に振り払い、ゴキッ、ゴキッと首の骨を鳴らした。
そこで、空気が変わる。
先ほどまでの【可愛い女の子】の気配が、嘘みたいに消え失せた。
立ち方が変わる。
声の温度が落ちる。
目の光が消える。
そこへ立っていたのは、私がよく知る、あの本性の朔だった。
「あーあ。これで、目障りな目撃者はいねえな」
低く、乾いた声。
「あんたが何者か知らねえし、あんたは悪くないけどよ。今日はちょっとムカついてたから、私のサンドバッグになってもらうわ」
へら、と。
口元だけで笑う、凶悪な加虐者の笑み。サディストの顔。
その瞬間、私の背筋を冷たいものが走った。
まずい。
まずいまずいまずい。
仮面の内側で汗が一気に吹き出し、胃がきゅっと縮む。視界の端がいやに鮮明になる。私はついさっきまで人肉へうつつを抜かしていたくせに、ほんの一言で、自分の優位がひっくり返るのを悟ってしまった。
「ちょっと私の身の上話を聞いてくれよ」
朔は血に濡れた短剣を弄びながら、低い声で語り始めた。
「私は根っからのサディストだ。生まれつき、他人を痛めつけて苦しめるのが好きで好きでたまらねえんだよ。
俊兄は出来が良くて優しい良い子、柚姉は深淵を覗き込んでるような変人だが根は善人。私はサディスト。龍兄はただのクソカス。……そして、紬は、救いようのないクソボケだ」
自分の名前が出た瞬間、私の胃がきゅっと縮み上がった。
「あいつは異常だ。もう八年前から、ろくに口も利いてねえ」
朔の目が、ぎりっと吊り上がる。
「あいつが私のプリンを盗み食いした時、私は報復であいつが胃液を吐き切るまで腹を殴り続けた。数少ない取り柄の顔面も、三倍くらいに膨れ上がらせてやった。そのまま便器の中に顔をつかんでねじ込み叩きつけ、そのまま脳味噌まろびでるまでストンピングしてやった……なのにあいつ、退院して三日後にはまた私の冷蔵庫のアイスを食い始めやがったんだぞ?」
朔が頭を抱えて吐き捨てる。
「あいつ、マジで人間じゃねえんだよ。痛覚とか学習能力とか、そのへんの必要な機能が丸ごと欠落してんだわ。
それだけじゃねえ。あいつと姉妹ってだけで、近所の飲食店はだいたい出禁だ。あいつが私の名前を勝手に使ってバイキングで食い散らかしたせいで、私まで出禁になったんだぞ。
ろくに泳げもしねえくせに『海産物は海の中で生きたまま食えば密猟にならない』とか意味不明な供述して冬の海にダイブするわ、アラサーのババアのくせに、『お菓子あげるから』って声かけられてホイホイついてって誘拐されかけてくわ、実家で飼ってた犬の【ノア】のドッグフードを、四つん這いで犬と本気で奪い合うわ、最初は笑ってたがもうドン引きしかわかねえ!」
怒涛の勢いで暴露される、私の過去の黒歴史。
仮面の下で、私は滝みたいな冷や汗を流していた。
手がじわじわ震える。
喉が乾く。
呼吸が浅くなる。
……やめてほしい。
できれば今すぐ帰りたい。
でも、身体が動かない。
いや、悪いとは思ってるのよ。
悪いと思っても身体が勝手に動くだけで。
「もっともっともっと言いたいことは山ほどあるが、飯関係だけでもこのザマだ!
これ以上、龍兄の馬鹿と紬のクソバカの尻拭いなんかやりたくねえんだよ!
テメエら馬鹿兄姉のせいで、末っ子アイドルポジの私が、どうしてこんな苦労人ポジになってんだよ! 末っ子ってもっと美味しいポジションだろ! 家族の愛情を一身に受ける特等席のはずだろうが!末っ子アイドルとして人生イージーモードにしたかったんだよ!」
朔の怒号が森へ響く。
「クソカスが! あの馬鹿どもには、制裁として紐無しバンジーさせたり、半殺し――全身の骨の半分を正確に折る――にしたり、軽トラで突っ込んだり、裏山に生き埋めにしたり、色々やってきたが、微塵も反省しねえ!」
びくっ。
びくっ。
朔の言葉が一つ出るたびに、私の身体が条件反射みたいに震えた。
骨を折られた痛み。
軽トラに轢き飛ばされた衝撃。
土の中で息ができなくなった時の恐怖。
忘れたふりをしていただけの記憶が、急に鮮明になって蘇ってくる。
「……で、だ」
朔が、ゆっくりこちらへ顔を向けた。
瞳孔は完全に開ききっていて、底の見えない殺意が黒く沈んでいる。
「その死ぬほどムカつく紬に、テメエは動きと体型――乳のでかさ以外――がそっくりなんだよ」
その瞬間、私は本気で終わったと思った。
匿名も仮面も万能じゃない。
私が私であることを、あの女は気配だけで嗅ぎ当てかけている。
「完全な八つ当たりだが……死ねや、カス!」
ひゅんっ!
言葉が終わるよりも早く。
朔の姿が掻き消え、私の目の前へ、あの見慣れた【死の軌道】を描く蹴りが迫っていた。
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