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第16話

ここまで読んでいただきありがとうございます

あむ……んぐんぐ……ごっくん……ふう、ごちそうさまでした」


 食べ終えたあとの、生ゴミ袋。

 つんと鼻を刺す強い臭気を放っているそれを、わざわざ一階のゴミ箱まで持っていくのがどうにも面倒だった私は、足の甲で軽く蹴り上げ、そのまま学習机の下の暗がりへシュートしておいた。


 あとで掃除の時にママへ見つかったら、間違いなく殺意のこもった鉄拳が飛んでくるでしょうね。

 でも、限界近くまで満腹になった今の私にとって、そんな未来のリスクは驚くほどどうでもよかった。


「ふぁ……幸せ。んじゃ、やりますか。【エリュシオンオンライン】」


 満ち足りた気分のまま、私はベッドへ転がり込み、VRヘッドセットを深く被った。


 意識が電子の海へ沈み、再び目を開けた時には、そこはもうすっかり見慣れた【迷い人の大樹海】の薄暗い景色だった。


「さて、と。今日も元気に、美味しいご飯を探しましょうか」


 私は軽く準備運動を済ませると、まずは前菜を探して森を歩き出した。


 ほどなくして遭遇したのは、見慣れたゴブリンの小集団。五匹ほどいたけれど、今の私のステータスとスキルからすれば、もはや歩くおやつでしかない。ついでに、その群れの周りをうろついていた見慣れない魔物――大きめの【ブルースライム】と、少し骨張った【コボルト】らしき魔物も、一緒に処理しておくことにした。


「あら、いらっしゃい。ちょうど小腹が空いていたのよ」


 風の刃で足を止め、流れるように懐へ潜り込む。抵抗する暇も与えず、私は次々と喉笛と首筋へ食らいついていった。

 【ブルースライム】は清涼飲料水みたいに喉越しがよくて、【コボルト】は少し筋っぽいけれど野性味があって悪くない。前菜としてはなかなか優秀な部類だわ。


 視界の端へ、システムウィンドウが浮かぶ。


『――ゴブリン完食!』

『――ゴブリン完食!』

『――ゴブリン完食!』

『――ブルースライム完食!』

『――コボルト完食!』


「ふふっ、ごちそうさま。……でも、これくらいじゃまだ全然足りないのよね」


 口元を拭ってさらに森の奥へ進んでいくと、開けた湿地のような場所へ、それはぬらぬらと光る身体をうねらせながら横たわっていた。


 直径十センチはくだらない、長さは三メートル近くある巨大なミミズ。頭上には【ジャイアント・ワーム】の赤いカーソルが浮かんでいる。


 普通の人なら悲鳴でも上げて逃げ出すのだろう。

 けれど、極限まで食欲へ寄せた私の目には、それはまるまる太った極太のうどんか、あるいは肉汁たっぷりの巨大フランクフルトにしか見えなかった。


「……美味しそう」


 たらり、と。

 口の端から濃い涎が垂れる。


 あんな巨大なもの、どうやって食べるのかって?

 決まっているじゃない。


 私は大きく口を開き、顎の関節のロックを意図的に外した。


 ばきっ、ごきっ、と鈍い音がして、私の下顎が常識的な骨格の限界を無視して蛇みたいにだらりと下へずれ落ちる。頭の半分くらいまで裂けた巨大な口腔が、ぬらりと現れた。


 これ、ゲームのスキルだと思われそうだけれど、実は現実の私でも昔からできたのよね。


 学生時代、家族で行ったファミレスで分厚いステーキを頼んだ時、細かく切り分けるのがどうしようもなく面倒で、この【顎外し】を使ってそのまま丸飲みしようとしたことがある。

 その時は周囲の客や店員に見られて、ドン引きされて、【化け物】だの【人間じゃない】だのと後ろ指をさされたけれど、私は本気で不思議だった。あんなの、ちょっとコツを掴めば誰でもできるでしょうに。どうして皆、わざわざ小さく切って、ちまちまと食べるのかしら。ひどく面倒じゃない。


 そんな、現実での理不尽な迫害の記憶を脇へ追いやりながら、私は大きく開いた口で、こちらへ気づいて襲いかかってきた巨大ミミズの頭部へ、真正面からがぶりと食らいついた。


「ギュルルルルゥッ!?」


 予想外の反撃。しかも、自分より小さな生物に真正面から【捕食】されるという、まったく想定していなかった事態に、ミミズはパニックを起こして激しくのたうち回る。


 私の喉の奥へ、ミミズの生温かい体液と、ぬるぬるした肉の感触が滑り落ちていく。必死で抵抗して私の身体へ巻き付こうとする巨体を、私は進化した【ハイグール】の腕力でがっちり押さえ込み、そのままずるずると、まるで極太の麺でも啜り上げるみたいに胃袋へ流し込んでいった。


「んぐっ、ずずずっ……ごきゅっ……!」


 喉が破れそうなほどの質量。

 胃袋が異常な速度で膨らみ、そしてすぐにまた凄まじい速さで消化されていく。生きたまま胃液の海へ落とされたミミズが、お腹の中で暴れ回っている感触すら、今の私にとっては極上のスパイスでしかない。


 ごくり、と。

 最後の一尾まで完全に飲み込み、私は大きく息を吐き出した。


『――ジャイアント・ワーム完食!』

『――噛みつきLV4 に上昇しました』

『――捕食LV3 に上昇しました』

『――新規スキル【身体操作】を習得しました』


「ぷはぁっ……うんめえ」


 口の周りを手で乱暴に拭いながら、私は至福の吐息を漏らした。


 身体の内側が熱い。胃の奥へ放り込んだ質量が、ぐんぐん血肉に変わっていくのが分かる。さっきまであった軽い空腹感も綺麗に消えて、四肢の先までじわじわと力が巡っていく。

 ああ、やっぱり大物はいいわね。食べた後の満たされ方が違う。


 それに、新しいスキル【身体操作】。

 名前からして、関節や筋肉の動かし方をもっと細かく制御できる類のスキルなのだろう。だとしたら、さっきみたいな顎外しや、【封式羅刹】の回避と噛みつきの噛み合わせも、今後もっと滑らかになりそうだわ。近接戦に寄った私には、かなりありがたい新スキルじゃない。


「いいじゃない。だんだん、ちゃんと化け物らしくなってきたわね」


 私は満足げに笑って、さらに森の散策を続けようとした。

 その時だった。


「……ん?」


 木々の隙間から、騒がしい話し声と複数の足音が近づいてくる。

 私は咄嗟に茂みの陰へ身を隠し、そっと様子を窺った。


 そこへ現れたのは、五人組のプレイヤーパーティーだった。男が二人、女が三人。その中心で、いかにも守られるべきお姫様みたいに振る舞っている、【盗賊】クラスの軽装を纏った一人の女。


「あれは……」


 私の目が、その女の顔を正確に捉える。


 間違いない。

 我が妹にして、私を五十回どころかそれ以上病院送りにしてきた恐怖のゴリラ。

 玉織朔だ。


「さっちゃん! あっちに宝箱あったよー!」

「本当? さすが、頼りになるね。開けて開けてー」

「朔ちゃんの後ろは俺が守るから、安心して戦っていいよ」

「えー、嬉しい。お願いね!」


 男二人にちやほやされ、女友達ときゃっきゃと笑い合いながら、絵に描いたみたいな【姫プ】を満喫している妹の姿。


「……許せない」


 ぎりっ、と。

 無意識に奥歯を噛み締めていた。


 異性を侍らせてちやほやされているのももちろん気に食わない。

 でも、それ以上に、同性の友達とあんなにも自然に、あんなにも何でもない顔で笑い合っていることが、どうしようもなく許せなかった。


 中学まではともかく、高校での私は完全に【ホンモノ】枠だったのだ。周囲から綺麗に浮き上がり、スクールカーストの底辺どころか、いわゆるオタクグループにすら「あの子はちょっとガチすぎて無理」と距離を置かれて入れなかった。

 なのに、あいつは。


 現実社会で完璧に人間関係を築いている上に、結局ゲームみたいな陰キャのささやかな安住の地にまで、その強烈な【陽】の気配を持ち込んでくるのかしら。


 ……しかも、冷静に見ればあのパーティー、わりと面倒そうだった。


 前へ出ている男二人は装備もそこそこ整っていて、少なくとも雑魚ではない。朔は中央で守られつつ、動きは軽い。どうせあれで、対人寄りだろうがソロ適性だろうが、効率の良い立ち回りをすぐ覚えるタイプなのだ。後ろの女二人も完全な飾りではなさそうで、位置取りが妙に落ち着いている。

 真正面からやり合うのは、正直かなり面倒ね。


「……逃げようかしら」


 そう思って、一歩だけ後ずさった。


 正直に言えば、怖かったのだ。

 現実の私は、あの女へ近づくだけで骨の折れる音と病院の消毒液の匂いを思い出す。反射みたいな恐怖が、今でも身体の奥へこびりついている。


 ……けれど、それとこれとは別の話でもある。


 私は、朔に何度も酷い目に遭わされてきた。

 でも、冷静に振り返れば、だいたい最初に仕掛けたのは私の方なのよね。給食費を抜いたのも、お年玉をくすねたのも、食べ物を横取りしたのも、ほとんど全部、私が先だった。向こうに非があるとしたら、せいぜい報復のスケールが毎回ちょっと常軌を逸していることくらいだわ。


 つまり、道理の上ではたぶん私が悪い。

 倫理の教科書に照らしたら、かなり見苦しい側にいるのも私でしょうね。


「……よくよく考えたら、百パーセント私が悪かったわね」


そう、過剰防衛にも程がある殺意のオンパレードだったとはいえ、すべての喧嘩の火種を投げ込んだのは、いつだってこの私なのだ。奴がナチュラルに人を壊す術を知っているバケモノだっただけで、私自身の自業自得という側面は否定しきれない。


「でも……だからって、ここで見逃す理由にはならないわよね?」


私が悪かろうが、あいつの報復が過剰だろうが、そんなことはどうでもいい。


 

 私が正しくなったところで、腹は膨れない。

 私が反省したところで、あの女への嫉妬が消えるわけでもない。

 私が道徳的に美しく振る舞ったところで、この胸の奥に溜まりきったどす黒い澱が、都合よく浄化されるはずもないじゃない。


 それに、ここは現実じゃない。


 インターネットや仮想現実みたいな【身バレしない状況】であれば、普段は絶対に逆らえないような圧倒的格上へだって、容赦なく殴りかかれるということなのよね。


 現実では絶対に勝てない。

 現実では絶対にこちらが悪者になる。

 現実では結局、私が一方的にやられて終わる。


 でも、ここは違う。


 ここでは名前も隠せる。

 姿も偽れる。

 力もある。

 スキルもある。

 しかも、相手は私を【紬】だと認識していない。


 要するにこれ、普段は絶対に殴り返せない相手へ、匿名のまま一泡吹かせられるってことでしょう?


 ええ、分かっている。

 だいぶクソだわ。

 筋も通っていない。

 八つ当たりもいいところだし、私怨百パーセントだもの。


 でも、倫理では腹は膨れないのよね。


 それに――どうせ私は、最初からあまり立派な人間ではなかったじゃない。


 ゲーム内の私が、胸の奥で静かに囁く。

 今の私は【ハイグール】だ。

 【封式羅刹】もある。

 不意打ちなら、やれるかもしれない。

 いえ、正直に言えば、かなりやりたい。


「うふふ……あははははっ!」


 気づけば、笑っていた。


 私はインベントリを開き、先ほど食い殺したゴブリンの残骸から剥ぎ取っておいた、粗末な木彫りの仮面を取り出した。


 それを顔へ深く被る。

 名前表示設定は【非表示】へ切り替える。


 たったそれだけなのに、胸が妙に高鳴った。

 自分が自分じゃなくなるみたいで、ぞくぞくする。

 これなら、ただの珍獣の姉じゃない。

 ただの社会不適合者でもない。

 誰だか分からない、森の化け物として朔へ近づける。


 ……ああ、いいわね。

 ものすごく、いい。


「さあ、お姉ちゃんからの、愛のこもったプレゼントの時間よ」


 私はゴブリンの仮面の奥で、暗く笑った。


 進化した【ハイグール】の身体能力。

 オートマニューバの【封式羅刹】。

 そして、この匿名性。


 少なくとも、現実みたいに一方的に病院送りにされるだけでは終わらないでしょう。

 たとえ勝てなくても、一泡くらいは吹かせてやりたい。

 可愛い悲鳴のひとつでも上げさせてやりたい。

 ……まあ、現実の朔はたぶん、そんな声を死んでも出さないのでしょうけれど。


 それでも構わない。


 正しいとか、間違っているとか。

 そういうのは、後から考えればいいのよ。

 少なくとも今は、目の前にあるこの機会へ飛びつく方が先だわ。


 私は気配を殺し、姫プレイに興じる妹の背後へ、静かに、静かに忍び寄っていった。



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