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第15話

お気に入り、感想、評価、及びに最新話までの拝読いつもありがとうございます



「さ、朔……ちゃん……」


 私は両手に生ゴミの袋を抱えたまま、完全にフリーズしていた。

 視線はあさっての方向へ泳ぎ、絶対に彼女と目が合わないように、首を微妙な角度で逸らしている。


 玉織朔たまおり・さく

 私の四つ下の妹にして、現役の医学生。完璧なメイク、きっちり手入れされたショートボブ、洗練された春物のコート。まるでファッション誌からそのまま抜け出してきたみたいな、隙のない見た目をしている女だ。


 そして、性格も口も、控えめに言って最悪だった。


 高校時代なんて、私がこっそり近所のゴミ漁りをしているところをスマホで激写して、「珍獣発見w」とかいうタグ付きで、ぎゃははは笑いながらSNSへ晒し上げた前科まである。

 もっとも、あの時は私も全力で「この珍獣は玉織朔の実の姉です!!」と血縁関係を暴露して回り、向こうのスクールカーストへそれなりのダメージを入れてやったから、完全敗北ではなかったのだけれど。


 ……まあ、自分で言っていて、ただ血縁関係を明かしただけでそこまでダメージが入る私の存在って何なのかしら、と少し悲しくもなるわね。


 でも、それ以外の戦績があまりにもひどいのだ。


 過去、「アイスを一口ちょうだい」と言って、朔がしぶしぶ差し出してきた高級アイスの七割を、私が棒ごと一口で丸呑みした時。奴は一切の躊躇なく、私のみぞおちへ膝をめり込ませてきた。

 朔の給食費をちょっと拝借した時は、二階の窓から私を庭へぶん投げてきた。

 「朔に渡してね」とおばあちゃんから託されたお年玉を、私が正当な仲介手数料として全額ぽっけへナイナイしたのがバレた時は、首根っこを掴まれて真冬の海へ叩き落とされた。


 ……ええ、確かに、どれも私が先に仕掛けたことではある。

 あるのだけれど。

 いくらなんでも、報復のスケールが凶悪すぎないかしら。


 それに、怖いのは暴力だけじゃない。


 朔は、ちゃんとしている。

 ちゃんと綺麗で、ちゃんと頭が良くて、ちゃんと会話ができて、ちゃんと人から好かれて、ちゃんと社会の中に居場所がある。私みたいに、努力の方向が毎回どこかへ吹っ飛んでいく出来損ないとは違う。息をするみたいに「人間」をやってのける、完成品なのだ。


 それが本当に、心底、嫌だった。


 真っ当な社会の中で、苦もなく居場所を確保して、普通に評価されて、普通に生きている女。私がどれだけ背伸びしても届かないものを、最初から全部持っている。見ているだけで、胸の奥へ黒いものがじわじわ溜まってくる。


 しかも、その上で性格が悪い。

 弱いもの――主に私――をいたぶることに一切の良心の呵責がない。美しい歯車でありながら、平然と他人を踏み潰せる。そういう意味では、社会へ適応したまま生きているバケモノだわ。


 昔は、まだ普通に喧嘩できていた。

 中学までは、毎日のように口喧嘩して、つかみ合いになって、それでも会話は成立していたのよね。

 でも、いつからか私は、朔とまともに目も合わせられなくなった。


 たぶん、私の方が先に壊れたのだと思う。


 高校へ入ってから、同年代とも家族とも、だんだん話せなくなっていった。自分が何を言っても、どうせ浅くて、ズレていて、恥をさらすだけだと思うようになった。朔みたいに、頭も口も回って、しかも容赦なく本質を突いてくる相手ならなおさらだ。気づけばここ何年も、必要最低限の返事以外、ろくに会話なんてしていない。


 だからこそ、今こうして玄関先で真正面から鉢合わせているだけで、全身がじわじわ冷えていく。


 ……けれど、そこでふと、私は今朝の自分を思い出した。


 傷は治る。

 嗅覚は鋭い。

 身体も明らかに軽い。

 それに今の私は、【ハイグール】のステータスと、もやし一キロと黒い悪魔一匹を腹へ収めたあとの、妙な万能感に包まれている。


 もしかして。

 今なら、もしかして私、勝てるんじゃないかしら――?


 その考えが脳裏をよぎったのは、ほんの一瞬だった。


 次の瞬間には、もっと濃くて、もっと現実的で、もっと絶対的な「死のイメージ」が一気に流れ込んできたからだ。


 あれは以前、テレビの所有権を巡って喧嘩になり、私が雄叫びを上げて飛びかかった時のことだった。

 戦闘開始、コンマ数秒。朔は私の突進を当然みたいにいなし、無駄のない蹴りをみぞおちへ叩き込み、悶絶して前傾した私の鼻へ肘打ちをクリーンヒットさせ、さらに跳ね上がった顎を下からの蹴りで吹き飛ばし、そのまま私を実家の天井へ到達させたのだ。


 ……あれは本当にひどかったわね。

 人間って、条件が揃うとあんな飛び方をするのね、と思ったもの。


 いま思い返しても、医学生だの何だのは関係ない。

 あの女は、ただ単純に喧嘩が強い。しかも、相手がどこを壊されたら一番沈黙するかを、嫌になるほど正確に選んでくる。ブレーキも手加減もない。家族の中で一番危険なのは、たぶん上の兄姉じゃなくて朔なのだ。


 今の私が、多少腕力を得た程度で殴りかかったところで、ちょっと頑丈になったサンドバッグとして喜ばれるだけでしょうね。

 絶対に勝てない。

 私なんかが及ぶべくもない、本物の「捕食者」は、社会に適応した美しい人間の皮を被って、こうして目の前へ立っている。


「……何、そのゴミ。そして何その顔。キモいんだけど」


 朔が、絶対零度の声で私を射抜いた。


 私はびくっと肩を震わせ、引きつった笑いを浮かべた。


「ふ、ふへへ……あ、これ? さっき食べたGの足。歯に挟まっちゃってて……」


 前歯を指さしながら、私は精一杯おどけたテンションでそう言った。


 その瞬間、朔の完璧な美貌が、恐怖で劇的に歪んだ。


「ヒッ……!! 近寄るな!! 殺すぞ!!」


 普段は冷徹な朔が、血相を変えて悲鳴を上げる。


 そう。

 奴の唯一と言っていい弱点が、【あの黒い悪魔】なのだ。さっきのママとまるっきり同じ反応。玉織家の女は私以外、みんなあれが致命的に駄目なのよね。あんなに香ばしくて美味しいのに、不思議な話だわ。


 ……ん?


 そこで私は、内心で小さく首を傾げた。


 私、今。

 朔と普通に会話してない?


 衣食住のために頼らざるを得ないママ。それ以外の「優秀な家族」とは、私はもう何年もまともに話していなかった。精神構造に断絶を感じるし、何より、話していると自分の底の浅さを全部見透かされる気がして、恐ろしくて仕方がなかったからだ。


 なのに、今は喋れている。


 ……いえ、違うわね。

 これはたぶん、ゲームのスキルの影響で妙な万能感に酔って、変なテンションで喋れてしまっているだけだ。黙っていた方が絶対に良い結果になる、いつもの私のクソテンション。長引けば長引くほどボロが出る、最悪のやつである。


「……どいて」 「はいっ」


 朔の、黒いオーラでも見えそうな一言へ、私は条件反射で道を空けた。


 朔は私を汚物みたいに大きく迂回すると、ヒールを鳴らして家の中へ入っていった。


「ただいま! ママ!」


 リビングから、朔の明るく通る声が響いてくる。


 私は玄関へ生ゴミを放置するわけにもいかず、こっそり裏口から家へ入り、ばれないように抜き足差し足で二階の自分の布団へ避難した。毛布を頭から被って、息を殺しながら一階の会話へ耳を澄ませる。


 ……ああ、惨めだわね。

 情けないし、みっともない。

 でも、正面からあれと向き合うくらいなら、布団の中で盗み聞きしている方がまだマシなのだから仕方ないじゃない。


「おかえりなさい。早かったわね」 「うん、レポート出し終わったから。……ねえ、玄関に変な珍獣がいたんだけど。なんか歯にヤバいもの挟まってたし」 「また紬のこと? 放っておきなさい。今日は珍しく朝から活動的みたいだから。……あんたも、ご飯食べる?」 「食べるー! あ、でもその前にちょっとゲームやろっかな」


 ……ゲーム?


 私は布団の中で、目を見開いた。


 あの、オタク趣味を心の底から馬鹿にして、私が部屋でゲームをしていると「また現実逃避? 粗大ゴミが」と鼻で笑っていた朔が?


 でも、そういえばそういう女だった。

 他人の好きなものは軽蔑するくせに、一度自分が手を出すと異常なまでにのめり込んで、最短距離でハマっていく。要領が良くて、理解が速くて、しかも変に負けず嫌い。こういうのへ手を出したら、たぶん私なんかよりよほど上手くやる。


「最近、大学の友達に勧められてさ。VRMMOなんだけど、なんかめっちゃハマっちゃって」 「エリュシオンオンラインって言うんだけどね。ママも知ってる?」 「知らないわよ、そんなの。ほどほどにしなさいよ」


 ……ドンピシャじゃない。


 私は布団の中で、がくがくと震えながら身を丸めた。


 現実世界に、私を五十回どころかそれ以上病院送りにしてきた、本物のゴリラ兼バケモノの妹が帰還した。

 しかも、よりによって。

 私が唯一の居場所として見出しかけていた【エリュシオンオンライン】の世界へ、こいつもログインしているというのだ。


 最悪だわ。

 本当に、最悪。


 だって、朔はただログインするだけで終わるタイプじゃないもの。

 こういう女は、ルールを覚えて、効率を掴んで、最適解を最短で奪っていく。対人だろうが攻略だろうが、「勝てるやり方」を当然みたいに見つけてくる。しかも、楽しそうに。


 もし、あっちの世界で出くわしてしまったら。

 もし、あっちでも私が「珍獣」として目をつけられてしまったら。

 もし、私の今のこの気楽で楽しい化け物生活へ、あの完成品の捕食者が踏み込んできたら。


「……ま、まあ、会うことも無いでしょう……無いわよね……?」


 自分で言っていて、まったく信用できない慰めだった。


 だって現実でも、私はあの女から逃げ切れたことなんて一度もないのだから。




紬ちゃん(26)情報

友達が近所の小学生しかいない

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― 新着の感想 ―
全部オメェが悪いんじゃねぇかこのクズが! 妹は母ちゃん譲りの戦闘能力を受け継いでいるんだろう いずれ遭遇すんなら喰い殺す(PK)だろ絶対 なんなら今よりも精神や食欲がぶっ壊れたら肉親や兄妹すら喰らいそ…
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