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「君との一カ月は、俺の人生で最も価値のないゴミだった」——偽りの告白を笑った君が、涙ながらに縋るまで。  作者: ledled


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第6話 因果応報、そして新しい朝

降りしきる雨は、夜の街を冷たく濡らしていた。

都会のネオンが水たまりに反射し、色とりどりの光が歪んでは消えていく。

株式会社ネクスト・コアの本社ビルを追い出された水原摩耶と葉山健太は、傘も持たずに歩道に立ち尽くしていた。

高級ホテルのようなロビーの輝きとは対照的に、街灯の下の二人はあまりにも惨めで、泥で汚れた野良犬のようだった。


「ねえ、健太……どうすればいいの? 私、もう家にも帰れないよ……」


摩耶が震える声で呟いた。彼女のスマートフォンには、消費者金融からの督促メールと、管理会社からの家賃滞納による強制退去の通知が、容赦なく届き続けている。

かつては、指先一つで男たちを操り、望むものを手に入れてきた彼女。

だが、今の彼女に残されたのは、雨で台無しになった安物のドレスと、膨れ上がった借金、そして誰からも見捨てられたという冷酷な事実だけだ。


「……うるせえ。俺だって同じだ。会社からは訴えられ、親父からも勘当された。全部……全部あいつのせいだ! 一条の野郎、あんなに執念深い奴だなんて……!」


健太は壁を殴りつけたが、その拳は力なく跳ね返った。

かつての彼は、腕力と横暴さで周囲を支配していた。だが、社会という巨大なシステムの歯車を動かす一条蓮という存在の前では、その暴力は何の役にも立たない。

彼がこれまでの人生で積み上げてきたものは、砂の城よりも脆く、一条が吐いた一言の「正論」と「資本の力」によって粉砕された。


「……ねえ、誰か助けてくれる人はいないの? 佐藤くんとか、ほら、高校の時のみんな……」


摩耶が必死にMINEの連絡先を辿る。だが、彼女がメッセージを送ろうとするたびに、画面には無情なエラーメッセージが表示された。

同窓会での一条の宣言、そしてその後の彼の会社による徹底的な身辺調査と圧力。

それを知ったかつての「仲間」たちは、火の粉が自分たちに飛んでくるのを恐れ、一斉に摩耶と健太をブロックしたのだ。

昨日まで「親友」だと笑い合っていた人間たちが、利害関係が崩れた瞬間に、これほどまで冷淡に背を向ける。

それは、かつて彼女たちが一条蓮に対して行ってきたことの、鏡合わせのような報いだった。


「……誰もいない。誰も、返事してくれない……」


摩耶は歩道に崩れ落ち、声を上げて泣いた。

その鳴き声は激しい雨音にかき消され、通り過ぎる通行人たちは、関わり合いを避けるように足早に通り過ぎていく。

かつて彼女が「陰キャ」と見下していた人々が、今は立派な傘を差し、帰るべき場所へと向かっている。

一方で、世界の中心にいるつもりだった自分は、誰からも一瞥すらされないゴミのような存在に成り下がった。

この圧倒的な孤独こそが、彼女が犯した「嘘告」という大罪の、本当の代償だった。


同じ頃、一条蓮は自社ビルのプライベートラウンジにいた。

広大な窓から見下ろす街は、まるで宝石箱をひっくり返したように輝いている。

彼は手元にある琥珀色の液体が入ったグラスをゆっくりと回し、氷が触れ合う澄んだ音に耳を傾けていた。


「一条社長、報告です。葉山健太氏の債務整理、および水原摩耶氏に対する法的手続きが滞りなく開始されました。彼らの周辺の人間関係も完全に遮断されており、今後彼らが社会的に浮上する可能性は極めて低いと思われます」


秘書の女性が、静かに告げた。彼女は、一条がこれまでに歩んできた過酷な道のりを知る数少ない人間の一人だ。

彼女の報告を聞いても、一条の心に大きな波風は立たなかった。

かつてあれほどまでに自分を苦しめ、憎しみの対象であった二人の破滅。

それを成し遂げた時、もっと激しい歓喜に包まれると思っていたが、実際に感じているのは、凪のような静寂だった。


「そうか。……ご苦労様」


一条は短く答えると、デスクの引き出しから一冊の古いノートを取り出した。

それは、高校時代の彼が、摩耶との「偽りの一カ月」を記録していた日記だった。

一ページ目には、彼女から告白された日の震えるような喜びが綴られている。

二ページ目には、初めて手を繋いだ時の体温が。

そして最後の方には、あの倉庫裏での惨劇と、その後の絶望が、血を吐くような文字で刻まれていた。


彼はその日記を、備え付けの最新鋭のシュレッダーへと差し込んだ。

ガガガ、という規則的な機械音が室内に響く。

かつての自分が抱いた純粋な想いも、裏切られた痛みも、復讐のために費やした執念も。

すべてが細かな紙屑となり、透明な容器の中に溜まっていく。

それは、一条蓮という男が、ようやく「過去」という呪縛から解放された瞬間だった。


「社長、少しお疲れのようですが……明日の朝はゆっくりなさいますか?」


秘書が気遣わしげに尋ねる。

一条はシュレッダーのスイッチを切り、窓の外を仰いだ。

雨はいつの間にか上がり、雲の切れ間から、白々と明ける東の空が見え始めている。

長く、暗い夜が終わろうとしていた。


「いや、いつも通りでいい。新しい事業の打ち合わせが詰まっているからね」


彼はそう言うと、かつての自分が持っていた卑屈さや冷徹な復讐心とは違う、どこか穏やかな笑みを浮かべた。

復讐は、過去を消し去るための儀式に過ぎない。

本当に大切なのは、その後にどのような未来を築いていくかだ。

彼は、自分を笑った奴らのために生きるのを、今日で完全にやめることに決めた。


「……ああ、そうだ。今回の同窓会の会場になったホテルに、追加の寄付をしておいてくれ。それと、地元の奨学金財団の設立準備も。……かつての俺のような子供たちが、変な連中に人生を狂わされないようにね」


「承知いたしました。一条社長らしい、素晴らしいご提案です」


秘書は深く頭を下げた。

彼女の言葉に、一条は微かに照れたような表情を見せた。

自分の力で手に入れた富と地位。それを、誰かを壊すためではなく、誰かを救うために使う。

それが、自分を裏切った世界に対する、彼なりの最終的な「勝利」の形だった。


数日後。

街角の大型ビジョンには、若き成功者としてインタビューに答える一条蓮の姿が映し出されていた。

自信に満ちた表情で、日本の未来を語る彼の姿は、多くの若者たちの憧れの的となっていた。

そんなビジョンを、薄汚れたコインランドリーのテレビで見つめている女がいた。

摩耶だ。

彼女は、数少ない私物を洗うための小銭すら事欠き、ただぼんやりと画面を見つめていた。


『大切なのは、過去に縛られないことです。自分を信じて努力を続ければ、必ず道は開けます』


画面の中の一条が、静かに語りかける。

その言葉は、かつて彼女が彼から奪った「希望」そのものだった。

今の彼女には、その言葉がどれほど重く、尊いものであるかが痛いほど理解できた。

だが、もう遅いのだ。

彼女が捨てた愛も、彼女が踏みにじった信頼も、二度と手元に戻ることはない。

彼女は、一条が築き上げた輝かしい世界の外側で、永遠に透明な存在として生きていくしかないのだ。


「……あ、ああ……」


摩耶は膝を抱え、小さな声で漏らした。

テレビの向こう側の一条は、かつての彼女のことなど、もう一瞬たりとも思い出していないだろう。

彼にとって彼女は、もう憎む価値すらない、通り過ぎた風景の一部に過ぎないのだ。

それが、彼女にとって最大の「ざまぁ」であり、最も残酷な断罪だった。


同じ頃、一条は新しいオフィスのバルコニーに立っていた。

爽やかな朝の光が、彼の横顔を照らしている。

彼のスマートフォンには、新しいビジネスパートナーからの、信頼に満ちたメッセージが届いている。

また、MINEには、彼の仕事ぶりを尊敬し、心から支えようとする部下や友人たちからの温かい言葉が並んでいた。


「おはようございます、一条社長」


背後から、秘書の明るい声が聞こえる。

一条は振り返り、真っ直ぐに彼女の目を見て微笑んだ。


「おはよう。……いい朝だね」


彼は深呼吸をし、都会の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

体の中に、新しい力が満ちていくのを感じる。

あの日、倉庫の裏で流した涙は、もう完全に乾いている。

俺の人生は、ここからが本当の始まりだ。


一条蓮は、軽やかな足取りでデスクへと向かった。

窓の外には、どこまでも続く青空が広がっている。

彼を縛るものはもう何もない。

かつての少年の夢は、形を変えて、今ここに結実したのだ。


スカッとするような朝の光の中で、一条はペンを取り、新しい未来を描き始めた。

因果応報の末に手に入れた、静かだが揺るぎない平穏。

それを守り抜くことが、これからの彼の使命だった。


物語は、ここで一旦幕を閉じる。

だが、一条蓮の物語は、これからも続いていく。

かつての裏切りを糧に、より高く、より遠くへ。

彼はもう、振り返ることはない。

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