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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
四章. ノアの方舟

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守護の代償


雑居ビルの一室には、常に古い線香のような、あるいは怪異の腐臭を誤魔化すための薬品のような、不気味な匂いが漂っている。


その部屋で、久世は書類から目を離さぬまま、静かに口を開いた。


「レイ。私たちの仕事を横取りしている犯人は、まだ掴めないのですか?」


久世がこの話題を直接振ってくることは、滅多にない。それだけに、組織としての忍耐が限界に近いことをレイは悟った。


「……ああ」


短く応じるレイの背中に、久世の無機質な視線が突き刺さる。


「本当はわかっていて、黙っているのではないですか? ——灯郷椿。最有力候補でしょう」


「あいつは違う。監視が多くて、外に出られないはずだ」


迷いなく嘘を吐いた。だが、久世は微かに口角を上げ、チェスの駒を動かすような手つきでペンを置いた。


「そうですか。でも、あなたが出入りできた程度には隙がある、ということでは?」


「……あいつには無理だ。あんな箱入りのお嬢様に、現場ここの真似事はできない」


久世はゆっくりと顔を上げ、レイを見つめた。その瞳は相変わらず死者のように冷え切っている。


「箱入り、ですか。彼女を連れてくれば、わかることでしょう。……そろそろ、連れてきてくれませんか? こちらとしても、手荒な手段は使いたくないのですが」


久世の言葉は丁寧だが、それは拒絶を許さない「処刑宣告」と同義だった。


「それとも。……彼女に、情でも湧きましたか?」


「ありえない」


即座に吐き捨てた言葉が、自分の喉を焼く。久世はそれ以上追求することなく、再び書類へと視線を戻した。


「まあ、どちらでもいいです。時間の問題ですしね」


部屋を出たレイは、壁に拳を叩きつけたい衝動をかろうじて抑え込んだ。

これ以上、九尾の動きを止めることは難しい。久世がその気になれば、すぐにでもカナメが、椿の平穏な日常を文字通り根こそぎ奪いに行くだろう。


(……あいつら、余計なことしやがって)


ハルと椿の顔が浮かぶ。自分たちがどれほど危険な事をしているのか、わからないはずがない。


もう、隠し通す段階は終わった。

いっそ椿にすべてを話し、自分の目の届く場所で守る方がマシだ。


だが、最大の問題は、当の椿の態度だった。

あの放課後以来、椿は今さらレイを避け始めた。目が合えば逃げ出し、昼休みすら姿を見せない。


「……本当に、あいつは言うことを聞かないな」


掴み損ねた椿の手首の熱が、今も掌に残っている。

組織の牙が彼女の喉元に迫っているというのに、当の本人は得体の知れない「熱」に浮かされている。

レイは苛立ちと共に、激しく掌を握りしめた。


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