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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
四章. ノアの方舟

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熱に触れる


昼休み、いつもなら当然のようにやってくるはずの気配がなかった。

ただそれだけのことで、資料室の空気はひどく重く、無機質なものに感じられた。あの日、屋上で水瀬ノアと話して以来、椿は明らかに変わってしまった。


――放課後。

オレンジ色の夕陽が斜めに差し込み、長い影を床に落とす教室。椿は机に視線を落としたまま、ほとんど動かなかった。


誰もいない静寂の中、レイは椿の向かいに座り、机越しに視線を合わせた。


「椿、なにかあったのか?」


真っ直ぐに目線を合わせると、椿はビクッと大袈裟なほどに肩を揺らした。


「……え? あ、レイ……」


一瞬だけレイの瞳を射抜いた視線は、すぐに泳ぎ、拠り所を失ったように足元へと逸らされた。


「なんでこっち見ないんだよ。……また隠し事か?」


「そ……そういうのじゃなくて。ただ、ちょっと考えごとを……」


「お前、最近嘘つくの下手になったよな」


レイは吐き出すようにため息をつく。

今椿を支配している沈黙は、これまでの「秘密」とは明らかに色が違ってみえた。


「椿。あの日、水瀬と何を話した?」


椿は迷うように視線を彷徨わせた後、ようやく顔を上げた。

覚悟を決めたような、どこか痛々しいほどに澄んだ瞳。


「レイ。私たち……」


けれど、椿の瞳がレイを捉えた瞬間、その奥に困惑とも焦燥ともつかない激しい揺らぎが走った。

ガタッ、と大きく椅子が鳴る。椿は弾かれたように立ち上がり、一歩、後ずさった。


「おい。逃げるなって」


咄嗟に手を伸ばし、細い手首を掴む。

このまま手を離したら、取り返しがつかない気がした。


「ご、ごめん。今は……」


振り払おうとする力は弱かった。

見上げた椿の顔は、夕陽に赤く染まっていた。

斜めに差し込む光が、頬も目元も熱っぽく見せる――ただ、それだけのはずなのに。


その「熱」に当てられ、レイの掌の力が一瞬だけ緩んだ。

その僅かな隙を、椿は見逃さなかった。


「――っ」


椿はレイの手をすり抜け、逃げるように教室を飛び出していった。

廊下を駆けていく、焦燥の入り混じった足音。


ひとり残された教室で、レイは自分の掌を見つめた。

手首を掴んだ瞬間に伝わってきた、椿の早すぎる鼓動が、今も指先に残っている。


(……何なんだよ、一体)


水瀬ノアが何を吹き込んだのかは知らない。

だが、椿が自分を見る目が、決定的に変わってしまったことだけは痛いほどにわかった。


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