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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
四章. ノアの方舟

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終わりの記憶


あれは、何度目の終焉だっただろうか。

冬の陽光が弱々しく差し込む部屋で、世界が白く霞んでいく。


「結末が近いね」


隣に座る椿は、憑きものが落ちたような、どこか清々しい微笑みを浮かべて言った。

ノアはその横顔を、何度も見送ってきた。


「椿ちゃんは……怖くないの?」


「んー……。ごめんね、ノア。私…本当は遺言なんて、どうでもいいの」


椿の瞳には、抗いようのない疲労と、凪いだ海のような諦念が沈んでいた。


「ノアみたいに記憶を持たない私には、そもそも『次』なんてないの。もう二度と、レイには会えない」


ノアは奥歯を噛み締めた。

椿にとって、レイのいない世界を生きることは、死ぬことよりも過酷な罰だ。それでもノアは、彼女に「次へ繋ぐ言葉」を乞うた。


今の椿が命を削って活路を切り開き、記憶を持たない次の椿へ、逃れられない地獄への切符を渡す。その残酷さを知りながら。


「ごめんね、椿ちゃん……。こんな、無理なこと言って」


「……いいよ。ノアが繋いでくれるんでしょ。次の私によろしくね」


今にも消えてしまいそうな親友を前に、ノアは祈るように声を絞り出す。


「椿ちゃん。ありがとう……。私一人じゃ、ここまで来れなかった」


「ノアの回帰に気づいてあげられるのなんて、私くらいでしょ? その代わり――遺言、ちゃんと伝えてね」


椿は、冬の陽だまりのような寂しげな笑みを残し、死地へ向かった。

その背中が、ノアの視界からゆっくりと消えていくのを、ノアはただ見つめることしかできなかった。



——


四月の風が、屋上のフェンスを低く鳴らした。

昨日までの混乱を飲み込みきれないまま、椿は再びこの場所に立っていた。


「ノア」


呼びかける声に、ノアの肩がびくりと跳ねる。

振り返った彼女の瞳は、昨日よりもさらに深い、泥のような絶望を湛えていた。


「昨日、いろいろ考えたんだけど……」


「椿ちゃん。まだ、信じてない目をしてる」


ノアの声は掠れていた。椿は、ノアの指先が異常なほど細かく震えているのを見逃さない。


「ノアを疑ってるわけじゃないの。ただ、私も確信がないと動けない。……何が起きるのか、教えてくれる?」


椿の静かな問いに、ノアは一度だけ激しく喉を鳴らし、覚悟を決めたように唇を震わせた。


「一年後、『大厄災』が起きて……ミアちゃんが死ぬの。それで、私は四月四日に戻ってくる」


「大厄災……それで、ミアが?」


心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。

ノアは小さく頷く。


「問題なのは、その時点で、椿ちゃんと黒川くんが生きてないこと。……大厄災に対処できる人が、いないの」


(私とレイが、死ぬ……)


「レイが生きていない」という一節が、椿の思考を鋭く研ぎ澄ませた。


もしノアの言葉が真実なら、自分が今、この平穏な春の風を頬に受けている間にも、破滅への時計の針は進んでいることになる。それだけは、何があっても見過ごせない。


「私たちは……昨日言ってた九尾を潰す計画のせいで?」


「少し違う。九尾は潰さないといけないの。二人が死ぬのは、計画に穴があるせい。……椿ちゃん、わざと捕まって、内側から壊そうとしてるでしょ」


椿の背筋に、冷たい氷が滑り落ちたような戦慄が走る。

『九尾にわざと捕まる』――それは、椿が誰にも漏らさず、思考の奥底にだけ沈めていた、美鶴との作戦だ。

九尾どころか怪異すら知らないはずのノアが、知っているはずがない。


「聞きたいことは、山ほどあるけど……。内側からがダメなら、正面から潰しに行けってこと? 上手くいくとは思えないけど」


絞り出すような椿の問い。それに応えるように、ノアがふらりと一歩、距離を詰めてきた。


「上手くいくよ。でも……椿ちゃんと黒川君が協力することが、絶対条件になる」


「協力?……でも、レイを危険な目に合わせたくない」


咄嗟に出た言葉は、拒絶だった。だが、ノアの絶望はそれを冷酷に撥ね退ける。


「どっちにしても、今の椿ちゃんに黒川君は守れないよ。……『守る』っていう考えは捨てて。二人が同じ地獄を歩く覚悟を決めなきゃ、絶対に越えられない」


椿の脳裏に、頬を触れたレイの温かな指先が蘇る。レイを失いたくない。


「黒川君を信じて。椿ちゃん」


ノアの言葉は、もはや祈りではなかった。

それは、幾度もの死を見届けてきた生存者だけが放つ、抗いようのない「宣告」だった。


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