無彩色の孤独
レイがいなくなった離れの静けさには、未だに慣れない。
ひとりでいると、薄暗い空気がやすりのように自分の輪郭を削ってくる。
椿はソファの上で膝を抱え、毛布の端を指先で捻りながら、テレビをぼんやり眺めていた。画面の光が壁紙に揺れている。それだけが、ここに“生きているもの”がある証拠のようで、消すことができなかった。
――九尾を潰す。
あんな風に啖呵を切っておいて、今の自分はどうだ。
動こうと思えば、動ける。足だって腕だって、折れてはいない。ただ、身体の内側が砂袋のように重いのだ。立ち上がるための力が、心の底から砂のようにこぼれ落ちていく。
レイという唯一の熱源を失い、椿の世界はまた、不快な無彩色に逆戻りしてしまった。
テレビの音量は最小限だ。それでも、この墓場のような沈黙を裂くには十分だった。
椿はまばたきもせず、ニュースのテロップを追った。
『大規模火災 延焼は収まりつつあるも 死者数増加』
その文字を見た瞬間、椿の背中が、すっと伸びた。
泥のように沈んでいた意識に、氷の針が突き刺さったような感覚。
「……現在、確認されている死者は少なくとも四十二人。現場の状況から、さらに増える可能性があります」
現場中継のカメラが引く。焼け落ちた区画の異様な広さ。救助の声よりも、黙祷のような静寂がそこを支配していた。椿の指先が、毛布を握り潰した。
(……焦風の煽り)
見なくても、分かる。この“焼け方”は、物理的な火災のそれではない。
街が、燃えたというより――“剥ぎ取られた”のだ。
生き物の気配が根こそぎ削ぎ落とされた、虚無の跡。
椿は唇を噛んだ。
焦風の煽りが最後に出現したのは、確か五年ほど前。
嫌な予感が皮膚の下にじわじわ滲み、レイの顔が浮かぶ。
(……こんな頻度で? さすがに……これは九尾も動かない、よね)
そう思いたい。灯郷ですら、完全には抑えきれない類の天災なのだ。
けれど、九尾の本質も、レイが今どんな泥を啜らされているのかも、わからない。
椿の視線が、テレビの右上に流れる。
『火災は鎮静化の兆し――』
(鎮静化? ……お兄様が行ってたんだ)
脳裏を掠めたのは、生理的な拒絶を伴う確信だ。美鶴の灯は、灯郷の中でも別格で、そして何より冷酷だ。父が重い腰を上げるより先に、あの男が現場を鎮圧しに向かったに違いない。
美鶴が屋敷にいない。それは椿にとって、数少ない「呼吸ができる隙間」を意味していた。
美鶴の影として付き従う小夜なら、美鶴の動向から九尾の情報を引き出せるかもしれない。
椿は立ち上がった。膝が震える。本邸へ向かうのは、死地へ踏み込むような恐怖だった。
けれど、今動かなければ、二度とレイを救えない。そんな予感に背中を押される。
「……手段を選んでいる場合じゃない」
何より、時間がない。
レイが壊れるほうが、私の忍耐よりもずっと早い。
鏡も見ずに、自分の顔を作り替える。
椿は、仮面の下で冷たく唇を歪めた。




