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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
三章. 梓鳳学園

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資料室の眠り姫


校舎裏。始業式を欠席したことへの罰則として押し付けられた、山のような雑用作業。一月の刺すような寒気の中、無意味に体を動かすだけの時間は、レイの指先をわずかに鈍らせていた。


その手が、止まった。


冷え切った大気を、鋭い灯の濁流が引き裂いたのを肌が捉えた。


(……怪異の匂い。それと――椿の気配)


レイは小さく舌打ちすると、雑用道具をその場に放り出し、気配のする方へ走り出した。


余波が皮膚を刺す。並の規模じゃない。

あの馬鹿みたいに真っ直ぐな灯が放たれたということは、椿に何かあった可能性が高い。


近づいてはいけない。そう決めたのは自分だ。

椿の日常を壊さないために、自分は影に徹しなければならない。分かってはいても、体が動く。



図書室の扉を開けると、そこには拍子抜けするほど穏やかな空気が流れていた。


カウンターの向こうで、来栖ミアが「さっき、変な夢見ちゃってさぁ」と身振り手振りを交えて喋っている。隣にいる水瀬ノアは瞳を伏せ、曖昧に相槌を打っていた。


ノアの顔色が、異常に悪い。隠しきれない震えが指先にある。


(……巻き込まれたのは、椿の友人か)


怪異の気配はもうない。椿が片付けたのだろう――そう思った途端、張りつめていた息がほどけて、レイは小さく吐いた。

椿は無事だ。そう結論づけていいはずなのに、椿の安否を確認したいという衝動が胸を焼く。


けれど今会えば、彼女はきっと当たり前のように声をかけてくるのだろう。


レイが近づくと、二人の少女が同時にこちらを振り向いた。その瞬間、ミアの口角が露骨に吊り上がる。


「あ、黒川くん! やっと来たぁ。手伝って!図書委員のやつ、今日中に出さないと怒られるの」


張りつめていたものが、くだらない現実に引き戻される。


「……何をすればいい?」


「ほら、この提出書類の整理、お願いね。私たちはちょっと、疲れを癒しに売店行ってくるから!」


ミアは逃げるような素早さでノアの背中を押し、出口へ向かう。すれ違いざま、ノアが縋るような、あるいは忠告するような複雑な一瞥をレイに送った。


二人の背中が消える。

静まり返った図書室。レイは手渡された束を見下ろした。

「……めんどくさい」


淡々と、無機質に作業を始める。それが今の自分に許された、唯一の居場所だった。




残った書類を整理するため、レイは図書室の最奥にある資料室の扉を静かに開けた。


そこに、彼女はいた。


椿は机に伏し、深い眠りについていた。

いつも完璧に整っているはずの呼吸は少し荒く、額にはうっすらと汗が滲んでいる。

部屋の隅に、微かな「焦げ付いた匂い」が残っていた。怪異を焼き払った後の、灯の残り香だ。


(……やっぱり、無理をしたな)


レイは思い出す。以前、灯郷の屋敷で狐を長時間使った後も、彼女はこうして力尽きたように眠っていた。「灯」は無敵の力ではない。使うたび、その魂と肉体を燃料として削り取っているのではないか――そんな嫌な予信が胸を刺す。


「……近くにいれたら、代わりに戦ってやれるのに」


無意識に漏れた言葉が、冷えた室内に溶けて消えた。

自分なら、彼女にこんな汗をかかせず、影の中で怪異の首を撥ねられたはずだ。だが、それは許されない。

彼女の隣に立つ資格を、レイはすでに捨ててきたのだ。


レイはただ静かに、彼女を起こさないように残りの作業を済ませた。

眠る彼女の顔を一度だけ見つめ、その睫毛の震えに胸の奥がチリと焼けるのを感じながら、扉へと手をかけた。



扉を開けた、その瞬間。


「うわっと……!?」


外に張り付いていたらしいミアが、支えを失って盛大に資料室へ倒れ込んできた。

ミアは「やばっ」と顔に出し、咄嗟にレイから目を逸らすと、眠っている椿を見て呆れたように肩を落とした。


「……はぁ〜?椿ちゃん! 私には寝るなって言っておいて、なに自分だけ優雅に寝てるのよぉ!」


甘ったるい声が、図書室の静けさをかき乱す。

その背後で、ノアが一瞬だけ、射抜くような鋭い視線でレイの横顔を観察していたのを、レイは見逃さなかった。


レイは何も答えず、ミアの横を通り抜けて図書室を後にする。


背後でミアが椿を揺り起こす声が聞こえる。

日常が戻る。彼女をこちら側の「泥沼」へ引き込まないための、偽りの安穏。


(これでいい…はずだ)


ただそれだけの「任務」を自らに課し、レイは冬の夕闇の中へと消えていった。


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