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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
二章. 椿の屋敷

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策略の檻


ハルに椿を託し、雪の街を抜けたレイが向かったのは、「九尾」の拠点だった。


目的地が近づくにつれ、泥の中を歩いているような不快な重圧が足を搦めとった。


この場所に、自分の足で戻ることになるとは思ってもみなかった。


「あれぇ? レイちゃ〜ん」


雑居ビルの入り口。聞き慣れた声が耳に届くと同時に、背後からぬるりと重い腕が肩に回された。


カナメだ。逃亡生活の微かな温もりを上書きするように、安物のタバコの匂いと湿った体温がレイの神経を逆なでする。


「おかえり。早かったなぁ。もうちょっとゆっくりしとってもよかったのに」


カナメが、蛇のように鋭い目つきのまま口角を上げた。


「せっかく感動の再会やのに、また無視するん? ま、ええけど。久世さんがレイちゃん褒めとったで。はよ行きや」


(……褒める?)


嫌な予感が、心臓を冷たく撫でた。

レイは応えず、地面に縫い付けられたように重い足を動かす。久世に、会わなければならない。



部屋の重厚な扉を開くと、久世は窓の外を眺めていた。こちらに振り向く前から、その背中が機嫌の良さを雄弁に語っていた。


「お帰りなさい、レイ。そろそろ迎えに行こうかと思っていたところでした」


久世は振り返ったが、レイと視線を合わせようとはしなかった。椅子に深く腰掛け、手元の書類を無造作にめくる。レイを人間としてではなく、戻ってきた「備品」の不具合でも確認するかのような、傲慢な無関心。


「そんなに警戒しなくても、何もしませんよ。……怪我の具合はいかがですか?」


久世の声は不気味なほど穏やかだ。だが、その瞳の奥には底知れない暗闇が横たわっている。


「……灯郷椿とは、親しくなりましたか?」


その瞬間、久世が初めて顔を上げた。

射抜くような鋭い視線が、レイの瞳の奥をじっと見据える。隠しきれない動揺や、微かな心の揺らぎを、極上のご馳走として味わうかのような残忍な眼差し。


レイは自分の背筋が凍りつくのを感じた。最初から、すべては久世の手のひらの上だったのだ。わざとあの離れに留まらせ、絆が深まる「その時」を、彼はじっと愉しみながら待っていた。


(……やられた)


レイは奥歯を噛み締め、感情を殺した声で短く返した。


「親しくはない。怪我で動けなかっただけだ」


「……そうですか。まあ、それはどちらでもいいです」


久世は満足そうに口角をわずかに上げると、興味を失ったように再び書類へ視線を落とした。


「顔見知りになった。それだけで、チャンスはいくらでもありますからね」


その言葉が、レイの心に深い爪痕を残す。


「話は以上です。ゆっくり休んでください」


レイは踵を返し、部屋の扉に手をかけた。その背中に、冷ややかな氷の礫が突き刺さる。


「レイ。次に逃げたら……その時は、"連帯責任"です」


レイは一瞬だけ指を止めた。


(…椿のことか?)


椿の話題に、決して反応してはいけない。

レイは何も言わず、ただ拳を握りしめて部屋を出た。


廊下に出ると、壁に背を預けていたカナメが、再び獲物を見つけたように近づいてきた。

逃がさないという意思表示のように、レイの進路を塞ぐようにして顔を近づけてくる。


「寂しかったわぁ。レイちゃんおらん間、ずっと一人で任務行ってたんやで?」


カナメがニヤニヤと笑いながら、距離を詰めてくる。


「ええなぁ。俺が必死こいてる間に、椿ちゃんとぬくぬくしとったんやろ?」


「…は?」


「あ、ちゃうか。ほな、まだ触れてへんの?レイちゃん奥手やなぁ」


耳元で響く粘りつくような笑い声。相手をしては駄目だ。

レイは視線を合わせず、強引にカナメの肩を突き抜けるようにして通り過ぎた。


今の自分に許されるのは、感情を殺し、再び組織の「道具」として牙を研ぐことだけだ。すべては、椿に「連帯責任」という名の毒が及ばないようにするために。


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