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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
二章. 椿の屋敷

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毒の刻印


雪が激しさを増す中、玄関の扉が開いた。


「ただいま」


椿の声はいつも通りだった。笑い方も、荷物の持ち方も、何も変わらない。


「……遅かったな」


凍えた椿の体を案じて近寄った瞬間、外気とは異質な匂いがレイの鼻を突いた。

都会的で鼻を突く、香水の残り香。それに、安物の紙巻きタバコのような匂い。


「椿。…誰かに会ったか?」


レイの声が、一瞬で温度を失う。

その匂いには、嫌というほど覚えがあった。久世の傍らで、常に死の臭いを漂わせていた男。――カナメ。


「え?……誰とも会ってないけど。あ、でも…変な人に声をかけられたの」


レイの鼓動が、警鐘を鳴らすように早くなる。


「何かされたか!?」


レイのただならぬ殺気に当てられたのか、椿も表情を引き締めた。


「いきなり話しかけてきたの。……タバコの煙も吹きかけられた」


やはり、わざとだ。


最悪の想像が脳裏をよぎる。ここにレイがいることに「九尾」が勘付いたのだろう。


カナメは、潜伏するレイを炙り出すために、わざと彼女に自分の「印」をつけたのだ。


(九尾に戻らなければ椿に手を出す――そう言いたいのか)


レイが黙り込むと、椿はいつものように何も聞かず、年越し蕎麦の用意を始めた。その後ろ姿を見ていると、数日前の彼女の瞳が蘇る。レイがハルに一緒に行くかと誘われた時の、あの縋るような目。


普段の気丈な椿が、レイにだけ見せた脆さ。


“椿を一人にできない”

そう言って、本当はレイ自身が椿を失いたくなかったのだと、今になって気づいた。


(ここにいれば、椿を巻き込む)


レイの中に、冷徹な現実が突きつけられた。


——九尾。

二度と戻るつもりのなかった、あの場所。


倫理も慈悲もなく、ただ暴力と支配が渦巻く地獄のような日々を思い出し、指先が微かに震える。


だが、もう久世の手からは逃れられない。


元々、久世は椿を狙っていた。

レイがどこにいようと、椿が標的である事実に変わりはないのだ。


(……いっそ、近くで久世の動向を監視する方がマシか……?)


椿が茹で始めた蕎麦の湯気が、部屋の中に白く広がる。

その温かな香りと、彼女の首筋から漂うカナメの毒のような匂い。


そのあまりに歪な対比を前にして、レイの決意は暗く、固いものへと変質していった。


たとえ再び地獄の鎖に繋がれたとしても、彼女を久世に引き渡すことだけは、絶対にさせない。




「年越しのカウントダウン、誰かと一緒にするのが夢だったんだ」


そう言って笑った椿は、けれど積もった疲れに勝てず、年を越す前に眠ってしまった。


レイは椿の膝と背中に腕を回し、ベッドへと運ぶ。冷たい床に膝をつき、子供のように無防備な寝顔をじっと眺める。


まつげが微かに震え、静かな寝息が部屋に響く。


これが「愛おしい」という感情なら、それは救いなどではなく、ただの呪いだ。


椿の頬に触れようと指を伸ばし――その寸前で、止めた。


一度でも触れてしまえば、きっと二度と、この場所から動けなくなる。


レイは立ち上がり、一歩、踏み出す。足が、床に張り付くように重い。


その晩、レイは何も言わず、雪の中に消えた。


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