表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
二章. 椿の屋敷

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/43

静かな浸食


侵入の夜から、数日が経った。

今日で、今年が終わる。離れの外では、朝から降っていた冷たい雨が、いつの間にか音もなく白い雪へと変わっていた。


しんしんと冷え込む空気の中で、椿の思考はまた、あの日で止まっていた。


小夜に投げつけられた「同情」という言葉。あの朝以来、その二文字は耳の奥にこびりついて離れない。


「……椿。また、手が止まってる」


すぐ隣で、レイの低い声がした。


椿はハッとして、膝の上に広げていた古書の写真に視線を落とした。ハルが命懸けで撮ってきた、灯郷家の禁忌に触れる記録。


そこから少しでも情報を拾わなければならないのに、活字が滑って、どうしても頭に入ってこない。


「あ、ごめん。……少し考え事をしてたの」


椿は写真を置き、気分を変えようと立ち上がろうとした。冷めた紅茶を淹れ直そうと、ローテーブルのティーポットに手を伸ばす。


だが、椿の指先が陶器の冷たさに触れるより早く、横から伸びてきた大きな手がそれを制した。


「……いい。俺がやる」


レイは当然のようにポットを奪い、キッチンへ向かった。


「…これくらい自分でできるよ。レイだってあまり寝てないでしょ?」


「いいから座ってろ」


短く、拒絶の余地を与えない口調。

あの日以来、レイの「世話」は、献身というより、どこか強迫めいた熱を帯び始めている。


お茶を淹れる、本を片付ける、カーテンを閉める。


椿が何かをしようと身を動かすたびに、レイは敏感に反応し、先回りしてそれを奪い去る。

それは椿を大事に思うがゆえの行動だと分かっているけれど。


(……レイ。最近、私を甘やかしすぎじゃない?)


戻ってきたレイが、湯気の立つカップを椿の前に置いた。


「ありがとう。……ねえ、最近おかしくない?こんなに世話焼きだった?」


レイは椿の隣に腰を下ろし、じっと彼女の横顔を見つめた。


「……おかしいのはお前だ。あの日、あのメイドに何を言われた?……お前、あれからずっと、どこか遠くにいるみたいだ」


椿の喉が、きゅっと締まる感覚がした。


誰にも言えなかった虚しさ。自分を「無知なお荷物」と憐れんだ小夜の視線。完璧に演じているつもりだったのに、レイには、その仮面の下の震えが筒抜けだった。


「……なんでも、ない。本当にただ疲れただけだよ」


強がろうとした声が、不自然に掠れる。

椿は逃げるように視線を逸らしたが、レイの手が椿の頬を包み込み、ゆっくりと自分の方へと引き戻した。

掌から伝わるレイの体温が、やけに熱い。


「……バレバレの嘘つくなよ」


「……前までは、何も聞いてこなかったくせに」


少しだけ子供じみた反論が口をついて出た。以前の彼は、椿が引いた境界線を越えようとはしなかった。


「聞かねぇと、またお前は一人で抱え込んで、無茶するだろ」


「別に無茶なんてしてないけど…」


心配されることに慣れていなくて、つい言葉を返してしまう。けれどレイの瞳は、椿の心の奥底まで全てを見透かしているようで、結局は目を逸らすしかなかった。


「…買い物行ってくる」


椿は気分を変えるために立ち上がり、上着を手に取った。


「……今からか? 雪がひどくなってる」


レイが窓の外を見やりながら、険しい顔をする。


「大丈夫。私、雪は好きだし」


椿が玄関へ向かおうとすると、レイはそこにあった椿のマフラーを手に取り、彼女の首元に丁寧に巻き付けた。


「人通りの少ない場所には行くなよ」


レイの指が椿の顎に微かに触れ、そのままマフラーの形を整える。


「暗くなる前に戻れ」


「…わかってるって」


椿が戸を開けようとした瞬間、レイがもう一度、手を伸ばしてきた。

黒いキャップ。


「……それ、いらない」


「…いるんだよ」


返事は短い。レイは椿の頭にキャップを被せ、つばを指でぐい、と押し下げた。

目元が影に沈む。視線ごと、彼以外の誰からも隠される。


椿は何か言おうと口を開いて、結局、そのまま閉じた。


「いってきます」


外気は刺すように冷たいはずなのに、雪の中に踏み出した椿の首元には、レイの手で巻かれたマフラーが驚くほど温かかった。


本当は、一人でなんでもできると強がるのにも、少し疲れていたのかもしれない。


その一方的なまでの過保護が、本当はたまらなく心地よかった。

独りで戦うことに慣れすぎていた身体に、レイから与えられる体温が馴染んでしまう。


かつては自分が彼を守っているつもりだった。けれど今は、彼に守られ、甘やかされているこの時間が、何物にも代えがたい安らぎになっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ