朝霧の中
メイドを見送り、離れに戻ってきた椿は、そのまま力なく扉の前に座り込んだ。
張り詰めていた糸が、ようやく人心地ついたところで切れたのだろう。深く、長い溜め息が部屋の静寂に溶けていった。
ハルが言葉をかけるよりも早く、レイが椿の元へ歩み寄った。迷いのない足取りでその顔を覗き込む。
「……椿? 何があった」
「……少し、疲れただけ。ごめんね。2人も疲れてるのに」
強がっているのは分かった。声の端が、隠しきれず擦れている。
椿はそれ以上を言わず、逃げるように視線を落とした。
「椿が一番疲れたと思うよ。小箱の事はゆっくり考えるとして、今は少し休もう」
ハルの言葉に、椿は小さく「ごめん」と零し――それから、はっとしたように顔を上げた。
「あ…ハルもそろそろ出ないと、帰れなくなっちゃうね」
「そうだね。……続きはまた落ち着いてから話そう。電話でも、駄菓子屋でも」
ハルは荷物をまとめて立ち上がる。窓の外は白み始め、朝霧が立っていた。
そこでふと、隣のレイに視線を止める。
「……レイ。一緒に駄菓子屋に来るか?」
椿がぴくりと肩を震わせ、顔を上げた。
仮にも高校生の男女を二人きりでここに残してもいいのか。そして、いつ灯郷家に見つかるかも分からない。
レイは、静かに椿を見た。
椿もまた、縋るような、けれどそれを必死に隠そうとする複雑な瞳でレイを見つめ返している。
「……いや」
レイの声は、短かったが、はっきりした意思表示だった。
「……今はこいつを一人にできない」
椿の喉が小さく動いた。
レイは視線を逸らさず、ただ当たり前のように椿の側に留まることを選んだ。
(——共依存、か?)
ハルは喉元まで出かけた言葉を飲み込む。
それが毒なのか、救いなのか。判断がつかなかった。
「……そっか。それもそうだね」
ハルは苦笑い混じりに頷いた。
レイに「守るべき相手」ができた。彼が冷徹な表情を捨て、誰かを庇う一人の人間になったこと。それは、かつての相棒として何より喜ばしい変化でもあった。
「何かあったら、すぐ連絡して」
「ありがとう。ハル」
椿は少しだけ表情を和らげ、けれどどこか心ここにあらずといった様子で頷いた。
「じゃあ、またね。……2人とも気をつけて」
ハルは最後に二人の姿を目に焼き付けると、離れを後にした。
次に会うまで、あの二人が――せめて、折れませんように。




