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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
二章. 椿の屋敷

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投影と同情


早朝の冷え切った霧が、廊下の窓を白く覆っていた。


目隠しを外されたメイド——小夜(さよ)が最初に放ったのは、命乞いでも屈服でもなく、鋭利な刃物のような憎悪だった。


「お嬢様。私は、あなたのことが嫌いです」


低く震える声。小夜は真っ直ぐに椿を見た。


「美鶴様のこと、灯郷家のこと……。その裏で何が起きているのか知ろうともせず、ただ被害者ぶって……!」


「それはお兄様が、私を……!」


椿が反論しようとしたが、小夜の怒声がそれを遮る。


「そういう所です!……私は、あなたが監禁され――」

「その話はやめて!」


椿の叫びが、朝の静寂を切り裂く。トラウマが蘇り、指先が激しく震えだす。

そんな椿を、小夜は泣きそうなほど歪んだ目で見つめた。


「……そうやって耳を塞いでいるのは、楽だったでしょうね。あなたにはわからない。目を閉じ、耳を塞ぎ、口を閉ざしてきたあなたには……! これ以上、美鶴様の手を煩わせないでください」


「……そこまで言うなら教えてよ。私が何をしたの? ……なんで皆、そうやって私を……」


椿の問いに、小夜は何かを言いかけ、喉の奥で言葉を押し殺した。沈黙が流れる。やがて、小夜は絞り出すように呟いた。


「……本当に腹が立つほど、あなたは美鶴様に似ているのですね」


小夜の目に、大粒の涙が浮かぶ。


「……は? そんなわけないでしょ。あんなやつと一緒にしないで」


椿の拒絶を無視し、小夜は虚空を見つめたまま語り続ける。


「……昨夜のことを、当主様に告げるのはやめます。元々、美鶴様もそれを望んでいませんでしたから」


「 …信じられると思う?」


「……耳を塞がないで聞いてください」


小夜の声が、不気味なほどの静けさを帯びる。


「あの三日間、私は美鶴様の指示で……ずっと部屋の前にいました」


椿は思わず後ずさりした。

聞きたくない。逃げたい。今すぐこの場から走り去りたい。けれど、敵の意図を掴まなければ。ここで判断を誤れば、部屋で待つレイとハルにまで魔の手が及ぶ。


「あなたの声を聞きました。泣き叫び、壁を掻き、ただ生きようと藻掻く、あなたの音を……」


「嫌……やめて……!」


耳を覆う椿の掌を、小夜の言葉が容赦なく貫く。


「……本当は、わかっていたんです。本当に憎むべきなのは、あなたではなく灯郷家そのものだったのに。大きすぎる敵を前に怖気付き、弱いあなたで鬱憤を晴らしていただけだった」


小夜は膝をつき、嗚咽を漏らした。


「美鶴様のためなら……命さえ惜しくないと、思っていたはずなのに……」


「………灯郷家が、なんであなたの敵になるの?…お兄様は当主側でしょ?」


「美鶴様の本意は言いません。…でも、私は美鶴様を苦しめるものは全て排除します」


「……なんで、そこまで…」


椿の困惑に、小夜は不意に顔を上げ、突飛な問いを投げかけた。


「お嬢様は……誰かを愛したことはありますか?」


「突然なに?………ふざけてるの?」


心底不愉快そうに眉を潜める椿を見て、小夜は悲しげに口元を歪めた。


「誰かを守るために、自分をどこまで汚せるか。どこまで歪められるか。……あなたには理解できないでしょうね。」


「…それがあなたの行動原理なら、早く灯郷家から離れた方がいい。一時の感情で命をかける意味がわからない」


「……そうですか。——でも、私は美鶴様の傍を離れません。そして、もうあなた達の邪魔もしません。ですが、あなたは早くこの家を出てください。このまま何も知らないまま、逃げればいいのです。縁談を結べば難しくないでしょう」


「……意味がわからない。…私は逃げない。灯郷家を、潰すまでは」


「…そんな所まで、あなたは美鶴様とよく似ている」


小夜の睫毛が僅かに震えた。何かを言いかけ、結局は何も言わなかった。ただ、攻撃性を失ったその目には、縋るような哀れみが滲んでいた。





玄関先で、小夜は最後にもう一度だけ椿を振り返った。


その瞳には、先程までの激情は消え、ただ凪いだような深い絶望が宿っていた。


「……今までは、あなたのことを憎んでいました。美鶴様を苦しめるだけの、無知なお荷物だと思っていたから」


椿は黙ってその言葉を受け止めた。


「でも、今は……心から、あなたに同情しています」


小夜はそれだけを残し、霧の中に消えていった。


「同情」?


椿はその場に立ち尽くした。


恐怖で支配し、屈服させたはずだった。灯郷の娘という立場を盾にして、冷酷に彼女をねじ伏せたはずだった。


(……なに、それ)


胸の中に、正体不明の虚しさが広がっていく。


自分が必死に守ろうとしているプライドも、お兄様への憎しみも。

その全てを、あのメイドは「かわいそうなもの」として憐れんで去っていった。


「……っ」


椿は自分の腕を強く抱きしめた。

自分が惨めで、空っぽな存在に思えて仕方がなかった。

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