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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
二章. 椿の屋敷

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折れた忠誠


「椿、疲れてるなら少し寝ろ。お前の兄だって、いつ動き出すかわからないだろ」


レイが促すと、ハルも隣で頷いた。


「そうだね。俺たちで見張っておくから、今のうちに休んだ方がいい」


「そういう訳には……」


拒もうとする椿の肩を、レイは強引に押し込んだ。


「今お前に倒れられたら困るんだよ。いいから寝ろ」


椿はしばらく不満げにレイを見たが、やがて折れたようにソファを背もたれにして目を閉じた。


静寂が落ちる。

椿の呼吸だけが、少し遅れて部屋の空気を柔らかくした。


「……椿、いろいろと抱え込む子だとは思ってたけど、ここまでとはな」


ハルが苦く笑いながら、寝顔を見つめる。


レイは椿から視線を外さずに言った。


「……ハル。お前はなんで今回、協力したんだ?」


レイがずっと気になっていたことを口にすると、ハルは少し遠くを見る目をした。


「椿が一人で危険なことをするのを、見て見ぬふりしたくなかった。……でも、本当は俺も知りたいんだ。なんで、見えなかったはずの『もの』が見えるようになったのか」


「そういえば、お前も見えるんだったな。いつからだ?」


「……『あの大火災の夜』だよ。レイも?」


レイは無言で頷いた。あの紅蓮の炎が、自分たちの世界を塗り替えた。


「他人事じゃないんだ。俺たち自身も、知らなきゃいけない」


ハルのその言葉に、レイは胸の奥を突かれた気がした。


同じ船に乗った以上、黙っていられる話じゃない。レイは一度息を飲み、事の発端であるリンが――自分の弟だと告げた。


ハルは眉を寄せて、痛みを飲み込むみたいに頷く。

「……尚更、急がないとな」


空が白み始めた頃、部屋の隅でメイドが動いた。


「椿お嬢様……御手洗に行きたいのですが……」


レイはため息をついた。

「逃げようとしてるのか?」


ハルが苦笑いを浮かべる。

「椿から逃げられるとは思えないけどね……」


寝ている椿を揺り起こすのは気が引けたが、背に腹は代えられない。レイは椿の肩に軽く触れた。


「……椿、起きれるか?」


椿がゆっくりと目を開ける。光のない瞳が、一瞬だけレイを捉えた。


「……ごめん。結構寝てた?」


「大丈夫だ。あいつが呼んでる」


椿がメイドの耳栓を外した。

「……なに?」


「椿お嬢様、あの……御手洗に……」


その瞬間、椿の目の奥から温度が抜け、鋭く研がれていくのをレイは見た。


「そんなの、行かなくても死ぬわけじゃないでしょ」

メイドが息を呑む。


(まただ。昨日から、ずっと)


レイが思わず「……椿」と嗜めるように名を呼ぶと、彼女は長く、冷たいため息をついてメイドの腕を掴んだ。


「……行ってくる」


その背中には、光が一切なかった。


二人が部屋を出ていくと、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。


「レイ。椿とあのメイド、引き離した方がいいかもしれない」


ハルの言葉にレイも同意した。今の椿は、何をするか分からない危うさがある。

だが、目撃者であるメイドを野放しにすれば、椿が危ない。



時計の針の音が、やけに大きい。


10分、15分と時間が過ぎる。


「……何かあったか?」


焦れ始めたレイが腰を浮かせたとき、扉がゆっくりと開き、椿が戻ってきた。


見れば、メイドの目元も手首も、拘束が外れていた。


「……椿?」


部屋に入ったメイドは、力が抜けたように床に手をつき、座り込んだ。


「……今回のことは、誰にも言いません」


掠れた声で、メイドが話し出す。


「美鶴様も……元から当主様に話すつもりはありません」


(何があった……?)


レイの脳裏を疑問がよぎる。椿が外で何をしたのか、何を話したのか。


「なぜ話すつもりがないとわかる? 美鶴は何を企んでるんだ」


「……美鶴様の本意だけは、私からは言えません。それでも、昨夜のことは口外しません」


メイドの目は、恐怖ではなく、何か別の「絶対的なもの」を飲み込んだような目をしていた。椿を見ると、彼女は小さく頷いた。


「このまま帰すのか?」


「早朝の方が目立ちにくいから」


椿はそのまま、玄関までメイドを送りに行った。

後に残されたのは、レイとハル、そして不自然なほどの沈黙だけだった。


「……何がどうなって……」


ハルの呟きが虚しく響く。


椿は戻ってきた。だが、レイの知っている「椿」とは、どこか別の何かにすり替わってしまったような、得体の知れない不安が胸にこびりついて離れなかった。


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