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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
二章. 椿の屋敷

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壊れゆく夜


離れに戻った瞬間、レイは肩に担いでいた女を、まるでただの荷物でも置くかのように床へ雑に下ろした。


ドサリという重い音が、静まり返った室内で不気味に響く。


「……何があったの?」


椿が駆け寄る。


その手には、すでに布が握られていた。「目隠しもしておこう」と迷いのない動作で女の視界を奪い、固く縛り上げる。


その横でレイが、当然のように女の両手首を別の布で手際よく拘束した。


二人の間に言葉はない。だが、その呼吸の合い方は、ハルが入り込む隙がないほどに完成されていた。


ハルは、さっきまで華やかな宴にいたはずの椿が、淡々と「人間」を縛り上げている姿に、気圧されるような感覚を覚えていた。


「糸が全部切られた」


レイが、自分の手首に残った護符糸の残骸を見つめながら低く言った。


「その瞬間に、こいつが中に入ってきやがった。……正直、やり手には見えねぇけどな」


「……切ったのはお兄様だと思う。侵入に気づいてるみたいだったし」


椿の声には苦みが混じっていた。


「お前の兄が気づいてた? ……これからどうする?」


レイの問いに、椿は縛り終えた手を止めて顔を上げた。


「その気になれば、私たちをその場で捕まえることもできたはず。なのに、こんなメイド一人を向かわせた理由が気になるの。……起きるのを待つ価値はあると思う」


レイが短く頷く。


ふいに会話が途切れた。


ハルは、ただ立ち尽くしていた。レイが自分以外の誰かの意見をここまで聞き入れ、信頼を置いている姿を初めて見た気がした。


別れた後、彼はどれほどの地獄を潜り抜けてきたのだろうか。今、この家に匿われ、この少女の庇護の下で戦っている。


……それでも。ただ、生きていた。それだけで、ハルの胸の奥は熱くてたまらなくなった。


レイが静かに、ハルの方を向いた。


「……ハル。生きてたんだな」


椿が驚いて顔を上げ、二人を交互に見つめる。


「……無事だったんだね、レイも」


ようやく絞り出したハルの声は、自分でも驚くほど震えていた。


「……知り合いなの?」


椿の問いに、ハルは少しだけ笑って答えた。


「昔の相棒だよ」


二人が立ち並ぶ姿を見て、ハルは言葉を付け加えた。


「また、新しい相棒ができたんだな」


レイは一瞬だけ視線を泳がせ、不器用そうに鼻を鳴らした。


「……お前もずっと、相棒だろ」


それだけ吐き捨てると、レイは視線を外し、また床の女へと向き直る。

「……水でもかけてみるか?」



(……レイらしいな)


ハルは思った。派手な抱擁も、涙もない。出会った頃から無口で無愛想で、……それでいて、仲間のことだけは絶対に切り捨てない。それがハルの知っている黒川レイだ。


やがて、床のメイドが身じろぎをし、意識を取り戻す気配を見せた。三人は声を殺し、彼女の様子を伺う。


メイドは最初「……助けて、誰か……」と弱々しく声を漏らしていたが、やがて誰も助けに来ないことを悟ったのか、その声を濁らせた。


「……あの、女狐め……!」


その罵倒を聞いた瞬間、隣にいたレイの目つきが、獣のように鋭く尖った。


「……やっぱり、今ここで殺すか?」


「ダメに決まって――」


「……まだダメ」


ハルの制止を遮るように、椿が冷徹な声で言った。


(……冗談、なんだよな?)


メイドがその異常な空気に気づき、ガチガチと歯を鳴らして態度を変えた。


「つ……椿お嬢様? なぜこのような事をなさるのですか? 早く解いてくださいませ!」


「貴方がお兄様の専属だってことは知っているわ。なぜあそこにいたのか言いなさい。あの場所は灯郷家の中でも限られた人しか入れないはずでしょ」


椿の声から温度が消える。


「椿お嬢様だって、入っていたではないですか!」


「まだ使い道のある私と、ただのメイドの貴方では、処罰の重さが違うでしょう。……今日のことが公になるなら、私は貴方を道連れにする。必ずね」


メイドの顔が引き攣った。


「み……美鶴様が、お守りくださいます……」


「あのサイコパスが? 道具を使い捨てにすることしか考えていない、あの男が?」


「…美鶴様を悪く言うな!」


見たこともない椿の迫力に、メイドは完全に気圧されていた。


追い打ちをかけるように、レイが音もなく短刀に手をかける。


「レイ! やめろ、相手は怪異じゃない!」


ハルの叫びが虚しく響くほど、離れの空気は重く、どす黒く澱んでいく。


メイドの悲鳴が、布越しに漏れた。


外ではまだ宴の余韻が続いているというのに。彼らの、神経をすり潰すような長い夜は、まだ始まったばかりだった。


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