作戦会議
椿は机の上に広げたノートと、昨夜から開きっぱなしの古本の頁を見つめていた。頭の片隅に、昨日の声が引っかかったまま離れない。
――クリスマスの宴会には必ず出席しろ。
クリスマスはもう翌日に迫っている。
紙をめくる指が止まる。息を吐いたところで、扉が小さく叩かれた。
「……今いいか?」
「うん。入って」
扉が開いてレイが顔を出した。朝から妙に目が冴えている。
「昨日の本」
それだけで要件が伝わった。椿は視線を逸らさずに頷く。
「……リンのこと、調べてるのか」
「うん。……でも、なかなか見つからないの」
椿は本を閉じ、指で背表紙を撫でた。
「明日、家の書庫を見に行くつもりだったんだけど……」
言いかけて、椿は小さくため息を落とした。
レイは椿の反応を見て、ほんの少し眉を寄せた。
「入れない事情があるのか」
「……うん」
椿は机の端に手をついた。力を入れないと、声が揺れそうだったからだ。
「私はもう跡取りの候補から外れてる。……だから、母屋の書庫に入る権限がないの」
言ってしまえば、あっけなかった。ひどく単純な理由のくせに、そこには壁がある。厚い壁が、いつでも当たり前みたいに。
「夜に忍び込むつもりだった。人目につかない時間を狙って」
レイの視線が一瞬だけ鋭くなる。
「……昨日の男が話してた"宴会"か」
椿が答えるより先に、レイは息を吐いた。苛立ちに近い音なのに、椿を責める方向じゃない。
「お前さ、そういうことはもっと早く言えよ。ひとりで抱えるな」
言い方は乱暴でも、言葉の芯が揺れていない。椿は、言い返す準備だけして黙った。必要なのは反論じゃないと分かってしまったから。
レイは続ける。
「俺が行く」
椿の胸が小さく跳ねた。反射的に首を振る。
「動けるようになったからって、怪我も治ってないのに無理だよ。……今の状態で母屋をうろついたら、余計に目立つし」
レイは椿の言葉を遮らなかった。椿が言い終わるのを待ってから、落ち着いた声で押し返してくる。
「でも行かなきゃ何も進まないんだろ。リンは俺の弟だ。……それに、こういう事は俺のほうが慣れてる」
“慣れてる”という言葉が、椿の喉の奥で引っかかった。
怪異と戦うこと、隠れて動くこと、痛みを飲み込むこと。全部まとめて「慣れてる」で片づけるその雑さが、レイらしい。
椿は唇を噛み、机の上の紙を一枚引き寄せた。白い紙の上に、昨夜から描き直していた母屋の簡単な見取り図がある。
「……レイの護符糸は、使えるかも」
そう言いながら、椿は自分の声が少しだけ弱いことに気づく。
(…ハルに頼ったのも、私の弱さだ)
それでも、レイの提案を断って上手くいく確証もない。
椿は、視線を図の一点に落としたまま、ゆっくり頷いた。
「分かった。……でも条件がある。無茶したら、止めるから。絶対に」
レイはふっと笑った。
「止められるもんなら止めてみろよ」
挑発みたいに聞こえるのに、椿はなぜか息が少し楽になった。軽く言い合える距離に、いつの間にか来ていた。
椿はスマホを取り、番号を押す。呼び出し音が二回鳴って、すぐに繋がった。
『もしもし? 椿?』
ハルの声は相変わらず穏やかで、朝の音に馴染む。椿は一度だけ呼吸を整える。
「うん。急にごめんね。明日、私も灯郷の宴会に出席することになったの。それで……今から作戦を練り直そうと思うの」
『出席って――』
「詳しくは明日話す。お店に寄るから。あと……協力者が増えたの」
『協力者?』
「うん。それも明日。ごめんね、負担かけちゃうけど…」
要件だけ伝えて、椿は通話を終えた。余計な言葉を足すと、不安が漏れる気がしたからだ。
スマホを机に置いた瞬間、レイの視線が椿に刺さった。
「……他にも誰かいるのか」
「友達だよ」
椿はそれだけ答えて、紙を引き寄せたままペンを取った。とにかく今は、急いだ方がいい。
「明日の宴会は年に一度の大規模なもの。名前も知らないような遠縁の親戚まで集まる。それに加えて明日は……」
椿の握りしめた手に力が籠る。
――縁談
「灯郷の血筋を狙う奴らも集まる、ってことか」
レイの言葉に、椿は無意識に自分の腕を抱いた。薄氷の上を歩くような、あるいは品評会に出される家畜のような、得体の知れない寒気が背中を這う。
「……うん。だから、明日は正面から入っても目立たないと思うの。リスクはあるけど…」
「入った後の動きが不自然だと、逆に顔を覚えられないか?」
ペン先で見取り図の廊下をなぞる。書庫へ繋がる角。使用人の動線。夜に人が減る場所。
「最初から隠密の方がいいかな?…裏口から入って、廊下を二本抜ける。ここは見張りが薄い。……でも、近づく気配にはすぐ気づけない」
「俺が糸で拾う」
レイが自然に言って、椿はペンを止めた。
“俺が”という主語が、昨日よりずっと当たり前に出てくる。椿の計画の中に、レイがいる。“一人”じゃない。
「…じゃあ、私が通信灯になる。私は狐と感覚が共有される。合図さえ決めれば意思疎通ができる」
音を立てるわけにはいかない。だから合図は言葉じゃなく、視線と動きと、決めた時間で繋ぐしかない。
「宴会が始まってすぐが、1番人が集中する。だからその間に侵入する。私は……なるべく早く抜けて合流する」
レイが椿の手元を見た。ペンの握りが強いのが、ばれている気がした。
「…ひとつ聞いていいか?」
レイの言葉に顔をあげる。
「見つかったら、お前はどうなる?」
椿は言葉が詰まりそうになって、いったんペンを置いた。
この家が、書庫に何かを隠していたとしたら――今度は、罰じゃ済まないかもしれない。
「…言えなければいい。俺は見つからないために動く。お前は時間を稼げたら十分だ」
椿は、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。
ひとりにしない。そういう類の優しさだった。
「……ありがとう」
椿が言うと、レイは視線を逸らして窓の外を見た。
「礼はいらない。リンの件は、俺の問題だ」
言いながらも、レイは机の上の紙に手を伸ばして、ペンを取った。
「ここ、死角ができるから避けろ。……お前は足音が出るから」
「ひどい」
「事実だろ」
やり取りが、少しだけ軽くなる。椿は無意識に口元が緩んだ。
誰かと並んで同じ紙を見ているだけで、こんなに違うのか。
二人で紙の上に線を重ねていく。
ただそれだけのことなのに、白かった図面が、今は二人だけの道標に見えた。
明日の夜、この線の先には何が待ち受けているか分からない。
けれど、一人きりで震えていた昨夜よりも、今の指先のほうがずっと確かで、温かかった。




