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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
二章. 椿の屋敷

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微かな違和感


椿が腕に抱えてきたのは、数冊の分厚い本だった。どれも古びているが、その背表紙からは大切に扱われてきたことが伺える。


離れの一室。薄いカーテンを透かした冬の光が、床の上に頼りなく落ちている。


「……それ、なんだよ」


ソファの端に腰を下ろした彼女に、レイは視線だけで問いかけた。


「友達に、借りたの」


椿は視線を合わせず、膝の上でページを開く。


「自分の部屋で読めばいいだろ」


「……こっちの方が、落ち着くから」


それ以上の会話はなかった。


紙をめくる規則正しい音だけが、砂時計のように時を刻む。指先でページの端を揃え、じっと行を追う。少しの沈黙の後、急にページが数枚めくられる。


気にかけているわけじゃない。だが、彼女の読書のリズムが、レイの脳裏に刻まれていく。


――ちり、と腕の内側が鳴った。

仕込まれた護符糸が、異物の接近を報せる。


「……誰か来た」


レイが背筋を伸ばすと、椿の指が止まった。


次の瞬間、彼女の瞳から温度が消える。すっと、目の奥が「灯郷の人間」に変わる。


「母屋からだ。こっちに向かってる」


「……わかった」


椿の動きは、迷いがなかった。本を閉じて立ち上がると、クローゼットの扉を滑らせる。


「レイ、こっち。早く」


「……は?」


「いいから、早く」


抵抗する間もなく袖を掴まれ、押し込まれる。レイの背中を無理やり押し込み、持ってきた本も一緒に滑り込ませた。


扉が閉まる。

暗闇。古い木の匂いと、微かに残る彼女と同じ匂い。


クローゼットの中で、レイは手に残った本の重みを確かめた。捲れた表紙の端から、見慣れた二文字が覗く。


――『怪異』。


喉の奥が、砂を飲んだように乾いた。


(本当にリンの事を調べてるのか?)


外で足音が止まる。冷徹で、迷いのない歩調。


「椿」


男の声が、クローゼットの中にも僅かに届いた。


「……はい。お兄様」


椿の声が、一瞬で「形」を変えた。


丁寧で、淀みなく、けれど血の通っていない温度。それはレイが知る彼女の声ではなく、灯郷という檻が作らせた「模範回答」だった。


「父上からの伝言だ。クリスマスの宴会には必ず出席しろ」


「……出席、ですか」


「相手を選ぶ場だ。政略結婚。お前もわかっているだろう」


クローゼットの隙間から、部屋の空気が凍りついていくのがわかった。


「……嫌です」


椿の声が、きっぱりと落ちる。


「これは命令だ。それとも――また『あの部屋』に入るか?」


椿の呼吸が、かすかに乱れた。


クローゼットの壁一枚を隔てて、彼女の心臓の鼓動が激しくなったのが、レイの指先にまで伝わってくる気がした。


「……その話は、やめてください」


拒絶。けれど、そこには隠しきれない怯えが混ざっていた。


「いいか。灯郷の恥になることだけは、許さない」


足音が遠ざかり、廊下の板が鳴る。気配が完全に消えた後、椿が扉に鍵をかける音がした。


しばらくして、クローゼットの扉がゆっくりと開く。


「……もう、大丈夫」


椿はレイを見ようとしなかった。


外に出たレイも、伸びをしようとして腕を下ろす。視線のやり場に困り、彼女の横顔を盗み見るのが精一杯だった。


「……閉じ込めて、ごめん」


「別に、気にしてない」


椿は何も説明しなかった。


ソファに戻り、また本を開く。ページをめくる速度は、さっきよりずっと速い。


落ち着いているふりだけは、残酷なほどに上手かった。


レイは静かに椿の隣に座って、本を1冊手に取った。

椿が一瞬ぴくりと揺れて、レイを見る。


「…俺も読む」


椿は少し表情を緩め、また本に視線を落とした。

今は何も言わない。触れない。


部屋には本を捲る音だけが静かに響いた。


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