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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
二章. 椿の屋敷

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不在の灯


夕方が早くなった。


駄菓子屋のガラス戸の向こうはまだ明るいのに、光の色だけが薄い。


ハルは棚の前でしゃがみ込み、駄菓子の箱を入れ替えていた。指先で値札をまっすぐに直す。


入口の引き戸がゆっくり開いた。


「いらっしゃい」


入ってきたのはエマだった。派手な髪。乱暴な足取り。右手でポケットを探りながら、左腕は冬になった今も、体の脇に沿わせたまま。


「……今日はひとり?」


ハルがそう言うと、エマは「ん」とだけ返して、棚の前で立ち止まった。


「椿は?」


エマは肩をすくめる。


「しばらく遊べないって言って、走って帰ってったよ」


言いながら、エマはラムネの瓶を一本取ってカウンターへ置いた。いつもの瓶だ――ビー玉が落ちる音が好きなんだろう。


「走って?」


「うん。なんか、変だった」


その「変」が、いつものエマの雑な言い方じゃないことに、ハルは気づいた。誤魔化してるというより、言葉を選んでる。


ハルが栓抜きを取ろうとすると、エマが先に言った。


「開けなくていい。あとで外で飲む」


「そう?」


ハルは瓶をそのまま返した。エマは受け取り、ふと、目だけを上げて言った。


「……男かもな」


ハルの手が止まった。


「え?」


「男。たぶん」


「……いや、まだ早いでしょ」


素で声が出て、エマが即座に噛みついた。


「早いってなんだよ」


「いや、だって――」


「いつもいつもガキ扱いしやがって」


エマはラムネ瓶を軽く振って、ビー玉を鳴らした。音は明るいのに、顔は少しだけ不機嫌だ。


「たいして歳変わんねぇくせに」


「そんなことないでしょ」


「3つだけだろ」


「……あぁ、3つだっけ」


「うっざ」


言葉はいつも通り乱暴だった。ハルはそれに合わせて、いつもの調子で笑おうとした。


「椿に彼氏疑惑、ね。」


ハルは、椿が恋愛に興味があるようには見えなかった。


「知らねぇよ。つーか、彼氏とかじゃねぇかも。なんとなく、椿の空気がいつもと違っただけ」


「空気って」


「雰囲気。……つーか、そもそも椿がハル以外の男と話してるとこ見たことねぇし」


エマは棚の前へ戻って、飴の袋を片手で掴む。左腕は相変わらず動かない。動かさないのが癖になりすぎて、本人ももう意識していないみたいだった。


「でもさ」


エマは袋を戻しながら、ぽつりと言った。


「……男でもなんでも、別にいい」


その声が、少しだけ低かった。


ハルは何も言わずに、エマの横顔を見た。エマは続ける。誰にも聞かせないつもりの声だ。


「また家の厄介事に巻き込まれてなければ、それでいいんだけどな」


ハルは、一瞬言葉を失った。

“家の厄介事”。

あの家は、外から見えるほど穏やかじゃない。


エマはそれ以上言わなかった。言ってしまったことを、言い直すみたいに乱暴に息を吐く。


「……ま、いいや。ラムネだけ買う」


「はいはい」


ハルは代金を受け取って、袋に入れた。エマは受け取ると、戸に手をかける。


「またな」


「外、寒いから気をつけて」


「ガキじゃねぇって言ってんだろ」


そう返しながらも、エマは少しだけ口元を緩めて、外へ出ていった。


戸が閉まる。


夕日の色が、店の床に薄く伸びていた。

賑やかな声が去って、お店の中に静けさが戻ってくる。


(……椿)


椿は強い。強いから、放っておいても平気だと人は思う。実際、椿はそういう顔をする。だからこそ、誰も踏み込まない。


踏み込まれないことが、救いになるときもある。


それでも、エマの一言が耳に残る。


「家の厄介事」


ハルはポケットのスマホに触れた。椿の連絡先は、秋に交換したまま、画面の奥にある。指が勝手に動きそうになる。


――今、どうしてる?


打ちかけて、止まる。


“心配してる”という言葉は、椿にとって刃になることがある。優しさが、逃げ道を奪うことがある。ハルはそれを知っている。あの子は、誰かの手を取るより先に、自分の足で立ってしまうから。


画面を閉じた。


送らない。今日は。


ハルはスマホを伏せて、息を吐いた。


(視えるのに、救えない)


自分の言葉が、今になって戻ってくる。


人を救える力がある子が、救われなきゃいけない場所にいる。

そんなの、まともじゃない。


「……何も起きてなきゃいいけど」


誰に聞かせるでもなく呟いて、ハルはいつも通りに店の掃除を始めた。


普段と同じ手順で、普段と同じ動きで。


ただひとつ違うのは、気づけば視線が何度もスマホへ戻ってしまうことだった。

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