暖かい朝
月曜の朝、レイは天井を見ていた。
離れの空気は薄くて静かだ。落ち着くはずなのに、落ち着かない。
包帯の下で傷が鈍く熱を持っている。肩は動かすたびに引きつれる。
痛みが現実を引っ張り戻して、気分が悪い。
――椿が、鬱陶しい。
リンの一件のあと、何もかもが嫌で、誰とも関わりたくない。なのに、ずっと近くをうろついて、何かと話しかけてくる。放っておけばいいのに。距離を取るくせに、目だけは外さない。
それでも、無視まではできなかった。
助けられた。運ばれて、手当てまでされた。恩人だ。礼を言う気はない。けれど「いないもの」みたいに扱うほど、レイは図太くなれない。
昨日のことが、頭の奥に引っかかっている。
爪。
隠しているのなら触れられたくないという事は分かっていた。それでも口が滑った。少し黙ってほしかっただけだ。
効果はてきめんだった。椿は水を持ってきたあと、ほとんど姿を見せなくなった。
……正直、そこまでだとは思っていなかった。
今朝も、狐の淡い光が枕元で揺れている。椿の感情に連動しているせいか、昨夜より少し静かで、薄い。レイはそれを見て、胸の奥がざらつく。
衣擦れの音。戸が小さく開いた。
椿が顔を覗かせる。寝不足の目をしているのに、きちんと制服を着て、髪も整えている。いつも通りを演じるのが、上手いやつだ。
「……起きてる?」
レイは返事をせず、視線だけを向けた。
椿はそれを返事として受け取るみたいに、言葉を続ける。
「学校、行ってくるね。ここには誰も来ないと思うけど……絶対、見つからないようにして。変な音も立てないで」
当たり前みたいに言うくせに、声の端が少しだけ硬い。昨日のことが尾を引いてるのが分かる。
レイは目を逸らした。
罪悪感、というほど綺麗なものじゃない。自分が触れたくない場所に触れられた時の、あの嫌悪感を知っていた。知っていたのに、やった。
椿はレイの沈黙を咎めない。
「あと、傷が痛むなら……無理に動かないで。昨日言った通り、勝手に動いたら救急車呼ぶからね」
レイは短く息を吐いた。
「……分かった」
椿は一瞬だけ驚いた顔をして、それから「うん」と小さく頷いた。
戸が閉まる。
静けさが戻って、レイは天井を見上げたまま、決める。
早くここを出る。
行く宛てはない。九尾に戻るつもりもない。あの夜、スマホは捨ててきた。久世に繋がるものは、全部切ったつもりだった。
それでも、ここに居続けるわけにはいかない。
久世はいつか必ず辿り着く。匂いを嗅ぎつけるみたいに、綻びを探して、そこを掴む。レイがここにいると知った瞬間、この離れは“安全な場所”じゃなくなる。
恩人を巻き込むわけにはいかなかった。
鬱陶しい。腹が立つ。なのに――巻き込みたくないと思う。
その感情がいちばん鬱陶しい、とレイは思った。




