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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
二章. 椿の屋敷

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出会い



目が開いた瞬間、レイの目には知らない天井がうつった。空気が薄く温い。薬品でも煙草でもない、乾いた布と木の匂い。窓が少しだけ開いていて、外の冷気が細い線みたいに入ってくる。


息を吸うと、胸の奥が痛んだ。


遅れて、脇腹の鈍い熱と、肩の焼けるような痛みが追いかけてくる。服の下で何かが巻かれている感触があった。止血の布――


(……拠点じゃない)


首を動かそうとして、目の端が揺れた。


淡い光。


小さな狐の形をした灯が、枕元の少し上で揺れている。火じゃない。熱を持たない光。なのに、妙に生々しい。目の錯覚や夢の残りじゃないと、直感が言った。


この狐は……


その時、床の方から小さく衣擦れの音がした。


ベッドの脇、床に座ったまま眠っている人影。艶のある髪が、蛍光灯ではなく灯に照らされて淡く縁取られる。


灯郷椿。


学校で何度も見た横顔が、ここにいる。


……何で。


喉が鳴った。声にしたくなかったのに、息が漏れた。


狐が揺れ、椿のまつ毛がぴくりと動いた。次の瞬間、椿がはっと顔を上げる。寝不足の目だ。驚いているのに、姿勢だけは崩れない。


「……起きた?」


寝ぼけた声が耳に届く。


レイは返事の代わりに、体を起こそうとした。


肩が引き裂かれる。


「……っ」


椿の手がすぐに伸びて、レイの肩口を押さえた。力は強くない。止めるというより、“今はそれ以上動くな”と言っているようだ。


「無茶しないで。傷口が開く」


「……ここ、どこだ」


椿は一瞬黙って、窓の外を見た。


「……家の、離れ」


答え方が簡潔すぎて、余計に現実味が増す。レイは舌打ちしそうになって飲み込んだ。


椿の家――灯郷。


嫌な単語が頭の中で音を立てる。だが、視界に映る椿からは“灯郷家”の空気を感じない。息の仕方が違う。目が違う。


レイは狐を見た。


狐は椿の肩のあたりにふわりと寄り、そこから動かない。守りでも飾りでもなく、椿の呼吸の延長みたいにそこにいる。


レイの視線が、そこに吸われた。


椿はレイの目線の先を辿って狐を見ると、一瞬表情が固まる。


「……もしかして」


椿の声が、少しだけ低く落ちる。


「これ、見えてるの?」


レイは答えなかった。なんて答えるべきか、わからなかった。


けれど、その沈黙がそのまま肯定になる。


椿の目がわずかに見開かれる。


「……じゃあ、怪異も?」


レイの喉が小さく鳴った。否定する理由がない。否定したところで、今さら誤魔化せない。


「……見える」


椿は息を吸って、吐いた。驚いているのに、騒がない。そこが椿らしいと思ってしまうのが腹立たしい。


「……そうなんだ」


椿は狐ではなく、レイの顔を見た。


「だから、たまに私のこと見てたんだ」


レイは眉を寄せた。


「……見てない」


椿は小さく鼻で笑うように息を吐いて、すぐに話を切り替えた。


「ところで」


間の取り方が妙に現実的で、レイは少しだけ身構える。


「なんで、あんなところで倒れてたの?」


レイの胸の奥が、きしんだ。

途端に、腐った甘さと鉄の匂いが喉の奥に蘇る。

視界の隅に、床に落ちた影が刃みたいに伸びた気がして、反射で肩が強張った。


——「兄ちゃん」

幼い声が混ざった瞬間、指先が冷える。


「……関係ないだろ」


冷たく突き放す。

昨日の出来事が急に現実味を帯びて、蘇る。

悪い夢であってほしかった。もう戻らないと思っていた家。それでも、いざ家族を失ってしまうと、自分にはもう本当に帰る場所がないという現実に、心が折れる。


リンは、誰かに見つけられただろうか。治療を受けただろうか。


「ごめん。言いたくないなら、言わなくていい」


椿は淡々と言った。


「なんで助けた?」


これは八つ当たりだ。椿は関係ない。

わかっていても、止められなかった。


「……ほっとけばよかっただろ。助けろなんて言ってない」


椿の目が細くなる。


「……はぁ?」


短い。尖っている。椿の見た目からは想像もつかない声だった。


その瞬間、狐の光が、ふっと強く脈打った。尾の輪郭が鋭く揺れて、空気がわずかに動く。怒りに呼応している。


狐は椿の感情で動くようだった。


「……そういう言い方」


椿は息を吐いて、言い直すみたいに少しだけ声を落とした。


「とにかく。動いて傷が開いたら、救急車呼ぶから。あなたが昨日止めたんだよ。救急車は呼ぶなって。でも、呼ぶから」


脅し方が、妙に真面目だ。子どもみたいに単純で、だから厄介だった。


「……なんなんだよ」


レイの声は掠れて、小さかった。


「どいつもこいつも」


幼き日の家族の顔が浮かぶ。久世の顔が浮かぶ。カナメの嫌な笑い方が浮かぶ。全部がまとわりついて、息が浅くなる。

目頭が熱を持つ。いっそそのまま消えてしまいたかった。今回ばかりは立ち直る自信がなかった。


椿はベッドの脇から動かずに、レイの目をまっすぐに見た。


「今は、しゃべらなくていい。……でも、無理に起きないで。せっかく生き延びたのなら、こんな所で死なないで」


椿の声は、怒りを閉じ込めているように鋭かった。


どっちみち体は動かない。

レイは睨むように椿を見て、それでも結局、横になる以外の選択肢はなかった。


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