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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
一章. それぞれの葛藤

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駄菓子屋の灯


駄菓子屋の空気は、秋になると少しだけ穏やかさを増した。


放課後。椿とエマは、いつものように戸を押す。


「ただいまー」


勝手に言って、勝手に笑うのはエマの方だ。

椿はそれに乗らない。けれど、この駄菓子屋が“帰ってこれる場所”になっていたのは、同じだった。


「いらっしゃい」


レジ台に肘をついたハルが顔を上げる。柔らかい金髪が、店の蛍光灯の光を拾って、薄くあたたかく見えた。


椿は初めてハルを見た日に“桜みたいな人”だと思った。今もその印象は消えない。目を向けると、そこに必ず落ち着く場所がある。


「お、今日も来たな」


「来たよ」


椿は短く返して、棚の方へ視線を逃がした。必要以上に笑わない。必要以上に、誰かの機嫌を取らない。夏休み前と違う自分を、椿はもう隠す気がなかった。


エマは棚の前でしゃがみ込み、片手で飴の袋を掴んで、雑に覗く。


「なー、今日あいつら居ねえの?」


言いながら、外をちらりと見た瞬間。

店の前を通りかかった小学生が、待ってましたとばかりに声を上げた。


「エマ姉ー!」

「遊ぼー! 今日も!」

「鬼ごっこやろ!」


「うっせ……」


口では面倒くさそうなのに、エマの目はわずかに柔らかくなる。右手で子どもたちを追い払うふりをして、結局、戸を開けた。


「行くわ。椿、ちょっと待ってろ」


「うん」


椿は頷いた。エマの“ちょっと”が、だいたい長いことも知っている。


エマが外へ出る。左腕は相変わらず体の脇に沿わせたまま、ほとんど動かない。


戸が閉まる。


店の中に残ったのは、アイスケースの唸りと、ハルの気配と、椿の息だけだった。


椿は棚の端に指を置いて、商品を見ているふりをした。会話の糸口を探しているわけじゃない。ただ、沈黙が気まずくない相手が、ここにいることが、まだ少しだけ不思議だった。


ハルが、椿の方へ視線を寄せる。


「今日は、顔が硬いな」


「いつもだよ」


「そういう事にしておこうか?」


椿は、鼻で小さく笑いそうになって、すぐにやめた。


「……ハルさんは」


「ん?」


椿は深い意味もなく、ただ気になったことを聞いた。


「いつから、“視える”の?」


質問が店の空気に落ちた瞬間、ハルの表情がわずかに止まった。


「……うーん」


ハルは、ペンを指で転がした。視線を上げないまま、笑いもせず、ふざけもしない。


椿はその沈黙を待った。強い拒絶は感じなかった。それでも、迷いは伝わってきた。


「…まだ子供だった頃。って言っても、中学ぐらいかな」


ハルの声は静かだった。


「家出、したことがあってさ」


椿は目を瞬いた。ハルの口から出る“家出”という言葉が、あまりにも店の匂いと合わなかった。


「……家出?」


「うん。大げさに聞こえるけど、ほんとにそのまま。家から出て、戻らなかった」


ハルは床の木目を辿るみたいに視線を落とす。


「路地裏で、同じような子たちと集まって生活してた。ご飯を分けたり、寝る場所を奪い合ったり、変な“ルール”作って笑ったり」


椿は想像できなかった。


ハルの手は綺麗だ。店にいるハルは、いつも落ち着いていて、穏やかで、春の光みたいだった。


「ある日、事件に巻き込まれて」


ハルは淡々と言った。淡々と言うから、逆に重かった。


「死にかけた。……ほんとに。息ができなくて、目の前が白くなって、冷たくなって」


椿の指先が、棚を掴む。力が入るのを自覚した。


「その時、一緒にいた仲間は――もうみんな動かなかった」


言葉がまっすぐすぎて、椿の胸に刺さる。刺さって、抜けない。


ハルはそこで一度、息を吐いた。


「自分だけ生き残って、それからかな。……なんか、見えるようになった」


「見えるって、はっきり?」


椿が聞くと、ハルは首を振った。


「はっきりじゃない。うっすら。気配とか、空気の濁りとか、音が削れる感じとか。……そういうのが分かるようになった」


ハルは目線を落とす。


「でも、祓えない。視えるのに、救えないことがある。……それが一番、悔しいな」


椿は、言葉が出なかった。


慰める言葉は、簡単に用意できる。けれど、簡単な言葉で触れていい話じゃないのも分かった。


椿の中にあるものが、少しだけ揺れた。


自分は“力がある側”だ。あるくせに、その弱さのせいで大切な人を守りきれなかった。結果として誰かが生きていても、その事実が、免罪符になるわけじゃない。


でも――だからこそ。


「……ハルさん」


椿は言ってから、すぐに言い直した。


「……ハル。で、いいんだっけ」


ハルの目が上がる。少し驚いたように、そしてすぐに柔らかくなる。


「うん。みんなそう呼んでる」


「じゃあ、ハル」


椿は、自分の口から出た名前を一度だけ確かめるように飲み込んだ。


それから、少しだけまっすぐに言った。


「連絡先、教えてよ」


「…え?」



――


ハルはレジ台に肘をついたまま、椿を見た。

いつも通りの、風が通るような目。だけど今日は、その奥が少し揺れている。


椿の言葉は落ち着いているのに、逃げ道がない。


「何かあったら呼んで。……私にも、できることがあるかもしれないから」


ハルはすぐに返さなかった。

一拍、視線が逸れて、机の上の小さな傷を眺めるように落ちる。


「それは……椿を巻き込むみたいで、気が引けるな」


拒むためじゃない。躊躇いの音だった。


「君はもう、十分――」


そこで言葉が止まる。続きは飲み込んだ。


椿の周りの空気がほんの少し流れた。

匂いが混ざり直すように、店の空気がひと呼吸だけ動く。


椿の背後――肩のあたりに、淡い光がにじむ。


最初に形になるのは、耳の先。次に、細い輪郭。

光はぼやけない。崩れない。柔らかいのに芯がある。


狐だった。


椿の肩の後ろにすっと寄り添うように乗る、狐。

目の位置だけが、ほんの少し揺れて、ハルを見た――ように見えた。


ハルは息を止めた。

初めて見る光景だった。


「……」


言葉が出ないまま、目だけが追う。

“視える”だけの自分の感覚が、いきなり輪郭を持って突きつけられたみたいだった。


「……すごいな」


ハルの声は小さかった。けれど、ちゃんと届いた。


椿は狐を見ない。見せびらかすでもない。

ただ、淡々と続ける。


「すごいって言えるほどじゃないよ。……でも、助けにはなれると思う」


狐が椿の呼吸に合わせて、小さく脈打つ。

光が“そこにいる”だけで、言葉の重さが変わってしまう。


「ハルがどうしてもって時は、呼んで。……私、行くから」


ハルはしばらく黙っていた。

それから、諦めたみたいに小さく笑って、スマホを取り出す。


「……分かった。交換しよう」


椿が頷く。


連絡先が保存された瞬間、狐の光はすっと薄れて、椿の背後から消えた。


戸が開く。


「おい、二人で何してんだよ」


エマが戻ってきて、汗を雑に拭いながら言った。

子どもたちの笑い声が、外にまだ残っている。


椿は何事もなかった顔で、カウンターに肘をつく。


「別に。ちょっと話してただけ」


ハルもいつもの調子に戻して、エマに視線を向ける。


「おかえり。今日も全力だった?」


「ガキ共まじうるせぇ。椿、アイス食べよ」


「うん」


椿とエマは代金を置いて外へ出ていく。


扉が閉まって、また店の中に静けさが戻った。


「……はは」


ハルは乾いた笑いを零した。


灯郷の家の話は、噂程度なら聞いたことがある。

でも、灯が体を離れて、形になって――あんなふうに“生き物みたいに”寄り添うなんて。


とんでもない子が来た。

それだけは、もう分かった。


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