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灯影の駄菓子屋  作者: 沈丁花
一章. それぞれの葛藤

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空白の一日


教室の空気は湿っている。


窓を開けても風は重く、カーテンがわずかに揺れる。


「灯郷……欠席」


その名前が耳に届いた瞬間、レイの視線だけが反射で持ち上がった。


空いている席。机の上には教科書も筆箱もなく、椅子がきちんと机に収まっている。最初からそこにいないかのように。


……来ない。


灯郷椿が学校に来なくなってから、3週間が経とうとしていた。担任は「体調不良」とだけ言って、それ以上を告げることはなかった。誰も深追いしない。灯郷の家の事情なんて、この場所では腫れ物扱いだ。


――監視対象がいない。


レイは本気で椿を監視していたつもりはなかった。報告するほど律儀でもない。けれど目で追う癖だけは、勝手についていた。


視界の端に入るたび拾ってしまう。ピンと伸びた背筋。歩幅の揃い方。鞄の持ち方。あいつの周りに寄る、弱い怪異の気配。


それが、ない。


椿がいないだけで、教室の情報量が落ちる。元から退屈だったはずなのに、改めて退屈が骨に刺さる。


レイは頬杖をついて窓の外を見た。


空は明るいのに雲は低く、いつ降り出してもおかしくない。


――何のために、ここにいるのか。


久世は言っていた。


「灯郷のお嬢さんがいつ登校されるか分かりません。ですからレイ君、あなたは学校には必ず通ってください」


丁寧な声で言いながら、目は冷たい。隙が見えたら、そこを掴んで逃がさない。そういうやり方を、あの男は息をするみたいにやる。


レイに拒否権はなかった。ただ、久世の指示に従うしかない。


いつだったか。道具のように使い潰される毎日に耐えきれず、九尾から逃げた事があった。でも、逃亡生活が終わりを迎えるのは早かった。カナメに裏切られたからだ。

それ以来、ただ無心で任務をこなしている。

全てがどうでもよかった。


…今日もただ時間が過ぎていく。

昼休み。放課後。帰りのホームルーム。


椿の席は、一日中、空だった。



放課後、スマホが静かなままなのが気持ち悪い。


九尾の連絡がない日なんて、滅多にない。カナメもいない。あいつが不在ってだけで背中の皮膚が少し軽い。軽いのに、落ち着かない。


何をして時間を潰せばいいか分からない。


“帰る”と言っても、レイには帰れる家がない。九尾の拠点で適当に寝て、適当に起きる。壁と床と匂いに慣れる前に、また別の夜になる。居心地が悪い日は、適当な場所で夜をやり過ごす。それが普通になっている。


だからこういう空白の日は、手足の置き場がなくなる。


レイは駅前のベンチに座り、行き交う人間を眺めた。


スーツ。制服。買い物袋。笑い声。誰かの肩に寄りかかる誰か。全部が、レイとは無関係だ。


その時、子どもの声が駆け抜けた。


「なぁ、駄菓子屋行こうぜ!」

「いいな!ラムネ買おう!」

「アイスも!」


小学生がランドセルを揺らして走っていく。大げさに笑って、肩をぶつけ合って、転びかけて、それでも楽しそうで――その無防備さに、レイの目が止まった。


駄菓子屋。


その単語だけで、喉の奥が一瞬きゅっと狭くなる。忘れかけていた遠い記憶が蘇る。


……昔。


レイの弟、リンが小さかった頃。


リンは素直で、表情がそのまま出る子どもだった。レイの後ろをちょこちょこ付いてきて、レイが振り向くと、目を丸くして、それから照れたみたいに笑う。


ある日、リンが黙り込んでいた。


理由は分からない。聞いても「なんでもない」としか言わなかった。レイの知らないところで、何かがあったんだろうと思った。子どもには、子どもの世界がある。


「リン、お菓子買ってやるよ!」


レイがそう言うと、リンは最初、首を横に振った。怖がるみたいに。けれど、レイが黙って靴を履いたら、遅れて小さな足音がついてきた。


リンはお店の前で立ち止まり、店の中を覗いていた。


「何がいい?」


「……やっぱり、いらない」


いらないと言いながら、目はラムネの瓶に吸い付いていた。レイが一本買って押し付けると、リンは受け取って、しばらく眺めてから、ようやく口を開いた。


「……兄ちゃん」


「ん?」


「……ありがと」


リンは少し笑った。


ラムネのビー玉が、カランと鳴った。



……思い出しても仕方ない。


戻らない日々だ。戻したくても、戻せない。


レイはベンチの背にもたれ、息を吐いた。


湿った空気が肺に絡む。季節のせいにしても、胸の奥の重さは抜けない。


その時、ポケットの中でスマホが震えた。


表示された文字は短い。


――「待機やって、レイちゃん♡」


カナメからだ。任務じゃない。ただの待機。つまり、今夜もどこかで何かが動いている。


レイは立ち上がった。


今日も夜は来る。

制服の襟を直し、レイは人混みに紛れた。


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