猫又と行く癒しの温泉巡り 第五話 道後温泉
有馬温泉でミケの200年越しの真実を知った翌日、僕たちは四国の道後温泉に向かった。
本州から四国への移動は初めてで、瀬戸内海を渡る景色に心が躍った。
「いよいよ、最古の温泉だな!」
電車の窓から見える穏やかな瀬戸内海を眺めながら、ミケは道後温泉の歴史を語り始めた。
「道後温泉は日本で最も古い温泉の一つ。その歴史は3000年にも及ぶ」
「道後温泉で有名なのは白鷺伝説だな。
その昔、足に傷を負った一羽の白鷺が、岩の間から湧き出ている温泉を見つけ傷を癒した。これが道後温泉の始まりとされていて、この伝説から白鷺は道後温泉のシンボルとなったんだぞ」
「動物が教えてくれた温泉か・・・」と僕が相槌する。
「草津の白鹿、老神の大蛇、有馬の烏、そして道後の白鷺。
古い温泉には動物にまつわる発見譚が多いんだぞ。しかもここの温泉の効力は凄い!」
「そうなの?」
ミケは待ってましたとばかりに、窓に向いていた体を僕の方に向きなおし、目を閉じながらしみじみと語り始める。
「神代の時代、少彦名命が病気になった・・・しかし大国主命がここの温泉の湯で温めたところ、少彦名命はたちまち元気になったと言われているんだ」
「その際に元気になった少彦名命が踊ったとされる石が玉の石と呼ばれ、今でもこの地に祀られているんだぞ」
「神様の病気を治しちゃった温泉?」
「そうだ!凄いだろ!」
「うん!ますます楽しみになったよ」
道後温泉駅に到着すると、街全体が温泉情緒に溢れていた。
路面電車が走り、浴衣姿の観光客が行き交っている。
「あれが今日の宿だ」
ミケが指差す方向に荘厳な建物が見えた。三層楼の木造建築で、明治時代の建築美を今に伝えている。
「重要文化財に指定されている建物だ。明治27年に建築され、夏目漱石の『坊っちゃん』の舞台としても有名になった場所なんだぞ」
「ミケは本も読むんだね」
「おまえのおばあちゃんに教わった」
「お婆ちゃんは本が好きだったね」
そう言いながら、僕がまだ高校生だった頃、老眼鏡を掛け縁側でミケを膝の上に乗せて本を読んでいた祖母の事を思い出す。
あの頃の祖母は元気だったのになぁと、懐かしくも、同時に後悔も蘇ってくる。
すると、ミケが突然その場で立ち止まる。
「ふふふ、吾輩は猫である。名前はミケだ!」
「にゃん!」
と、ミケが片手を猫の手のように曲げ、お得意のポーズを見せつけてくる。
「どうだ?可愛いだろ?」
「・・・うん、可愛いと思うよ」
「ばあちゃんが考えてくれたんだ」
「そっか~。ミケとお婆ちゃんは仲が良かったもんね」
「うむ!親友だ!小さい頃から2人でいっぱい遊んだんだぞ!」
僕のじいちゃんも、まさか猫又が居る家に婿に入ったとは思わなかっただろうなぁと、祖母の顔と一緒に祖父の事も思い出し、なんだか可笑しくて笑いが込み上げて来る。
「さぁ、行くぞ!」
元気に歩いだすミケの後ろ姿を見ながら、僕の思い出まで楽しい事に書き換えてしまったミケって、やっぱり凄いなと思った。
ミケの後を追い本館に近づくと、その威風堂々とした姿に圧倒された。屋根には振鷺閣という太鼓楼があり、時を告げる太鼓の音が響いている。
「太鼓がいっぱい鳴ってるから丁度昼だな」
ミケの言葉にスマホで時間を確認する。
「ホントだ!ちょうどお昼だね」
「行くぞ!ここには神の湯と霊の湯というのがあってだな、それぞれ格式が違うんだぞ」
「どっちの温泉に入るの?」
「もちろん霊の湯だ!」
受付でミケと話しながら霊の湯の券を購入していると、後ろから声をかけられた。
「はあ?霊の湯?観光客のくせに随分と背伸びするじゃない」
「むむ!なにやつ!」
ミケが少し警戒している。
振り返ると、少しきつめの表情の女性が立っていた。
丈の短いノースリーブに、これまた丈がもの凄く短いジーンズ生地のショートパンツ。お腹は丸出しで、大きな胸のせいで、トップスの裾がヒラヒラとなびいている。
そのままでも温泉に入れそうな格好の女性が、なぜか怒りながら僕達に話しかけて来ていた。
地元の人らしく、慣れた様子で受付を済ませている。
僕が驚いていると、その女性は僕の隣にいるミケに目を向けた。
「・・・なんか君は変!」
「にゃん!」
ミケは慌てて人間の演技をしたが、それが逆効果だったようで、女性の鋭い視線は逸らされなかった。
「ここだと他の人の迷惑だから、向こうで話しましょう!」
「え?僕達、温泉に浸かりに来たんですけど・・・」
「行くわよ!」
「・・・はい」
僕達は見知らぬ女性に、建物の外へと連行されていった。
「また外に戻ってしまったではないか!」
ミケも怒っているが、僕にしか見えない尻尾を大きく振っているので、きっと嬉しのかワクワクしているのだろう。
外に出ると、その女性は改めて自己紹介をした。
「私、春香って言うの。地元の大学で温泉文化を研究してる」
春香と名乗った女性は、僕を値踏みするような目で見つめている。
「で、あんたはどこから来たの?」
「・・・東京かな?」
「なんで疑問形なのよ!」
「えっと・・・色々ありまして・・・」
ふ~んと言いながら春香は腕組をしている。
「私達は温泉巡りをしているんだぞ。うらやましいだろ!」
ミケも春香の真似をして腕組をし、なぜか自分の胸を春香に見せつけている。
「ほう、温泉巡り?どこを回ったの?」
そんなミケを無視して春香が僕に聞いてくるので、今まで周った温泉地を答えた。
「草津、老神、下呂、有馬です」
「へえ、意外とちゃんと回ってるじゃない。で、道後については何を知ってるわけ?」
「日本最古の温泉で3000年の歴史がある!」
とミケが叫ぶ。
「そんなこと知ってて当然でしょ!霊の湯に入る資格があるのか、私が試してあげる!」
「ばっちこい!」
と叫ぶミケの尻尾は、とても大きく振れていた。
春香と名乗ったその女性は、ミケの知識を試すように次々と質問してきた。
「大国主命様と少彦名命様の神話は、どんなお話でしょう!」
「にゃん!」
「白鷺伝説は?」
「にゃん!」
「じゃあ、聖徳太子がここに来たことは知ってる?」
「伊予の湯にゃん!」
「・・・・・・」
言葉に詰まる春香を見て、昔の猫又のミケは、こんな感じで人間をからかって遊んでいたんだなと思った。
春香は腕を組みながら眉間に皺を寄せ、何かを考えているようだ。
しかし、春香が次に発した言葉は、予想していないものだった。
「この人、絶対おかしい・・・本当に人なの?」
その言葉に僕は正体がバレたとドキッとする。
「私は普通の猫だ!にゃん!」
しかしミケは、なぜかこの女性に猫又だという事を隠すつもりがないように思えた。
「ねえ、正直に言いなよ。まさかとは思うけど幽霊とかそういう系?」
「えっと・・・違いますよ?」
と一応、僕もフォローを入れるが効果はなかった。
「やっぱり!反応でバレバレよ」
「お前は話を聞かん娘だな」
「私はこの辺の古い言い伝えには詳しいのよ。昔からこの辺りには、人を助ける不思議な猫の話があるんだから!」
春香と名乗るその女性は、得意げに笑っていた。
僕はミケが言ってた200年前の事だと思ったが、助けられたのは猫の方だという事は黙っておいた。
だけど助けられた方であるはずのミケは、なぜか得意気な顔をしている。
「とりあえず温泉に入りましょう」
「僕達は合格したって事ですか?」
「その後でゆっくり話を聞かせてもらうからね」
「・・・はい」
良くわからないが、ミケと僕は春香の試験に合格したようで、建物の中に戻る事になった。
受付に並んでいると春香が尋ねてくる。
「私は神の湯だけど、あんた達は本当に霊の湯に行くの?」
「そのつもりだ!」
とミケが答える。
「チッ!うらやましい」
なぜか僕を睨みつけている春香に困っていると、ミケが助け船を出してくれた。
「なんなら、私がお前の分も出してやろうか?」
「本当?」
「あぁ、ここで会ったのも何かの縁だろうからな」
「やったー!ありがとう!」
春香の表情がパッと明るくなる。霊の湯とは、そんなにも凄いのだろうか・・・。
受付を済ませると、ミケは春香と2階の女湯に向かって行き、僕は男湯の霊の湯に入った。
そこは見るからに格式の高い浴室で、天井も高く、荘厳な雰囲気に包まれている。
道後の湯は草津や有馬とはまた違った特徴があった。
道後の湯は、アルカリ性単純泉で肌触りが非常に滑らか!
湯温もちょうど良く、長時間浸かっていても疲れない。
3000年間、多くの人がこの湯で癒されてきたんだ。聖徳太子、夏目漱石、そして数え切れない人々がこの同じ湯に浸かったんだ。
ミケに聞いたこの温泉の話を思い出しながら、僕はゆっくり湯に浸かった。
温泉から上がった後、休憩所でくつろいでいると、ミケと春香がやって来た。
「ねぇ、ちょっと聞きたい事があるんだけど・・・」
「はい、なんですか?」
春香の突然の質問に、ミケが猫又なのがバレたのかと身構える。
「ミケちゃんの肌すっごい艶々だったんだけど!胸もお尻もつるつるで凄かった!」
「ふふふ、これが温泉の力だ!」
「温泉の力すげー!」
どうやら2人は一緒に温泉に浸かった事で、とっても仲が良くなったようだった。
「で、さっきの続きなんだけど・・・絶対に何か隠してるよね?私は嘘つきが大嫌いなのよ。何が目的なの?」
僕が答えに困っているとミケが呟いた。
「随分と勘が鋭いな」
ミケはそう言うと猫の姿に戻った。
「にゃん!」
猫に戻ったミケは、猫の姿のまま喋っている。
「喋った!猫になって喋った!」
「バレてしまったものは仕方ない」
まったく困った様子がみられないミケに、僕はコーヒー牛乳を持ったままミケに尋ねる。
「隠すつもりなかったでしょ?」
「まぁ、こいつは大丈夫な気がする」
「本当に?」
「私の感だけどな」
そんな会話をしている僕とミケを無視して、春香がスマホを取り出して嬉しそうに叫ぶ。
「すげー!本物の猫又だ!写真撮らせて!」
「写真はダメ」
「・・・ケチ」
「っていうか、今のミケの写真を撮っても、ただの猫にしか見えないと思うけど・・・」
「で、何で猫又と一緒にいるの?」
興味深そうに身を乗り出す春香に、僕は簡単に事情を説明した。
数分後。
「・・・なるほど。まあ、それなら納得ね」
春香は意外にもあっさりと受け入れた。何が理由で納得に至ったのかは、面倒そうなので聞くことはやめておいた。
「でも、本当に猫又がいるなんて信じられない」
ミケを抱きながらスマホで自撮りをしまくっている春香に訊ねる。
「春香さんはミケを怖がらないんですね」
「え?なんで?ミケちゃん可愛いじゃん!」
「私の可愛さに魅了されたか・・・お前は良い奴だな」
春香の頭に乗りながら写真を撮られているミケも嬉しそうだ。
「それと、私の事は春香でいいよ?歳もそんなに変わらないでしょ?私の方がちょっとおばちゃ・・・お姉さんだと思うけど・・・」
「わかりました」
「敬語も私には使わなくていいわよ」
「はい」
春香は見た目と同じで、中身もサバサバした感じなんだなと、改めて思いなおした。
「で、猫又のミケちゃん?」
「ん?」
「ここに猫の姿で居たら怒られるんじゃない?」
「そうだな」
そういうとミケは人の姿になった。
「うわ~凄い!どっちの姿も可愛い!」
「ふふん!」
「ねぇねぇ、何で猫又を連れて道後に来たの?やっぱり四国には妖怪の里とかあるの?隠神刑部に会いに来たの?」
「いや、違います!ただの旅行です!」
良くわからない事を言いだす春香に僕が答えると、ミケがその事に付け足す。
「こいつの湯治旅行の一環だ。道後は日本最古の温泉として有名だからな、ぜひ体験させたかった」
「そういうことなら、私が本当の道後を教えてあげる!霊の湯のお礼もあるしね!」
僕達は休憩を終え、建物を後にした。
春香は僕たちを本館の裏手にある、観光客があまり知らない場所に案内してくれた。そこには小さな足湯があり、地元の人らしき老人が数人のんびりと足を浸していた。
「ここは地元の人間しか知らない足湯よ。観光地化される前の本当の道後がここにある!
観光客が増えるのはいいけど、本当の価値を知らない人が多すぎ!」
「本当の価値?」と僕が春香に尋ねる。
「温泉ってのは、ただのお風呂じゃないのよ。人の心を癒し、体を治し、魂まで綺麗にしちゃう特別な場所なの!」
腕組をしてる春香に賛同したのか、ミケも腕を組んで答える。
「うんうん!その通りだ!春香はよく分かっているじゃないか」
「当然よ。ここで生まれ育って、温泉の恩恵をずっと受けてきたんだから!」
「・・・でもね、最近の観光客は写真を撮ってSNSに上げて、それで満足して帰るの。温泉の本当の力を感じようとしない」
「でも、私達はそういう者達とは違うだろ?」
「・・・まあね」
春香は腕を降ろし、足湯に浸かっている自分の足に視線をおろす。
そんな春香にミケが、ゆっくりと話しかけた。
「そういう人も多くここに訪れる。でも、観光客だからって、それだけで嫌うのは損だぞ?」
「・・・うん、それも分かってるつもりなんだけど、私ってミケちゃん達みたいな温泉が好きな人に、この温泉の素晴らしさを自慢したいだけなのかもね」
「その気持ちは、わからんでもないぞ」
「・・・ありがとう」
湯の中で自分の足を小さく動かしながら、静かにそれを眺めている春香の横顔が悲しそうに見え、僕の口が勝手に開いた。
「よかったら僕達に、この温泉の話を聞かせて下さい」
「いいの?すっごい自慢しちゃうよ?」
「はい!全部聞きたいです!」
「よし!お姉さんに任せなさい!」
その後、春香は嬉しそうに道後温泉の隠された歴史を語り始めた。
戦国時代の武将たちが傷を癒しに来た話、江戸時代の湯治文化、明治維新後の観光地化の過程など、色々な事を僕達に教えてくれた。
「夏目漱石が『坊っちゃん』を書いたのも、ここの温泉文化に感動したからなのよ」
「そんな深い歴史があったんですね」
「だから、この温泉文化を大切にしなきゃいけないの」
春香の熱い思いを聞いていると、僕も道後温泉への愛着が深まった気がした。
その後も3人で温泉街を少し散歩し、
夕方になり春香との別れの時が来た。
春香は最後まで元気いっぱいだった。そんな春香の話を聞いていると、僕にもポジティブな気が流れ込んでくるようで、一緒に居て心地よかった。
「面白い一日だった!2人共、今日はありがとう!」
「道後のことがよくわかりました。こちらこそ、ありがとうございました」
「ミケちゃんも色々とありがとね」
「お前は良い娘だ。将来有望だぞ?」
ミケが春香を褒めると、彼女は少し照れたような表情を見せた。
「また来ることがあったら連絡してね」
帰ろうとする春香をミケが呼び止める。
「おい!春香!」
「なに?」
「今度会う時は、お前が私達に会いに来る時だと思うぞ?」
「え?なんで?」
「それはな・・・」
ミケは春香になにか耳打ちをした。
「お前がこいつの嫁になって、私の代わりにこいつの面倒を見てやれ!」
「え?なんで?」
「こいつには、お前のような気が強い娘があってるのだ!」
「え?うん・・・そうなの?」
「猫又の言う事を信じろよ!」
ミケが春香に何かを告げると、春香の顔が真っ赤になっていた。
「じゃぁ・・・ま、またね」
「またな」
「はい、またこちらに来た時は連絡しますね」
「・・・別に、いつでも連絡してくれて良いわよ!
私もミケちゃんに負けないような女になれるように頑張る!
次に会う時は、道後の湯の本気の力をみせてやるから!じゃぁ、またね!」
春香は早口でそう言うと、走って何処かへ帰って行った。春香らしい不思議な別れの言葉だった。
その日の夜。
その夜、宿で僕はミケと今日のことを振り返った。
「ふわ~~~眠い・・・」
「きつい性格だったけど、温泉への愛が凄い人だったね」
「そうだな。だけど、ああいう人がいるから、伝統文化が守られてもいるんだぞ」
「そっかぁ、そのおかげで僕達も何年も守られていた温泉に浸かれるのかぁ」
「そういう事だな」
「でも、ミケの正体をばらしちゃって良かったの?」
「まぁ、いずれはばれる事だったし、早いか遅いかの違いだと思うぞ?」
「どういう事?」
「そのうちわかるさ」
「そのうちか~」
楽しみのような、ちょっと怖いような変な感じがする。
「あいつは私に似てるし、きっと上手くいくさ」
「なにが?」
「そのうちわかるさ」
「また、そのうちか~」
「ほれ!窓から外を見て見ろ」
僕が窓の外を見ると、そこは夜のライトアップが美しく輝いていた。
「うわ!なにこれ!」
「この辺に住んでる狸達に頼んで、特別に道後の名物を再現して貰った」
「す、すごいね、庭が全部光ってるよ」
「数分しかもたんらしいから、よく見ておけよ」
「うん!ミケ!ありがとう!」
僕は光る庭を見ながら、3000年の歴史を刻んだ温泉地で、また新しい出会いがあった事に感謝した。
春香との出会いは短かったが、温泉を守る人々の情熱を知ることができた貴重な体験だった。
(第五話了)




