猫又と行く癒しの温泉巡り 第四話 有馬温泉
下呂駅で松田さんと別れた後、僕とミケは関西の奥座敷として知られる有馬温泉に向かった。
電車の中で、ミケがニヤニヤしながら話しかけてきた。
「あの爺さんと別れて、ちょっと寂しいんだろ?」
「・・・そうだね。ちょっとじゃなく、結構寂しい気がする。でも、きっとまた会えると思う」
「そうだな。ああいう人とは一生の付き合いになるものだ。お前にとって必要な出会いだったと思うぞ」
「うん・・・ありがとう」
有馬温泉駅に到着すると、思ったよりも近代的な建物があってちょっと驚いた。しかし硫黄の香りが漂っていて、草津とは違った優しい匂いだった。
「ここは昔から関西の人々に愛されてきた温泉だ。太閤秀吉も愛した名湯として有名なんだぞ」
猫の姿のミケが、僕の肩に乗って得意そうに話してくる。
「そうなんだ。同じ湯に浸かれば、なんだか僕も出世できそうだね」
「お前は休む為に湯治に来てんだろ!仕事の事は一旦忘れろ!」
「そうだった・・・つい・・・」
また仕事の事を考えてしまったと思いながらも、仕事の事を思いだしたのに、あの重たい気持ちは感じなかった。
あいつは頑張ってるのだろうか?と仲の良かった同僚の顔を思い出していると、ミケが話を続けた。
「しかもここでは、金泉と銀泉という二つの異なる泉質を楽しめるんだぞ!」
「へぇ~、なにが違うの?」
「まず湯の色が違う!
金泉は鉄分と塩分を多く含む赤褐色の濁り湯なんだ。保温効果や美肌効果が高いと言われてるんだぞ」
「私の肌ももっと艶々になる事間違い無しだな」
「猫のミケは、どこが艶々になるんだよ!」
「肉球だ!」
「そうですか・・・」
「で、銀泉は何色なの?」
「銀泉は、炭酸泉とラドン泉の混合した湯で、無色透明のさらりとした湯触りが特徴だな。ちなみに新陳代謝を促進する効果がある」
「へぇ~、両方入ってみたいね。まずはどっちに入るの?」
「今から行くところは金泉だな。そこには家族風呂があるから2人で入れる」
「え?一緒に入るの?」
「・・・そうだけど?」
ミケは何が不満なんだと言いたげな顔をしているので、理由を探すが、これといって見つからない。何とか探し出した理由を僕はミケに告げた。
「・・・泳ぐのは禁止だからね?」
「お前は阿呆だの~」
「なんでだよ!」
「大浴場じゃなきゃ泳げないだろ!」
「・・・そうだね」
宿泊先が近くなると、ミケの姿が光に包まれ、あの美しい女性の姿に変わった。
「にゃん!」
「こんな所で変化して大丈夫なの?」
「猫又をなめるなよ?」
「ミケ?意味が解らないよ・・・」
「松田の爺さんがいた時は、こうして変化をする事もできなかったから、久々な気がするなぁ」
「そんな事ないでしょ・・・電車ではずっと人の姿だったじゃん」
「ここの宿は猫の姿じゃ泊まれんからな。今日は贅沢をさせてもらうぞ!」
そう言いながら、ミケはにやりと笑っていた。
今回の宿泊先は、創業300年という老舗旅館だった。格式ある建物に圧倒されながら、僕たちは部屋に案内された。
部屋に荷物を置いて、いよいよ有馬温泉の名物である金泉に入ることになった。
「ふう・・・暖まる」
金泉の湯はミケの言った通り、鉄分を多く含んだ赤茶色の湯だった。入った瞬間に体の芯まで温まるのを感じた。強い酸性の湯とは全く違って、ここの湯は優しく包み込むような感覚だ。
「どうだ?」
隣で湯に浸かりながら、ミケが聞いてきた。
「すごく気持ちいい。匂いも肌触りも少し違うね」
「それぞれの温泉にそれぞれの特色があるからな。金泉は血行を促進し、神経痛や筋肉痛にも効くと言われているんだぞ」
2人でのんびりと湯に浸かりながら、ミケは有馬温泉の歴史を語り始めた。
「この温泉が発見されたのは、神代の時代だと言われている」
「え?神代って、神様の時代って事?」
「神々が地上を支配していた時代って事だな。その時代に大己貴命と少彦名命という二柱の神が、傷ついた三羽の烏が水浴びをしているのを偶然見つけたそうだ」
「え?大己貴命様って大国主命様の事だよね」
「良く知ってるな」
「しかも少彦名命様とって事は、国造りの時だったのかな」
「そうなのかもな。私もまだ生まれていない、はるか昔の事だからな~」
そういって少し考え込むミケを見て、いったいミケはどのくらい生きているんだろうと思う。
「その烏が赤い水たまりで傷を癒しているのを見て、神々がこの温泉を発見したという伝説がこの地にはある」
「その後、時代を経ても多くの人々がこの湯で癒されてきた。この地の湯には、飛鳥時代には舒明天皇や孝徳天皇が訪れたという記録も残っているんだぞ」
「奈良時代には僧侶の行基が温泉寺を建立し、有馬温泉の発展に貢献したんだ」
「温泉寺?普通のお寺とは違うの?」とミケに尋ねる。
「日本各地にある温泉地に立地し、温泉と関連の深い寺院の事だぞ。平安時代には文人墨客も好んで訪れたらしいぞ」
「すごい歴史のある温泉なんだね」
「特に豊臣秀吉はここを愛して何度も訪れた。秀吉が築いた茶室の跡も残っているほどだからな」
「秀吉も温泉が好きだったんだね」
「権力者だって心の疲れが溜まるものだ。温泉はそんな疲れた心を癒してくれる場所なんだぞ」
そう言うと、ミケは僕をじっと見つめた。
「お前も旅を始めた時とは全然違う顔になった」
「そう?自分では良くわからないけど・・・」
「ああ、目に生気が戻っているし、なにより表情が柔らかくなった。人と話すのを楽しんでいるのが分かる」
確かに松田さんとの出会いを通じて、僕は人との会話の楽しさを思い出していた。以前は同僚との会話すら億劫に感じていたのに、今では自然と人に話しかける事ができるようになっている。
でも、僕のこの変化には、温泉の力もあるんだろうけど、ミケのお陰だとも思った。そんな僕の考えを読み取ったかのようにミケが呟いた。
「温泉の力もあるが、それ以上にお前自身が変わろうとしているからだろうな」
「最初の草津では体の疲れを癒した。老神では心の重荷を軽くした。下呂では人との繋がりの大切さを学んだ。そしてここ有馬では・・・」
「ここで何かする気なの?」と少し不安になった僕が尋ねる。
「総仕上げだ!お前が本当に変われたかどうかを確認する!」
ミケはそう言いながら、裸のまま勢いよく立ち上がった。
腰に手を当て、尻尾をフリフリしながら全裸のミケが僕の目の前で仁王立ちしている。
「ミケ・・・丸見えだって・・・」
「どうだ?裸で可愛いポーズでもしてやろうか?」
「結構です!」
「ならば温泉でツルツルになった私の体でも触ってみるか?」
「結構です!」
金泉から上がった後、僕たちは銀泉にも入った。こちらは無色透明の湯だった。
「銀泉は食欲増進や疲労回復に効果があるとされている。二つの異なる泉質を楽しめるのが有馬温泉の特徴だ」
銀泉に浸かりながら、僕はふと思った。
「・・・なぁ、ミケ」
「なんだ?」
「うまく伝えられないけど、僕はもう大丈夫な気がする」
「そうか?」
「・・・うん。旅から戻ったら働き方を変えようと思う。人との関係も大切にしようと思う。そして定期的に温泉に来て、心と体をリセットしようと思う」
「うむ。そうか・・・それでいい」
ミケは温泉に浸かりながら、満足そうに頷いていた。
温泉から上がった後、僕たちは旅館の庭を散歩した。ライトアップされた庭園は幻想的で、小さな滝の音が心を落ち着かせてくれた。
「この旅館にも長い歴史があるんだぞ。江戸時代から続く老舗で、多くの著名人も宿泊している凄い所なんだからな!私が貯めたお金も、いっぱい使ったんだからな!」
「ははは、ミケ!ありがとう」
「うむ!」
しばらく歩くと、庭園の一角に小さな祠があった。
「あれは?」
僕達は足を止め、小さな祠を見つめる。
「温泉の守り神を祀った祠だ。昔から温泉地には必ずこうした神様が祀られている。せっかくだ、お礼を言っておこう」
僕たちは祠の前で、温泉の恵みへの感謝を込めて手を合わせた。
その夜、部屋でミケと向き合いながら、僕は改めて感謝の気持ちを伝えた。
「ミケ、本当にありがとう。この旅がなければ、僕は・・・」
「まだ湯治の旅は終わっていないぞ?」
「そうなの?」
「でも、お前が確実に変わっているのは事実だ。最初の頃の死んだような目はもうない」
「それはミケのお陰だよ」
「それは違う。お前自身の中に最初からあった力だ。私はきっかけを与えただけだ」
「お前は自分が壊れて行く事に気付きながら、自分を守る勇気がなかっただけだ。その事にお前は自分で気づいたのだ!もっと自分に自信を持て!」
ミケの言葉を聞きながら、僕は温泉の不思議な力について考えた。
温泉は単なるお湯ではない。大地の恵み、自然の力、そして人々をずっと癒してきた特別な場所・・・。そこで過ごす時間が、生き物の体と心を癒す不思議な力を持っている。
「・・・なんか、温泉って凄いね」
僕がそう訪ねた時には、ミケは自分の布団ですでに丸くなって眠っていた。
次の日。翌朝、僕たちは有馬温泉の街を散策した。
古い街並みにあった温泉饅頭の店に立ち寄ったり、炭酸煎餅の香りにミケが負けて立ち寄る事になったりした。観光地でありながら、どこか懐かしい雰囲気を持った街だった。
「ここは昔から、多くの人々の心の故郷だったんだ。疲れた時、悲しい時、迷った時、人々はここに来て温泉に浸かり心を癒してきた」
「僕もその一人だね」
「そうだな。今度はお前が誰かの心を癒せるようになると良いな」
「うん!」
その日の夜。有馬温泉での2日目の夜に、僕はミケから驚くべき話を聞いてしまった。
部屋の縁側で月を見上げながら、ミケはゆっくりと口を開いた。
「実は、ずっと前にも私はここに来たことがある」
「有馬に?」
「ああ・・・200年くらい前のことだがな」
ミケの表情が、どこか遠くを見つめるようになった。
その頃の私は今よりずっと若く、可愛く幼い猫又だった。人間を化かして楽しむのが趣味でな、よく人を騙して遊んでいたんだ。
私は悪戯好きで、人間をからかっては面白がっていた。私の可愛さに人間はみんな驚いていたよ。今思えば、随分と幼稚なことをしていたものだ。
でも、ある日のことだった。
ここ有馬で一人の武士に出会ったんだ。
その武士は病気の妻を連れて湯治に来ていた。でもその妻の病気は、既に手の施しようがない状態だった。
私は最初、いつものように武士を化かそうと思った。でもそいつは私が何をしても驚きも怒りもしなかった。
怒った私は毎日そいつの所に行って驚かせてやった。
「にゃん!にゃん!にゃん!」と必殺の可愛いポーズ三連撃をお見舞いしたが、しかしそいつは何も反応しなかった。
そんな事を毎日していると、私を退治しようと変な奴らがやって来た。
そいつらは刀を振りかざし私に切りかかって来たので、私は町中を毎夜逃げ回った。
そんな時に、私を呼ぶ女の声が聞こえたんだ。
「早く、こっちにいらっしゃい」
それは私が毎日、驚かそうとしていた武士の妻の声だった。私はその武士の家に逃げ込んだ。
「しばらく、この家に隠れてなさい」
その女は武士に体を支えて貰いながら、布団の上で上半身だけを起こして私に優しく微笑んだんだ。
だから私は、しばらくその家に隠れる事にした。
私は2人をずっと見ていた。
その武士は一日中妻の側にいた。温泉の湯を汲んできてはその湯で体を拭いてやったり、好物を食べさせようとしたりと、妻が少しでも楽になるように、できることは全てやっていた。
でも、どんなに手を尽くしても、妻の病気は良くならなかった。
ある夜、その武士が薄暗い路地裏で、一人で泣いているのを見つけたんだ。
「頼む、妻を助けてくれ。ワシの命も魂もお前にくれてやる。だから妻を助けてくれ。
武士はそう言って私に向かって頭を下げた。私が化け物だと分かっていたのに、それでも妻のためにそいつは必死に私に頼み込んだ。
でも私には人の命を救うような力はなかった。
だから昔に聞いた事があった、老神の蛇神様にお願いをしに行く事にした。
何日も何日も歩いた。
やっとその場所に辿り着いて、私は蛇神様にお願いをした。
でも、もう手遅れだと言われてしまった。
それでも、その蛇の神様は、最後の時まで苦しまないようにしてくれると約束してくれた。
だから私は最期まで一緒にいようと思い、武士の家に帰る事にした。
それから私はその人の所にずっといた。その人は病気でツラいはずなのに、私を撫でながらいつも微笑んでくれた。
その人は幼い私に色々な事を教えてくれた。最期までとても穏やかな優しい人だった。
その人が息を引き取る直前に私はその人と約束をしたんだ。
「もう人間を驚かせて遊んじゃダメよ?」
私は「わかった」と約束をした。
私は私を助けてくれたその人に、何かをしてあげたいと思った。
「あんた達が助けてくれた、この恩を返したい」
「そんな事は気にしないで元気に生きなさい」
その人はいつもそうだった。自分がもう長くないと分かっているのに、いつも私に優しくしてくれた。
だから私は怒った。
「嫌だ!恩を返したい!どうすれば良いんだ?」
私が怒ると、その人は私の頭を撫でながら小さな声で話してくれた。
「・・・私の病気がうつらないように、親族に預けて来た息子がいるの」
「・・・私達の子に、その子に何かあったら助けてあげて」
「わかった!あんた達の子供は私がずっと見守ってやる!」
私はその人と、そう約束をした。
「それから200年間、私はその家を見守り続けてきた。私は今もその家を守り続けているんだよ」
「え?それって・・・」
「その武士と妻だったその人がお前の先祖なんだよ」
僕は言葉を失った。
「私はその2人に優しさを教わった。その2人の息子、そしてお前のお婆ちゃん。私が見守っていた家の人はみんな良い人たちだった」
「だから今度は私がお前にそれを返す。その人達の血を引くお前が過労で倒れそうになった時、私は思ったんだ。今度こそ、この家の人を救うと」
「それでこの温泉旅行を?」
「そうだ。お前を温泉に連れて行き心身を癒し、人生を見つめ直すきっかけを作ろうと思った。お前の家系の人達は昔から温泉が好きだったから、お前もきっと立ち直ると思ったんだよ」
「まぁ草津温泉も下呂温泉も、お前のおばあちゃんが連れて行ってくれたんだけどな。お前の祖父に隠れて、人の姿になっておばあちゃんと2人で女湯に入ってた頃が懐かしいなぁ~」
ミケの話を聞いて僕は胸が熱くなった。
200年越しの恩返し・・・そんな長い間、僕たち家族を見守ってくれていたなんて・・・。
ミケの長い長い恩返しの優しさに、僕の目には自然と涙が溢れてくる。
「・・・僕はミケが居なかったら潰れていたと思う。本当にありがとう」
「そう言って貰えると嬉しいよ。これで200年前の約束を少しは果たせた気がする」
窓の外を見つめながら、ミケは安堵の表情を浮かべていた。
その夜、いつもは僕の足元で寝ているミケを僕は抱きしめながら眠りについた。
ミケからは少し温泉の匂いがした。
200年越しのミケの愛に包まれて、僕はとても安らかな気持ちで眠る事ができた。
(第四話了)




