猫又と行く癒しの温泉巡り 第三話 下呂温泉
次の目的地は、岐阜県の下呂温泉だった。
日本三名泉の一つと言われる名湯で、肌がつるつるになることで有名だとミケが教えてくれた。
朝食を食べ終わるとすぐに出発し、バスと電車で岐阜県を目指した。今回も5時間以上かかる移動だった。
僕が車内でだるま弁当を美味しく頂いてる間、ミケはずっと気持ちよさそうに寝ていた。相変わらず、移動中のミケは寝てばかりだ。
数時間後。下呂駅に到着すると、駅前で一人の老人が困っているのを見かけた。大きな荷物を持ち、地図を見ながら首をひねっている。
「お困りですか?」
声をかけると老人は関西弁で答えた。
「おおきに。宿までの道がよう分からんのや」
宿の名前を聞くと、僕たちと同じ宿だった。
「僕も同じ宿に行くので一緒に行きましょう」
「そりゃ助かる」
一緒に歩きながら道中で話を聞いた。
老人の名前は松田さん。髪の毛が白く、後ろにまとめ上げ、清潔感が感じられる。皺の無い薄い茶色の着物も似合っている。顔はちょっと怖いが、体はそれほど大きくなく、全体的に優しそうな雰囲気をもった老人だ。
松田さんは、大阪で小さな町工場を経営していたが、最近廃業することになったという。
「50年やってきた工場や。でも時代の流れには勝てんかった」
松田さんの声には深い寂しさがあった。
「嫁はんは先に逝ってしもうたし、息子は東京で忙しそうやしな。仕事ばかりで家族をないがしろにした罰やろうな。結局ワシは一人になっとった。それで最後に一人旅でもしようと思ってな」
その話を聞いて、僕は胸が痛んだ。自分も家族を大切にできていない。仕事ばかりに追われて、祖母の最期にも立ち会えなかった。そんな事を思いながら歩いていた。
しばらく歩き、目的の旅館に着く。
「ここは昭和初期に建てられた本館と洋館があるんだぞ!まるでタイムスリップしたかのような気分が味わえる面白い場所なんだぞ」
いつもは移動をする時は僕の肩に乗っている猫の姿のミケだが、今回は駅について早々に松田さんと合流してしまった事で、猫に戻る機会を逃したのだろう。
ミケは人の姿のまま、僕達の後ろをトコトコと着いて来ながら得意げに解説している。
「ほう、嬢ちゃんは若いのに物知りだのう」
するとミケは僕達を追い越して、こちらを振り向くと「にゃん!」と言いながら、いつもの自称可愛いポーズを見せつけて来た。
「どうだ?私は賢いだけでなく、可愛さも凄まじいだろ!」
物知りだと褒められた事で、ミケが調子に乗っている。
「うむ!嬢ちゃんは賢くて美人さんじゃ!」
松田さんに煽てられたミケはご機嫌なようで、僕達の前を嬉しそうに歩いていた。
宿に着いて松田さんと別れ、僕とミケが部屋に入ると、
猫に戻ったミケが愚痴っていた。
「あの爺さんのせいで、猫に戻るタイミングを失っちまったよ!」
(さっきは松田さんに美人と言われて喜んでいたくせに・・・)
「ちっ!せっかくコツコツと貯めた金なのに、2人分の宿泊費を払う羽目になっちゃったよ!」
「ミケはお金持ちなんだし、人の姿で泊まるのも楽しいと思うよ?」
「なれない人の姿だと、歩くのも大変なんだぞ」
そう言いながらミケは、にゃん!とポーズを決めてみせた。
「ちっ!この完成された仕草に足りないものがわからん!」
文句を言いながらも、ミケはにゃんのポーズの練習をしながら楽しそうだった。
松田さんに褒められた事が嬉しかっただけなのか、可愛さで旅費をうかせようと本気で考えているのかは分からないが、機嫌が良い事は伝わってくる。
「しかしあの爺さん、本当は寂しがってるな」
「そうだね。何か、してあげられればいいんだけど……」
「お前にも、何か、できることがあるさ」
その後、僕は松田さんの部屋を訪れ、一緒に夕食を食べないかと提案してみると、松田さんは快く了承してくれた。
中居さんにその事を伝え、僕達は松田さんの部屋で夕食を頂くことにした。最初は僕に遠慮がちだった松田さんも、話をするうちに打ち解けてくれた。
「君は東京で働いてるんか?」
「はい。でも体調を崩して、今は休職中です」
「そうか……若いのに大変やな」
松田さんは僕の話を親身になって聞いてくれた。逆に僕も松田さんの工場での思い出話に耳を傾けた。
「職人の世界は厳しかったけど、やりがいがあった。ワシの作ったものが世の中で使われてるのを見るのが嬉しくてな」
松田さんの目は、過去を振り返る時だけは輝いていた。
一方、ミケは自分と僕の刺身を食べ終わると、松田さんのマグロを狙っているのか、じーーーっと見つめている。
「ワシはもう腹がいっぱいじゃわい。残すのも悪いし、嬢ちゃんワシの刺身も食ってくれんか?」
「しょうがない奴じゃな!私が食ろうてやろう!」
「おおきに」
松田さんの優しさでマグロを食べれたミケは、とっても嬉しそうだった。
「明日はどちらに行かれるんですか?」
「特に決めてへん。下呂で2泊して、それから帰るつもりや」
「よろしければ、僕たちと一緒に観光しませんか?」
「ええんか?」
「もちろんです!」
松田さんは嬉しそうに頷いてくれた。
「ねぇミケ、僕達ももう1泊しない?」
「はぁ?私の貯めた金だと思って無駄遣いをする気がだな」
マグロの刺身を食べ終えたミケのご機嫌タイムは終わってしまったようで、ギロっと僕を睨んでいる。
「お願いします!松田さんと観光をする約束をしちゃったんだよ」
「ちっ!私のお金だと思って!」
「嬢ちゃん、わがまま言ってすまんのう。明日もワシの刺身は食べてくれて構わん。それでどうじゃ?」
「そう言う事なら喜んで!」
「やったー!ミケ、ありがとう」
こうして僕達は下呂温泉にもう一泊する事にして、明日は観光に行く事になった。
自分達の部屋に戻ったあと、僕達は温泉に入りに行く事にした。ミケは人の姿のまま一緒に男湯に入ってきた。
「ミケ?ここ男湯だよ?バレたらどうすんの?この旅館には結構な数のお客さんが泊ってたよ?」
「私はそんな失敗はせん!猫又をなめるなよ!」
そう自信満々にミケ言うのだから、大丈夫なんだなと思った。
「ふう、気持ちいい!」
ミケが満足そうに湯に浸かっている。
「ここの湯はアルカリ性単純温泉で、肌の古い角質を落とす効果があり、滑らかな肌ざわりをもたらすと言われているんだぞ」
「確かに、何となくサラッとした感じの湯だね」
「しかも、この温泉地にはカエルの神様が祀られていて、若返る、無事に帰るなど、カエルという文字に因んだご利益があるんだぞ!」
「ゲロゲロと鳴くカエルの鳴き声と、下呂温泉のゲロが掛けられているって事だな」
「へぇ、面白いね」
いつものミケの解説を聞きながら、温泉を堪能した僕達は、明日の為に早めに寝る事にした。
猫又のミケは猫の姿に戻り、僕の足元で丸くなって眠っていた。
翌日、僕たちは朝食を済ませると、松田さんと合流し、下呂温泉の歴史を辿る散策に出かけた。
旅館を出ると、猫の姿に戻った猫又のミケが僕の肩に飛び乗って来た。
「なんや!えらい人懐っこい猫やな」
「ニャー」と一声鳴き、ミケは猫をかぶっている。
何故か松田さんは、昨日まで僕と一緒に居た人の姿のミケが一緒じゃない事に対して、何も言ってこなかった。
最初に訪れたのは温泉寺だった。
平安時代に建立された古い寺で、温泉の守護神として薬師如来が祀られている。
「下呂温泉の発見には、白鷺が関わってるらしいですよ」
僕は猫又から聞いた話を松田さんに説明した。
「昔、飛騨川の川辺で傷ついた白鷺が湯に浸かって傷を癒していて、それを見た村人が、この温泉を発見したという伝説がここにはあるんだそうです」
「白鷺か、それは縁起がええな」
松田さんは興味深そうに僕の話を聞いてくれた。
境内で参拝していると、僕の肩でミケが小声で言った。
「ここの薬師如来様は本物だぞ!お前も松田の爺さんもちゃんとお参りしておけ!」
「うん、わかった」
「松田さん!ここの薬師如来様は本物ですのでお参りしましょう!」
「本物かぁ、そりゃお参りせんといかんわな」
僕と松田さんはそれぞれ手を合わせてお参りした。
僕は家族とミケの健康をお願いした。
松田さんは真剣な顔で手を合わせ、しばらくの間、目を閉じてした。最後に旅でもと言っていたこの人は、一体、神様に何を願ったのだろうか・・・。
ミケに対しても、とても優しく接してくれていたこの人は、きっと自分以外の人の幸せを願ったんだろうなと、なんとなく思った。
しかし、ここの薬師如来様は本物だと言った当人のミケは、僕の肩であくびをしていた。
それを見た僕は、薬師如来様にもう1つお願いをしておくことにした。
(薬師如来様!こんなミケですが、ミケがずっと健康でいれますよう、どうかよろしくお願い致します)
僕がそう願い終わったころには、ミケは気持ちよさそうに眠ってしまっていた。
その後、下呂の温泉街を散策し、足湯に浸かりながら地元の人たちと交流した。
松田さんは持ち前の人懐っこさで、すぐに地元の人たちと打ち解けていた。
「職人さんやったんですか?それはすごいですな」
地元の温泉饅頭屋のおじさんが、松田さんの話に興味を示したようで、2人で楽しそうに話し込んでいた。
「昔は手作業でしかできない技術がたくさんあったんですが、今は機械化が進んでワシにはさっぱりですわ」
そう言って笑う松田さんは、出会った頃よりも、表情が明るくなっていくのが分かった。
僕達はバスを乗り継ぎ、下呂温泉から少し足を延ばして、白川郷の合掌造りの里も訪れた。
2時間ほどの移動だったが、到着して僕達が目にしたのは、世界遺産にも登録されている美しい景色だった。
「大丈夫ですか?お疲れでしたらどこかで休みます?」
さすがに疲れただろうと思い、松田さんに声をかける。
「まだまだ全然大丈夫やで!昔の日本はきっとこんな風やったんやな」
松田さんは感慨深げに合掌造りの家を見上げていた。どうやら、僕の方が体力的に負けている気がする。
「今の若い人は、こういう技術を知らんのやろな・・・」
「そうですね。伝統的な技術が失われていくのは寂しいです」
「わしの工場もそうや。手作業でしかできない技術があったんやけど、誰も受け継ぐ人がおらん」
松田さんの言葉に、僕は胸が痛んだ。自分も含めて現代人は、便利さばかりを追求して大切なものを見失っているのかもしれない。職人と呼ばれる人の技術が、僕達の知らない技術に変わっていく事もあるのかと、そんな事をふと感じてしまった。
合掌造りの中を見学していると、ミケが昔話をしてくれた。
「この辺りは昔から自然と共に生きてきた。山の恵み、川の恵み、そして温泉の恵み。全部大地からの贈り物なんだぞ」
その話を聞きながら、僕は自分がいかに自然から離れた生活をしていたかを実感した。コンクリートの建物に囲まれ、人工的な光の下で機械相手に仕事をする毎日。便利なんだけど、それだけじゃダメな気がした。
「・・・人間も自然の一部なんやな」
松田さんがぽつりと言った。
「わしも工場で機械ばっかり相手にしてたけど、結局は人の手で作るもんが一番や」
今までは気にもしてなかったその言葉の意味が、僕にはなんとなくわかった気がした。
早く、楽に、コストを抑えて作る・・・それも大事だけど、物作りには、きっと心の部分も大事な気がした。
その日の夜。またバスを乗り継ぎ旅館に戻る。さすがに疲れたようで、帰りのバスでは松田さんもずっすりと寝ていた。
その日の夕食も松田さんと一緒に頂く事にした。
「嬢ちゃん、ワシの刺身は全部食ってええぞ」
「本当か?良いのか?こんなにも食べて良いのか?」
ミケが目を輝かせている。
「お礼に松田の爺さんに、良いものを見せてやろう」
そう言ってミケは、にゃん!にゃん!と二回ポーズを決めた。
「どうだ!2倍可愛いだろ!」
「うむ!嬢ちゃんは本当に美人さんじゃ!」
3人分の刺身を食べられる事、松田さんに褒められた事、それがとても嬉しいようで、夕食の時のミケは、ずっと幸せそうだった。
次の日。旅館を出た僕とミケは、下呂駅で松田さんとお別れする事になった。
「この2日間、本当に楽しかった。ありがとう」
松田さんが深々と頭を下げてくれる。
「こちらこそ、松田さんから多くのことを学ばせていただきました」
「ワシは大阪に帰ったら、自分の持っとる技術を若者に教える活動を始めてみようと思う。嬢ちゃんと君のせいで、なんややる気が出てしもうたわ!」
松田さんの表情は、初めて会った時とは全く違って明るかった。
「きっと多くの若い人が、松田さんの技術を学びたいと思ってますよ」
「そうやったら、ええんやけどな」
ちょっと不安そうに、そう呟いた松田さんに、ミケがお得意のポーズを披露していた。
「にゃん!」
それを見た松田さんには笑顔が戻っていた。
松田さんは大阪行きの特急に乗る前に、最後に僕に言葉をかけてくれた。
「体のどこかに怪我をすれば、周りもそれに気づいてくれるだろう」
「だが、心の怪我は自分しか分からんのや」
「体だけやなく、心も大事なんやで?まだ若いんやから無理したらあかん!」
「はい!わかりました!ありがとうございました」
「また会える日を楽しみにしてるで」
「爺さんも、こいつとまた旅をするまで、くたばったらダメだぞ!」
ミケが松田さんに向かって叫んだ。
「そうだな・・・また一緒に温泉に行ける事を楽しみにしとるよ」
そう言いながら、松田さんは電車に乗り込んで行った。
特急が走り去り、松田さんを見送った後、僕とミケは静かに駅のベンチに座り、自分達が乗る電車を待っていた。
「松田の爺さん、いい人やったな」
「なんでミケまで大阪弁なのさ!」
「ほんま、良い爺さんやった」
「・・・そうだね。一緒にいてとても勉強になったし、なんか久々に他人と話したって気がする」
「毎日、私と話してるじゃないか!」
「ミケは人じゃないじゃん!」
「ぐぬぬ!」
「それにミケは、他人じゃなくて僕の家族だろ?」
「・・・お前も変わったな。最初の頃より表情が明るくなった」
「そう?」
「またこれからは私達だけの二人旅だ。楽しんで行こうじゃないか!」
「うん!」
松田さんとの別れは寂しかったが、これからは、また猫又のミケとの特別な旅が続く事がとても嬉しかった。
(第三話了)




