猫又と行く癒しの温泉巡り 第二話 老神温泉
草津で一泊した翌日、僕たちは急いで朝食をすませると宿を出て、群馬県の老神温泉にバスで向かっていた。
「なんでその温泉に行くの?」と、バスの車窓に流れる田舎の風景を楽しんでいるミケに聞いてみる。
「そこには古い知り合いがいるんだ」
猫又は謎めいた答えを返してきた。
「老神温泉は群馬県の奥座敷と呼ばれる静かな温泉地で、赤城山の麓に位置している」
「せっかく群馬に来たのだから、顔を出しておこうと思ってな」
古い知り合いか、ミケにも昔からの友人がいるんだろうか。200年以上生きているというミケなら、きっと色々な出会いがあったのだろう。
草津からバスを乗り継ぎ5時間ほどすると、深い山に囲まれた小さな温泉街が見えてきた。
始めはバス代がもったいないからと、リュックに入っていたミケだったが、10分もしない内に限界が来たのか、人の姿になり渋々料金を払っていた。
「にゃん!」
ミケが運転手に向かって可愛いポーズを決めている。
「・・・・・・」
運転手は無表情だ。
「可愛いだろ?」と、ミケが自信満々に言う。
「・・・いえ・・・別に・・・」
運転手の冷たい返事。
「・・・そっか」
ミケが少ししょんぼりしているが、僕は笑いを堪えるのに必死だった。
「可愛いから半額とかになったりしない?」と、ミケはまだ運転手さんに絡んでいる。
「なりませんね」と、あっさり断られてしまったミケは、
そっか・・・と完全に諦め、素直に料金を払った。
「ところでお客さん」
「なに?」
「いつこのバスに乗ったんですか?」
ミケが、え?っと言うと、運転手とミケが同時に固まった。
このバスに乗った時のミケは猫の姿でリュックに入っていたのだから、運転手さんからすれば気付いたら変な女が乗っていた様に思えてもしょうがない。
「にゃん!」
返事に困ったミケは可愛いポーズをしながら、そそくさとバスを降りて行った。
僕はミケとは他人のフリをしながらも、運転手さんに何かを聞かれる前にバスを降りた。
「ふわ~~良く寝た」
山間のバス停に降り立つと、ミケは大きな伸びをしていた。その仕草はやっぱり猫っぽい。
ミケはバスの移動中ずっと寝ていた。どうせ寝ているのだから、猫に戻ってリュックの中で寝てれば良いのにと思ったが、それを教えるとまた無賃乗車をやりかねないので黙っている事にした。
まぁ、元が猫だから無賃乗車になるかは分からないけど・・・
「ここは昔から蛇の神様の里として知られてるんだぞ」
ミケが温泉街の看板を指差しながら言った。
看板には『老う神』と書いて老神と書いてある。
「・・・ろうじん温泉って読むの?」
そうミケに尋ねる。
「この字はな『ろうじん』とは読まず『おいがみ』と読むんだ。この地を護る大蛇の神様の事なんだぞ」
「え?大蛇?」
「そうだ!この地を護るのは大蛇の神様だ。ここの温泉を開湯したのもその神なんだぞ?」
そうなの?と僕が聞き返すと、ミケは得意げに話し始めた。
「神代の昔、赤城山の神が大蛇に変化し、日光二荒山の神が大百足に化身し戦場ヶ原で戦った」
「だが、その戦いで赤城山の神である大蛇は弓矢で傷を負い、この地まで逃げて来た」
「その矢を抜いて赤城山麓に突き刺すと、湯が湧き出したという」
「その湯を浴びた大蛇の神はみるみると傷が治り、この地に迫ってきた大百足の神を追い返したのだ」
「どうだ!すごいだろ!」
ミケはまるで自分の事のように目を輝かせながら話していた。
今度は大蛇の神様が見つけた温泉と聞いて、僕はちょっと楽しみになって来ていた。草津が白鹿の伝説なら、ここは大蛇の伝説か・・・それぞれの温泉に、それぞれの物語があるのだなと思った。
「挨拶に行こう!」
宿に荷物を置いた後、ミケは挨拶に行こうと言って、温泉街の奥にある小さな神社に案内してくれた。
そこは赤城神社という小さい神社で、境内には蛇の置物があった。
猫又のミケは、その蛇の置物に丁寧にお辞儀をしていた。
「ここの神様は昔から病気平癒で有名なんだ。心の病・・・精神的な疲れも癒してくれるんだぞ。きっとお前の疲れも癒してくれるぞ」
そう聞いた僕は、ミケの真似をして手を合わせた。
すると不思議なことに、心の奥から温かいものが湧き上がってきた。それは草津で感じたものとは少し違う。もっと優しく、もっと深い何か不思議な感じがした。
「蛇の神様は脱皮を繰り返すから、再生の象徴でもあるんだ」
「・・・再生?」
「そうだ。お前も古い自分を脱ぎ捨てて、新しく生まれ変わっても良いかもな」
「・・・古い自分かぁ」
古い自分。東京で壊れかけていた自分。何も感じられなくなっていた自分。
僕は、それを脱ぎ捨てて新しくなれるのだろうか。
「良し!宿に戻って温泉に浸かりに行くぞ!」
「うん!」
老神の赤城神社にお詣りしたお陰なのか、僕の返事も心なしか元気になっている気がした。
参拝を終えた後は老神温泉の湯に浸かった。
猫又も美女の姿になって、僕の隣で湯に浸かっていた。
「良い湯だぁ~」
「うん!とても気持ちいいね」
草津とは違って優しくまろやかな湯質で、まるで何かに包まれているような安心感があった。
「この湯は心を落ち着かせる力があるんだぞ」
そう得意気に湯に浸かっているミケに、僕は疑問を投げかける。
「ところで・・・」
「なんだ?」
「人の姿になってて大丈夫なの?ここ男湯だよ?誰か入ってきたらどうすんの?」
「誰か来たら猫に戻るから、お前がなんとかごまかせよ」
「まぁ、周りは山に囲まれているし、私なら余裕で逃げて隠れられるけどな」
「でも一緒に入るのはちょっと・・・」
「人の姿の時は猫の毛は抜けんから湯は汚れはせん!安心しろ!」
「いや、そうじゃなくて・・・」
「他に何か問題でもあるのか?」
「ミケの胸もお尻も丸見えなんだけど・・・」
「私の尻など、小さい時からさんざん見てるだろうが!」
「そうなんだけど・・・そうじゃないって言うか・・・」
目のやり場に困っていると、ミケが別の話題を振ってきた。
「そうそう、弘法大師もここで湯治をしたという言い伝えがあるんだぞ」
「え?弘法大師様?空海が?」
「ああ、心身を清めるためにこの湯を利用したとか。老神温泉は弘法大師・空海が発見したとも云われている」
「そっかぁ~、弘法大師・空海もこの湯に浸かったんだね」
「そうなんだろうな」
僕は老神の湯に浸かりながら、自分の心境の変化を感じていた。
草津では体の疲れが取れた。でも老神では、心の重荷が軽くなっていくような感覚があった。
祖母への罪悪感。仕事への執着。自分への失望。そういった重いものが、少しずつここの湯に溶けていくような感覚だった。
「誰も来ないようだし私は泳いでくるぞ!」
「え?泳ぐの?」
僕が温泉を堪能している目の前で、ミケはお尻と尻尾をフリフリしながら、犬掻きならぬ猫掻きをして不格好に泳いでいた。
「どうだ!猫なのにここまで泳げるのは私くらいなもんだぞ!」
「ミケ・・・丸見えだって・・・」
僕は思わず目を逸らした。小さい頃から家に居たミケのお尻は、見慣れたお尻ではなく、まさしく若い女性のものだった。
その日の夜。温泉を堪能し、夕食を済ませて宿の部屋でミケと話をしていると、窓の外に大きな影が見えた。
「え?今、なにか通らなかった?」
「あれは蛇の神様の化身だな」
影はゆっくりと窓の前を通り過ぎていき、やがて山の奥に消えていった。
僕達が泊っているのは旅館の2階の部屋だったが、その影は窓には収まり切れないほど大きかった。
「この温泉地には全長108m、重さが約2トンもある大蛇のみこしがあるからなぁ。それに神様が宿って、散歩でもしてるのかも知れんぞ?」
「え?散歩?神様って本当に居るの?」
「猫の妖怪、猫又の私が目の前に存在しているのに、お前はまだ、そんな疑問を持っているのか?」
「確かに、言われてみれば、そうだよね。あまりにもミケと普通に過ごしてたから、ミケが人じゃない事を忘れてたよ」
「それに、私も昔、ここの蛇の神様にお世話になったことがある」
「どんな?」と僕が尋ねると、ミケの声が少し静かになった。
「もうずっと前の事だけど、私を可愛がってくれた人が病気になった時、私はここにお願いに来た」
「私は蛇の神様に病気を治してやってくれと頼んだ」
「それでどうなったの?」
「・・・もう手遅れだと言われた」
そう告げるミケの表情が少し寂しそうに見えた。
「だが、せめて苦しまずに逝かせてやると神様は言ってくれた」
「神様の言った通り、その人は最期まで穏やかで、まるで眠るように逝ってしまったよ」
「そっか・・・」
「その時のお礼もしたかったから、どうしてもここに寄りたかったんだ」
猫又ミケの話を聞いて、僕は改めて神様の存在を実感していた。目の前には猫の妖怪が居るのだから、神様もきっと居るんだろうと思いなおした。
そしてミケもまた、僕のばあちゃん以外にも、大切な人を失った経験があるのだと知った。
200年以上生きていれば出会いもあれば別れもある。それでもミケは、こうして元気に生き続けている。
「ミケってやっぱり凄いね」
自然と心の中から出た言葉だった。
だけど、感傷に浸っている僕とは違い、ミケは丸くなって布団の隅で気持ちよさそうに眠っていた。
次の日。翌朝、旅館で朝食を頂き、この地を出発する前に、もう一度神社を訪れた。
僕はこれからの人生について神様に誓いをたてた。
「心の弱い僕は脱皮して、新しく生まれ変わろうと思います」
「大切な人たちと、僕を気に掛けてくれるミケを守っていけるような強い人間になりたいと思います」
すると境内に、ヒュ~風が吹いて、木々の葉がさらさらと音を立てた。
その風の音は神様からの返事のように思えた。
老神温泉に来た事で心が少し軽くなった気がする。
次はどんな温泉が待っているのだろうと、旅を楽しむ余裕も出て来た。
「さて、次の温泉に行くぞ!」
ミケは僕の肩に乗りながら元気に叫ぶ。
「次はどこの温泉に行くの?」
「岐阜県の下呂温泉!」
「え?遠くない?」
「昔に比べたら近い近い!」
実はミケは電車とバスが好きなんじゃないのか?そう思いながら、僕達は老神温泉を後にした。
(第二話了)




