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5.あなたがいる

 私は帰国するための船の上にいる。腕の中にはエリーネから受け取った、ロジェの品種改良したトマトの苗がある。それを大切に抱えている。これはロジェからの私への愛の結晶だと思っている。


「このトマトの名前は『ディア ジル』。ロジェがサツマイモとは別に、休みを返上して交配した新種です。あなたに贈るのだと言っていました」

「ディア ジル……」


 最後にロジェからもらった手紙を思い出した。


『ジゼル。約束の場所で待っていてください。

      追伸。婚約者になったら愛称のジルと呼んでもいいですか?』


 そう書かれていた。この新種に私の愛称をつけてくれた、その気持ちを想像すると泣いてしまいそうになる。


「エリーネ様はなぜロジェと結婚すると嘘をついたのですか?」

「あの日、ロジェを待つあなたが幸せそうだったので、ただの八つ当たりです。ロジェに愛されていたあなたに嫉妬していました。私が父に頼んでロジェに婿入りの話をしたのは本当です。もっともロジェには断られてしまいましたが……。いい話だと自負していましたけれど、彼は迷うことすらしなかった……」


 エリーネの表情には自嘲と苦悩を混ぜたものが浮かんでいた。ロジェと待ち合わせの場所に来たエリーネは黒い服を着ていた。あれは喪服を意味していたのだろう。きっと私に真実を伝えに来て、でも言えなくて嘘をついた。ロジェが死んでしまった真実よりも、裏切られたという嘘で私の心を守ろうとしてくれた、そんな気がした。


 不器用な方法で憎まれ役をしてくれた。なんて優しい人なのだろう。黙っていれば分からないのに、ちゃんとロジェの研究成果の報酬を私に渡そうとしてくれた。搾取したりしない誠実さがそれを証明している。それに後援者の立場や伯爵家の権力を利用して、ロジェへ気持ちを押し付けなかったことに彼女の矜持を感じる。


 その後、研究室にも案内してもらった。一緒に研究をしていた人たちは私を見ると、涙を浮かべどれだけロジェが私を思っていたか語ってくれた。苗を渡すのを楽しみにしていたと……。そしてロジェの死を悼み悲しんでくれた。それは私の心を慰めてくれた。でもまだ別の世界の出来事のようで現実味はなかった。

 私はエリーネにお礼を言うと苗を受け取り帰国することにした。


 両親は静かに私を迎えてくれると抱きしめてくれた。その腕の中で散々泣いた。

 両親はロジェの訃報をクラース伯爵家の遣いの人から聞かされ知っていたのだ。それで私を隣国に行かせてくれた。私は両親の選択に感謝している。


 知ってよかったと思う。真実は辛く悲しい。いつの日かこの現実を乗り越えられるのか分からない。それでも知らないより知っていた方がいい。裏切られたとロジェを恨まなくてすむ。ロジェは私との約束の場所に来ようとしていた。その事実は私を支えてくれるのだから――。

 

 悲しみに暮れていても私の気持ちなんかお構いなしに世界は時を刻む。ロジェの亡骸を見ていないせいか、彼がどこかで生きている気がして仕方がない。諦めが悪いとも言うけれど。


 私は『ディア ジル』の苗を庭に植えた。父が母のために作るトマトとは別の場所をもらった。ロジェが私のために作ってくれたトマトを育てる。幼い頃から父を手伝っていたので、それなりにノウハウがある。丁寧に手入れをして一年後、黄色い花が咲いてそして橙色の実をつけた。

 実は色にムラがなく艶々としている。まるで宝石のようで綺麗。しゃがんで一つもぎ取ると口に入れた。皮が柔らかくて美味しい。口いっぱいに甘さが広がる。ロジェはすごいことをやってのけたのだ。労いたかった。一緒に食べたかった。

 

 両親も美味しいと絶賛していたのだが、「お父様のよりも美味しいわよね?」と私が言ったら、父が目を吊り上げて「お父様のトマトのほうが美味しいだろう!」と対抗し出した。でも母が「もちろんあなたのトマトが一番よ」と誉めればすぐに機嫌を直す。私は家庭の平穏のために黙っておいた。

 このトマトを食べるまでは私も父のトマトが一番だったけど、ロジェのトマトを食べた今はこれが一番になってしまったのだ。

 だけど時々、美味しいのに途中でしょっぱくなる。だって涙が出てきてしまうから。

 今日もたわわに実ったトマトを収穫する。優しくもいで籠に入れる。夕食のサラダに入れる予定だ。必要な分を採り終えると籠を置いて一つ食べた。美味しくて、少しだけ切なくなる。ごくりと飲み込んだその時――。


「お嬢様。僕にそのトマトをくださいませんか?」


 不意に声をかけられて声の方を見る。そこには男性が立っていた。その人は、私の知っている人で、会いたくてたまらなかった人。


「うそ……ロジェなの?」

「ジゼル。遅くなってごめん」


 幻を見ているのだろうか? 消えてしまう前に捕まえなくちゃ! 私は駆け出してロジェに抱きついた。彼は私を抱きとめた。


(ああ、本物だ!)


 最後に会ったのは四年前。声があの時よりも低く感じる。日焼けして逞しくなっている。幻じゃない。ロジェがいる! 私のところにロジェが戻ってきた!


「っ……」


 会いたかった! 会いたかった! 瞳から涙が溢れて止まらない。神様。これは白昼夢じゃないですよね? もう、私からロジェを取り上げないでください。そう祈りながら顔を離しロジェを見上げた。

 そこには濃いレモン色の髪の男性がアクアマリンの瞳を愛おしげに私に向けていた。ロジェはふわりと微笑むと私の体を抱きしめ返してくれた。

 私たちは、ようやく再会を果たしたのだった。

 とりあえず話が聞きたいので、感動もそこそこにして私の部屋に移動した。


「ロジェ、船には乗っていなかったの? 今までどうしていたの? どうして連絡をくれなかったの? 怪我は? 元気なの?」


 少し冷静になりやっと涙が止まった。私は涙を拭くなり矢継ぎ早に問いかける。ロジェは困ったように笑みを浮かべると一つずつ教えてくれた。


「船には乗っていたよ。船が難破してもう駄目だと思ったけど、どうしてもジゼルに会いたくて必死にもがいた。流れてきた板にしがみ付いて運良く近くの小島に流れ着いて助けられた。ただ記憶を失ってしまって、しばらくそこで暮らしていた。それで連絡できなかったんだ。もう怪我は癒えて元気だよ」

「記憶喪失!?」


 私は思わず叫んでしまった。まさか現実にそんなことが起こるなんて。


「無事だったのは本当によかった。だけど……一応確認したいのだけど、助けてくれた人が女性で恋に落ちたとかはない?」


 無事を確かめた途端、不安要素が湧いてきた。小説では定番の展開だ。ロジェはきょとんとしたあと大笑いをした。


「あはは……ジゼルらしいな。大丈夫。助けてくれたのは漁師の老夫妻で、そんな心配はいらないよ」

「それならいいけど。でも本当に記憶が戻ってよかった。そうでなかったらずっとそこで暮らしていたかもしれないのでしょう?」

「そうだね」

「記憶が戻るきっかけはあったの?」

「うん、トマトだよ」

「トマト?」

「お世話になっていた場所ではあまり野菜がなくてね。たまたまトマトをもらって食べたときに、急に頭が痛くなって、しばらく寝込んだ。そのうちに段々記憶を取り戻したんだ」

「トマトがきっかけなの?」

「うん。僕にとってトマトはとても大切な思い出なんだよ」


 私はむうっと唸った。私じゃなくトマトが記憶を呼び戻した? それはトマトに負けたことになる。ロジェがいて喜ばしいのに、小さなとげが心に引っかかっている。私はトマトに嫉妬していた。悔しい!


「聞いていい? その思い出ってなあに?」


 ロジェは一度窓の外を見た。そこには父の育てているトマトが生っている。視線を私に戻すと懐かしそうな目をした。


「昔。僕はここでジゼルにトマトをもらったんだ」

「えっ!」

「ジゼルは覚えていないだろうね。僕が七歳の頃かな。孤児院が借りている土地で畑仕事をした帰りに、どうしても喉が渇いて柵の隙間からこのお屋敷の庭を覗いていたんだ。その日はとても暑くて我慢できなかった。だから水がもらえないか声をかけようかと迷っていたら、そこに大きなつばのある帽子をかぶった可愛らしい女の子がいて、一生懸命トマトに話しかけていた」

「うっ!!」


 身に覚えがある。父から植物に話しかけるといいと教えられて実行していた。芽が出たときは「元気に大きくなってね」花が咲いたら「綺麗よ」実が生ったら「ありがとう」と語りかけた。今考えると変な人だと思われそう。恥ずかしい……けど、今でもやっているのよね。


「僕はそのトマトが美味しそうで思わず声をかけてしまった。『お嬢様。僕にそのトマトをわけてください。喉が渇いているんです』と。そしたら女の子はすぐにトマトを二個もいで誇らしげにしながら『お父様の自慢のトマトよ! どうぞ』って僕にくれたんだ。そして帽子を脱ぐと僕に被せてくれた。汚れてしまうと遠慮したら『汚れても平気。暑いほうが駄目なんだよ』とあどけなく言うんだ」

「う~ん。そんなことがあったような……」


 おぼろげだけど薄ら記憶にあるような。


「喉がカラカラでお腹が空いていたから、本当に助かった。生き返ったよ。ジゼルは『お父様のトマトは世界で一番おいしいのよ!』ってニコニコしていた。ジゼルは僕の恩人で初恋だよ」

「えーー!! 私が初恋なの?」


 私は両手で頬を押さえた。顔が熱い。感激するべきか、恥ずかしがるべきか。でも嬉しい!


「そうだよ。実は学園でジゼルを見かけて、話しかけたくてずっとタイミングを窺っていた。……気持ち悪いよね? ごめん」

「ロジェなら気持ち悪くないわ。だけどそれなら最初に公園で声をかけて、トマトをくれたのは偶然じゃなかったということ?」

「うん……」


 ロジェはバツが悪そうに目を逸らす。気にしなくていいのに。私は改めてロジェに言った。


「ロジェ。生きていてくれてありがとう。あと新種のトマトもとても嬉しかったわ。その名前も」


 よく考えたら私の名前のトマトが存在するってすごいわ!


「トマトは直接手渡すはずだったのに悔しいな。驚かせたかったのに。その時に初恋の話を打ち明けるつもりだった。その苗はクラース伯爵様がジゼルに渡してくれたのかい?」

「いいえ。エリーネ様から受け取ったの。色々あったのよ」

「色々? 気になるな。でもそれは後で教えてもらおう。それよりも……ジゼル」

「なあに?」


 ロジェが居住まいを正したので、私も背筋を伸ばす。


「えっと、指輪や花は用意できなかった。ごめん。とにかく一刻も早く会いたくてここに来た。それで」

「うん」

「ジゼル。どうか僕と結婚してください」

「はい。お受けします」


 胸に万感の思いがこみ上げる。私はロジェを取り戻し、約束のプロポーズを受け取った。

 私たちは見つめ合うとお互いに口元を綻ばせた。二人の人生という道が交わり重なった瞬間だった――。

 幸せな雰囲気に浸りかけたのだが、私は大切なことをロジェに伝えていなかった!


「ねえ、ロジェ。『ディア ジル』は私が今まで食べた、どのトマトよりも一番美味しかったわ!」


 私の言葉にロジェがはちきれそうな満面の笑みを浮かべた。










 一年後、私はロジェと結婚した。家族や友人たちからの祝福の言葉を受け取って、夫婦としての一歩を踏み出した。その後もロジェは研究を続けながら私や領地を支えてくれている。


 今、庭にはトマトの黄色い花が咲いている。『ディア ジル』の名を持つトマトは今年もきっと美味しい実をつけるだろう。






お読みくださりありがとうございました!

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