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2.出会ったきっかけ

 私が屋敷に戻るとニコニコと使用人たちが出迎えた。吉報を待っていたのだろう。みんなが一様に私の顔を見て困惑する。ロジェのことを説明するべきなのだろうが、話せる気分ではない。執事に一人にして欲しいと頼み部屋に閉じこもった。

 鏡を見れば顔を歪ませた女の子が映る。朝、念入りにしたお化粧が崩れて無残だ。帰るまでの道すがら、我慢できずに泣いてしまった。何度も目を擦り冷静さを取り戻そうとしたができなかった。新しいワンピースは見て欲しい人に見てもらえず、浮かれた自分が滑稽に思える。


 どうして? どうして? どうして? 

 その言葉だけが頭の中を巡る。

 ロジェが私を裏切った。心変わりをして捨てたのだ。恋の呆気ない幕切れに頭の中がぐちゃぐちゃになる。


 エリーネはとても綺麗な人だった。洗練された佇まいは淑女のお手本のようだった。それに比べて私は……日焼けをしていて田舎者丸出しだ。黒い髪に茶色の瞳は華やかさに欠ける。小さな丸い鼻を両親はチャームポイントだと褒めるが私はすらっとした鼻がよかった。もちろんそんなことは言わないけど。


 私は美人の部類ではない。どんなに着飾ってもエリーネのような美しさを手に入れるのは無理だ。だからロジェも心変わりをしたのだろうか? それとも伯爵家の地位や財力が魅力的だった? せめて……直接会って伝えて欲しかった。それが悲しくてたまらない。

 私はベッドに潜り込むと声を殺して啜り泣いた。




 *****




 私とロジェが出会ったのは王都の学園だ。

 この国の貴族は学園に通うことを義務づけられている。ロジェは平民なので本来は入学できない。彼は成績優秀で特待生として奨学金を得て通っていた。


 学園では貴族階級を思い知らされる。私の学年では伯爵家以上の子息が多く平民を除いて私の身分が一番低かった。だからと言って卑屈になったわけじゃない。私はオーバン男爵家を誇りに思っている。一人娘として家を守ることもちゃんと考えている。領地経営の勉強にも励んだ。ただ貴族たちとの関わりの少ない家なので領地にいるときは気楽に考えていた。だが学園では身分差による洗礼を受けた。と言ってもせいぜい嫌みを言って馬鹿にするくらいなので聞き流せばいい。物を隠したり暴力を振るったりされることもなく、そこは胸をなで下ろした。


 私は田舎育ちなのでそこそこ運動ができるし、普通の貴族令嬢よりも体力に自信がある。思わずやり返して怪我をさせてしまうと大事になってしまう。日々を無になる訓練だと思って過ごした。それでも絶対に許せない内容もある。


「あなたの父親、元は庭師だったのでしょう? いくら男爵家でも婿相手はもっと考えるべきよねえ? 私なら恥ずかしくて外を歩けないわ」

「ええ。信じられないわね」

「私は父のことを恥ずかしいと思ったことはありません」

「まあ! 生意気ね」


 私は顔を上げ胸を張って堂々とその場を立ち去った。大好きな父親を恥ずかしいと思ったことは一度もない。母と私を愛してくれて領民想いの努力家。誇りに思っている。

 私の父はオーバン男爵家に仕える庭師の息子だった。母は子供の頃体が弱く食が細かった。ただ庭師が育てるトマトだけは不思議とよく食べていた。


 父は庭師の仕事を継ぐと母のために丹精込めてトマトを作った。もちろん庭には薔薇などの綺麗な花も育てていたが、母はトマトの花を愛でるのも好きだったので、トマトの占める面積はいつのまにか大きくなっていった。プロポーズは母からだったらしい。自分のためにトマトの世話を熱心にする父を好きになったそうだ。


 母「ねえ。私のために一生美味しいトマトを作ってちょうだい」

 父「はい。お嬢様」


 父は庭師として命じられたと思い返事をしたが、翌日には祖父が父を婿養子にする手続きをしていた。祖父は身分に頓着のない、愛娘の幸せをだけを願う優しい人だったのだ。それに我が家はみんな貴族の特権意識が薄い。世間的に男爵家は平民同然だと思われているが、当事者もそう思っている節があった。

 父も密かに母を慕っていたが、自分は使用人なので想いが叶うはずもなく、ただひたすら真心を込めて仕えようと思っていたらしい。祖父の決定に目を丸くして驚きながらも感謝をして受け入れた。


 父は母と家のために貴族としての立ち振る舞いや知識を猛勉強して身につけた。現在では祖父から無事領地経営を引き継ぎ上手くいっている。それでも母のためのトマトの栽培だけは自ら続けているのは深い愛があるからだろう。努力家の父と大らかな母は自慢だ。そして両親のような夫婦に憧れている。


 我が家は野心もないので純粋に領民と家族の幸せを優先する。私はそれを誇りに思っていた。でも王都の貴族はその考えを嘲笑う。悲しいと思うが、どんなに笑われても私の幸せは揺らがない。だから何を言われても耐えられる。

 それでも時々溜息をつきたくなることもあった。


 そんな時は学園の帰りに公園のベンチでぼんやりと過ごす。タウンハウスで落ち込むと両親に心配をかけてしまう。私の学園生活に会わせて両親も王都にいる。領地は有能な執事が仕切ってくれているので心配はない。定期的に休暇を利用して父と母が様子を見に行っている。

 二人はトマトの発育を気にかけているようだ。どれだけトマト好きなのか……。かく言う私もトマトが大好きだ。甘くて瑞々しい。ただ王都で売られている物よりも父の作った物の方が絶対に美味しいと断言できる。

 

 ベンチで何度目かの溜息をついたとき目の前ににゅっと手が差し出された。掌の上には真っ赤に熟れたトマトがあった。


「よかったらどうぞ。これを食べたらきっと元気になりますよ」

「え……」


 それが彼との出会いだった。

 私が顔を上げるとそこにロジェが優しい笑みを浮かべていた。彼のことは知っていた。何しろ有名人だ。平民で特待生として入学し、成績優秀で見目もいい。もちろん貴族令嬢が結婚相手としてロジェを見ることはないが、将来の有望さを考えて使用人として引き抜こうと考えている人もいるようだった。面識はなかったのに、どうして彼が話しかけてくれたのかは分からない。

 ロジェは手を伸ばしたまま私が受け取るのを待っている。おずおずとトマトを手に取り思い切ってそれを丸かじりした。淑女はやらないが、今の私は淑女を学園においてきたので問題なしと大きな口を開けた。じゅわっと汁が口に広がる。皮が固い。そして――。


「……甘くない」


 思わず感想が口から漏れる。つい、父の作るトマトと比べてしまった。


「それは申し訳ない」


 ロジェが眉を下げ頭をかきながら謝る。私は不躾な言葉を放ってしまったことをすぐに謝った。


「あっ! ごめんなさい。せっかく頂いたものに文句を言ってしまって」

「いえ。実は僕も甘くないとは思っていました。でも店主はこれが一番甘いと言うので買ってしまった」


 彼の手には紙袋があった。まだトマトが入っているようだ。彼は私の隣に座るとトマトを取り出しがぶりとかじりつく。そして眉を寄せ残念そうに呟いた。


「本当に甘くないな」


 私たちは目を見合わせるとくすりと笑い、残りのトマトを食べきった。


「ごちそうさまです。そしてどうもありがとうございました。とっても元気になりました。私はジゼルと申します」

「どういたしまして。私はロジェと申します。どうぞよろしく」


 改めて挨拶をする。これがきっかけで私はロジェと会うようになった。なんとなく暗黙の了解のように学園内では話しかけない。私は令嬢たちに蔑まれているところを見られたくなかったし、彼も子息たちから見下されているところを見られたくないようだった。

 それにロジェはその優秀さからある研究室に所属しており、多忙にしていた。会えるのは週末の休みの日だけだった。一緒に図書館で読書をするか、公園を他愛ない話をして散歩をするのが定番だった。




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